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(20.9.30) 栗拾いは楽しいけれど

20928_006  最近栗拾いと言う稀有な経験を2回した。私は昔近くの多摩丘陵山栗を採った経験があるが、栽培された栗拾いは初めてだ。

 山栗の採集の仕方は、出来るだけ高い木に登り、木の樹冠を見て栗の木を見つけると言うものだ。
見つけると一目散に栗の木に直行するのだが、登っていた木から降りる時は、木を棒高跳びのポールのようにしならせて地面に降りたものだ。
ターザンみたいだ」とても懐かしい記憶だ。

 今回の栽培された栗林は村田川の対岸の丘の上に広がっており、栗林の所有者が栗の収穫をしなくなったため、その知り合いに無料で栗を採らせてくれている。

 私はその知り合いの知り合いなのだが、嬉しいことに声がかかる。
山崎さん、栗を採りに行こう
総勢10人余りで栗拾いに出かけた。

 ことの経緯はここの所有者が病気になり農作業が出来なくなったことからはじまる。下草刈は奥さんがしているが、とても収穫までは出来ない。
当初は栗の観光農園として解放したが客からクレームがついた。
金を取って栗拾いさせているのに虫食いの栗が入っている。金を返してほしい

 所有者はこうしたクレームにたまりかねた。
それなら知り合いにタダで採らせてあげよう。その方がよっぽど気が楽だ

 日本の農業が後継者不足で立ち行かなくなった一つの事例だが、おかげで私は思わぬところで栗拾いが出来た。
栗農園は約1ha程度あり、実に立派な栗が実っている。栗拾いのコツは最近木から落ちた栗のイガを剥いて中の栗を採るのがコツで、落ちてから日数が経つと虫が栗の中に入ってしまい、虫食いの栗になってしまう。
だから栗拾いはタイミングが実に重要なのだ。

 参加した10名のほとんどが農業の経験がなく、栗の木を育てる苦労は知らないが、収穫の喜びは十分に味わえる。
袋いっぱいに採ってもまだ栗が落ちているので、なんとしても取りたい気持ちになる。

 ここにつれてきてくれた知り合いが「もうそろそろ、帰るべいや」といっても、なかなか止めない。
いま少し。いま少し」始めると止めることはなかなか難しい。

 私も袋一杯の栗を採ってきた。前回はこの栗を自転車で運んだのだが、入れていたビニール袋がちぎれ道路に撒き散らしてしまった。
今回はその時より栗が多い。参加した娘に車で運んでもらうことにした。

 縄文時代人の主食だと言われており、青森県の三内丸山遺跡ではその村落の周りが栗林になっている。
縄文時代人のように、これだけあればしばらくの間餓死することはなさそうだ。

栗拾いの写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2092802?authkey=0IB1MyqKIO4#

 

 

 


 

 

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(20.9.29) 第16回おゆみ野地区市民体育祭に行ってみた

20928_048  今回初めておゆみ野地区市民体育祭を見に行った。私はこのおゆみ野に越してきてから15年余り経っているのだが、今まで市民体育祭に出たことも見たこともなかった。

 一番の理由は毎年この時期にはマラソンのレースが入っており、どこかのレースで走っていたからである。しかし今年は坐骨神経痛が痛んでとてもマラソンレースには出られない。
たまたま地区の自治会から市民体育祭の案内がまわってきていたので行ってみることにした。場所は泉谷小学校で、この地区で最も早く設立された小学校である。

 この主の催しは社会体育振興会が主催しており、私もよく知っている松尾会長が開会のあいさつをしていた。

 行ってみての印象は「なかなか盛大なものだ」と言うものだ。このおゆみ野には43の自治会があるのだそうだが、その自治会が全てテントを張っていて、運動場をぐるっと取り巻いている。
またおゆみ野地区各中学、小学校の校長先生や、緑区長も来賓で来ており、福谷市議も来ていた。

 いわばおゆみ野地区の各団体が総動員でこの体育祭を運営しているようなもので、参加者も実に多い。私はこの種の体育祭の常として参加人員も余り多くないのではないかと想定していたが、とんだ間違いだ。
正確に人数を確認することは出来なかったが1000人以上、2000人以下程度の参加があった。

 特に小学校の生徒の参加がずば抜けており、おゆみ野地区の小学校6校の合同運動会みたいな雰囲気さえあった。

 プログラムには半分近くの自由参加の競技があって、当然私も参加できるのだが、ほとんどが走る競技だった。
いままでの私だったら喜び勇んで100m走1000m走障害物競走等に参加したのだが、5月以降全く走っていないのでとても出る気がしない。
無理して走ると又肉離れをおこしそうだし、第一走れるかどうかもわからない

 仕方がないのでまた写真を撮ることにした。最近の私の趣味は徒競走リレーで走っている人を写すことで、人が走っている姿は実に美しい。今回もばっちり写真を撮ることが出来た。

 しかし本音をいえば走ることの出来ない身体に歯軋りしてしまう。私は所属しているテントに座って写真を撮っていたのだが、ここには祭りには参加するがただ見ているだけの年配の人が何人かいて話に花を咲かせていた。
とうとう俺も老人クラブか

 最後まで見てみたかったのだが、午後からは栗拾いを予定しており、こちらは大きな栗を袋いっぱいに採れるので、なんとも捨てがたく栗拾いに出かけてしまった。

 今日(28日)の市民体育祭の写真を掲載します。特に徒競走の写真が多いですが、これは私の趣味ですのでお許しください。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20928?authkey=4rdwqN5dY9Q#

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(20.9.28) 失敗記 その13

 こんな失敗をしたのは久しぶりだ。完全に落ち込んでしまった。ブログ用の写真を全て消去してしまったのだ。

()今回の写真はすべて一緒に行った娘が撮ったもので、私が撮った写真はありません。
Dsc04038

撮った写真が全て消えてしまったの巻き

 茫然自失とはこのことを言うのだろう。今日は大多喜町房総歴史絵巻と言われる「大多喜10万石時代祭り」を見に自転車でおゆみ野から大多喜町まで行ったのだ。
今日はすてきな写真が撮れそうだ」意欲満々だった。

 我が家から大多喜町まではおよそ50kmあり、私の自転車では2時間半程度かかる。16号線から大多喜街道をまっしぐらに大多喜町に向かった。
だがこの街道は大網街道と同じで住宅地に入ると極端に歩道が狭くなり、かつ住宅前の歩道は車道面と同じ高さにしているため、やたらと段差が多い。でこぼこ道を走っているようなものだ。

 他のライダーは平気で車道を車と一緒になって走っているが、私にはそんな芸当が出来ない。もっぱら歩道を走るのだが走りつらいことこの上ない。倒れれば車道に落ちて自動車に轢かれそうだ。
がんばれ、大多喜町まで行けば歴史絵巻が見れる

 そんな苦労をして大多喜町まで行き、徳川四天王と呼ばれた本田忠勝の居城を見学し、小学校で開催された歴史絵巻をばっちり写真に収めたのに、その写真が一枚残らず消去されてしまった。
主よ、主はこのロドリゴに試練を与えたもうたのでしょうか」思わず天を仰いだ。

 いつものようにルンルン気分でデジカメからパソコンに写真を転送し、すっかり転送し終わったと思って、デジカメの画像を全て消去し、さて歴史絵巻はどうだと思ってファイルを見ると、ファイルには何も入っていない。
な、なんだ、どこに画像があるんだ」慌てふためいて探したがどこにもない。

 今回は100枚程度の写真を撮り、それをパソコンに転送したのだが量が多かったのか転送に失敗したようだ(あるいは転送途中でパソコンとデジカメのコードをはずしたのかもしれない)。
転送が終了したことを確認せずにデジカメの画像を消してしまったために、今日一日かけて撮ってきた写真が全て消去されてしまった。

なんてことだ、転送を確認してからデジカメの画像を消去すべきだった」反省したが後の祭りだ。

 かみさんが私にいつも言っていた事を思い出した。

おとうさん、おとうさんはいつも何をするのも早いって言って自慢してるけど、シャワーを浴びれば水がポタポタ落ちてるし、掃除をすればほうきがそのままだし、使ったはさみを元にもどさないし、パンくずはこぼれているし、なんでもいま一つなのね。
やったら確認することをしないともっと、ひどい目にあうわよ

かみさんの予想が的中した。今日はふて寝しか手はなさそうだ。

今後は二度と写真が消えないように指差し確認をしてから、消去することにしよう。

幸い娘が写真を撮っていましたのでその写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20927?authkey=7MvTx1LdSrk#

 

 

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(20.9.27) 六甲山縦走 加藤文太郎をしのんで NO7

1978年 32才 大阪

六甲山縦走 3月19日 大阪支店の若手メンバー7名と

Image0_3   六甲山の縦走は昔,加藤文太郎ぶんたろうがトレーニングでしていたのを,新田次郎が「孤高の人」で書いていた。私はこの頃登山に夢中になっていたので,この本の愛読者であり,一度縦走をしたいと思っていた。
たまたま私が勤務していた大阪支店のメンバーが六甲山縦走を計画したので私も喜んで参加することにした。
よし、加藤文太郎をしのぶ山旅をしよう

 加藤文太郎については登山好きの人は誰でも知っているといっていいほど著名な人だ。
戦前の登山家だが、単独行というジャンルを切り開き、当時は不可能と言われた厳冬期の北アルプス縦断を成し遂げた。
しかし惜しいことに1936年30歳と言う若さで厳冬期の槍ヶ岳北鎌尾根で遭難死している。
私は49歳の時、夏の北鎌尾根を登ってみたが、夏場ならともかく冬場は極度にきびしい場所だと言うことがよくわかった。

 加藤文太郎の住まいが兵庫県須磨にあったので、加藤は登山のトレーニングとして六甲山縦走を始めたという。
歩くスピードが異常に速かった文太郎は、早朝に須磨を出て六甲全山を縦走し、宝塚に下山した後、その日のうちに、また歩いて須磨まで帰って来たのだそうだ。
その距離は約100kmに及んだ。

100kmは無理だが、せめて半分の50kmは歩けるだろう
大阪支店の同僚達と須磨区高取山から登り始め,高尾山,菊水山、麻耶山,六甲山を経て宝塚に下りた。夜の12時から登り始め,翌日の3時ごろ宝塚に着いた。

 加藤文太郎はここから再び須磨まで歩いて帰ったのだが、私はこの50kmの距離を最後の頃は身体がぼろぼろになって、足がまともに動かなかった。
全部で15時間程度かかったが、この頃は夜歩くということが慣れていないために精神的に疲労したのだと思う。
寝ないで歩くなんて異常ではなかろうか」当時はそう思っていた。

 六甲山は稜線伝いに山道が通っているのだが、この頃は山を崩した造成地があちらこちらにできており,街中を通ることを余儀なくされた。
こんなに造成地が多いのじゃ、六甲山縦走も興ざめだな」夜の街灯を見ながらそう思ったものである。

 しかし、この六甲山縦走で加藤文太郎の足跡をたどることが出来たのは嬉しかった。
加藤文太郎の偉業を継げるのは、私しかあるまい50kmで疲れ果ててしまったくせに、当時は不遜にもそう思っていたものだ。

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(20.9.26) 日本の金融機関の反転攻勢とアメリカの金融危機

20725_110  リーマン・ブラザーズが倒産したりAIGが政府の管理下におかれるようになったのを見て、日本の金融機関の反転攻勢が始まった。
野村證券は倒産したリーマン・ブラザーズのアジア部門とヨーロッパ部門の人材、M&A、株式部門を引き継ぐと発表し、三菱UFJモルガン・スタンレーに9000億円出資し、株式の20%を取得すると発表した。

 思えばアメリカにやられっぱなしだった日本の金融機関がようやく世界に再び羽ばたこうと言うのだから喜ぶべきことだが、こうしたチャンスを物にできる金融機関は上記の2社だけであるらしい。
そうか、日本で世界と太刀打ちが出来る金融機関は三菱UFJと野村HDだけなのか

 かつては世界の金融機関だといってはばからなかったみずほ三井住友も1000億円程度のはした金しか出資が出来ないらしく、これでは数兆円規模で赤字が続いているアメリカの金融機関を乗っ取ることは出来そうもない。
みずほも三井住友も日本のローカルな金融機関として生き残るだけなのか」かつての栄華を知っている者としては感無量だ。

 失われた10年で日本の金融機関は三菱UFJ野村HDを除き徹底的に衰退してしまったようだ。
当時アメリカの金融当局は「不動産や株式の含み資産経営をしている日本の金融機関は全く信用できず、時価会計を採用できないならばアメリカ市場から撤退しろ」と迫っていた。

 おかげで地方銀行のアメリカ支店は次々に撤退に追い込まれ、大手都銀でもアメリカ市場では二線級プレーヤーとみなされて、高い金利を払わなくてはドルを入手できない状況だった。
悔しかったら格付をあげなさい。そうすれば安いドルを供給してあげますよ」まるで子供扱いだった。

 しかもその間アメリカの金融機関は金融工学という手法で証券化商品を次々に開発し、世界に売りまくり莫大な利益を上げていた。
一方日本ではようやく「金融工学とは何か」を学ぶために大学院の数学専攻の学生を採用し、リスク評価部門を作って盛んに意味不明のレポートを作成しては経営者に報告していたものである。

報告者現行の我が行のリスクを計測すると約○○億円になります
経営者そのリスクはどのようにして計測したのかね
報告者アメリカのA行で採用されているリスク計算の方法で計測しています
経営者そうか、それならきっと正しいのだろう
本当は誰も理解できないリスク評価方法に振り回されて、頭を抱えていただけだ。

 しかし人生は何が幸いするか分からない。アメリカの金融機関は金融工学にのめりこんで最大限のリスクをとった結果、サブプライムローンでものの見事にひっくり返ってしまった。
一方日本の金融機関はほとんど勉強だけしかしていなかったので被害を最小限にとどめることが出来た。
よかった。リスク管理を理解できなかったおかげで、変な商品を買わずに済んだ」これが本音だ。

 アメリカが世界に教訓をたれていた時価会計リスク管理方式は結局何の役にもたたなかった。
金融工学という博打を体よく見せるためのイチジクの葉に過ぎないことが、ベア・スターンズリーマン・ブラザーズ,AIGの破算で世界に知れ渡たった。

 だが、それにしても反転攻勢をかけられる金融機関が三菱UFJ野村HDだけだとは、日本の失われた10年がいかに大きな痛手だったかがわかる。
そしてこれからアメリカは日本の失われた10年を追体験するのだが、日本と同様その傷の深さに愕然とするはずで、生き残る金融機関は数社になるに違いない。




アメリカ経済の評論はカテゴリー 「評論 アメリカ経済」に入っております。

 

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(20.9.25) 何がジェーンに起こったか

20923_006  先日(23日)、おゆみ野の公園の落書き消しを行なったが、今までの傾向とははっきりと異なった傾向を見てびっくりした。
悪質な落書きが減ってきたのだ

 落書きを消した場所は、有吉小学校の横の春の道公園、金沢小学校の側のいけのいり公園、イオンおゆみ野SC近くのどうのうしろ公園3ヶ所だったが、いづれも小さな落書きで、かつてのような壁に目いっぱいされた落書きはなかった。

 実は最近は不思議なことが多い。以前はよく四季の道街路灯がバットのようなもので壊されていたのだが、最近はそうした悪質な破壊は見なくなった。
ひところ多かったトイレの破壊も最近では見ない。
何がジェーンに起こったか」アメリカのサスペンスドラマみたいに不可思議だ。

 荒れていたと評判だったA中学も落ち着きを取り戻していると言う。校長先生を初め約半数の先生がかわり、3年生の教室を1階に移したりしていたが(3階から机を下に投げていたのだそうだ)、私が四季の道を朝清掃していても変化が読み取れる。

 従来は遅刻する生徒が多く、締められた門の上に飛び越えて学校に入っていく生徒がひっきりなしにいたが、最近ではほとんど見かけなくなった。
門を締められたあと、正面玄関の周りでたむろしている生徒も見かけない。
何より先生が明るくなって、自信ありげなのがいい。
山崎さん、ご苦労さんです」知り合いの先生が清掃中の私に声をかけてくれる。

 今日(24日)は特にびっくりしたが、生徒が校門の前の落ち葉を清掃していた。今までは先生が懸命にしていた作業だ。

最近、生徒が問題起こさなくなったのよ」知り合いの評議員をしているお母さんの話だ。
学校が落ち着いてくると周りの公園の落書きが明らかに少なくなってくる傾向がある。
いやー、先生や父兄の方ががんばってくれているので、落書き消しも楽になった」正直な感想だ。

 もっとも全くなくなったわけではなく、時々学校の窓ガラスが割られたり、A校の外壁に「○○殺す」なんて落書きがされることは有るが、それでも本当に少なくなってきたと言う実感がある。

 この程度の落書きなら一人で2時間もあれば消せる。私がルンルン気分で落書きを消している時が、この街の一番いい時だ。

(20.9.25追加)この記事を書いたら、早速事件が発生してしまった。内容は以下の産経新聞の記事を読んでいただくと分かるのだが、中学生2名が電動車椅子に載っていた障害者の頭をたたいて、警察に逮捕されたというものだ。今日の本文とは乖離した内容だが、そのまま産経新聞の記事を転写することとする。
9月24日16時8分配信  産経新聞

 電動車椅子(いす)の男性にお笑い芸人のまねをしながら暴行したとして、千葉県警千葉南署は24日までに、暴力行為等処罰に関する法律違反の疑いで、千葉市緑区の市立中学3年の男子生徒2人=ともに(15)=を逮捕した。

 調べによると、2人は8月25日(
これは1ヶ月前の事件ですが、逮捕されたのが9月24です)午後2時ごろ、千葉市緑区おゆみ野の歩道で、電動車椅子に乗っていた同区の男性(53)の頭を、「欧米か」などと言いながら、履いていたサンダルで数回たたいた疑い。男性にけがはなかった。男性は足腰が弱く、1人で外出中だったらしい。

 生徒のうち1人は「面白半分にたたいた」と容疑を認め、もう1人は「やっていない」と否認している。「欧米か」はお笑い芸人、タカアンドトシの突っ込みのせりふ



 消した落書きの写真を掲載します。今回は消す前の写真だけにします
なお、金沢小学校の近くのアパートのゴミ収集所がいつもカラスに荒らされ私が片付けていたのですが、思い余ってカラス対策のネットを設置しました。私の家に有ったネットを持って行ったものです。この写真も合わせて掲載しました。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20923?authkey=6warK39jTEc#

 

 

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(20.9.24) 軽佻浮薄とは俺のことか

20923  いやはや自分の軽佻浮薄ぶりにはほとほとあきれ返ってしまった。ことの起こりはGoogleおじさんからの依頼があったことに始まる。
山崎さん、お茶漬け屋さんのうさ吉を知ってるでしょう。私はこの店によく行くのだが、マスターがホームページを作成しようとして悪戦苦闘しているんだ。写真がどうしても張り付かない。私も見てみたがよく分からない。
そこで、山崎さんはプロだから
、ちょっと見てほしいんだけど・・・
」おだてられた。

 私の最大の欠点は人から依頼されたことを断らないことだ。このときもつい調子に乗った。
ホームページですか。私はホームページの処理はとても難しいのでいやなのですが、もしブログでホームページもどきを作るのなら出来ますよ。それなら一日で作りましょう
本当は小学校のパソコン教師で悪戦苦闘しているのだから、断固断るべきなのだが安請け合いをしてしまった。

 先日(22日)うさ吉Googleおじさん、散歩おじさん、それにカモシカ姉さんと食事をしに出かけていったついでにホームページを見ることにした。
マスターは写真の貼り付けに2週間うんうんうなっていたそうで、この時もパソコンを前に茫然自失になってにらめっこをしている。

私はホームページは分からないので、ブログでモデルを作りますのでそれが気に入ったら採用することにしてください」言うことは立派だが、内心はやや反省をしていた。
仕方ない、約束した以上何とかしよう

 マスターが作成中だったうさ吉のホームページの図柄と写真を貸してもらって我が家で作成を始めたが、次々に問題が発生する。

 最初に頭を抱えたのが、私が使用しているココログフリーの環境では1ブログしか作成できないことだ。すでに「おゆみ野四季の道」があるので新規のブログが作成できない。
どうしょう、お金を払って作成できるブログ数を増加させようか。それともうさ吉に行って、環境設定しようか

 とても営業中のうさ吉に行ってパソコンをいじる訳にはいきそうもないので、10ブログまで作成できる環境にして、毎月約1000円ココログに金を払うことにした。
うぅ-ん、安請け合いをすると生活に響く

 次に悩んだのが、リッチテンプレートの貼り付け方をすっかり忘れてしまってたことだ。私は自分のブログでは、一旦設定したテンプレートを変えないので設定の仕方を忘れている。
美しいリッチテンプレートを使いたいのにどうすればいいんだ
うんうんうなってようやく思い出した。

 写真の貼り付けでも大騒ぎだ。ホームページスタイルにするため、文字の回りこみをしないようにしたいのだが、この設定も忘れていた。
なんてことだ。美しいトップページが出来ないじゃないか

 1日でするつもりが2日がかりになった。胃がしくしく言い出した。それでも何とかホームページもどきが出来たが、果たしてうさ吉のマスターは気に入ってくれるだろうか。

 実を言うと私は前からホームページをブログで乗り換えることが出来るはずだと想定していたのだが、思わぬところでそのテストケースを自分で作成することになった。
ブログでホームページが出来ることが実証されれば、私の想定が正しかったことになるのだが、果たしてどうだろう。

 下記のURLをクリックするとホームページもどきが見れるので、私の成果を見て評価をしてほしい。できればコメント等で感想をいただけるとありがたいのですが。
http://yamazakijirou1.cocolog-nifty.com/korekarayausakichi/


(注)写真は本文とは全く関係ありませんが四季の道で余りに綺麗な実なので写真にとっておきました。

 

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(20.9.23) 第18回「おゆみ野の森」の活動記録

20921_004  すっかりおゆみ野の森に行くことがパターン化してきた。月2回は必ず出向いている。1回はこの定例活動で、もう1回は草刈だ。私は草刈隊長と呼ばれており、ここのメンバーともすっかりなじみになった。
Aさんが「山崎さんを覚えるのが一番簡単だ。草刈隊長ですからね」と言っていたが、ニックネームは本当に大事なようだ。

 今日(21日)は盛りだくさんな行事が行なわれた。一つはひまわりの種の収穫だ。9月になるとひまわりは枯れだし、その代わりおおきな種ができる。
君達が植えた背丈より大きなひまわりを抜いて、今日は種を採ってもらいます、いいですね」インストラクターの齋藤さんが説明していた。
採集した種のいくらかは小鳥達にも分けてやるために、小鳥のエサ台も作った。

 子供達のもう一つのイベントは堆肥場にカブトムシの幼虫が生息しているかの確認だ。
探すと大きなカブトムシの幼虫が何匹もいて、子供達はそれを手で持って大騒ぎだ。
カブトムシの幼虫は堆肥の湿度に合わせて、上に行ったり下に行ったりするんだよ。幼虫にとって一番住みやすい湿度があるんだ」インストラクターの説明だ。

 お父さん方の参加も多い。すっかり顔なじみになったお父さん方と、今日は倉庫2棟の組み立てを行なうことになった。ここを資材置き場にしようとの計画だ。
私はこうした仕事は得意でないが、ここに来ているお父さんは得意な人が実に多い。

 部品をセットをしてボルトとナットで留めるのだが、私はボルトとナットの区別がつかない。
山崎さん、ナットを取ってください
あの、ナットってどちらでしょうか」ボルトとナットの両方を手に持って差し出した。
山崎さんにはオスとメスと言ったほうがいいかな」Bさんが笑っていた。

 Cさんは水準器で倉庫の土台が傾いていないかチェックをしていた。傾かないように土台作りが最も大事なのだという。こうした器具を実際に使用してチェックする作業を見たのは初めてだ。
いやー、みんな大工さんみたいだ」感心してしまった。

 屋根の取り付けは傾斜をつけたりしてやや難しかったが、難なくやり遂げる。私は子供達と一緒にネジの締め付けをするのがもっぱらの仕事になってしまった。どうも子供並の仕事しか出来ないらしい。

 しかしここに来て私も新しいことをずいぶん覚えた。竹を割って食器や道具類なら何でも作ってしまうのを見たのは初めてだ。
カブトムシの幼虫を孵化させる堆肥場を見るのも初めてなら、蕎麦の花を見たのも初めてだ。

 こうしたことは子供達を楽しませるためにしているのだが、大人でも随分楽しめる。顔なじみのお母さんが、気楽に声をかけてくれるのもいい。私も若やいでしまう
帰り際、「お別れするのは後ろ髪が引かれる思いです」と陽気なDお母さんに言ったら「あら、山崎さんは後ろ髪があるのかしら」と言われてしまった。

今回の活動記録を写真に撮っておきました。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20921?authkey=5bvD1mGo8jQ#

 

 

 

 

 

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(20.9.22) サイクリングで利根川まで行こう

20920_014  ここ数日の小学校のパソコン教育ですっかり生活のリズムが狂ってしまった。半日程度は学校に拘束され、さらに残業までして事前学習カリキュラムつくりをしていたため、運動する時間が全くなくなってしまった。
退職してから2年たち残業など死語になっていたはずなのだが、えらい見込み違いだ。

 運動不足がたたり、腹をみると再び脂肪がたまり始めている。
まずい、何とかしないと相撲取りになってしまう

 この日(20日)は関東地方は朝方台風13号が通過していたのだが、自転車の長距離ドライブに出かけることにした。いつもの大好きな江戸川だ。
走っている間に、台風は去っていくだろう。後は秋晴れだ

 今回は江戸川を遡り、さらに利根川に入って上流まで行くことにした。前回は関宿まで行ったが、往復で約180kmの距離だったので、今回はさらに距離を伸ばして200km程度ドライブすることにした。
私の自転車好きの友人が「自転車で1日にいける距離は200km程度ですよ」と言っていたからだ。

 朝方は合羽を着て走ったが、だんだんと台風一過の秋晴れに変わっていった。風はやや強く北風が吹き込んでいたため俎上する時は逆風になっていてややきつい。

 しかしこのコースはすっかり慣れて、チェックポイントランドマークも決まっており、実に快適なドライブが出来る。
関宿を越えて利根川に入ると始めての景色が広がる。利根川江戸川と比較しても川幅が広く、河原には葦が鬱蒼と茂っている。人家もまばらになり人通りも少ない。

佐原囃子(ばやし)が聴えてくらァー 想い出すなァ・・・お玉ヶ池の千葉道場か。うむ・・・平手酒造(ひらてみき)も、今じゃやくざの用心棒、人生裏街道の枯落葉か」すっかり三波春夫大利根無情の世界に浸ってしまう。

 今回は東北新幹線利根川鉄橋を越えてしばらく行った地点で引き返した。利根川鉄橋を越えた地点からは道は砂利道になっていてかなり走り辛い。
いてー、サドルがケツに食い込みそうだ

 今回の自転車走は11時間かかった。10時間200kmを目指したがそれは無理だったようだ。

 これは自転車の長距離走をするようになって始めて知ったのだが、8時間を越えるころからお尻が極端に痛くなる
実は私は自転車用のパットのついたタイツを持っていない。マラソン用のタイツの下に手ぬぐいをひいてパットの代わりをしている。
まあ、これでも大丈夫だろう

 しかしこの方法は限界があり、8時間を過ぎる頃からはほとんどまともに座っていられないほどだ。
こうなるとお尻りの位置をずらしたり立ちこぎをしたりして、なんとかお尻をカバーしなくてはならない。
お尻の皮が擦りむけ、筋肉がばらばらになってしまったのだろうか

 家に帰ってから風呂場でチェックしたが、軽いあざができているだけだった。
よかった、まだお尻が残っている
それにしても自転車の長距離走も口で言うほど楽ではなさそうだ。

 利根川まで行った時の写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20920?authkey=ZbtuI8Fl2wg#5248171853008557970

 

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(20.9.21) すっかり南アルプスに取り付かれた NO6

1977年 31歳 大阪
南アルプス(甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳) 7月31日~3日 3人

Photo  すっかり南アルプスに取り付かれてしまった。この年は野球部の同僚のKさんと,弟とで甲斐駒ケ岳に登ることとした。弟は大学のワンゲル部に入っていた。
駒ケ岳神社から登り始めたが,急峻な登りが続き,体調の悪かった弟は途中でリタイアしてしまった。
兄貴、気持ちが悪くて登れない

 このルートは日本でも有数な厳しい直登ルートだったが、当時は体力が有り余るほど有ったので、問題ないと思っていたのだ。

 そのあとはKさんと二人で甲斐駒ケ岳の何段も続くはしごを登った。その当時の私の登山は食料をたっぷり持って行っており,このときもメロンを5個以上持っていた。
頂上で食べるメロンは最高だ
バックは30kg程度あり重く、はしごを登りながら荷物が後にひかれ危うく落ちそうになった。

 余りの重さと階段の数にくたくたになり「いっそ手すりの手を離そうかしら」と何回も思った。
人間身体が限界に近づくと自殺願望が出てくるらしい。この自殺願望はその後超長距離マラソンでも経験した。
こんなに疲れて走るくらいならトラックに轢かれて死んだほうがましだ

 しかし登山を重ねるうちに荷物を軽くするコツを覚え、20kg以上の荷物は持たなくなった。テントは軽く丈夫になり、それなりにおいしい携帯食糧が開発されたことが一番の理由だろう。

 Kさんは初めての本格的な登山で疲労気味だったので,北沢峠にキャンプを張って休んでもらい,私は仙丈ケ岳の登山をした。
仙丈ケ岳は駒ヶ根から見るととても美しい山形をしており,ぜひ登りたい山だった。
なんて美しい山並みなんだ」いつも思っていた。

 お花畑がつづいて気持ちよい登山ができた。帰りは南アルプススーパー林道から降りたが,林道は途中までしか工事がされておらず(この頃から自然保護の運動が活発になっていた),急に道路が現れるような状況だった。
歩いて広河原まで出て、そこからバスで帰宅した。

 今では全線が開通しているが、広河原から北沢峠までは許可されたバス以外の通行は許可されていない。
実際問題としては林道とは名ばかりで観光道路になっており、この地区の収入源であるが、一方林道の維持は思いのほか費用がかかるので本当に収支が合っているのかどうかは分からない。

 通常、林道、それも渓谷沿いの林道を歩いた経験のある人なら、林道と言うものがいかに自然を破壊し、しかも何の役にも立っていないことを知っているはずだ。

 私の他の経験では、これも南アルプスの南端、光岳(てかりだけ)から、寸又川に降りた時に経験した。
ここには寸又川沿いに寸又峡温泉まで約40kmの林道が延びているのだが、上流20kmは土砂崩れの崩落でずたずたに切断され、全く自動車は入ることが出来なくなっていた。

 この道を利用しているのは夏場だけ1日に数人の登山客(私が降りた時は一人の登山客に会っただけだった)がいるだけで、観光林道にもならない。
土砂崩れのない場所はマムシが昼寝をしていて、私は遠くから石を投げてどいてもらわなければならなかったほどだ。

 この経験で林道と言うものが、ほんの少しの登山者マムシのためにあるのだと言うことがよく分かった。しかしそのためだけなら登山道さえあればいいので、わざわざ林道を作る必要は全くないと考えるほうが正常だ。

(注)写真はGoogleで検索した写真を載せましたが、所有者が分からないので所有者名の記載が出来ません。お許しください。

 

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(20.9.20) 400mリレーはバトンタッチが命だ

400m  北京オリンピック日本男子チーム400Mリレー銅メダルに輝いた。私は決勝の模様をテレビで見て「大変な快挙だ」とはしゃいだが、先日のNHKのドキュメンタリーを見て、実に奥深い話であることを知った。

 このドキュメンタリーを見ると、100Mや、200Mで予選すら通過できなかった日本選手(塚原直貴だけが準決勝で敗退がどうして銅メダルに輝いたかが分かる。
本来ならありえないことで、実際日本チームの士気は最低だった。
あんな強いやつらと走らなければならないのか朝原宣治選手が100M決勝の映像をテレビで見ながら言った言葉である。

 しかしリレーは速いだけでは勝てない。バトンタッチと言う技術が勝敗を左右する。今回の予選出場チーム16チームの内6チームがバトンタッチに失敗して途中棄権失格になった。割合にすると約4割だ。

 アメリカ、ナイジェリア、イギリスと言った本来ならば予選通過が間違いないと思われた国が次々とバトンタッチで失敗したのには深い理由がある。
これらの国の選手は個個人が速いため、バトンタッチの練習をほとんどしない
バトンタッチの練習なんか必要ない。走れば俺が一番だ」そう思っている。

 しかし実際に走り出すと、必ずと言っていいほど第4コーナーで受け渡しに失敗する。ここを魔の第4コーナーと言う。
この理由は最終ランナーと第三走者の走力が通常違っており、ほとんどの場合最終ランナーのほうが速いからだ。

 競技では最終ランナーがどうしてもあせって飛び出す。スタートするタイミングはあらかじめ決めてあるのだが心がせくのだ
受け渡しゾーンは20M有り、その間で最終ランナーがトップスピードになってしまえば、第三走者は追いつけない。
その結果バトンは引き継がれなかったり落としたりして失格になるわけだ。

 だから400Mリレーでは、速さが6割、バトンタッチが4割のウエイトを占める特殊な競技といえそうだ。
日本チームはこのバトンタッチの技術を究極まで高めて、速さの不足を補うことにした。この日本が開発した技術をアンダーハンドパスと言い、手のしたからバトンを受け渡す。

 こうすると通常のオーバーハンドパスに比較して身体をねじることなく走れるので、コンマ数秒速く走れることが分かった。
これを日本チームに導入して徹底的に訓練したのは日本陸連強化委員長高野進氏である。

 日本チームは何回も何回もこのアンダーハンドパスの練習を繰り返し、絶対といいほど失敗しない程度にまで技術を高めることが出来た。

 日本選手は走力では二流だ。塚原直貴、末続慎吾、高平慎士、朝原宣治のメンバーの誰も10秒を切っていない。
ジャマイカボルトはすでに9.69秒で走っており、100M決勝では10秒を切る選手しか残れない。

 そうした中で日本チームは銅メダルに輝くことが出来た。遅い走力をアンダーハンドパスという技術でカバーした勝利だったと言ってよい。

 この結果を見ていた400Mハードルの為末大がスタンドで男泣きに泣いていた。身長170cmで技術だけで世界と戦ってきた男だ。
日本人は走力がなくても技術で世界と戦える。それを今日証明した為末大がそういっているように私には思えた。


(注)写真は時事通信社が配信した写真です。


 

 

 

 

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(20.9.20) なぜ私の苦悩は1日しか続かないのか

 再び苦悩が始まった。私はA小学校の特別講師になり、パソコンを教えているのだがなんとも大変なのだ。

 先日教頭先生から前期(10月初旬まで)のスケジュールを渡された。見ると翌日から毎日2~3時限のスケジュールになっている。
小学校ではなぜかパソコン授業は期末に集中して実施されるらしい。
うぅーん、毎日半日の授業か」唸ってしまった。
毎日が日曜日の定年退職者にとっては晴天の霹靂だ。

 一般の人は知らないが、実はこのパソコンの授業は明確な形でのカリキュラムがない。はっきり言って手探りで実施しているのが実情で、先生のパソコン能力に左右される。
パソコン通の先生のクラスはどんどん授業は進むが、そうでない先生の場合はさっぱりだ。
パソコンの授業はどうも苦手で」逃げ腰の先生が多い。

 特別講師としての私の役割はそうでない先生をサポートして、授業のレベルをパソコン通の先生と同じようなレベルにすることなのだが、実際は悪戦苦闘だった
この理由は2つあって、一つは技術的な理由、もう一つはカリキュラムを作成する相談相手がないことだ。

 技術的理由はいくつかあり、そのうちの最大のもの昨日残業をしてようやく理解したアドバンテージクラスと言う技術だ。
これは先生のパソコン画面を生徒のパソコンの画面に転送して、先生の操作を見せて生徒に理解させる方法なのだが、このやり方がさっぱりわからなかった。

 これが出来ないと口頭で一人一人を指導することになり、そのうちてんやわんやになってしまう。
だれか、アドバンテージクラスの操作方法を教えてくれ」叫んでしまった。

 この技術は先生なら誰でも知っていることになっているが、実際はパソコン通の少数の先生しか理解していない
昼休みにパソコン通の先生を捕まえて操作方法を聞き、2時間余り自主トレーニングをしてようやく理解できた。
こうした技術は自分で何回も繰り返さないと身につかない。余りに疲れはて、またパソコン教室で寝こんでしまった。

 一方カリキュラムの作成については先生と相談する時間が全くないことと、実際は相談しても無理なことだ。
山崎先生、私はパソコンについては何のソフトがあるのかさっぱり分からないので、何を教えてよいか分からないのです。よろしくお願いします

 パソコン通の先生以外の授業のカリキュラムを作らなければならなくなった。
なんと、俺がラストリゾートか

 しかし展望はある。学年ですることはだいたい同じだから、1クラスの授業が済めば、他のクラスはその応用でいける。
それにパソコンの技術は一度覚えてしまえば、あとは空気のようなもののなのでそれまでの我慢だ。
がんばれ、山崎先生、もうすこしだ」叱咤激励した。
それが昨日のことだ。

 初日は散々だったが、今日2日目からは見違えるほどルンルンになった。
アドバンテージクラスを操作して子供達を教えると、すぐに理解する。
カリキュラムも残業して作り上げた。
山崎先生の授業を見せていただこうかしら」校長先生から言われた。
いつでも来てください」自信満々だ。一日で人間が変わってしまった。

 亀ゴンが笑って言った。
先生の苦悩は相変わらず1日しか持たないですね。これでは『若きウェルテルの悩み』には程遠いですよ

いやー、そうなのだ。当初はつい大げさに考えるが、何とか身体を動かしているうちに解決してしまうんだ

「『ならうよりなれろ』が悩みを解決する最善の方法みたいですね

亀ゴン、全くそのとおりだよ




 

 

 

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(20.9.18) アメリカ経済のメルトダウン

 私が生きている間にアメリカ経済メルトダウンし、アメリカの世紀が終わるとは予想していなかった。
1991年ソビエト連邦が崩壊しアメリカの一人勝ちになり、フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を宣言してから約20年で「アメリカの世紀の終わり」が来てしまった。

そうか、歴史の終わりとはアメリカの世紀の終わりのことだったのか」笑ってしまった。

 サブプライムローンを発端とするアメリカの金融危機は、金融工学という魔法の杖で巨大な利益を生み出してきたアメリカ経済のギアを逆回転させている。
リーマン・ブラザーズという巨大投資銀行(証券会社)が15日倒産したが、アメリカ政府は手をこまねいて何もすることが出来なかった。

 アメリカ経済は金融機関で成り立っていると言っていいほどその存在感が高い。たとえばフォーブス世界の大企業(2006年版)を見ると、世界の大企業10傑のうち5社がアメリカ企業で、上から順に、① シティーグループ、② GE, ③ バンク・オブ・アメリカ、④ AIG, ⑥ エクソンモービルである。
5社のうち金融機関3社であり、倒産が噂されていた保険大手のAIGは世界第4位の企業なのだ。

 ポールソン財務長官は「リーマン・ブラザーズの救済に公的資金の投入を考えたことは一度もなかった」と公言したが、手をこまねいている間にリーマン・ブラザーズが倒産してしまったと言うのが実態だ。
財務長官リーマン・ブラザーズバンク・オブ・アメリカに押し付けることが出来ず、その無能さを露呈した。

 リーマン・ブラザーズ負債総額64兆円は過去最高の負債額であり、日本に対する影響は4兆円と言われているが、本当の負債総額が世界を席巻するのはこれからだ。
通常は表面に現れた負債総額より、数倍負債総額が膨らむのが普通だから、日本も「4兆円で影響は限定的」だなどとは言っていられなくなるだろう。

 なぜ負債総額が増加するかの理由は簡単で、簿外の負債がこれからどんどん増えるからだ。
日本の長期信用銀行リップルウッドに売却された金額が、ただ同然の10億円だったことを思い出せば分かる。

 アメリカ政府がリーマン・ブラザーズを救えなかったことを見て、市場は次は世界最大の保険会社AIGが倒産すると判断した。
ここでも当初、アメリカ政府は効果的な手を打てなくて、大手金融機関にAIGの支援枠700億ドルを要請していただけだった。
国の資金を出すわけには行かないから、民間で共同して助けろ」と言っていたわけだが、民間企業としてはアメリカ政府の保証でもない限りおいそれと応ずるわけには行かない。

 結局アメリカ政府が折れて9兆円規模の公的資金の投入に踏み切ることになった。
また無能なポールソンに任せておくとAIGまで倒産してしまうから、さっさと公的資金を導入して救済しろブッシュ大統領が判断したのだろう。

 アメリカをジャンボ機にたとえれば、片側のエンジンが金融資本、もう片側のエンジンが石油資本、GE、ソフトウェア会社等その他資本が支えている構図になっている。
その金融機関のエンジンに火がついて燃えている時に、ポールソン副操縦士が、飛行場に引き返すことなくこのまま飛び続けると言っていたようなものだ。

 アメリカ政府は公的資金の導入を渋っていたが、結局日本と同様政府が支えるよりほかに手がなくなった。
大手の金融機関が倒産するときの最後の救い手は政府以外にないのが実態なのだ。

 アメリカの金融機関はこれから日本が経験した失われた10年を追体験する。
AIGを7兆円で救済しても、民間に売却する時はタダ同然になり、さらに追い銭を求められるのは長銀の例を見れば分かる。

 歴史はやはり繰り返す。
日本が失われた10年を経験して普通の国になったように、アメリカもこの金融恐慌を経験して気がついてみれば普通の国になっているのだろう。

アメリカの世紀は2008年の金融恐慌を経て、今終わろうとしている


 アメリカ経済についての関連する記事は、カテゴリー「評論 アメリカ経済」にまとめて入っております

 

 

 

 

 

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(20.9.17) ムクドリの研究 その2

 例年8月から10月にかけてムクドリ糞公害騒音問題が発生する。ここおゆみ野でも鎌取ジャスコ店の前の駐輪場周辺のケヤキの木ムクドリのねぐらになり、市役所に苦情が殺到しているらしい。

 私は毎日この場所を清掃しているので、駐輪場の周りに大量の糞が撒き散らされていることは良く知っている。感覚的には昨年よりも今年の方が多い。

 ここの駐輪場には自転車を整理する担当者が3名程度常駐していて、早朝糞の清掃を行なっている。そうしないと鶏小屋の地面みたいに糞だらけになってしまうからだ。
いやー、ムクドリにはかなわんよ。市役所はどうにかしてくれないのかね」知り合いの整理員がぼやいていた。

 見ていると自転車の上に糞を落とされた女性がこの整理員にねじ込んでいる。
お金を取って糞をたらさえたのじゃかなわないわ。どうにかしてよ
市のほうには言っているのですが」市に代わって謝っていた。

 実はムクドリ対策は実に難しい。かつてはムクドリは害虫を駆除する益鳥と言われていたが、今は糞公害の代名詞だ。鳩より評判が悪い。
ムクドリが集団で駅前や繁華街に集まるのは8月から10月までで、その間だけ我慢するとその後は移動してしまう。私は山と都市の間を移動しているのだと思っているが確認したわけではない。

 ムクドリ対策として木の枝を伐採する方法がよく採られるが、この方法は近くのまだ伐採されていない樹木にムクドリが移動するだけに終わってしまう。
したがって問題箇所の全ての樹木の枝を落とさないと解決にならないが、こうすると都市景観が台無しになり、まるで巨大サボテンが生えているメキシコの砂漠のようになってしまう。
ムクドリ対策のために全ての樹木の枝を落とすわけにはいかない。

 現在最も効果がある方法と言われているのは、長岡市が実施したムクドリ「助けて」という効果音を、断続的に流す方法らしい。
これを長岡方式といい、全国の自治体で採用している。

 効果音を大音響のマイクで流すと、ムクドリは次々に逃げ惑うので、ムクドリを排除したい場所全てで、タイミングよく音をださなければならない。
効果的に実施するには昔の「鳥追い」のような共同作業が必要だが、長岡市はこれで約1万羽いたムクドリを信濃川の河川敷に追いやったと言う。

 ここおゆみ野でも効果音を出す方法を採用することになったようだが、市民ネットの福谷さんのブログ(リンクが張ってあります)を見ると「おゆみ野では竹の棒を振りまわして音を出す」と言っていたので方法が少し違うようにも見える。しかし効果音で追い出すことにはかわりがなさそうだが、一度市の担当者が実施しているところを見てみたいものだ。

 また福谷さんのブログにも書いてあったが、ムクドリ対策では最終的にムクドリを追いやる場所が必要であり、長岡市では信濃川の河川敷だったようだ。
一方ここおゆみ野ではどこになるのだろうか。追いやる場所がないと、結局はジャスコ周辺の駐輪場のケヤキに戻ってきてしまいそうだ。

 ムクドリ対策は本当に難しいのだ。


鎌取ジャスコ店の周辺のムクドリが集まっている場所の写真
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20916?authkey=hj_MA3kpLK0#

 

 

 

 

 

 

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(20.9.16) 芸術家の生活は厳しい

 いやはや芸術家の生活の厳しさを味わってしまった。

私のかみさんがジャスコ鎌取店のカルチャーセンターでならっている歌曲の先生のリサイタルが千葉市美浜文化音楽ホールでこの13日に開催された。

 先生の名前は蒲池(かまち)悦子さんといい、9歳の時から才能を見出されウィーン少年合唱団の発声法を学んだそうだ。
その後米国のローレンス音楽院で特待生として学んだ後、ヨーロッパで演奏活動をしていたそうだ。
かみさんの話だと「20世紀の偉大なソプラノ歌手はマリア・カラスとエリザーベート・シュワルツコップで、蒲池先生はそのシュワルツコップに師事していたのだ」という。実に立派な経歴なのだそうだ。

この演奏会には是非いってほしい」とかみさんに懇願された。
私は演歌以外の音楽を知らないし、長山洋子田川寿美の歌さえ聞いていれば満足してしまうのだが、かみさんの依頼なので断るわけにはいかない。

 どうやらかみさんはこのリサイタルの前売り券の販売を受けていたらしく、また娘のデザイナーはボランティアで「感謝とチャリティーのリサイタル」というパンフレットを作っていた。

蒲池先生は腰を圧迫骨折したりして大変だったのだけど、その復帰のためのリサイタルなの」かみさんはおお張り切りだ。
蒲池先生は音楽をとうして音楽の尊さを高めている人で、とても人間的にすぐれている方」と言っている。

 親類縁者に依頼した結果、私の他に娘夫婦と、その義理の父母の総勢6名で行くことになった。

 この音楽ホールは最近出来たらしく、音響効果ばっちりの150人まで入場が可能な立派なホールだった。
開演は午後5時からだったが、集まった聴衆は約50人程度だ。いづれも蒲池先生の音楽教室の生徒とその関係者だけだ。
うぅーん、少し少ないのじゃないか

 このリサイタルのために用意された曲は30曲弱で、最初に「荒城の月」等の日本の歌を5曲歌ったが、その後はリストやシューベルト、ベートーベン等の歌曲だった。
その中で私が知っていたのはシューベルトの「アヴェ・マリア」だけだ。

 時間にして2時間半程度だったが蒲池先生が一人で歌い、その体力には驚かされた。とても最近まで複雑骨折で入院していた人には思われない。
最初こそやや声の通りが悪かったが徐々に調子を上げ、最後の頃は素晴らしい発声で曲を締めくくった。
素晴らしい発声だ」素人の私が感心した。

 蒲池先生以外にはピアノの演奏を名取裕子さんがしていたが、名取さんはイタリア・ベルガモ音楽祭で第一位を受賞した一流の音楽家だし、キターを担当した佐藤和弘さんはNHKでもしばしば出ているギターリストだそうだ。

しかし、これほど一流の音楽家が集まっても、聴衆は50名か」芸術家の生活の厳しさを見てしまった。
入場料は3000円だから、全体で15万円程度にしかならない。
それにしてもこの会場の利用料やパンフレットを印刷したり送付したりした費用はかかるはずだ。

うぅーん、世の中は厳しい」芸術家として生きるのは大変なようだ。

(注)かみさんに友人からメールが来ており、今回のコンサートを感想を次のように言っています。

今日はどうもありがとうございました。蒲池さんは本当に素晴らしかったです。聞く人を精神の高みに誘う唄声に、蒲池さんの凄さを感じました。凄いと云えば凄いけれど、蒲池さんは乙女の心を失わない人ですね。それから名取さんのピアノにもビックリしました。
技術の確かさの上に変幻自在の豊かな表現力、見事でした。それから、久しぶりにご主人に会え話しが出来たこと、何故かとても嬉しかったですよ




演奏会の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20913?authkey=7KyjY9P3PkU#



 

 


 

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(20.9.15) 自民党総裁選挙はカーニバル

 自民党は政権維持のために、なりふりを構っていられなくなったらしい。
次期総裁には麻生太郎氏がなることは誰が見ても決まっているのに、泡沫候補を4人も立てて選挙戦を行なっている。

 町村官房長官は談話で「どこかの政党と違って、うちは開かれた党なので大いに政策論議をしていただきたい」と持ち上げた。
かつての自民党は話し合い大好き政党で「総裁選をするとしこりが残るので、総裁は話し合いで決めよう」と言っていたのが嘘のようだ。

 もっとも麻生氏が総裁になってもせいぜい決められるのは補正予算程度であり、重要法案は全く国会を通過できる目処は立ってないから、早晩総選挙が行なわれるのは確実視されている。

 麻生政権選挙管理政権でしかないが、選挙を取り巻く自民党の情勢は厳しい。
このまま総選挙を行なえば小泉郵政選挙の逆バージョンになり、小沢民主党単独で3分の2を取ってしまう。
こうなったら何でもいいから盛大にカーニバルをやって、自民党に目を向けさせよう」ということになった。

 このため泡沫候補4氏が立候補したが、4氏麻生太郎氏の引き立て役なので、「麻生氏を目立たせるためには、何を言ってもかまわないが、麻生氏の足を引っ張るのだけはダメだ」ということになったようだ。

 石破茂氏は、新テロ対策特別措置法小沢民主党によって参議院で否決されたことに対する恨み節だけで出てきた人だ。
全世界がテロとの闘いをしている時に、日本だけが一人止めて撤退していいのか」これだけがいいたいことの全てだ。

 小池百合子氏はヒラリー・クリントンの日本版を狙っているようだ。美人の誉れ高い小池氏が総裁になれば、確かにG8ではマスコミの注目を浴びそうだが、経済対策で「もうかる農業にするなど成長力の底上げが必要」と言ったのには驚いた。
なにか江戸時代の政策担当者の言葉を聞いているみたいで、時代錯誤もはなはだしい。

 与謝野馨氏は財務省の主張の代弁のためにだけ出てきた人だ。
社会保障を防衛するためには消費税の引き上げが必要」とは財務省の主張そのものだ。
先生、先生は泡沫候補なのですから、このさい消費税の引き上げについて国民のアレルギーをとることにだけ、がんばってください」とでも言われたのだろうか。

 石原伸晃氏だけがかなり真面目で、討論会などでも緊張感を漂わせていた。
なんとしても小泉改革を維持しよう」との熱意は感じるが、今回は顔見世であり将来の首相候補としての予行演習に過ぎない。

 これだけ麻生太郎氏の引き立て役がそろったのだから、麻生氏としてはとても満足しているようで「他の総裁候補者も次期政権の閣僚候補として考えたい」と余裕綽々だ。

 だがカーニバルを行い、自民党の注目度をあげさせても小沢民主党には勝てそうもない。
なにしろ年金問題を初め、閣僚の不祥事等失政が多すぎて、国民は自民党政権にはアキアキしている。
ここは一度民主党に政権をとらせてみよう」と言うのが民意だ。

 だからカーニバルの効果はせいぜい大敗を何とか食い止める程度の効果しかなさそうだというのが私の予想だが、しないよりはよっぽどましなことは確かだ。

 

 

 

 

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(20.9.14) ここを降りないでください 大山縦走 NO5

1976年 30歳 大阪

大山縦走 晩秋 

 この頃大山の稜線を登坂することを決めた。稜線は両側が切り立っており大変危険な状態にあったが、冬にも縦走をした経験があり気楽な気分で出かけた(今では縦走そのものが禁止となっている)。
秋なら楽勝だ

 ある切り立った場所で「下降禁止」という立て札を見た。
砂混じりの急斜面ではあったが,決して下れないような場所ではない。
なぜ駄目なのだろうか」当時の私は猿のように好奇心が旺盛だった。

 最初は砂の斜面だったのですべるようにして降りることができた。
実に楽ちんな下降だ」50m程度砂を滑り降りた。

 その先は水が岩をけずってクロアール(樋のような形)のようになっていたが,両手と両足を突っ張りながら降りることができた。
さらにその先は小さな滝が何段にもわたって続いていたが,2m~3m程度の滝であったので飛び降りた。

 30分程そうして下っていくと、その次に落差約30m位のから滝が現れ,さすがにここは飛び降りることが不可能と分かった。
滝には古いハーケンが残されていた。
なんだ,そうなのか。ここからはロープがなくては降りられないんだ
ようやく納得した。

 さて戻ろうとして最初に当惑したのは飛び降りた滝だった。
降りる特は気づかなかったが,水に洗われて,滝の表面がツルツルになっている。2~3m程度の滝なのに何度トライしても登れない。
まずい、取っかかりがない」ヒア汗が出てくる。

 何回かトライした後、横壁には出っ張りがあったのをようやく見つけた。
よかった、横の壁なら何とか登れそうだ
横壁を登り、次にトラバースしてようやく滝を登ることができた時は実にほっとした。

 クロアールは両手両足を突っ張ってこれは難なく登れた。
滝には脅かされたが、なんてことはないじゃないか。下降禁止なんて大げさだ

 しかし、この考えは甘かった。最後は砂の急斜面だったが,降りるときは何もしなくても降りられたが,登ることは全くできない。
登るたびに砂が崩れて滑り落ちてしまうのだ。
これは、あり地獄と同じだ。まるで砂の女じゃないか

50m上は稜線だから、登山者が通る時に救出を依頼しようか、しかしそんなことをしたら、注意書きを無視して降りたことがばれて新聞種になりそうだ・・・・・

 中国新聞  再び無謀な登山者が身勝手な救助依頼

 山崎次郎さん(30歳) ○○銀行勤務は、大山縦走路の立入禁止場所に警告を無視して入山し、砂走りのあり地獄周辺で救助を求めていたのを山岳パトロール隊が発見し救助した。

山岳パトロール隊員の話
「こういうルールを無視する人がいるから我々は本当に困っています。もう少し常識をわきまえてほしいものです」


新聞種になったら日本中の物笑いになり、御堂筋も歩けなくなってしまう
何とか登る手立てを探ろうと周りを見ると砂のうえにわずかに草が生えている場所を見つけた。
しめた、草付だ
草付では草をひっぱてはいけない。その上にそっと手を置きながら登らなければならない。祈るような気持ちだった。
頼む、抜けないでくれ

 50m程度の砂の壁をくたくたになりながら、そうして登ることができた。
信じられないことに時刻は夕刻になっており、斜面は夕日で真っ赤に染まっていたのを覚えている。
よかった、なんとか生還できた。御堂筋を歩ける
降りる時はたったの30分だったが、戻るのに3時間程度かかっていた。

 やはり下降禁止の場所は下降してはいけないのだ。しみじみ思った山旅だった。

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(20.9.13) アメリカ金融危機の第二段階

 アメリカの金融危機第二段階に入ったようだ。日本では住専の倒産第一段階であり、続いて第二段階として証券会社と金融機関山一證券、長期信用銀行、日本債券信用銀行、北海道拓殖銀行)が倒産した。

 アメリカではファニーメイ、フレディマックという政府系住宅金融会社が事実上倒産し政府の管理下に入ったのが第一段階で、続いてリーマン・ブラザーズの経営危機が発生したのが第二段階だ。

 リーマン・ブラザーズはアメリカでは名門中の名門の投資銀行であり、日本でいえば長期信用銀行に匹敵する。
(時期は前後するが20年3月には大手証券会社のベア・スターンズが倒産したが、これは山一證券の倒産に匹敵する)

 日本の失われた10年に比較して1年余りで第二段階まで来たのだから、アメリカの時価会計システムの明瞭性は褒めていいが、だからといって危機の度合いが日本より軽いわけではない。

 それどころか危機は日本の場合よりはるかに深く、かつ広がりが大きい
日本では住専処理で親銀行が債権放棄したり、公的資金が投入された金額は合計で約6兆円だった。
さらに長銀や日債銀の損失処理や、大手銀行への公的資金の投入は約50兆円だった(全体で100兆円の損失だったが、そのうち約半分が公的資金、残りは各金融機関が負担した)。

 この程度で済んだのは、所詮日本国内の問題だったからであり、融資も直接の不動産融資がほとんどで、証券化商品というようなそれ自体で自己肥大するような商品はなかったからである。

 これに比較しアメリカの金融危機は世界的規模で、かつ金融工学ディリバティブ)という博打で債権残高が膨張に膨張を続け、どこまで大きくなっているのかは誰にも分からないほどだ。

 たとえばファニーメイフレディマックの自行が発行している債券額は170兆円であり、そのほとんどを海外の投資家に販売している。
日本の金融機関では判明しているだけで15兆円の債券を購入しており、従来日本で最も固いといわれていた農林中金が5兆円三菱UFJが3兆円購入している(政府系住宅金融会社は債券を発行し、その金でアメリカの金融機関からローン債権を購入。それを証券化して世界中に販売している)


 そのほかに540兆円にのぼる住宅ローン証券保証したり保有しているのだから広がりはどこまで拡大するのかわからない。
まずい、アメリカが今まで構築してきた金融システムがつぶれる

 アメリカ政府はあわてて公的資金の投入枠を約22兆円設定した。
なんとしてもファニーメイとフレディマックを守れ

 しかし日本の例のように不動産融資の約70%が焦げ付くとすると、その金額は約380兆円(540×70%)で、これも日本の例のように半額を公的資金でカバーすれば190兆円規模の資金が必要になる。22兆円では焼け石に水だ。

 アメリカは金融工学と称して訳の分からない数式を使用して証券化商品を売りまくっていたが、ふたを開けてみれば屑ばかりなことが判明した。
金融工学ディリバティブ)とはアメリカを舞台とした巨大な賭場での博打で、負ければ裸になるのは今も昔も変わらない。
なんだい、ディリバティブは屑を集めて、外側だけ体裁を整えた欠陥商品の販売じゃないか」ようやく世界が目覚めた。

 そして今金融機関が倒産し始め、危機の第二段階が始まった
ファニーメイフレディマックが住宅ローン証券の半額を持っているが、残りは金融機関や証券会社や投資家が持っているからだ。

 シティーグループメリルリンチはなんとか投資家から資金調達できたが、経営状態が悪いと市場で評価されたリーマン・ブラザーズは誰も相手をしてくれない。
株価はたたきう売られて底値が分からない。
バンク・オブ・アメリカが救済するとの噂があるが、長銀の時と同じで経営の実態を知れば手を引くだろう。

 これで金融機関の救済もアメリカ政府は視野に入れないとならない段階にきた
日本の失われた10年を笑っていたが、今アメリカではそれを何倍という規模で拡大して再現しているのだ。
金融工学ディリバティブ)はただアメリカの金融危機を拡大しただけに終わってしまいそうだ。

(20.9.16追加)リーマンブラザーズは日本時間で15日倒産した。メリルリンチはバンク・オブ・アメリカに吸収されることになった。ポールソン財務長官は「リーマン・ブラザーズに公的資金を投入することは当初から考えていなかった」とコメントを述べた。
アメリカの株価は500ドルあまり下落している。

 今後はうわさの出る金融機関はすべて倒産に追い込まれるだろう。ポールソン財務長官は「公的資金の投入はしない」といっているが、どこまで強気でいられるかは時間の問題だ。


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(20.9.12) 風雲急を告げ始めた北朝鮮情勢

 北朝鮮の金総書記脳梗塞あるいは脳卒中で倒れたとの情報が各メディアから一斉に報道されている。

 元ネタは朝鮮日報の記者が中国駐在韓国大使関係者から聞いた話として「金総書記が8月22日に倒れ、中国の医師団5名が最近訪朝した」とスクープしたからだ。

 北朝鮮、わけても金総書記の健康問題の情報はほとんど中国駐在韓国大使館からの情報であり、それも医師団の派遣という形で伝えられることが多い
韓国大使館は中国の特定の医師団の動向を常時ウォッチしているのだろう。

 この朝鮮日報の記事を読んだ各国の報道機関が9月9日に行なわれた北朝鮮60周年の閲兵式に注目した。
この閲兵式に異変があれば、金総書記が何らかの事情で出られなくなったのは明らかだ

 確かに閲兵式は異変だらけだった50周年55周年の閲兵式は金総書記が出席しミサイル部隊の堂々たる行進があったのに、今回は以下のような状態だった。

① 金総書記が出席しなかった
② ミサイル部隊を中心とする正規軍の行進ではなく、労農隊のような予備軍中心だった
③ 時間が夕刻から始まり、明らかに熱意がなかった

やはり、金総書記は重病だ」各国メディアは一斉にそう報道し始めた。

 状況証拠としては、金総書記が血管系の疾患で倒れてもおかしくない兆候はいくらでもあった。
66歳の金総書記は昔から大酒のみで知られており、腹は太鼓腹のように膨らんでメタボの代表のようだ。
身体の動きは老人のように鈍く、表情が乏しいのも糖尿病の健康不安のせいだと思われていた。

 さらに07年にはドイツ医師団による心臓の血管を拡張するステントといわれる手術を受けたとされる(ただしドイツ医師団は否定している)。

 状況証拠は明らかに黒であり、金総書記が何らかの病状悪化に瀕していることは間違いなさそうだ。

 さて、そうなった場合の北朝鮮情勢の今後はどうなるのだろうか。
北朝鮮は世界でも類まれな独裁国家であり、権力はすべて金総書記に集中している。
かつてのスターリン毛沢東ヒットラーと同じだと思えばよい。

 今、韓国および在韓米軍が一番危惧していることは、軍部が勝手に動き出すのではないかと言うことだ。
金総書記は独裁者なので、戦争することもしないことも一存で決められた。だから金総書記の動向を追っていれば北朝鮮軍部の動きが把握できたが、金総書記が判断能力を失うと、軍部が勝手に動き出す可能性がある。

 たとえばミサイル基地の拡張や発射実験、および核開発の再開等であり、最悪は韓国への軍事侵略である。またクーデタが起こるかもしれない。
今回の軍事パレードへの不参加についても軍部の意向ではないかと見られている
石油がほとんどないのにお祭りなんかで、重要な資源を消費できるか

 現状では軍部に際立った動きはなく、当初あった金総書記の重病説も「回復過程にある」との見方が主流を占めている。
しかし脳血管系の病気は再発を繰り返し悪化してゆき、最後は判断能力を失うのが普通だ。
私の父親は脳梗塞を数年おきに繰り返し、最後は痴呆状態になった。

 だから今回は回復したとしても近い将来、金総書記に重大な異変が起こることはまず確実と思ってまちがいない。

北朝鮮情勢は風雲急を告げだしたのだ。

 

  

 

 

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(20.9.11) 大願成就 江戸川サイクリング

 ようやく大願が成就した。私は定年退職したら、自転車で江戸川を遡り、江戸川と利根川の分岐点である関宿まで行き、引き返してくる計画を立てていたがなかなか実行に移せなかった。

 一番の問題は私の愛車がマウンテンバイクで電車に持ち込めないため、旧江戸川江戸川放水路のどちらかまで自宅から乗って行かなければならないからだ。

 先日意を決して旧江戸川の河口のディズニーランドまで行き、そこから江戸川を遡ってみたが、東武野田線川間鉄橋までしかいけなかった。
関宿まではさらに15km遡らなければならない
うぅーん、何とか10時間以内で関宿まで行って引き返してこれないものだろうか

 私の家からは旧江戸川より江戸川放水路の方が約5km程度近い。だから江戸川放水路から江戸川に入ればルンルンなのだが、ここへの入り方が極端に難しい。
普通の人は江戸川放水路近くの歩道がどうなっているのかは全く興味がないが、ここは日本でも有数の複雑なルートになっている。

 上を高速道路や一般道路が入り乱れ、新たに高速道路の延長をしたりしているため、歩道がずたずたに切られている。
ちょっと油断するとどこかの工場に入ってしまい、自転車を担いで塀を乗り越えなければならない。
またかよ、なんで工場に入ってしまうんだ

 だから今まではこの場所から江戸川に入ることを諦め、旧江戸川から自転車道路に入っていた。
しかし10時間内に関宿まで行くには江戸川放水路へ降りる道をなんとか見つけなければならない。
そうだこうした時は誰かの自転車についていくことだ
予想はばっちり当った。

 これで我が家から2時間で江戸川の自転車道に入ることが出来、さらに3時間余りで関宿に着くことが出来きた。
自転車道路にはバッタが大発生していて、走っていると身体や頬にぶつかってくる。
気温は高かったが湿度は低く、さわやかな秋風だ。

ばんざーい、関宿までやってきたぞ
大願がようやく成就したわけだ。
我が家から関宿まで往復して約180kmだ。
俺の実力も180km程度になった」嬉しくなってしまった。

 関宿は江戸時代の交通の要所であり、当時は北日本の物資輸送を利根川を遡り江戸川を下って江戸に届けていた
また、ここには幕府の譜代大名が関宿城を守っており、幕府の重要拠点でもあった。

 今回の自転車の10時間走は実に楽しかった。前回の10時間走ではくたくただったが、今回はほとんどダメージがない。
帝京市原接骨院のトライアスロン先生が言っていた。
山崎さん、自転車は乗れば乗るほど力がつくんですよ
本当だ。足を見ると大腿四頭筋とハムストリングが盛り上がっている。
この年になって足に筋肉がつくとは思いもしなかった。

 今日のルンルン江戸川走の写真を掲載いたします
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20910?authkey=PiMZmLrtViw#

 

 

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(20.9.10) 文学入門 その2

 昨日(9日)河村義人さんが主催する読書会に出席した。河村義人さんは本業は銀行員だが、一方で「子どもたちへのブンガク案内」という本を出版されているおゆみ野在住の作家でもある(おゆみ野walkersの「この人に会いたい」に詳しい)。

 今回の課題の本は桜庭一樹(さくらば かずき)氏の「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」で、この本を選んだのはAさんである。
Aさんによるとこの本は「とても衝撃的な本で、特に家庭内暴力や引きこもりを扱っていて、考えさせられる本だ。また構成もよくできていて次の話の展開のために必要な下地が必ずその前に周到に用意されている」という評価だった。

 私は例によって桜庭一樹氏もこの本も全く知らなかったが、テーマ本なのでアマゾンに頼んで取り寄せた。

 しかし読んでみて考え込んでしまった。
うぅーん、これが小説なのだろうか。単なる猟奇小説で、一部の愛好家以外は好きになれないのではなかろうか
そう思ったがかなりの読者層がいるらしく、旧版は何回も増刷されていた。

 この小説の舞台は鳥取県境港だが、おそらくこの土地の人が読んだら眉をひそめそうな場所の紹介の仕方だ。
田舎に作ったほうがいいと都会の人が考える全てのものがこの町にある。原発。刑務所。少年院。精神病院。それから自衛隊の駐屯地
これがこの小説の基本的トーンになっている。

 この本を読んですぐに思い出したのはアメリカ映画の羊たちの沈黙」だ。天才的精神科医で人食で措置入院しているレクター博士が、新米のFBIの捜査官と一緒に、「若い女性の皮膚をはがして皮膚をそぎ落とし、その死体を川に流す」という猟奇事件の犯人の精神分析を行なうという内容だが、この小説もそれに近い。

 縦糸は猟奇趣味のある作詞作曲家,海野雅愛(まさちか)が、自分の犬と藻屑(もくずという中学生の娘を斧で殺害し、ばらばらにして山中に捨てると言う事件があり、それを藻屑の友達の山田なぎさと言う少女と、その兄で引きこもりだが神経が異常に鋭敏な友彦が事件を推理し解決していくと言う筋立てだ。
 横糸としては山田なぎさ藻屑とのファンタスティックな会話があり、藻屑は自分を人魚だという。こちらはほとんどメルヘンの世界だ。
そこに藻屑に興味を持つ花名島と言う少年が絡むが、この花名島と言う少年の取り扱いは、単にマゾサドを挿入したいためだけに登場させた人物で、このあたりは桜庭氏の悪趣味が嵩じている。

 私がこの小説を読んで一番閉口したのは、個人的なマゾやサドの趣味を何の脈絡もなく挿入することで「何のためにこんなこと書くの」という感覚だ。
最もこれについてはAさんの反論があり「これも現在の一断面をあらわしている」と言っていた。
 さて、全体の印象としては古典派絵画をいつも見ている人が、急に現代絵画を見せられたような感覚だ。
かつてソビエトのフルシチョフ書記長が現代絵画を見て「これはロバの尻尾で書いたのか」と言ったがそれに近い。
 Tさんが「生理的に受け付けない」と言っていた意味が分かった。私のかみさんは「羊たちの沈黙」を「こんなおそろしい映画見るのもやだ」と言っていたがそれと同じだ。

 Aさんはこの小説を非常に高く評価していたが、私の評価は最悪だ。
河村義人さんの評価も辛口だった。
私はどの本でもどこかよいところを見つけて評価するようにしているが、この小説には評価するところがない

 しかしこの読書会ではそれぞれの人がその思った感想を自由に述べられるので、気兼ねなく発言できるところがいい。
今回この小説の評価は両極端に分かれていたが、別に評価を定めるわけでないので、それぞれが自分の思ったことを言えばいいのだ。

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(20.9.9) おゆみ野四季の道駅伝大会 その2

 昨日(7日)、おゆみ野四季の道で開催する予定の駅伝大会の3回目の打合せ会議があった。
私がこの会議に出席するのは2回目で、前回は都合があって出席できなかった。

 事務局の準備は着々と進んでおり、具体的な大会要領の原案もできていた。この原案に基づきおゆみ野地区の小学校に正式な大会申込書を提出してもらう段取りになっている。

 駅伝大会は小学校の3年生以上を対象に、5人でタスキリレーをして四季の道を3年生は半周、その他は一周させる計画だ。
3年生一人500m4年以上1kmを駆けてもらうことになる。

 大会は来年の2月15日(日)に行なわれるので、それまでに大会事務局としては十分な準備をしようと実に熱心な検討が行なわれた。

 私の担当は「走り方の指導係」で、駅伝の区間を上手に走らせる指導を都合4回開催することになった。
1km程度だからどうにでも走れそうなものだが、競争となるとそうは行かない。一斉に100mダッシュみたいな走り方をして、途中でオーバーペースになって座り込んでしまう子供達もいるので、1kmをイーブンペースで走らせる指導がいる。

 それにこのコースには車道との交差点が2箇所あり、そこの誘導も重要なポイントだ。レース中は自動車の通行を止めなければならないが、警察等との打合せや、実際に誰がどうやって止めるのかといった、具体的な話が必要だ。

 今私が一番悩んでいるのは、金沢小学校の近くの冬の道にある一般道との交差点を、いかに子供達を安全に通らせることができるかということだ

 自動車は止めることは当然だが、その他にこの場所に設置してあるポールや鎖に、駅伝走者にひかかって、怪我をする可能性があるからだ

 私は数年前に夜半JOGをしていてこの鎖に気づかずもんどりうって倒れた経験がある。たまたま同じ程度の走力のジョガーと張り合っていたので、鎖の存在に気づかなかったのだ。
大腿部を殴打しほぼ1週間まともに歩くことができなかった。

 元々はこのポールと鎖は取り外しができるように設計されていたのだが、ポールを蹴飛ばして壊す人がおり、緑土木事務所は困り果てて根元をコンクリートで固めてしまった

 両側のポールは計14本(片側7本)あるのだが、このうち外れるポールは3本しかない。そして鎖が片側に4本、計8本張られている。
「車に注意」の看板もある。
どうしたらいいのだろうか」頭を抱えてしまった。

 最善の方法は全てのポールを取り外してしまうことだが、コンクリートで根元を固めた部分の取り外しはかなり厄介だ。
現状で最善の方法は以下のとおりだ

2098_012_5

・ はずせる3本のポールははずす

・ 8本の鎖もはずす
・ 「車に注意」の注意表示をはずす
・ 残ったポール11本にはぶつかっても痛くないように緩衝材をまき、黄色や赤のテープではっきり分かるようにする
・ 50m程度手前にポールの注意書きを設置し、誘導員がポールのあることを大声で伝達する
・ 人数が殺到しそうな場合は、速度を落とさせ順番で通すような交通整理係を設ける
・ 事前に選手にポールがあることと、その通り方について審判員が通知徹底する

 
この場所はマラソンのような競技や、駅伝をする時に最も厄介な場所といえる。
ここを安全に通させることが、この駅伝大会の一つのポイントになりそうだ。

 この場所の調査映像を撮ってきました
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2098?authkey=jNfZllYMr30#

 

 

 

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(20.9.8) 四季の道のワンチャン その2

20717_007_2   私自身は犬を飼っていないが、私は無類の犬好きだ。四季の道で会うワンチャンに必ず声をかける事にしていたら、すっかり犬と友達になってしまった。
もちろん飼い主が連れているのだが、犬のほうがはっきり区別ができるので、飼い主は犬と一緒でないと分からない。

 道で「こんにちわ」なんて飼い主に挨拶されても、犬がいないと「あの人誰だっけ」なんて状態になってしまう。

 私の犬を飼った経験は小学生時代に遡る。今からおよそ50年も前の話だ。当時我が家にはハチと呼ばれる雑種と、秋田犬がいた。
雑種のハチは気の弱い優しい犬だったが、秋田犬はという名で実に獰猛な犬だった。

 おじいさんの言うことしか聞かず、私などは「絶対に近づくな」と親から言われており、手を出したらエサにされかねないような雰囲気だった。
当時の犬は番犬だったので、必ず外につながれており雑種のハチは夜半になると鎖を解いて適当に遊ばせていた。

 ほとんどの家庭の番犬は夜は放たれていたため、夜半夜道を歩いていると犬に後をつけられたりして、なにかに襲われるような雰囲気があったものである。

 また、昼間でも放たれている犬はいくらでもおり、春先になるとメス犬の後をオス犬が数匹も連なって恋の鞘当をしていた。
メス犬とオス犬が恋の真っ最中になると、子供達がキャーキャー騒ぐので、教育上よくないと思う大人がバケツの水を犬にぶっ掛けて、犬の恋路の邪魔をしたものだ。

 夜放たれていたハチは、私が朝になると残飯を入れた容器を持って「ハーチ、ハーチ」と大声で呼ぶと、どこからともなく戻ってきた。
それが50年前の私の犬の経験だ。

 だから最近の犬事情には実に驚いてしまった。ほとんどの飼い主が「この子」と人間の子供と同じように呼ぶし、外で飼われている犬のほうが少なくなっている。
食べ物も残飯でなくドックフードを与えられており、毛並みがつやつやして昔よくあった皮膚病にかかった犬はほとんどいない。

 そして、私が一番驚いたのは犬の性質が非常に優しくなっていることだ。昔の犬は実に怖かった。
私の近所に道に面した檻に入れられていたシェパードがいたのだが、この犬は絶対に人になれず、通る人に実に怖い声で「うぅーう」なんて吠えたものである。

 こっちも檻にいることをいいことに、「ばーか、べろべろベー」なんていつもからかっていた。
ある日いつものようにからかおうとその檻の前に行ったら、信じられないことに檻の下が掘られており、いつでも外に出られる準備がしてあった。
そんなことも知らずに「ばーか、べろべろベー」とやったとたんに檻のしたから飛び出して私の太ももにかぶりついた。私は近所全体に響き渡るような悲鳴をあげて逃げ回ったものだ。

 こうしてこのシェパードは積年の恨みを晴らしたわけだが、当時の犬はさほどに狡猾でかつ獰猛だった。

 だから最近のワンチャンの優しさは信じられない。特にレトリバーという種類のワンチャンの優しさは際立っている。
黒い毛並みのレトリバーは最初恐ろしかったのだが、身体に似合わずおとなしいことが分かってからは、会えば頭を撫ぜることにしている。

 頭を撫ぜると身体を摺り寄せてくるし、遠くから私を見つけると尻尾を振って待っている。
人間の子供よりかわいいと飼い主が思うのも無理がない。

 なぜ、こんなに犬が優しくなったのだろうか。知っている人がいたら教えてほしいものだ。

 

 

 

 

 

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(20.9.7) 5月の白馬岳 NO4

1975年 29才 山口

白馬岳  4月26日~4月28日 単独行(2泊3日)

 この頃は肉体的にも精神的にも絶頂期にあり、ほとんど登山熱に浮かされていたといってよい。
5月の連休前後に休みを取って白馬岳に出かけることにした。
当時はまだ連続して休むことは「金融機関の職員としてはあるまじき行為」と思われており、上司からずいぶん顰蹙(ひんしゅく)をかったものだ。

 早春の白馬岳は残雪が多く、天候が崩れると冬山のようになるので油断できない。当時私は山口にいたのだが、アイゼンとピッケルを買いにわざわざ福岡まで行って装備を整えた。

 白馬岳は予想したとおり雪が深く,山荘はやっとオープンしたばかりだった。大雪渓を眺めてみるといたるところに雪崩の跡がある。
こりゃまずい。雪崩に会いそうだ
大雪渓を避け横の岩稜伝いに冬山ルートの足跡があったのでそれをたどることとした
ここは夏にはブッシュで登ることはできないが,雪のある期間はブッシュが雪にうずもれているので登ることができる。

 しかしこのルートは雪渓のルートに比較すると長く体力勝負のようなところがあり,特に岸壁の取り付きは雪が溶けて、深くくびれているため登るのに大変苦労する
一旦おり、次に足で雪を固めて岩に取り付こうとしたが何回やってもすかすかの雪を踏み固めているような状態になって足元が定まらなかった。

 それでもどうにか岸壁に取り付くことができ、1時間程度かけて30m程度の岸壁を登りきったところで精魂尽き果てた。

 身体がうごかない。仕方なしにしばらくピッケルを雪に突き刺してへたり込んでいたら、前から山の稜線伝いにサンタクローストナカイに引かれてやってくるのには驚いた。鐘の音まで聞こえる。
すごい、こんなところにサンタクロースがいる

 しかしよく見ているとそれはサンタクローストナカイでなく、であることに気づいた。すごいうなり声だ。
まずい、稜線で熊に会っては逃げられない

 私はピッケルを手に抱えて熊と戦おうと構えたが、いくら待っても熊はそれ以上近づかない。
なぜだ、なぜ近づいてこない

 しばらくにらみ合っているうちに何かおかしいことに気づいた。全く相手は動かないのだ。
ようやく疲れが取れて自分の身体が動くようになったので、に近づいてみると、雪の間から顔を出している黒岩だと言うことが分かった。

 人間精魂が尽きると幻覚を見るのだと言うことをこの経験で始めて知った

 白馬岳からは栂池高原スキー場に降りた。
途中でブロック雪崩のあとを見たが、トラックほどの大きさの雪の塊がごろごろしていた。
これじゃ、巻き込まれたらひとたまりもないな

 栂池まで降りると、スキー客が私の真っ黒になった顔をみてびっくりしていた。顔をカバーするすべを知らなかったのでひどい日焼けになり、ヒマラヤから降りてきた登山家のような顔になってしまっていた。

 会社に出勤する頃は顔の皮膚がはがれて実に醜い状態になっていた。上司に言われたものである。
山崎君、そんな顔でお客様に会うつもりですか

写真を掲載いたします。プリント写真が古くなっており発色は良くありません
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/nWrDJD?authkey=9eiI-zwAp0w

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(20.9.6) 最後のスポーツは自転車か

 おそらく私が行なう最後のスポーツ自転車になりそうだ。
思えば中学生の時から運動ばかりしてきたが、坐骨神経痛を抱えた今では自転車以外のスポーツはできそうもない。

 中学生時代は野球、高校生の時は柔道、大学生で水泳をし、社会人になってからは登山家になろうとし、40歳を過ぎてからはマラソンにのめりこんだ。

 いづれも二流の選手でオリンピックはおろか、国体にも出たことはなかったが、運動を止めることもなく最後にたどり着いたのが自転車になったようだ。

 私が坐骨神経を痛めたのは超長距離のRUNをし過ぎたからである。特にトランス蝦夷1100kmのレースに出て、完全に坐骨神経を痛めてしまった。
当初はなぜお尻や足の外側が痛むか分からなかったし、そのままにしておいても直るものと思っていたが、痛みはだんだんとひどくなってきた。身体のケアが必要な段階に来ていたらしい。

 その後も川の道270km夢街道210kmといったレースに出てさらに悪化させてしまった。特に坂道を下る時が問題で、腹筋に力が入らず後に重心がかかりそったような姿勢で坂道を下ったが、それが一番いけなかったらしい。

 今年の5月の川の道のレースを最後に、マラソンのレースも練習も止めた。ところがしばらくすると腹の周りに脂肪がたまりだし、不愉快なことこの上ない。
マラソンをしていた頃はアフリカの難民のような身体だったのに、だんだんと相撲取りの体型に変わって来る。

 思い立って自転車に乗り出した。しかし自転車の負荷はマラソンの3分の1程度なので、毎日1時間のJOGの代わりに自転車の3時間走をするようにしている。

 嬉しいことに自転車は坐骨神経とは関係ないらしく、全くお尻や足が痛まない。身体を前に倒して手で上半身を支えているためと思うが、久しぶりに苦痛が伴わない運動ができるようになってきた。

 ここ1ヶ月は、毎日自転車に乗っている。距離にして50km~60km走ることができ、土気の昭和の森長柄ダムに毎日出かけている。一昨日は白子の浜まで足を伸ばした。

 あの不愉快だった腹の脂肪も落ちてきて、もう少しで従来の体型に戻りそうだ。
しかし自転車というスポーツがあって、本当に幸せだとしみじみ思ってしまう。
62歳になりマラソンができなくなったときは将来が暗闇だったが、今はルンルンだ。鼻歌を歌いながら風をきって走っていると、生きている実感がひしひしとする。

 自転車は1817年にドイツ人、カール・フォン・ドライス男爵によって発明されたそうで、最初は木製で足で地面をけって進んでいたのだという。
ドライスさん、ありがとう
人類の発明で私にとって最も有意義な発明が自転車だとは思いもしなかった。


亀ゴン、喜んでくれ。坐骨神経を痛めてもできる運動をついに見つけた
生、よかったですね。最近まで顔をしかめながらJOGをしてましたが、今はルンルンですものね

そうなのだ。全く痛まない。坐骨神経痛は神経だけの病気で、筋肉には何の支障もないので、神経にさわらなければ身体はいくらでも動く
でも自転車はそれなりに危険で、先生は何回も自転車から転げ落ちてるのですから注意してください

うん、亀ゴンの忠告を肝に銘じながら、距離を伸ばしていくことにするよ。そのうち超長距離の自転車走をしたいと思っているんだ


長柄ダムまでの私の好きなルートの写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20827?authkey=Pw1GqMwn-2k#

 

 

 

 

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(20.9.5) 大相撲の大麻汚染はどこまで拡大するか

 大相撲は果たして生き残ることができるのだろうか。そうした心配をしなければならないほど、ことは切羽詰っている。
日本相撲協会若ノ鵬の逮捕を受け、身の潔白を証明する意味でこの9月2日に抜き打ちの尿検査を行なった。

これで、大相撲が大麻に汚染されていないことが分かるはずだ
当初は再発防止委員会の伊勢ノ海理事は自信満々だった。
検査は日本アンチドーピング機構の専門員で、慶応大学スポーツ医学研究所大西祥平教授の指導の下に行なわれた。
内容は簡易検査である。

 チッコを10cm四方の容器にたらして陽性か陰性かが分かる
結果は露鵬白露山のチッコから陽性反応が出た。再度やり直しをしたがやっぱり陽性だ。露鵬3回やったがいずれも陽性だった。
大西祥平教授再発防止委員会のメンバーは頭を抱えた。あれこれ思案したが結局警視庁に届け出て、再度詳細な検査をしてもらうことになった。

 露鵬白露山は事情徴収のためパトカーに乗せられ、相撲協会は大騒ぎだ。詰め掛けた記者に大西祥平教授が説明をした。
ここ2~3日前まで大麻を使用していないと陽性反応は出ない

 白露山北の湖部屋の力士だ。北の湖理事長は言葉を失いしどろもどろになった。おそらく頭が真っ白だったのだろう。
しかしようやく3日になり、気持ちが落ち着いてきたと見える。

正式な検査の前に、簡易検査の結果を発表した大西教授の対応は力士の権利が侵害されている」と大西教授に噛み付いた。
相撲協会の専属医師なのだから、少しはこっちの立場を考えてくれ」という意味だ。

 おりしも露鵬白露山も「絶対にやってない」と身の潔白を主張したので大西教授が折れた。
抗議は無理もない。露鵬と白露山にプレッシャーをかけたことをお詫びしたい北の湖理事長に謝った。

 当初詳細な分析結果4日に分かることになっていたが、なぜか5日に延長され、さらに8日にならないとわからないと言う。
ドーピング検査に準じた方法をとることで、両力士の権利も担保できるだろう大西教授の談話だ。

 さて、その結果はどうでるだろうか。状況証拠は明らかにだ。
 若ノ鵬、露鵬、白露山は全員がロシア北オセチア出身同郷力士であり(露鵬、白露山は兄弟)、同じレスリングクラブの出身だ。常に一緒にいたといってもよいくらい仲がいい。
北オセチアはロシアの紛争の只中にあり、麻薬類が軍資金確保のためにいとも簡単に栽培されている場所だ。

 若者はタバコ感覚で大麻を吸っており、若ノ鵬北オセチアにいたときから大麻を吸っていたと自供している。

 しかも今回の場合は陽性反応が出た力士は露鵬、白露山だけだ。もし露鵬、白露山以外の力士だったら、私もたまたま陽性反応が出たのだと思うだろう。
だが露鵬、白露山は最も疑われてしかるべき立場にいる力士だ。
誰でも思う「やはりそうか

 ただし簡易検査陽性反応がでただけでは露鵬、白露山が言うように間違いがあることも確かだ。たとえば鎮痛剤等の使用で陽性反応が出ることはある。

 しかしもう一度言おう。簡易検査で引っかかったのは最も疑われている力士で、かつての東ドイツ中国女子水泳選手のような立場の力士だ。

 
 このブログを記載している時には詳細な分析結果は出ていないが、と裁定されれば北の湖理事長の首は勿論、大相撲秋場所の興行も危うくなりそうだ。

 一方であった場合は、可能性として二つ考えられる。本当に白の場合と、大相撲が日本から消えないように温情で白とする場合だ。
明確に白と判定されれば、私も一応それを受け容れなければなるまい。
本心は「今現在は白ということだろう」と思ってもである。

 一方検査結果が灰色に近い白の場合は、はっきり言ってだ。曖昧模糊の解決法は、中国産毒入り餃子事件の解決と同じ手法でいわゆる政治決着というヤツだ。

 はたしてどうなるだろうか。詳細分析結果が待たれるが、私の予想は「分析結果は灰色に近い白になる」だ。それだけが唯一ピンチの相撲協会を救う道だからだ。
しかし当面はそれでしのげても次々に難題が発生してきそうだ。相撲協会が自民党と同様、このままでは存続できないピンチにおちいっていることは確かだからだ。

(20.9.8追加)本日北の海理事長が辞任し、露鵬、白露山は解雇された。6日に詳細な分析結果が出て、いづれも大麻の反応が出たからだ。
私の予想は政治決着がされて、「灰色に近い白」になると思っていたがより厳しい結果になった。
大相撲は露鵬、白露山を解雇することによって、すべての膿を出したかったのだろう

大相撲に関する記事は、このブログのカテゴリー(スポーツ 大相撲)にまとめてあります。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

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(20.9.4) 新学期が始まった

 夏休みが終わり、新学期が始まり四季の道に子供達が戻ってきた。夏休みの宿題なのだろうか鉢植えの朝顔やトマトを両手でしっかり持って登校している。

 夏休みの間は会うことのなかったセーフティーウォッチャーのお母さん方も校門の前や道路の脇に立っている。扇田小学校の校長先生も校門の前で朝の挨拶だ。
いつもご苦労様です」互いに労をねぎらう。

 扇田小学校のAお母さんとも再会した。
子供達はどうですか
あの子はいつも遅れるのだけど、新学期になって遅れなくなったの。自分の子供のように嬉しくて
見るとちっちゃな子供が登校している。

 子供をいつも京成おゆみ野駅まで送っているBお母さんは、日傘と長袖で重武装をしていた。
山崎さんは腕が真っ黒ですが、夏ばてしないのですか
身体が黒い間は大丈夫です
そう言って見たが、本当は清掃活動が終わると1時間程度家で寝てしまう。

 クリーンクラブカモシカ姉さんは腕を痛めてゴミ袋を持つこともできない。
本当は走るのもやなんだけれど、気持ちが落ち込むから」と懸命にJOGをしている。
四季の道の清掃は当面元気な私と小太郎姉さんでカバーだ。

 今年の夏休みも何とか乗り切ることができた。
なにしろ毎年のことだがほぼ毎日のように花火の後片付けに追われたし、腐った海老の後片付けもやった。
公園の落書きもあちこちに増えている。時間を見てそろそろ剥離剤で落とさなければならないだろう。

 でももう秋だ。日ざしがまだ強いとはいえ真夏の太陽とは違う。数日前の大雨のおかげで草花は元気を取り戻し、芝生の間に大きなきのこが生えている。

 今日はデジカメで四季の道の草花やきのこを撮ってみた。私は植物の種類についてはほとんど知識がないため、名前が分かるのは朝顔と、サルスベリ、それと先日おゆみ野walkersのブログに写真が載っていた芙蓉の花だけだ。

 四季の道の草花の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2093?authkey=pQ5RTOB732g#

 

 

 

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(20.9.3) 自民党幕府の幕末

 ついに自民党幕府幕末を迎えた。最後の将軍福田康夫は政権をほうり投げた。臨時国会という鳥羽伏見の闘いの前に徳川慶喜と同様敵前逃亡をした。
安倍政権が崩壊してからちょうど1年目だ。
政権末期になると首相の任期が極端に短くなるのはどこでも同じだ。

 臨時国会はこの12日から開催される予定だったが、08年度補正予算案以外は全く成立の目処が立っていない。

 公明党新テロ対策特別措置法を再可決するための国会日程に難色を示し、明らかに福田政権を見捨てたからだ

福田では選挙に負ける。福田政権を支える理由は何もない。このままではわが党はジリ貧だ公明党は自党の生き残りに必死だ。

 福田政権は参議院を民主党に握られ、いままた公明党に逃げられ、もはやなすすべがなくなってしまった。

新テロ対策特別措置法が延期できなければ、アメリカとの関係が終わっちゃうじゃないか。公明党はなぜそこを分かってくれない

定額減税だと・・・、 財政再建ができなくなりもっと日本が困るのに公明党は選挙目当てでごり押しだ

大田のヤツ、農相にしてやったのに、事務所費でこすいまねをするから、民主党からまたねちねち突っつかれるじゃないか

「もうヤダ首相なんてやってられねー



 自民党幕府の命綱はアメリカとの日米安全保障条約と、成長路線でのばら撒き政治だ。

 新テロ対策法案が通過できなければ、日米安全保障条約は実質的に終焉する。それでもオバマが大統領になればブッシュの戦争が終わるから一縷の望みがあるが、マケインが勝てば万事休すだ。

 一方経済は原油、農産物、鉱物資源等の高騰で戦後最長の経済成長も終わってしまった。
税収は上がらず、ばら撒くものなんてはるか昔からなくなった。それでも赤字国債を発行してしのいできたが、財務省はこれ以上首を立てに振らない。
国家が破綻します

 福田首相のつらい1年は終わった。後は麻生幹事長が首相に指名されると、新聞やテレビでは報じている。しかし麻生政権は選挙管理内閣で実質的な政策の立案は何もできないだろう。

 今選挙を行なえば、たとえ麻生氏でも小沢民主党に大敗する。衆院も参院も民主党に抑えられ、自民党が下野するのは確実だ。

 思えば福田首相悲劇の宰相だ。自ら「貧乏くじを引いてしまいましたかね」と言っていたがそのとおりになった。
小沢民主党からは日銀総裁の人事で最後までごねられ、「誰と話せば信用できるのですか。かわいそうなくらい苦労しているんですよ」とぼやいていたのを思い出す。

 テロ対策特別法租税特別措置法は再可決で強行突破したが、公明党が協力しなければこんどは再可決もままならない。
再可決ができなければ通るのは予算案だけだ。

 万策尽きたとはこのことだ。安倍前首相福田首相と誰がやってもねじれ国会では有効な政策が打てない。

 この後麻生選挙管理内閣のあと、小沢政権が誕生するだろう。しかし小沢氏は壊し屋であっても、政権担当能力はない。西郷隆盛と同じだ。
なにしろ「国連という最も弱小の国際組織に国運を託す」と言うほど政治センスがない。

 日本の政治は完全に幕末だ。どこにたどり着くのかはしばらく様子を見ないと分からない。


本件と関連する記事は以下の通り。
最後の将軍 福田康夫

 

 

 

 

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(20.9.2) 毒物餃子事件を隠蔽しているのは誰だ

 とても不思議なことが起こっている。昨年末から今年の1月にかけて、千葉県と兵庫県の3家族10名が中国産餃子を食べて食中毒を起こした事件の真相を、日本側で隠蔽しようとする動きがある

 信じられないことだ

 日中両国の警察当局がそれぞれメタミドホスの混入は自国ではないと主張して対立していたが、6月中旬、洞爺湖サミットを前に中国は外交ルートを通じて「天洋食品が中国国内で回収した餃子を食べた人が、重大な健康被害におちいった」と通知してきた。

 中国国内で発生したのだから、これは日本でメタミドホスを混入したことはありえない。中国で混入したことの決定的証拠だが、なぜかこの事実が伏せられた。

 この事実が明らかになったのは読売新聞8月6日の朝刊で、「天洋食品が事件後に中国国内で回収した餃子が流通し、この餃子を食べた中国人が有機リン系殺虫剤メタミドホスによる中毒被害を起こして、重大な健康被害が出ていることが分かった」と報道したからである。
この報道は読売新聞のスクープで他紙にはこの記事はなかった

 それからの日本政府のドタバタぶりはひどかった。
福田首相が当日「わが国の捜査当局と情報交換している状況だ。どういう状況か今申しあげるわけには行かない」とコメントしたが、翌日高村外相が「情報提供者が公表しないでほしいといっている以上、公表しない。捜査のことだからということにも一定の合理性がある」とコメントした。

 さて、この高村外相の言葉は本当に真実か。「一定の合理性」とはなんとも奥歯に物が挟まったような言い方だ。
ここからはホームズワトソン君の出番だ。

ホームズ、今回の高村外相の言葉は真実だろうか。それにしても6月中旬に中国から通知があったのに8月6日に読売新聞がスクープするまで国民に知らせなかったのはなぜだろう

この鍵は読売新聞の記事がスクープだったことに隠されている。誰か内部のものがそっと記者に語ったのだ。
このまま隠しておくのはまずいと思った人がいたわけだが、その人が誰かと言うことだ


高村外相周辺の政府関係者じゃないのかい

いや、これは政治家ではない。この種の情報は外交ルート、すなわち外務省経由で通知される。知っていたのは外務省の中国ロビーと言われる人たちだ。だからそれをそっと知らせたのは外務省関係者だ

なぜ、そんなことをするのだろう。高村外相はどうして隠そうとしていたのだろうか

いや、高村外相は読売新聞がスクープするまで、事実を知らなかったと思われる。外務省の中国ロビーが情報を隠匿していた可能性が一番高い。

高村氏は政治家だから、日中間で政治問題化した案件で中国よりの立場をとれば国民がどう反応するか読める。
お前は中国の手先か』と思われることが一番怖い。そうなると選挙で勝てない。

一方外務省の中国ロビーは選挙はないので国民のことは考えない。自分の栄達だけを考える。将来中国大使になりたければ、中国のご機嫌を損ねたくない。中国から『公表しないでくれ』と頼まれれば恩を売りたくなるだろう

福田首相も高村外相も読売新聞のスクープで事実を知ったと言うわけか。それであんなにドタバタしていたんだな。すると高村外相の会見はどう判断すればいいのだろうか

政治家として知らなかったと言えば、それこそ『何をやっていたんだ』と言われてしまう。泣く泣くあのような会見になったはずだ。本心は『中国ロビーのやろう』という気持ちだろう

8月31日の毎日新聞の記事に『中国の捜査当局が従来の方針を転換し、中国国内での毒物混入の可能性を含めた捜査を進めており、これは胡錦濤国家主席の指示だ』と載っていたが、これは事実だろうか

こっちは中国国内の官僚機構の問題で、中国の警察当局は『メタミドホスは中国で混入されたことはない』と大見得を切った手前、捜査を適当にサボタージュしているからだ

そうなると、日本も中国も官僚機構が情報隠匿したりサボタージュしたりしているので、政治家が翻弄されていると言う構図なんだな。なんともひどい状態だね


*本件に対する意見を求めます。

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(20.9.1) 10時間 自転車走

 8月29日から予定していた朝日連峰(山形県)への登山は、結局取りやめになった。29日からの豪雨がまだ続いているのと、メンバーの一人にどうしても登山ができない用事が発生したからだ。

どうしょうか、一人でも行って見るか」当初は悩んだ。
しかしあまりの豪雨なので、ただ雨の中を歩くだけになってしまいそうだ。
かつては行くと決めたら台風でも行ったが、そのときは八ヶ岳の稜線で吹き飛ばされそうになり、ほうほうのていで降りてきたことを思い出した。

やはり、無理をするのはよそう。なにしろ62歳の老人だ」

 だが行かないことにすると、今度は時間が有り余ってしまう。今回の登山は3泊4日を予定していたので、その間のブログは作成してあるし、他の用事も一切入れてない。

 そして何より、登山のために体調を整えてきたので、身体がうずうずする。
よし、それなら代わりに自転車の10時間走をしよう」思い立った。

 私は定年になったら、江戸川の土手を葛西臨海公園から、江戸川利根川の分岐点の関宿までサイクリングしたいと思っていた。
距離にしておよそ55km程度往復110kmである。

 このためにロードレーサーと言う競技用の軽い自転車を購入して、葛西臨海公園で組み立てて乗り回す予定だった。
しかし予定通りには行かないものだ
購入したのは高価なロードレーサーではなく、手ごろな値段のマウンテンバイクだ。重さは14kgあり、当然電車には持ち込めない。

 仕方なく近所の昭和の森長柄湖にサイクリングしていたが、10時間走ならばぜひとも江戸川を走りたい。
仕方ない、ディズニーランドまでマウンティンバイクで行くことにしよう
江戸川ディズニーランド葛西臨海公園の間を流れて東京湾に注いでいる。
鎌取を朝7時に出発して午後5時に帰宅する計画を立てた。
自宅からディズニーランドまでは約40kmで、後は江戸川をどこまで遡れるかだ。5時間たったら引き返すことにした。

 幸い、ディズニーランドまではかつて東京湾一周ランをしたときに道を覚えている。そこから江戸川の堤に入った。
ディズニーランドまでは2時間半かかったが、堤のサイクリングロードは快適だ。
さらに2時間半かかって、私が江戸川の下降ランをしていた東武野田線川間鉄橋までたどり着いた。距離にして45kmだ。
そうか、私の実力では10時間で170km程度しか走れないんだ

 かつて私の自転車好きの友人が、「自転車で1日に走れる距離は200kmが限度だ」と言っていたことを思い出した。

 自転車はランと違って帰りが大変だ。自宅までまた85kmを戻らなければならない。だんだんと注意力が散漫になる。
江戸川の土手の下りで前の自転車を追い抜かそうとして、ベルを鳴らして右側を通り抜けようとしたら、前の自転車が急に右側によった。
私は草むらに飛び込んで思わず急ブレーキをかけたのだが、後の車輪が浮いて身体が前に飛び出した。

 いつもはバランスをとって何とか持ちこたえるのだが、このときは下り坂だったため前に一回転して柔道の受身のような格好で道路上に放り出されてしまった
イテー」右肩と右足と手の平から血が出ている。
自転車もブレーキがはずれ、ハンドルがあっちの方を向いている。

 これで自転車から放り出されたのは3回目だ。これでは映画のスタントマンをしているようなものだ。

 毎回毎回、このように自転車から放り出されているのだが、いつか神様のお迎えが来てしまいそうだ。
家にたどり着いた時はくたくたで、口を利くのもいやになるぐらいくたびれていた。
しかし僥倖もあるものだ。鏡を見ると腹の脂肪はほとんど取れてすっきりしていた。

なるほど、自転車の10時間走もかなりタフだ」納得した。

写真を掲載いたします。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20830?authkey=Q9NVk8kDCyg


 

 


 

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