(20.9.30) 栗拾いは楽しいけれど
最近栗拾いと言う稀有な経験を2回した。私は昔近くの多摩丘陵で山栗を採った経験があるが、栽培された栗拾いは初めてだ。
山栗の採集の仕方は、出来るだけ高い木に登り、木の樹冠を見て栗の木を見つけると言うものだ。
見つけると一目散に栗の木に直行するのだが、登っていた木から降りる時は、木を棒高跳びのポールのようにしならせて地面に降りたものだ。
「ターザンみたいだ」とても懐かしい記憶だ。
今回の栽培された栗林は村田川の対岸の丘の上に広がっており、栗林の所有者が栗の収穫をしなくなったため、その知り合いに無料で栗を採らせてくれている。
私はその知り合いの知り合いなのだが、嬉しいことに声がかかる。
「山崎さん、栗を採りに行こう」
総勢10人余りで栗拾いに出かけた。
ことの経緯はここの所有者が病気になり農作業が出来なくなったことからはじまる。下草刈は奥さんがしているが、とても収穫までは出来ない。
当初は栗の観光農園として解放したが客からクレームがついた。
「金を取って栗拾いさせているのに虫食いの栗が入っている。金を返してほしい」
所有者はこうしたクレームにたまりかねた。
「それなら知り合いにタダで採らせてあげよう。その方がよっぽど気が楽だ」
日本の農業が後継者不足で立ち行かなくなった一つの事例だが、おかげで私は思わぬところで栗拾いが出来た。
栗農園は約1ha程度あり、実に立派な栗が実っている。栗拾いのコツは最近木から落ちた栗のイガを剥いて中の栗を採るのがコツで、落ちてから日数が経つと虫が栗の中に入ってしまい、虫食いの栗になってしまう。
だから栗拾いはタイミングが実に重要なのだ。
参加した10名のほとんどが農業の経験がなく、栗の木を育てる苦労は知らないが、収穫の喜びは十分に味わえる。
袋いっぱいに採ってもまだ栗が落ちているので、なんとしても取りたい気持ちになる。
ここにつれてきてくれた知り合いが「もうそろそろ、帰るべいや」といっても、なかなか止めない。
「いま少し。いま少し」始めると止めることはなかなか難しい。
私も袋一杯の栗を採ってきた。前回はこの栗を自転車で運んだのだが、入れていたビニール袋がちぎれ道路に撒き散らしてしまった。
今回はその時より栗が多い。参加した娘に車で運んでもらうことにした。
栗は縄文時代人の主食だと言われており、青森県の三内丸山遺跡ではその村落の周りが栗林になっている。
縄文時代人のように、これだけあればしばらくの間餓死することはなさそうだ。
栗拾いの写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2092802?authkey=0IB1MyqKIO4#
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