(21.4.16) タイの政局は不思議の国のアリス タクシン派の4日戦争
タイの政局は通常の日本人の理解を超えている。なにしろASEAN首脳会議が開かれていた11日、反政府のデモ隊数千人(タクシン派)が会議中のホテルに乱入したが、警備の警官隊も軍隊もまったく何もせずに放って置くのだから驚く。
おかげでASEANの各国首脳はヘリコプターで会場を逃げ出さざる得なかったが、きっと各国首脳にとっても一世一代の経験だったろう。
「何で我々が群集に追われて、ブルボン王朝末期の皇帝のように逃げなくてはならないのだ。タイの警備当局は我々を警備する気持ちがないのか」怒りで頭にきてたはずだ。
麻生首相はたまたま会議場とは別のホテルにいたが、ASEAN会議に引き続いて行なわれる予定だった拡大ASEAN会議も、16カ国東アジアサミットも全て中止になったため、急遽帰国の途についた。
しかし考えてみれば16カ国もの元首を呼び集めておきながら「帰ってくれ」とはタイ政府もひどいものだ。
日本政府は正式にタイ国政府に抗議はしていないが、間違いなくこれは歴史的な失態と言える。
「二度とタイで国際会議を開催するのは止めよう」そう思ったはずだ。
今回のデモ隊はタクシン元首相率いるタクシン派が組織したものだが、昨年の末までは政権を維持していた。このタクシン派を強引に政権から引き摺り下ろしたのが現政権のアピシット首相率いるアピシット派だが、今度はタクシン派に意趣返しされたものだ。
翌12日になるとヘリコプターで逃げたアピシット首相は、内務省の建物に隠れていたのだが、再びデモ隊に襲われた。
今度は首相は内務省の建物から自動車で逃げたが、その自動車を群集が襲う場面が世界に放映された。
画面ではこの時も、逃げ惑うアピシット首相守る警官も軍隊もいなかった。
一国の首相がまったく警護もされず、ただ逃げているだけなのだ。
これでは武田勝頼が織田・徳川連合軍に攻められ、妻子と一部の郎党だけで逃げ惑い、最後に天目山で自決したのと同じではないかと思ったものだ。
アピシット首相がようやく反撃に出たのが12日の午後で、バンコック周辺に非常事態宣言を出し、ソンキッティ軍最高司令官が直接デモ隊の鎮圧に向かうことになった。
これですぐさま軍隊がデモ隊を排除するのかと思っていたら、実際はデモ隊を遠捲きにして見守っていただけだった。
状況が一変したのは13日で、この日デモ隊と市民との小競り合いで市民2名がデモ隊に射殺され、これで軍隊もやっと本腰を挙げてデモ隊を排除することにしたらしい。
タイでは「死者が出るまでは何もしない」という不文律が軍隊にも警察にもあるようで、デモ隊が各国首脳がいるホテルを襲おうが、また首相を襲おうが死者が出ない限り(警察も軍隊も中立を守り)実力行使をしないのだという。
「首相が万一死亡することがあれば、そのときはデモ隊を排除します」と言うのだから、恐るべき不文律だ。
これが微笑みの国タイの実態なのだから、日本人の感覚からは理解の限度を越えている。
日本では洞爺湖サミットの期間中、周辺の道路を機動隊が厳重に封鎖し、蟻の這い出る隙も与えなかったが、しかしそれが各国元首に対する警備の基本だと思う。
今回の一連の騒動や昨年末の空港占拠を見ても、タイでは国内事情が優先されて、ASEAN首脳会議などよりタイの国民の生命が大事だとの判断だ。
しかしそのために外国の首脳の警備を放棄したり、警備当局が首相をまったく守ろうとしないのはいくらなんでも国際的な常識の線を越えている。
14日に入り、首相府を取り巻いていたタクシン派は突如抗議デモを中止して解散した。タクシン派が市民2名を射殺したため、軍隊がデモ隊を強制排除すると通告したからだ。
世論はすっかりタイ国民の命を奪ったタクシン派に冷たくなり、軍隊が明確に現政権のアピシット派についた。
デモ隊の指導者数名が投降し、タクシン派の4日戦争は終わった。
しかしタイとは実に不思議な国だ。これほど自国民を大事にし、一方で外国の元首をなおざりにする国は珍しい。
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