« (21.3.13) イギリス政府の損失補償制度 自由な市場の終わり | トップページ | (21.3.15) 千葉県知事選挙について »

(21.3.14) 卒業式が終わると  破壊活動の季節

Ca390291  
(夏の道公園のバイク等の破壊  Kさんが写す

 3月10日の中学校の卒業式が終わる頃になると、四季の道周辺では一斉に破壊活動が始まる。昨年までは街路灯の破壊が多かったが、今年はバイクの破壊がはなはだしい。

 夏の道公園で3台京成おゆみ野駅の近くで1台、それと秋の道の六通通りをまたいだ橋の袂に1台(部品)とバイクが破壊された状態で放置されていた。

 またそれらのバイクの部品と見られるヘルメットや、盗難防止の鎖が四季の道のいたるところに散在して、この時期の清掃は大変なことになってしまう。一つ一つの部品がとても重く通常のビニール袋では破けてしまうほどだ。

 夏の道の3台については、あまりに破壊の方法が生々しく、すぐさま近所に住んでいるKさんが警察に通報して、片付けてもらった。
私はその翌日の朝に警察官が破壊行動が行なわれた噴水の近くで現場検証をしているところを見たが、現場そのものはしらなかった。あとでKさんの写真で実態を確認したがひどいものだ。

 私自身が見たのは京成おゆみ野駅近くのバイクと、六通の橋の袂だが、こちらも壊せるところは全て壊してあった。
その壊した後の備品が四季の道の至るところに転がっていたわけだ。

 私は毎年のことなのでさして驚かないが、破壊の規模がだんだんと拡大しているのは憂慮すべき事態といえる。それまでは1台か2台程度だったのだが、いっぺんに3台とはさすがに驚いた。
破壊したバイクに消火器で消化剤をまいて騒ぐのはいつものことで、こうしたバイクも消火器も盗んできたものである。

 ほとんど同じパターンで繰りかえされており、卒業後の年中行事のようだが、こうした狂騒を止めさせることができないのは何とも歯がゆい。
しかも私の場合は、散らかされたバイクの備品を片付けているので、これが思いのほか重く右肩が腱鞘炎になって痛む。

 私のように62歳の老人が肉体を酷使して片付けているのに、身体をもてあましている若者がただ破壊行動だけして、暴れているのは何とも不条理だ。

主よ、この世はなんと不条理に満ちていることでしょう。もはやこの老人にはバイクの備品を持って四季の道6kmを歩き通す力は残っておりません。
今はただ一刻も早く主の御許で安息の日々を過ごすことだけが望みです

ロドリゴよ、せっかくの申し出でじゃがそれはしばらくまった方がよいぞ。ここ天国でもエンジェル達が好き勝手をやっておって、わしの大事なハーレー・ダビッドソンを乗り回して地上に落っことしたばかりじゃ。
おかげでわしはどこに行くにもママチャリで行かねばならぬのだ。
じゃから今しばらく地上で暮らしておれ


kさんが撮ってくれた写真を掲載します。http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/HAzJhB?authkey=Gv1sRgCNiVypqL0eXw0AE#

私が撮った写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2131002?authkey=Gv1sRgCLv4vvKgs_v3gwE#








 

 

 

 

|

« (21.3.13) イギリス政府の損失補償制度 自由な市場の終わり | トップページ | (21.3.15) 千葉県知事選挙について »

ボランティア クリーンクラブ」カテゴリの記事

コメント

Aさんや山崎さんの意見に共感します。先日、部活帰りの女子中学生が飲み終えたペットボトルを遊歩道の植え込みに捨てる瞬間を目撃。
「こら!拾いなさい!」と注意したら、「しまった!」という顔をしペコリと頭を下げ拾い直しました。まだ、まだモラルは低い。
大人の前でも何気なくゴミを捨てる中学生。これに類似した経験は実は一度や、二度ではありません。「変なおやじ!関係ねぇだろう!!」との罵声を浴びたこともありました。負けませんよ。間違いは間違いと言い続けます。子どもは大人の姿を見ている。Aさん、山崎さん、私たちの言動を何度でも何度でも伝えましょう。
私たちの声を繋ぎ重ねて行きましょう。公共物の破壊は犯罪だ。いかなる理由であれ、私は許しません。

投稿: TADA | 2009年3月15日 (日) 17時48分

日々のボランティア活動ご苦労様です。
私もおゆみ野が好きで、曲がった看板を直したり、ゴミを拾ったり、破損や街路灯の不点灯を通報したり、ほんのちょっとですが街の美化に、ボランティア的に活動しています(あくまで個人的な思いでやっているので一人でのんびりとです)。

バイクの破壊など、一連の街の破壊は、若者の荒廃を嘆く一方で、これだけ恒例化し、証拠を残すにも関わらず、関係当局の腰が非常に重いのには疑問に感じざる得ません。

この街は完全に予測可能な事件を放置していることになります。

青少年の教育と社会的犯罪行為への厳正なペナルティは別であり、前者を優先するために後者を後回しにしたがる、この街の様々な協議会、当局の上層部の方には疑問を感じています(実際にお話をすると「どうしてそういう発想になるのか?」とずっと疑問が拭えません)。

ボランティア活動をしている人間にとっては、残念ながらやる気を継続するのが困難な状況と考えています(と言いつつ今日も看板は直しますが)。

(山崎) 公共物の破壊活動について、この街は甘いというのが私の偽らざる気持ちです。私などは自分のものを壊すことはあっても、公共物だけは壊すまいとしていますが、どうもその反対のようです。
一番の原因は公共物の破壊を直接とがめる人がほとんどなく、「それは教育の問題だ」と教育問題にしているせいだと思っています。

確かに長期的には教育問題ですが、短期的には破壊活動にはペナルティーがあることを体験させなければ、こうした行為を繰り返している常習犯は止めません。

たとえばペンキで落書きを公園や学校の校舎に書いた人には、それを自分で消去させるとか、バイクの破壊の後片付けをさせるとか、燃やしたごみの回収をさせることは必須だと思っています。

私やクリーンクラブのメンバーやAさんが懸命に対応していますが、対処療法の域を出ないのが実態です。


投稿: A | 2009年3月15日 (日) 07時08分

この記事へのコメントは終了しました。

« (21.3.13) イギリス政府の損失補償制度 自由な市場の終わり | トップページ | (21.3.15) 千葉県知事選挙について »