(20.9.27) 六甲山縦走 加藤文太郎をしのんで NO7
1978年 32才 大阪
六甲山縦走 3月19日 大阪支店の若手メンバー7名と
六甲山の縦走は昔,加藤文太郎(ぶんたろう)がトレーニングでしていたのを,新田次郎が「孤高の人」で書いていた。私はこの頃登山に夢中になっていたので,この本の愛読者であり,一度縦走をしたいと思っていた。
たまたま私が勤務していた大阪支店のメンバーが六甲山縦走を計画したので私も喜んで参加することにした。
「よし、加藤文太郎をしのぶ山旅をしよう」
加藤文太郎については登山好きの人は誰でも知っているといっていいほど著名な人だ。
戦前の登山家だが、単独行というジャンルを切り開き、当時は不可能と言われた厳冬期の北アルプス縦断を成し遂げた。
しかし惜しいことに1936年、30歳と言う若さで厳冬期の槍ヶ岳北鎌尾根で遭難死している。
私は49歳の時、夏の北鎌尾根を登ってみたが、夏場ならともかく冬場は極度にきびしい場所だと言うことがよくわかった。
加藤文太郎の住まいが兵庫県須磨にあったので、加藤は登山のトレーニングとして六甲山縦走を始めたという。
歩くスピードが異常に速かった文太郎は、早朝に須磨を出て六甲全山を縦走し、宝塚に下山した後、その日のうちに、また歩いて須磨まで帰って来たのだそうだ。
その距離は約100kmに及んだ。
「100kmは無理だが、せめて半分の50kmは歩けるだろう」
大阪支店の同僚達と須磨区の高取山から登り始め,高尾山,菊水山、麻耶山,六甲山を経て宝塚に下りた。夜の12時から登り始め,翌日の3時ごろ宝塚に着いた。
加藤文太郎はここから再び須磨まで歩いて帰ったのだが、私はこの50kmの距離を最後の頃は身体がぼろぼろになって、足がまともに動かなかった。
全部で15時間程度かかったが、この頃は夜歩くということが慣れていないために精神的に疲労したのだと思う。
「寝ないで歩くなんて異常ではなかろうか」当時はそう思っていた。
六甲山は稜線伝いに山道が通っているのだが、この頃は山を崩した造成地があちらこちらにできており,街中を通ることを余儀なくされた。
「こんなに造成地が多いのじゃ、六甲山縦走も興ざめだな」夜の街灯を見ながらそう思ったものである。
しかし、この六甲山縦走で加藤文太郎の足跡をたどることが出来たのは嬉しかった。
「加藤文太郎の偉業を継げるのは、私しかあるまい」50kmで疲れ果ててしまったくせに、当時は不遜にもそう思っていたものだ。
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コメント
『加藤文太郎への想い♭孤高の人よ♭』の歌を知っていましたか?。
映画を見に行く途中(上総の道~ユニモ)、ラジオで初めて聴きました。
シンガーソングライターのリピート山中が歌い、歌詞明瞭で感激もの。
ギターで山小屋コンサートもやっているとのこと。北アや八ツの山小屋
で、コンサートに偶然参加できたときもあったが、そのとき聴きたかった。彼は、高石ともやからランニングに誘われ、今やホノルルを
走るランナーでもある。神崎ゆう子とのコラボで家族愛を歌った
『ありがとう』も良かった。高石⇔海宝の話はまたいつか?。
クリニック前で症状を聞き、「同病相憐れむ」で頬弛み、失礼しました。
このあと、うさ吉で「この人に会いたい」のM・Kさんに会いました。
三日後も、M・Kさんとめいちゃんに会いました。めいちゃんとは初めて
雑談をしました。哲学エッセイスト池田晶子を話題にしたこともあり、
ブログ『梅爺閑話』を紹介しました。検索できたかなあ?。特に
「不可知論者」がお薦めですね。
あ、今週の映画は、『私がクマにキレた理由』☆☆☆☆でした。
(山崎)歌は知りません。今度機会があったら聞かせてください。話は違いますが、めいちゃんからGoogleおじさんに「読書会に参加をよびかけてくれないか」と言われてます。
場所、時間は以下の通り。
10/28(火)13:00~(於緑図書館集会室)、テキストは平岩弓枝『ちっちゃなかみさん』(角川文庫)、講師は不肖私。私のブログでも紹介しています。
時間がせまっているので、テキストは読めなくてもかまいません。私のブログを読んでいただけば内容は分かります。
(20.1.2) ちっちゃなかみさん
(20.2.22) 結婚適齢期
投稿: G爺 | 2008年10月22日 (水) 21時17分
加藤文太郎、懐かしい!!。『孤高の人』は山渓の連載で読みました。
フイクションよりは、むしろ、本人著?の『単独行』の方が感動します。
北鎌尾根で同じく遭難、松涛明が書き残した「サイゴマデタタカウモイノチ トモノソバ
ニスツルモイノチ トモニイク」を想うと胸が熱くなります。山行では憧憬の二人でした。
松涛の方は、『風雪のビバーク』→井上靖『氷壁』→映画『氷壁』次々
思い出します。また、新田次郎は晩年、善福寺の池を散歩していました。
子の藤原正彦は、早くから数学の秀才で、今は日本を代表する数学者です。
また文才(両親のDNA? 母 藤原てい『流れる星は生きている』)もあり、
最近では、『国家の品格』が出ていますね。とりとめもなく、御免なさい。
投稿: Gおじさん | 2008年9月27日 (土) 21時07分