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(21.4.15) 文学入門 その7 「生きづらさ」について

31zpakb0cul_sl500_aa240_1_2   私は河村義人さんが主催している読書会に参加しているが、今回のテーマ本は「生きづらさについて」という本で、雨宮処凛(あまみやかりん)さんと萱野稔人(かやのとしひと)さんの対談集だった。

 この本を選んだのはOさんだが、Oさんが選択する本は一種独特の本で、もし私が読書会に参加していなかったら一生読むことはなかったと思われる本ばかりだが、今回もそうだった。

 いつものように私は雨宮さん萱野さんのことも知らなかったが、雨宮処凛さんは自伝「生き地獄天国」で作家ビューした女性で、「現在は職も心も不安定さにさらされている人々(プレカリアート)の問題に積極的に取り組んでいる」人だという。

 プレカリアートとは聞きなれない言葉だが、Wikipediaによると「プレカリアート(英precariat)とは、「不安定な」(英precarious)という形容詞に由来する語句で、新自由主義経済下の不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者および失業者を総称する言葉」だという。
 一言で言えば先進国における貧乏人の総称のようなものだ。

 一方萱野さんはパリに留学した後、津田塾大で准教授をされているかたで、著書に反権力的なものが多く、左翼的インテリと言う印象だ。

 本自体は対談集であるので、決して読みづらいということはない。読んでみるとこの対談集は、どちらかと言うと萱野さんが雨宮さんに聞くという形式をとっており、萱野さんが学者として話をまとめている。

 雨宮さんの経歴は特異だ。これもWikipediaによると概要以下のように記載されている。

思春期にいじめ、不登校、家出、自殺未遂の経験をもち、10代後半にはヴィジュアル系バンドの追っかけをくり返した。一時期人形作家を志すが、自身の健康問題により挫折、リストカットを繰り返す日々が続いたという。

大学受験の際、美大を2浪し、浪人の際アルバイトをしていたが数日で解雇されることが連続したことで自暴自棄になり、オーバードーズで自殺未遂を経験した。

20歳の時、自身の生きづらさから「今の日本はおかしい」という違和感に駆り立てられ、右翼活動に身を投じる。

日本国憲法前文を読んだことがひとつのきっかけで、右翼思想に疑問を抱くようになり、「自分が目指していたのはこんなものではない」と、右翼思想からは一定の距離を置くようになった。

その後「生きづらさ」の原因の一つに新自由主義の拡大があると考えるようになり、自ら「左傾化した」とも表明した

 日本の底辺で生活し、右翼と左翼の思想に惹かれ、思想遍歴をしている女性と言う印象だ。

 今回の対談集は主として新自由主義こそが「いきづらさ」の原因であり、そのために日本の底辺を形成する若者が精神的・物質的貧困層プレカリアート)に追い込まれていると主張する。

 新自由主義とはサッチャー革命とかレーガン革命とか呼ばれた、資本の活動を世界レベルで推し進めた右派運動で、日本では小泉首相が推し進めた構造改革路線のことである。

 これにより世界市場は一体化し、資本は最も安価な労働力を求めて中国や東南アジアや東欧諸国に投下され、一方余剰資金は石油や金や穀物に投資されて世界的なバブルを引き起こした。
現在引き起こされている金融恐慌の引き金を引いた保守革命と言っていい。

 このため貧富の差が急拡大して、日本の若者は勝ち組と負け組に分かれてしまい、負け組は世界の低開発国並の生活水準に落とされた、と雨宮さんは気づいたと言う。

 これはまったく正しい認識だと私も思う。ただしそれだけの話ならば、経済関連の総合雑誌を読めばどこにでも記載されている。

 この本の特色は雨宮さんがその負け組の代表のような存在であり、負け組の人間がどのような精神遍歴を示すかの告白(自伝「生き地獄天国」に詳しい)であるからだ。

 負け組の条件としては、① コミュニケーション能力が不足し、それゆえ高度な仕事ができないこと、② 他者からの承認が得られないため、精神的に不安定になり、他の代替手段をとっていること、なのだそうだ。 

 雨宮さんは当初右翼運動に参加するのだが、なぜ貧しく虐げられた人が右翼運動に傾斜するのか、それは「自己表現力が乏しく落ちこぼれた人の、残された唯一の存在表現が日本人だ」ということから来るのだと言う。

 実はグローバル化した社会では、これはどこにでも起こっている現象で、ヨーロッパのネオナチ運動に典型的に現れており「国家は我々を救うべきでないのか。なぜ国民でなく外国人を優先するのだ」という叫びになる。
昔風に言えば「われわれローマ市民はパンとサーカスを享受する権利を皇帝から認められたはずだ」ということだ。

 グローバリズムの世界で外国人を優先するのは、単に賃金が安いという資本の論理から来るのだが、「外国人に職を奪われ、底辺にうごめくフリーターと称される我々には、生きづらさ以外の何者でもない」と日本人である雨宮さんは問うているようだ。

 雨宮さんの主張に多くのフリーターと称される負け組が同意するのも、新自由主義の世界が「安ければ何でも良い」という社会だからだろう。

 しかしその新自由主義もこの金融恐慌で崩壊してしまった。
人間も安ければいいのか。俺達は日本人だ。品物じゃない」そうした人々の叫びをどのように受け止めるかが、新自由主義が崩壊した後の新たな取り組みとして今求められているのだろう。

 思えば我々は堀江貴文氏村上世彰氏を金が有ると言う理由で尊敬しそうになった時期があった。しかし日本では「貧しくとも清い生き方」という価値観が存在したと言うことを、今思い出す必要が確かにあるのだろう。

(注)なお、従来は底辺の労働者の声を救う組織は組合のような組織体や左翼運動だった。しかし現在は組合は正社員のみの互助組合であり、したがってフリーターを救う存在になっていない。
結果としてフリーターは右翼になるか、ネットカフェで生きるだけの存在になっていると言う



 今回の読書会の取りまとめを河村義人さんがしています。
また個人的レポートを会の主催者、河村義人さんと今回のレポーターOさんが書かれています。私とは視点がかなり違った見方になっていますので、是非参照して見比べてください。

http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2009/04/post-825f.html 

 

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コメント

Oさんのblogも併せて拝読しました。雨宮さんの事は討論番組などで少し知っていました。
連帯しにくい、というのは当たってます。落ちこぼれてもほったらかされる放置主義、そしてそれを何の疑問もなく受け容れてしまう孤立主義(情操貧乏に陥るため避けたほうが良いのだろうに。酒場でも何でも良いから顔を合わせられる雑多な人の居る所へ飛び込もう)。

しかしながら自分を明かさずに済むネットを通した社会への中途半端な関わりを求めたがり、それでいて都合が悪ければネット上の存在をあっさり消し去る(メールアドレスを変える)。
電話番号なみにメールアドレスが重要なものだという社会的認知が浅いのもあるが、迷惑メールが来るから、というのなら、ウイルスチェックをきちんとやる友人だけに教えたり、またはgmailなどの外部メールサービスを併用、という技法習得(リテラシ)も求められよう。

それにしても(故)畑山博さんが著した「2001年のサラリーマン」(1979刊)の背筋が寒くなるような世界観が(一部ながら)、薄気味悪いほどに現実的になってきていると感じせざるを得ないものがある。この中で描かれる「負け組」はもっと凄惨を極めるが、現世の「負け組」に、その迎えてはならない世界観をどう伝えたものかと思えるものがある。
(amazonで中古本ながら入手可能)

投稿: 横田 | 2009年4月19日 (日) 00時50分

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