(20.9.6) 最後のスポーツは自転車か
おそらく私が行なう最後のスポーツは自転車になりそうだ。
思えば中学生の時から運動ばかりしてきたが、坐骨神経痛を抱えた今では自転車以外のスポーツはできそうもない。
中学生時代は野球、高校生の時は柔道、大学生で水泳をし、社会人になってからは登山家になろうとし、40歳を過ぎてからはマラソンにのめりこんだ。
いづれも二流の選手でオリンピックはおろか、国体にも出たことはなかったが、運動を止めることもなく最後にたどり着いたのが自転車になったようだ。
私が坐骨神経を痛めたのは超長距離のRUNをし過ぎたからである。特にトランス蝦夷1100kmのレースに出て、完全に坐骨神経を痛めてしまった。
当初はなぜお尻や足の外側が痛むか分からなかったし、そのままにしておいても直るものと思っていたが、痛みはだんだんとひどくなってきた。身体のケアが必要な段階に来ていたらしい。
その後も川の道270kmや夢街道210kmといったレースに出てさらに悪化させてしまった。特に坂道を下る時が問題で、腹筋に力が入らず後に重心がかかりそったような姿勢で坂道を下ったが、それが一番いけなかったらしい。
今年の5月の川の道のレースを最後に、マラソンのレースも練習も止めた。ところがしばらくすると腹の周りに脂肪がたまりだし、不愉快なことこの上ない。
マラソンをしていた頃はアフリカの難民のような身体だったのに、だんだんと相撲取りの体型に変わって来る。
思い立って自転車に乗り出した。しかし自転車の負荷はマラソンの3分の1程度なので、毎日1時間のJOGの代わりに自転車の3時間走をするようにしている。
嬉しいことに自転車は坐骨神経とは関係ないらしく、全くお尻や足が痛まない。身体を前に倒して手で上半身を支えているためと思うが、久しぶりに苦痛が伴わない運動ができるようになってきた。
ここ1ヶ月は、毎日自転車に乗っている。距離にして50km~60km走ることができ、土気の昭和の森や長柄ダムに毎日出かけている。一昨日は白子の浜まで足を伸ばした。
あの不愉快だった腹の脂肪も落ちてきて、もう少しで従来の体型に戻りそうだ。
しかし自転車というスポーツがあって、本当に幸せだとしみじみ思ってしまう。
62歳になりマラソンができなくなったときは将来が暗闇だったが、今はルンルンだ。鼻歌を歌いながら風をきって走っていると、生きている実感がひしひしとする。
自転車は1817年にドイツ人、カール・フォン・ドライス男爵によって発明されたそうで、最初は木製で足で地面をけって進んでいたのだという。
「ドライスさん、ありがとう」
人類の発明で私にとって最も有意義な発明が自転車だとは思いもしなかった。
「亀ゴン、喜んでくれ。坐骨神経を痛めてもできる運動をついに見つけた」
「先生、よかったですね。最近まで顔をしかめながらJOGをしてましたが、今はルンルンですものね」
「そうなのだ。全く痛まない。坐骨神経痛は神経だけの病気で、筋肉には何の支障もないので、神経にさわらなければ身体はいくらでも動く」
「でも自転車はそれなりに危険で、先生は何回も自転車から転げ落ちてるのですから注意してください」
「うん、亀ゴンの忠告を肝に銘じながら、距離を伸ばしていくことにするよ。そのうち超長距離の自転車走をしたいと思っているんだ」
長柄ダムまでの私の好きなルートの写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20827?authkey=Pw1GqMwn-2k#
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コメント
山崎さん、おはようございます。
愛車の名前は、「ベガサス」とありましたが、
車種の名前なんですか?ニックネームですか?
白馬の天馬「ベガサス」を想像して、第二の足になった喜びを感じました。
(山崎)ギリシャ神話の天馬、ベガサスから取って私がつけた名前です。本当に天に登るような気持ちで乗っています。時々振り落とされてしまうのが難点ですが。
投稿: F姉さん | 2008年9月 6日 (土) 08時47分