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(21.1.16) 文学入門 その5  遠野物語・山の人生

5189fzvs5vl1_2  今回の読書会の担当はこの読書会の主催者河村義人さんである。
河村義人さんは本業は銀行員だが、一方で「子どもたちへのブンガク案内」という本を出版されているおゆみ野在住の作家でもある(おゆみ野walkersの「この人に会いたい」に詳しい)。

 さすがに河村さんの選択する本は簡単な本ではない。
日本民族学の第一人者柳田國男氏の「遠野物語・山の人生」で、単行本で300ページ以上ある堂々たる本だ。

 私は柳田國男氏の名前は知っていたが「遠野物語・山の人生」は読んだことがなかった。そもそも民俗学と言う領域を私は知らない。

 読み始めた印象は「これは、まあ、タフな本だ」と言うものだった。そのうえ「遠野物語」は文語体で書かれており読みにくいことこの上ない。
この本は柳田氏が岩手県遠野に在住していた佐々木鏡石氏の話を筆記し、柳田氏の言葉で再編集した物語である。文学と調査報告書の中間にあるような本だ。
この本は河村さんの説明によると「文学者であった自身に対する決別の書で、その後柳田は文学に興味を示さなかった」という。

 序で柳田氏は「物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくばこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」と言っている。
このような話は今まで聞いたことがないので、聞いたら腰を抜かすほどビックリするだろう」と言っているわけだ。

 私は当初この「遠野物語」を読み始めた時、「本当に戦慄するような本なのだろうか」と疑問に思った。昔から山に住む人がいたことは知っていたし、今でも信州や静岡の山奥には山の稜線近くに人が住んでいる。
そこには当然古い伝承も多く残っているだろう。
伝承の多くは漫画家の水木しげる氏が描くおどろおどろしい世界に違いない。

 もっとも柳田氏がこの本を書いたのは20世紀の始めのころだから、当時はこうした山神山人の伝説など集めようとした人はいなかったことは確かだ。
当時の人は「なんでそんなつまらないものに興味を持つのだろう」という感覚だったはずだ。

 しかし柳田氏の視点は当時から抜きん出て深かったと言える。
山人はこの島国に昔繁栄していた先住民の子孫である可能性が高く、山人の伝説を収集することによってそれを実証できるはずだ」と考えたようだ。

 今の言葉で言い換えれば「もともと山人とは、かつて日本に住んでいた縄文人の子孫で、弥生人が縄文人を駆逐して山奥に追いやった。多くの縄文人は弥生人と混血して現在日本人になってしまったが、明治時代まで混血しないまま残されていた縄文人がいた。それが山人だ」と言うことのようだ。

 もっとも柳田氏はこの主張を途中からしなくなった。特に戦前に先住民族がいたという主張は、「万世一系の大和民族」と言う主張と鋭く対立してしまうからだろう。柳田國男氏は農商務省のれっきとした高官であり、天皇の赤子であった。

 河村さんはそれ以外に山人は被差別民として扱われていたため、難しい問題を避けて常民の研究に移ったと説明した。

 柳田氏は「山の人生」でトーンを下げている。「山の人生」は口語で書かれた山人に関する昔話を詳細に集めた説話集のようなものだ。
この説話集では山に住むようになった動機を「産後の女性の精神錯乱」や「神隠しに合いやすい子供が、山に隠れ住んだ」場合等の事例をあげて、「一種の精神に障害を受けた人が山に住む傾向がある」ことをその理由としてあげている。
必ずしも縄文時代人の末裔と言うわけでない。

 たしかにそうした山人の新規参入者はいたことは確かだろうが、私としては柳田氏が当初仮説として持っていた「縄文人の末裔」と言う説のほうに興味がわく。
はるかに日本史のダイナミズムを感ずるからだ。

 今私は柳田氏が集めた膨大な民話や伝説のなかに、きっと「先住民説の例証になる証拠」があるのではないかと密かに思っている。
時間が許せば研究してみたいテーマだ。

 なお河村義人さんは次のように総括していた。

『遠野物語』あるいは『山の人生』のテーマは何か。それは『放逐された神々の復権』であろう。『放逐された神々』とは、国つ神、鬼、天狗、猿、山人、土蜘蛛などとさまざまに呼ばれてきたかつての日本の先住民である。

 歴史に消えた彼らの姿を丹念に追い求め、自らの作品の中に定着させることが初期の柳田の最大関心事だったように思われる


 なお、河村さんのレポートの全文は以下のURLをクリックすると見ることができます。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/shiryou/2009/01/21115-8939.html

 

 

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コメント

仮説です。縄文人vs弥生人、先住人vs渡来人、大和朝廷の実権を握った者と敗れた者。敗れた者(物部氏)は東北に逃げ延びた。
為政者は権威を守るために敵を定めた。蝦夷。それは先住人であり、物部氏。蝦夷の中心地「日高見」は実り豊かな土地。金も発掘された。
日本海ルートで世界と交易もしていた。今の岩手県南から宮城県北の北上川沿いの地方。放逐された神々は、都とは別に幸せに暮らしていた。
放逐された神々は戦いで都に対峙することはなかった。都とも交流し、貢物も届けた。しかし、為政者は・・・・・・。歴史のロマンに胸が高鳴ります。
私は宮城県栗原市の生まれです。故郷の先人は偉大なり。千葉市蘇我の神話。ヤマトタケルは船に乗り東方征伐に出た。途中嵐で遭難。
岸に打ち上げられ蘇生する。ヤマトタケルは叫んだ。「我れ蘇り !」蘇我の地名の由来なり。

(山崎) 蘇我の地名の由来をはじめて知りました。他の人に話したいくらいです。

投稿: TADA | 2009年1月17日 (土) 14時44分

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