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(20.8.31) 初めての南アルプス NO3

(今日から再び登山シリーズを再開します)

1974年 28才 山口

聖岳  9月21日~24日(3泊4日)

 南アルプスには一度行ってみたかったが、麓までたどり着くのに時間がかかるのと、険しいとの評判で躊躇していた。
北アルプスと違って、人はほとんどいないし、道もはっきりしてないよ」そういわれていた。
この年大井川鉄道の終点井川まで行き、そこから第二畑薙(はたなぎ)ダムまでバスに乗った。
畑薙ダムから大井川を遡り,長いつり橋を渡って茶臼岳の登りに取り付いた。午後からの登山になった。

 当時はまだ登山についてのノウハウが十分でなく、もてるものは全て持って行った。
特にいざと言うことを考えて食料をたっぷり持っていったため,ザックの重量が30kを越え,歩くのがひどく苦痛だった。
茶臼岳へのルートは急登で、腰への負担がきつく腰が折れそうだったが、若かったのだろう、何とか登ることができた。

 茶臼岳の途中のウソッコ小屋で一泊し,翌日は茶臼岳の肩小屋(茶臼岳小屋)に泊まったが,そこは無人小屋で登山客が数人いた。無人小屋に泊まったのはこのときが初めてだった。

 荷物を肩小屋において,翌日,上河内岳を経由して,聖岳に向かって稜線を歩き,コルから一気に聖岳に登った。聖岳はガレバの多い3000m級の山で歩きづらかったが,標準時間の半分程度の時間で登りきってしまった。

 このときのことはよく覚えている。心臓はパンクしそうだったが足は良く動いた。ほとんど休まず一気に登っている。

 そこから茶臼岳にひっくり返したが,平均の所要時間が14時間のところ10時間で引き返してきたため、無人小屋で一緒になった登山客が私の健脚に驚いていた。

 上河内岳肩小屋の間に幅50m、長さ200mぐらいの草原があり、なんとものどかな雰囲気の場所でとても気に入った。たまたまツェルトを持っていたので、それに包まってミイラのような格好で寝てみた。
人一人いない草原で寝られたらどんなに幸せだろう

 そのままそこで夜を過ごそうと思ったが下はかなり湿り気があり、だんだんと冷たくなったので寝ることはあきらめた。


 以来南アルプスにはよく登るようになったが、北アルプスと異なり広くたおやかな山並みであることを知った。

写真を掲載します。かなり色落ちしてしまっていたので編集処理を施しました
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/hIVESB?authkey=7GVowuH6yKQ

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(20.8.30) 逆説の日本史 15

 今日(29日)は登山をする予定だったが、ひどい雨になってしまった。東海から東北にかけて大雨洪水警報が出されていて、いたるところで河川が氾濫している。

 こういうときに登山すると登山道が川になっており、身体中が水泳をしたのと同じ状態になってしまう。しばらく前までは台風が来ても登山をしていたが、さすがに62歳になるとそこまでは元気がない。
それに私は定年退職者で時間は自由なのだから、とりあえず天候が治まるのを待つことにした。

 しかしそうなると時間があまって仕方がない。なにしろ登山をするためにこの日は登山以外何も予定を入れていないので、本でも読んで時間つぶしをするほかに手はない。

 幸いに井沢元彦氏の「逆説の日本史」15巻(官僚政治と吉宗の謎)が手元にあるのでそれを読むことにした。
私は「逆説の日本史」の愛読者だが、この本によって始めて日本の歴史を知ったといっていいほどの衝撃的な本だ。

 なにしろそれまでの日本の歴史書はひどかった。始めて日本史を勉強したのは高校生の時だったが、教師は左翼教師で共産党のシンパだった。
今から45年も前になるが、当時は左翼でなければ道徳的に欠陥があり堕落した教師と見られており、この日本史の教師は生徒の間で抜群の人気があった。

 その授業は高校では珍しいゼミ形式で、生徒が授業を主体的に行なうのだが、私はこの日本史が全く理解できずしばしばうたた寝をした。
するとこの教師はすかさず私を立たせて「今話されている問題点をいいなさい」なんて寝ていた人には金輪際わからない設問をして、不肖の生徒を絞り上げたものだ。
おかげで誰もうたた寝ができなくなってしまった。

 この方法は左翼教師特有の「血祭り方式」と言うもので、その後大学においても著名な左翼教授が同じ手法を用いていた。

 当時この高校で用いられていた教科書はやはり左翼系の教師が書いた教科書で「この教科書は実によくできた教科書です」とこの日本史の教師は言っていたが、私には何が良くできているのかさっぱり分からなかった。

 今思えば分からないのが当たり前で、唯物史観という史観を正当化するために事実を歪曲して教えていたのだから、唯物史観の信者にならない限りさっぱり理解できない代物だ。

 この経験から私は日本史は実にくだらない学問で、二度と学ぶに値しないと長い間思っていたのである。
だから井沢元彦氏の「逆説の日本史」を始めて読んだ時は衝撃的だった。
日本史とはこれほど魅力的な学問なのか」感激した。

井沢元彦氏は言っている。
日本の歴史書には3大欠陥があり、一つは資料絶対主義であり、もう一つは宗教的知識の欠如、最後が権威主義だ
当初はその意味がわからなかったが、読み進むうちにその意味を理解できた。

 今回の「官僚政治と吉宗の謎」も良くできた歴史書だ。私は江戸時代は白土三平が描くカムイ伝の世界で、農民一揆ばかりが起こる実に凄惨な時代だと思っていたが、なぜ農民一揆が起こるのかの理由を始めて知った。

 江戸時代が米本位制の時代で、武士の給与が米で与えられていたことは知っていたが、実態経済が貨幣経済になっていたため、米が増産されると価格が下がってしまい、農民と武士が困窮してしまう基本構造があったと言うのである。

 このため吉宗米増産政策は結果的に農村を疲弊させ、かつては天領ではほとんど発生しなかった農民一揆が頻発するようになったという。。
米本位制の考え方からは「米増産は農民と武士を豊かにするはず」だが、実際は貨幣経済なので豊作貧乏になってしまうという訳だ。
そして飢饉のときを除いて米は基本的に余っていたというのも驚きだ。
現在の農政と同じじゃないか

 その後の松平定信水野忠邦の改革も米の増産政策だった為、ますます農民と武士の首を絞めることになったのだという。
よかれと改革をすればするほど農民一揆が増えるのか納得した。


 山に登る予定が延期されて思わぬ知識を得ることができたのは幸いだ。

 

 

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(20.8.29) 宴の後の中国経済

 北京オリンピックが終わった。さて宴の後の中国経はどうなるのだろうか。
中国はこのオリンピックのために競技場関連の建設に約4兆円運営費約2兆円合計約6兆円の費用をかけた。これがいわば直接経費でこの額は他のオリンピックとさほど変わらない。

 違うのは道路や地下鉄建設等の間接経費で、約40兆円の巨費を投じている。アテネでは約12兆円シドニーでは約10兆円の規模だったからインフラ整備に従来のオリンピック開催国に比較し3倍~4倍の巨費をかけたことになる。

 このような巨費を投ずる理由として、オリンピックの経済効果が云々され、相応の経済効果があると説明される。
しかしこれは全くのでっちあげで、オリンピックを招致したいための国内向けアナウンスメントに過ぎない。
少なくとも直接経費については経済効果は全くない。

 これは少し考えてみれば分かるので、世界各地から1万人以上のアスリートを集めて開催したオリンピック競技場が、その後まともに使用されると考えるほうがおかしい。
競技が終わればどこの競技場も閑古鳥が鳴いてしまい、今度は競技場の維持管理に四苦八苦する。
維持管理費は意外とかかるもので投入した費用の2~3割程度の金額が毎年必要になる。

 そうした事例はいたるところにあり、ワールドカップ開催後のサッカー場や、長野オリンピック開催後のエムウェーブの維持に地方自治体は悲鳴をあげている。

 だからオリンピックそのものは壮大なお祭りであり、楽しければ良しとしなければならない無駄使いだと思えばよい。
祭りに金のことを言うのは野暮よ」江戸っ子の台詞だ。

 祭りが終わればしばらく茶漬けだけで暮らさなければならないのは、個人も国家も同じだ。
あの時は楽しかった」それだけのことなのだ。

 問題は6兆円の直接経費は全くの無駄金として、約40兆円にのぼる間接経費が中国経済の役にたつかだ。
日本では東京オリンピックにあわせて作った首都高速道路新幹線がその後の日本経済を支えたのは確かだ。

 中国もオリンピックに合わせて、空港・高速道路・地下鉄・新幹線等を整備した。中国が当時の日本と同じであれば経済効果抜群だが、明らかに経済環境は逆風だ。
アメリカ経済の減速は確実で、輸出に頼ってきた中国経済も成長率が落ちてきている。
中国政府は輸出の減少分を国内消費の拡大で補うつもりだが、お金があるのは政府と一部富裕層だけで、多くの中国人は貧乏人だ。

 だから90年代の日本と同じで、政府は公共投資を拡大して需要の創出を図ろうとしているが、四川大地震の復興特需も上海万博も一時的なカンフル剤以上の効果はないだろう。
不動産価格は、これも日本と同じで下がり続けるのは確実だ。

 インフレは激しく賃金は高騰して、もはや労働集約的な繊維や雑貨は中国から撤退している。
就職場所は狭められ、失業者は増大している。
何より香港や上海の株価指数がピーク時の半分以下になってしまった。

 先を見ることに鋭敏な投資家は中国経済はピークアウトしたと見て資金を引き上げている。
中国の時代は終わった」投資家のセンスだ。

 だからオリンピックのために無理して作ったインフラもその効果を十分挙げることは難しそうだ。
中国経済はオリンピックで浮かれていたが、宴が終わればこれから長い停滞局面に入るのはいたし方がない。

(22.4.18追加)この分析は完全に間違ってしまった。中国政府の行った財政・金融政策はかつての日本の高度成長時代のようによく効いて、世界経済の中で一人勝ちの様相を呈している。
現在不動産価格はバブルと言ってよく、また株式も持ち直した。

現在の中国経済の分析で最も大事なことは、この状態が日本のバブル崩壊と同じようになるのか、それともまだ成長局面なのでバブルを吸収してさらに躍進するのかの判断にかかっている。
現状ではまだしばらくは成長が続きそうだと見るほうが妥当な判断のようだ。

 

 

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(20.8.28) ワンジルから学んだもの

 今回の北京オリンピック男子マラソンの結果を見て、もはや日本男子のメダル獲得は将来にわたって絶望であることが分かった。
なにしろ先頭を走った5名はいづれもアフリカの選手で、それも30度の猛暑の中を、まるで冬のレースのように高速で走ってしまったのだから驚きだ。

 一時は2時間5分台のペースだったが、最終的には2:06:32だった。しかしこれは夏のレースとしては信じられないようなタイムだ。
しかもこの記録を達成したのがケニアワンジル選手だが、ワンジル仙台育英高校を出て、この7月まではトヨタ自動車九州の部員だった選手だ。

 日本でマラソンの指導を受けたワンジルが優勝し、一方日本選手の緒方剛が13位であったことが、何より日本選手の将来を暗示している。
同じように日本で、日本のコーチから指導を受けても、一方は金メダルを獲得し、一方は10位以内にも入れない。

 日本選手が努力していないのではない。ほとんど死に物狂いの努力をしている。福岡国際で2:06:51で優勝した時の藤田敦史の言葉がそれを象徴している。
神様は確かに存在する。そして神様は奇跡を起こしてくれる。しかし神様は死ぬほど努力をしたものにしか力を貸してくれない

 それなのにこれほど努力しているのに結果が違うのは、後は素質の問題だ
すでにマラソンの世界記録は2:04:26になっており、日本記録を持っている高岡寿成2:06:16とは2分近い差がついてしまった。
距離にして約700mであり、カメラでとらえても見ることができない距離だ。

 日本選手が世界のベスト10から消えて久しいが、現在のベスト10はケニヤが6人、エチオピア1人、モロッコ1人10人中8人アフリカ勢だ。
はっきりしていることは、今後アフリカの選手以外でメダルを取れる選手はほとんど出ないということだ。

 男子マラソンについて言えば、日本は完全に2流国になったといえる。指導方法ワンジルの例を見ても分かるように一流だが、世界で戦えるほどの素質がある日本選手がいない。

 どうしたものだろうか。これに対する方法は二つしかない

 一つは現実を認め、男子日本選手がオリンピックでメダルを取れるなどという幻想は一切抱かず、10位以内になったら大いに賞賛してやることである。
ベスト10に日本選手は一人もいないのだから、10位以内に入ったらそれこそ大健闘だ。

 もう一つの方法はワンジルのような才能豊かな選手に日本人になってもらうことだ。ワンジルは日本語は流暢に話すし、第一高校生の頃から日本に在住している。
サッカーでもラモス、ロペス、三都主、闘莉王と日本国籍を取得し活躍している選手はいくらでもいる。
外国ではこうした国籍を変えて活躍する選手の方が多いくらいだ。

 日本陸連も大和民族の純血主義をあきらめ、才能ある外国選手に日本人になってもらう対策を取ったほうがいいのではなかろうか。

 過去においてもワキウリワイナイナと日本に在住しオリンピックで活躍したケニアの選手は多いのだから、頭を下げて日本人になってもらうのが一番だと思うのだが。

 

 

 

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(20.8.27) 北京オリンピックの金メダル

 北京オリンピックが終わった。日本の金メダル9個であり、大方の評価は「ほぼ実力通り」である。

 私はオリンピックが始まる前に金メダルの予想(20.8.2) 北京オリンピックの金メダルはいくつだろうかリンクあり)」を行なったが、そこで「勝敗は時の運のようなところがあり、上にも下にも振れる可能性があるから、バッファーを見て金メダル数はプラスマイナス程度と言うのが私の予想だと記載した。

 結果は予想の範囲内であり、しかも良いほうに振れたのだから喜ばしいことだ。
具体的な予想と実際の差異は以下の通りで、大体は当たっているが私の予想以上に健闘した選手もいる。

・ 柔道 予想 3 実際 4  +1
・ 水泳 予想 1 実際 2  +1
・ 陸上 予想 1 実際 0  △1
・ レス  予想 2 実際 2  -
・  体操 予想 0 実際 0  -
・ 野球 予想 0 実際 0  -
・ ソフ  予想 0 実際 1  +1


 今回のオリンピックで私の予想以上の健闘を見せてくれたのは、柔道の石井慧選手、水泳の北島康介選手、それと女子ソフトボールチームだ。
一方がっかりさせたのは野口みずき選手だ。

 石井慧選手はオリンピックのポイント柔道に完全に適応しており、危なげなく無差別級で優勝してくれた。

 北島康介選手の頑張りには心底びっくりした。オリンピックにあわせて調整してくる手腕はほとんど世界最高峰と言える。
100mでは準決勝まで2位で通過していたが、決勝では世界新記録を出して優勝してしまった。なんともすごい選手だ。
本人も優勝インタビュウでは「なんともいえネー」と声を詰まらせていたが気持ちがよく分かる。

 女子ソフトボールにはびっくりした。上野由岐子投手が3連投して勝利をもぎ取ったが、いつも負けているアメリカに勝ったのだからたいしたものだ。ひとえに上野選手のがんばりといえる。

 一方言葉が出ないほど愕然とさせられたのは野口みずき選手の欠場だ。マラソンでは男子でも大崎選手が欠場しており、明らかに調整の仕方に問題がある。
私は野口選手の場合はコーチの責任が大きいと思っているが、いずれにしても金メダルを逃してしまったのは惜しい。

 野球は星野監督が情におぼれて選手起用で間違ったと言われているが、韓国が優勝しついに日本野球は韓国野球に抜かされてしまった。短期決戦の仕方に研究の余地がありそうだ。

 女子レスリングは順当に吉田沙保里選手伊調馨選手が金メダルを取ってくれた。特に吉田選手は全く危なげがなく図抜けて力強かったのが印象的だ。

 体操男子団体が銀メダルなのは致し方ない。中国で行なうオリンピックでは中国にホームチームのアドバンテージがあるのはサッカーと同じだ。

 私は定年退職者で、時間は十分あったので今回のオリンピック放送は十分楽しませてもらった。日本選手も概して健闘したといってよいが、個別には色々問題があり、今後このブログで問題点を記載させてもらおう。

 

 

 

 

 

 

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(20.8.26) 貧窮問答歌

 万葉の歌人、山上憶良(やまのうえのおくら)の「貧窮問答歌」に次のような一節がある。

直土(ひたつち)に 藁(わら)解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂え吟(さまよ)ひ 竃(かまど)には 火気(ほけ)ふき立てず 甑(こしき)には 蜘蛛の巣懸(か)きて 飯炊(かし)く 事も忘れて・・・・・


地べたにじかに藁を解き敷いて、父母は枕の方に、妻子は足の方に、自分を囲むようにして、悲しんだりうめいたりしており、かまどには火の気もなく、甑には蜘蛛の巣がはって、飯を炊くことも忘れたふうで・・・


 この「貧窮問答歌」を読んで「当時の人は大変だったんだな」なんて同情していたら人ごとでなくなってきた。
最近の物価上昇ははなはだしく、今まで105円で買っていたアイスクリームが126円になり、大好きなぶどうパンも200円前後になってしまった。
もう、アイスクリームもぶどうパンも食べられない

 こうなると我が家は年金生活だから、物価の上昇に対応するすべは緊縮財政以外に手はない。

 仕方なしにジャスコの時間割引お客様感謝デーの割引を狙って購買をしていたが、それでも追いつかずついに餓死線上に突入した。
米びつは空っぽになり、妻は空腹のために動くこともできないでいる。

 たまたまテレビを見ていると下北半島のニホンザルが厳しい冬をこすために木の皮を食べている場面があった。
猿でも木の皮で飢えがしのげるなら、人間でもしのげるだろう

 猿をまねて我が家のサクランボの木の皮をなめして食べていたら、これを見た知り合いの有徳の女性が山形のサクランボを持ってきてくれた。
お坊様が毎日元気に清掃活動をされているので、よもやこのような状況になっているとは知りませんでした。ぜひぜひ、サクランボの木の皮でなく、木の実を食べていただきとうございます

 この有徳の女性のサクランボおかげで妻は元気を取り戻し、危機を脱出することができた。

 しかし私は相変わらず木の皮をなめして生きながらえていたのだが、今度は小太郎姉さんがこれを見かねた。
ロドリゴ様、神の僕(しもべ)とはいえ余りにおかわいそうなお姿。
幸い我が家にはスイカとマクワウリが誰食べることなく、置いてあります。どうか遠慮なくこれを食べてください
」持参してくれた。
以来スイカマクワウリでここ数日生き続けることができている。

 もっともスイカマクワウリだけでは身体が保てないらしく、あばら骨がハープの琴線のように出てきてしまった。
先日この琴線を使用して、バッハの名曲「飢餓線上のアリア」を奏でていたら、そのメロディーが余りに悲しかったのだろうか、Y姉さんが蕎麦とうどんを持ってきてくれた。
ロドリゴ様、ロドリゴ様が琴になってしまうのは余りに悲しゅうございます。蕎麦とうどんで炭水化物を補給してくださいまし

 ありがたくいただいたが、しかし我が家には餓死寸前の妻がいるので、この蕎麦とうどんは妻に食べさせた。
私は小谷小学校のつつじの芽をつまんで食べていたら、そばに住んでいるFおばあちゃんが見かねて塩せんべいを持ってきてくれた。
山崎しゃん、いくらなんでもつつじより塩せんべいのほうを食べなさいよ

 こうして、おゆみ野に住む優しい心の人々のおかげで、我が家はつらく厳しい夏を乗り切ることができた。

 

 

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(20.8.25) ちはら台の夏祭り

 ちはら台第7回夏祭り23日(土)に行なわれた。このあたりの夏祭りとしては規模が大きく、児童の吹奏楽団の演奏や盆踊りや花火大会まであって、なにかちはら台の住民が全員参加しているような盛大な祭りだった。

 また各自治会や私が所属しているちはら台走友会等が多くのブーツを出していたが、いわゆるテキヤと呼ばれるプロ集団は排除されていたので、非常に健康的な感じのする祭りだ。

 私がこの夏祭りに参加したのは初めてだが、ちはら台走友会は毎年参加していて、走友会の資金源確保の一環になっている。

 走友会が用意した商品は、ホットケーキ、フランクフルトソーセージ、冷やし汁粉、生ビール、梅酒と亀であり、亀は走友会のKさんが近くの村田川で取ってきたものだ。
川にいる亀は取れないが、田んぼのあぜに上がってきた亀を取るんだ」ノウハウを公開してくれた。

 ブーツの販売開始は午後3時からで、それまでに準備をしなければならない。私はフランクフルトの担当で、鉄板で始めて焼いてみたが、焦げすぎてなにかお好み焼きの肉が焦げたような状態になってしまった。
こうした販売できない商品は走友会のメンバーに食べてもらったが、不良品を作ってもみんな喜んで食べてくれるのがこの種のイベントのいいところだ。

 価格設定はかなり難しいらしく、高すぎても安すぎてもいけない。
フランクフルトの値段は150円だったが、隣のブーツでもフランクフルトを売っており、こちらは100円で販売していたので競争が激しい。
当方のフランクフルトのほうがやや大きかったので、すぐさま商品名を「ジャンボフランクフルト」にして差別化を図った。

こっちはジャンボだよ、ジャンボで150円は一番安いよ。ジャンボだよKさんは実に商売が上手だ。
またホットケーキを焼いていたTさんは実に愉快な女性で、自分の作ったホットケーキを売るために選挙運動のアナウンス嬢みたいになっていた。
お願い、これ作ったばかりよ。ねえ、あなた食べて」叫んでいた。

 冷やし汁粉は今回女性メンバーが苦心して作ったメニューだ。当初は天むすがいいのではないだろうかと言うことになっていたが、夏の暑い時期に天むすは食中毒の危険があるので諦め、冷やし汁粉に変えたものだ。

 幸いに懸命な呼び込みが効をそうしてホットケーキフランクフルト冷やし汁粉も完売して、出店は大成功に終わった。
私も「ジャンボフランクフルトだよ。おいしいよ。お客さん食べて」なんて声をからして叫んだので喉の調子が悪くなってしまった。
たまたま私が叫んでいるところに、おゆみ野の森のメンバーAさん家族にあった。
あ、おじちゃんだ」なんて言われてびっくりしたが、おゆみ野からも見物人が来ていたわけだ。

 販売は大成功だったが、走友会会長のYさんによると薄利多売のため利益金は3万円程度だと言う。20名近くのメンバーが6時間程度かけて販売した利益としては、あまり大きいものではない。
しかし、地域の夏祭りに参加することに意義があるのだから、お金のことをとやかく言うのは野暮というものだろう。

 花火大会8時からだったが、私は寝る時間になったので家に帰った。この花火大会おゆみ野からも見えたそうで、「綺麗だったわよ」と小太郎姉さんが言っていた。

ちはら台の夏祭りの写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20823?authkey=IUlma7yppSE

 

 

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(20.8.24) 大相撲は生き残ることができるのだろうか

 最近の大相撲の不祥事を見ていると、大相撲は生き残るとができるのだろうかと思ってしまう。
朝青龍が仮病をつかってモンゴルでサッカーをしていたため2場所出場停止になり、時津風部屋の若い力士が暴行を受けて死傷し、朝青龍白鵬が土俵上でガンヅケをし、今度は若ノ鵬が大麻を吸って相撲協会から解雇された。

 大相撲は日本の国技と言われて久しく太古から連綿と続いてきて、今後も未来永劫に続くと思われているがそれは誤解だ。
大相撲が本当に国技になったのはここ100年ぐらいの間であり、それまではかなり怪しげな技芸だった。

 江戸時代から江戸と大阪等で相撲は行なわれていたが、力士はほとんど給与はもらえず、一部の人気力士以外は男を売っていたほどである。いわゆる河原者の世界だと思えばいい。

 そのため明治の初期東京府は「裸体禁止令」を出して東京相撲を禁止しようとしたほどだ。
これを救ったのは明治天皇1884年展覧相撲を開催して社会的に相撲を公認した。

 さらに大相撲が本当の意味で国技となったのは1925年に当時摂政宮だった昭和天皇摂政宮賜杯後に天皇杯)賜った時からで、相撲をこよなく愛された昭和天皇がいなかったら、相撲が国技になることはなかっただろう。

 だから大相撲は伝統の上に胡坐(あぐら)をかいていられるほど、過去から連綿と続いてきたわけではない
少しでも油断すると大相撲の人気ががた落ちになるのは当然で、NHKの相撲放送を見る人は年々少なくなり、地方場所では升席ががらがらに空いてしまった。

 私が所属しているクリーンクラブのメンバーのカモシカ姉さんは、正式名がある大相撲の部屋の名前と同じで、今までは「○○部屋と同じ名前です」というとすぐ記憶してもらえたが「最近の若い人は誰も知らない」と困っていた。
私も昔は幕内力士の顔と名前は全て知っていたが、今では上位力士と人気力士の顔と名前しか知らない。

 はっきり行って大相撲は他のサッカーや野球等のプロスポーツからは取り残されており、第一力士の給与は非常に少なく、横綱でも4千万を少し上回るぐらいだ。

 この低い給与を補うのが懸賞金タニマチの制度で、これでは京都の芸子とほとんど同じだ。
こんな古臭い給与体系を我慢できるのは外国の貧しい子弟だけだだろう。

 しかも北の湖理事長相撲協会は大相撲が抱えている問題に対し適切な対応ができていない。

 私は相撲放送が午後6時で終わることが最大のネックだと思っているが、この時間帯を変更する気はないらしい。
これではサラリーマンが相撲を見ることは基本的にはできず、一部の有閑階級しか相撲を楽しめない。
かつてはそれでも企業が升席を買占め、接待として使用していたがそうした接待の風習もなくなった。

 また相撲そのものがプロレスみたいになってきたのを北の湖理事長は止めることもできない。
朝青龍白鵬が土俵でガンヅケをしたのを北の湖理事長白鵬だけをしかり横綱審議委員から処分の見直しをさせられたが、今回の若ノ鵬の大麻問題で、間垣親方の処分を不問に付して、また片手落ちの処分をしている。

 若ノ鵬間垣部屋で大麻を吸っていたのにかかわらず、部屋の親方の責任がないと言うのだ。世間ではこうした場合管理責任を問われる。
高校野球や大学のクラブで選手が大麻を吸えば監督が必ず辞任する。
北の湖理事長は大相撲を見る世間の目が厳しくなっており、仲間内だけの処分で済ませられないことを理解していないらしい。

 北の湖理事長の対応はかつての国鉄長銀の幹部と同じ対処療法であり責任逃れの対応に終始している。
これでは相撲が国技の位置から滑り落ちるのは時間の問題で、「かつて日本に大相撲と言うスポーツがあった」と歴史の教科書に書かれてしまいそうだ。


本件と関連するブログは以下の通り
大相撲はなぜ問題が起こるのか
悪いのは白鵬か

 

 

 

 

 



 

 

 

  

 

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(20.8.23) ライダーになった

 すっかりライダーになってしまった。坐骨神経痛が痛むためJOGを控えているが、代わりに自転車を乗り回すようになった。
当初はママチャリでどこへでも行っていたのだが、ママチャリとユニクロのスポーツウェアのアンバランスを平成市原接骨院の院長先生から指摘されてしまったので、思い切ってマウンテンバイクを購入した。

 さすがにマウンテンバイクは格好がよく、スポーツウェアとばっちり会う。サドルも思いっきり高くしたので、まるでオリンピック選手みたいだ。
先日四季の道を走っていたら、いつも四季の道で会うお母さんとお子さんに会った。
まあ、山崎さんはライダーだったんですか」言われてしまった。

 格好はばっちり決まったのだが、思いもよらぬ問題が出ている。足が地面に着かない為、とまる時が大変なのだ。側溝のような少し高いところに足を着けるか、降りるかしないといけない。

 またハンドルがママチャリと比較して短いためママチャリなら何てこともなく曲がれるところが曲がれない。
先日土気の昭和の森に行って、昭和の森のサイクリングコースを走っていたら、急カーブを曲がりきれずまっすぐにブッシュの中に突っ込んでしまった。

 思わずハンドルを放し飛び降りたのだが、自転車はまっすぐに進み、私は加速度が付いていたのでブッシュの中を走らなければならなかった。
一般道路でこんなことをしたら、神様のお向かいが来てしまう」反省した。

 毎日午後は自転車の時間として2時間から3時間乗っているのだが、自転車の行動範囲の広さにびっくりしている。
歩きに比較し走ると、2~3倍行動範囲が広がるのだが、自転車に乗ると走りに比較してさらに2~3倍行動範囲ひろがる。
千葉もなかなか広いじゃないか」感心している。

 おかげで土気の昭和の森と長柄町の長柄湖が私のサイクリングコースになった。
道は最も安全で自動車の少ない道を通ることにしており、四季の道かずさの道村田川の堤農道が主として私のサイクリングロードだ。
一般道を走るのはできるだけさけることにしている。

 長柄湖には方向と道路標識だけを頼りに行っているので、地図で調べてもどこを通ったのだか今でも分からない。

 農道が見つかるととりあえず走ってみることにしたので、市原市から長柄町にかけての農道をそのうち全部知ってしまいそうだ。

先生は格好いいと思っているようですが、走り初めと止まる時はよろよろしてますよ。今日も出かける時に前のアパートのつつじにぶつかっていたではないですか

見られたか。実は足が地に着かないのと、ペダルが重いので最初と最後が難しいのだ

四季の道で子供が横切ったため、急ブレーキを踏んで自分は飛び降りたでしょう
はは、それも知っていたのか。つんのめって前に飛び出してしまったのだ

注意しないと地獄に落ちますよ
うん、亀ゴンの忠告を心しておくよ

 

 

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(20.8.22) あなたはうちの子で幸せでしたか?

 最近四季の道の清掃活動をしていると、老犬によく会う。私は本来が犬好きなので犬に必ず声をかけるようにしている。
足腰が立たなくなった老犬を介護している飼い主がいるが、わが子のような気持ちで老犬をいとおしんでいることがよく分かる。

 トラちゃんは足腰が弱って散歩もおぼつかず、毛並みがぼさぼさになった老犬だが、よく飼い主の奥さんが引っ張るようにして散歩させていた。
ちょっと可愛そうだけれど、動けなくなったら大変だから
休みの日はご主人が散歩させていたが、今年に入ってから散歩であわなくなった。

 先日そばら公園の東屋で休んでいた時、ご主人が近寄ってきて「いつも声をかけていただいていたトラがこの2月に永眠しました。ありがとうございました」と言われたので、トラちゃんが他界したことを知った。
家族の一員がなくなったように悲しんでいる様子がよく分かった。

 Yさんのところの白い大型犬も前足に全く力が入らなくなっている。ご主人のYさんが毎日チッコをさせるために上半身を抱いて四季の道につれ出している。チッコが終わるとすぐに家に戻るのだが、それも抱きかかえなければ戻れない。
最初、このワンチャンに会ったころは元気に散歩していたので、とても信じられない気持ちだ。

 一般に犬の寿命は15年程度だから、人間の寿命の5分の1程度だ。従って犬を飼えば必ず犬の死期に遭遇することになる。

 犬を飼っている小太郎姉さんよると「犬の知能はかなり高く、人間であれば3歳児に相当する」のだそうだ。
3歳児と言えば人間だったら最も愛らしい時期であり、親が子供を生んで幸せだとこころから思っている時期だ。
だから犬が死ぬと言うことは自分の幼児を失うような気持ちになるのは自然だと思う。

 私がいつも見ている市民ネットの福谷議員のブログ(福谷章子の日記)に、福谷さんが飼われていたチャッピーという老犬が永眠した記事が乗っていた。

 最初は後ろ足がふらふらして寝たきり状態になったのだという。病院に連れて行くと「心臓が弱っている」という。
心臓が弱ると体の隅々に酸素や血液が送られなくなり、循環が悪くなり、動けなくなる」症状だそうだ。

 ブログでは強い薬を与えて生きながらえさせるか、それともそうした負荷を与えずに天寿を全うさせるかの苦悩が記されており、人間の最後を見取る時と全く同じだ。

 最後は息をするたびに腹が膨らみ、舌も1センチほど口から出してあえいでいたそうだ。
福谷さんは書いている。

14年と7ヶ月、我が家の様子をじっと見守り、必ずいつも、最も元気の無い子に寄り添っていました。

私の大雑把な子育てを手伝ってくれたといっても過言ではありません。いとおしさや寂しさはもちろんありますが、それよりも感謝の気持ちでいっぱいです。小さな体で、最後まで無償の愛をふりまいて、逝きました。

私たちは、この子と暮らして本当に幸せでしたが、チャッピー、あなたはうちの子で幸せでしたか?」

 最後の問いかけに思わず涙が出てしまった。

 

 

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(20.8.21) 大相撲はなぜ問題が起こるのか

 このところの大相撲は問題だらけだ。
今度はロシア出身で間垣部屋所属の幕内力士若ノ鵬が大麻を所持していたとして逮捕された。
事件の発覚は若ノ鵬が落とした財布を拾った人が警察に届けたのだが、中を確認したらパスポートと大麻を巻いたタバコが出てきたのだと言う。

 日本では財布を落としてもほとんどの場合警察に届けられるので、思わぬ日本の美習が若ノ鵬の逮捕につながった。

 若ノ鵬の出身地はロシア北オセチア共和国出身だ。北オセチアは日本人にとってほとんどなじみのない場所だが、実は紛争の中心地でもある。
独立意欲の強いチェチェンイングーシと領土問題でもめており、2004年9月には北オセチアの地方都市でチェチェン独立派が学校占拠事件を起こし、先生や生徒350人以上が死亡する大惨事となったあの場所である。

 そしてここでは大麻やアヘンと言った麻薬類がいとも簡単に手に入り、はっきり言えば軍資金確保のために大々的に栽培されている。
日本と違い、大麻やアヘンはタバコ程度の感覚で吸引されている場所だと思えばいい。

 だから「こうした場所から腕力は強いが、社会的規範からはずれた少年が日本に来て、十分なお金が手に入るようになればどのような行動を起こすか」は相撲協会として把握しておかなければならない事項だ。

 ちばてつや氏が描く「のたり松太郎」のような少年が来ているのだと思えばだいたい当たる。

 実際最近の大相撲の問題で外国人力士がからむ問題が多い。
横綱朝青龍がトラブルメーカーなのは有名だが、これは必ずしも朝青龍のわがままと言うより、「トップに罰則は適用されない」というモンゴルの習慣から来ている面もある。
人治主義の国では地位の高い人は法にしばられない。

 一方、白鵬安馬が人気があるのは、白鵬や安馬がモンゴルの習慣より日本の習慣を受け容れているからだ。

 考えてみれば大相撲はもはや日本人の国技ではない横綱はモンゴル出身だし、上位力士の半分が外国人力士だ。
古代ローマでも剣闘士はローマ人ではなく周辺の野蛮人であり、それをローマ市民が見て楽しんだ。

 日本は古代ローマと同じ豊かな国であり、日本人が相撲界に入ることはこれからますます少なくなってくるのは確実だ。
おそらく日本人で角界に入るのは親方の子供か、大学相撲の横綱(幕下付けだしという優遇措置があるぐらいだろう。

あんな古い習慣が残っていて、苦しい稽古をするなんてやだよ。第一ちょんまげなんて江戸時代の遺物さ

 日本でも角界に入る子供はやんちゃ坊主がほとんどだったが、外国人力士の場合はそれに加えて外国の習慣も入ってくる。
麻薬の吸引もその一つだ。

 親方相撲協会も大変なのだ。大相撲を存続させるためには力士がいる。しかし日本人は力士にならない
やむなく外国のやんちゃ坊主を入門させれば、その国の悪い風習が入ってくる。

 相撲協会はモンゴルやロシアやグルジアの風習を学ばなければならないが、親方が世界史世界の風俗について学んだなんて話は聞いたことがない。

 北の湖理事長若ノ鵬の大麻の吸引について一社会人、一力士としてはあってはならないこと」とコメントをのべているが、大相撲は何でもありの世界になってしまった。

 最も古きよき日本の伝統を守ってきた大相撲が世界の風習に翻弄されている姿は、現在日本の最大の皮肉だ。

 

 

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(20.8.20) 日本柔道敗れたり

 日本柔道北京オリンピック敗北してしまった。金4、銀1、銅2の成績は他の競技種目に比べればはるかにましだが、前回のアテネの金8、銀2に比較して物足らないし、男女共催にになった92年のバルセロナ大会以来の最低のメダル数になってしまった。

 それでも女子はそこそこの成績だったが、男子は惨敗と言っていいほどの内容で、内柴正人石井慧がいなかったら、斉藤仁監督は日本に帰ることもできなかったろう。

 特にエースの鈴木桂治が1回戦敗退した時は思わず目を覆ってしまったほどのひどい敗北だった.。しかしこれが日本柔道の現実だと認識することが必要だ。
一方モンゴル相撲のようなもろ手刈り鈴木に勝ったモンゴルのツブシンバヤルはついに金メダルを取ってしまった。

なぜもろ手刈りしかできないツブシンバヤルが、アテネの覇者で足技世界一と言われた鈴木桂治に勝てたのか
その冷静な分析が日本柔道の復活のためには必要だろう。

 すでに昨年のリオデジャネイロの世界選手権で日本柔道は金3つと惨敗していたが、北京オリンピックでもそれを引きずっている。

 かつては日本男子選手が1回戦で次々に負ける姿は見たことがなかったので、日本柔道の黄昏をいやおうなく認識させられた。
60㌔級の平岡、73㌔級の金丸、81㌔級の小野、100㌔級の鈴木がすべて1回戦で敗退(90㌔級は2回戦で敗退)したのだから、日本柔道は世界の頂点なんてものではなく、普通の国と言ってよい。
せめて一回戦ぐらい勝ってくれ」思わず唸ってしまった。

 

 現在の柔道の主流がポイント柔道と言われて久しいが、ポイントを確保するためには積極的に攻めることと、相撲で言う押し出しのような力が必要だ。
今回金メダルを取った66キロ級内柴無差別級石井は実に積極的に攻めていたが、他の選手は受身にまわっていた。

 またスタミナも力もはるかにひ弱で、特に鈴木ツブシンバヤルに相撲のような突進で押し込まれ、押し出されないようにこらえたところをもろ手刈りで一本とられている。

 もろ手刈りはレスリングの両足タックルと同じで、日本の柔道界では「奇手」として嫌われており、「ちゃんと組んで、正々堂々と1本取れ」そう指導されてしまう。

 しかし時代が変わったのだ。

 女子の場合はまだ力づくの柔道と言うところまではいっていないため、谷本上野のような美しい一本柔道が見られたが、男子は力づく柔道の世界に入っており、特に体重の重いクラスは相撲やレスリングとなんら変わらない。

 まず畳から押し出されたら「指導」を取られてしまうので、押し出されない力が必要だし、組んだらすぐにワザをかけないと消極的だと見られて、これも「指導」を取られてしまう。

 男子は明確に力とスタミナの世界に入っており、ワザはその次の重要性でしかなくなってしまった
日本柔道が目指していた一本柔道ポイント柔道の前に敗れたわけだ。

 無差別級で優勝した石井は明らかに、このポイント柔道に適応していたが、他の重量級選手はかつての一本柔道しかできず、鈴木小野が力負けし、敗れていくのを見ているのはつらかった。

 次のロンドン大会で日本柔道が復活するためには、力とスタミナのポイント柔道に変革しなければ勝てないが、これは日本柔道の伝統に真っ向から反している。

日本には日本独自の美しい一本柔道がふさわしい。一本のない柔道なんて柔道でない」そう指導者が言いそうだ。
しかし、それでは世界に勝てない
勝つために日本柔道が変わるのか、それとも変わらずに衰退していくのか、しばらく推移を見守ることとしよう。


本件のブログと関連する記事は以下の通り
北京オリンピックの金メダルはいくつだろうか
日本柔道危うし

 

 

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(20.8.19) ボリショイサーカスを見に行った

 先日(15日)、ボリショイサーカスを幕張メッセに見に行った。数ヶ月前にかみさんが生協に4枚前売り券を頼んでいたものだ。
かみさんと私、それに息子夫婦の4人で出かけた。息子の嫁さんはオーストラリアのタスマニア島出身で「ボリショイサーカスは見たことがないのだろう」とかみさんが気を利かせて招待したものだ。

ボリショイてどういう意味だろう」とかみさんが聞く。誰も知らないのであて推量で答える。
どこかの地名じゃないか」息子がいう。結局後で調べることになったが「ボリショイ」とはロシア語で「大きい」という意味だと知った。
ボリショイサーカス」とは「大サーカス」という意味だ。

 かつて社会主義圏ではサーカスを国家事業で育成していた。「ボリショイサーカス」とは外国で公演する時に使用する名前で、正式名をソビエト連邦サーカス公団と言っていたが、現在はロシア連邦サーカス公団と改称している。

 私は社会主義というものを評価していないが、全てがダメだと言うことはなく、このサーカスの人材育成システムはとても優れたものだと思う。
日本ではサーカスの団員は一種のアウトローのような目で見られるが、旧社会主義国ではアーティストとして非常に高い地位を認められサーカス学校で組織的に育成されていた。
せめてサーカスとパンだけは人民に提供しよう」という政府の方針が思わぬ成果を生んだと言うわけだ。

 このサーカス公団には約8000名のアーティストとスタッフ、6600頭の動物、および100箇所の常設・仮設劇場を持っており、世界最大であり、世界各地で公演している。
だから、今回日本で公演しているボリショイサーカスはその中のあるグループが来日していることになる。総勢は何名か分からなかったが、どう見ても200名以下のようだった。

 今回の出し物はサーカスの花の空中ブランコシーソーアクロバットトラのサーカス、熊のサーカス等であった。
空中ブランコシーソーアクロバットは非常にレベルが高く、かつ危険な業であり、時にアーティストが失敗してネットに落ちた時などは、かみさんが「あー」と悲鳴をあげていた。

 実は私もボリショイサーカスを見るのは始めての経験だった。かつて35歳の頃、後楽園でボリショイサーカスをやっていたので子供達を連れて行ったことがある。
当日券は販売されていたのだが、半日程度待たねばならなかったので諦めて後楽園遊園地で遊んで帰ることにしたので、その時は見損なってしまった。

 その話を娘にしたところ「お父さんは後楽園遊園地で落下傘と言う遊戯や、コーヒーポットと言う遊戯に乗って気持ち悪くなり、帰りの電車ではいた」と思い出を語ってくれた。

とってもお父さんがかわいそうだったので良く覚えている」と娘が言ったが、実際当時は真珠腫性中耳炎が悪化して体調が最悪だった。
ボリショイサーカスに行こうとしたのも、「何時死ぬか分からないのでその前に子供達にボリショイサーカスを見せてやらう」としたのだと言うことを思い出した。

 幸いに62歳まで生きることができ、あの時見損なったボリショイサーカスを生きて見ることができたのだから、神様に感謝しなければならないだろう。


ボリショイサーカスの写真を掲載します。場内では撮影禁止だったため多くの写真は有りません。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20815?authkey=lvnztYFrpqA

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(20.8.18) 第17回「おゆみ野の森」の活動記録

 今日(17日)、おゆみ野の森17回目の活動が実施された。夏とは思われないほど薄寒い一日だったが、40名程度のお父さん,お母さん、それに子供達が集まってくれた。

 今回のメインテーマそば畑を作ってそこにそばの種を植えるのと、ご褒美はカキ氷スイカワリだ。

 一週間前に公園からの入口近くの一角の草を、草刈隊を組織して抜いておいたので、今日はそこを耕作してそばを植えられる畑を作った。
蕎麦の種はあらかじめ新都市ライフのほうで用意してくれていたが、私は蕎麦の種を見たのは初めてだった。なにかひまわりの種に似ている。

 蕎麦の種は約2L用意され、うまくいくと4倍になり、8月に撒いた種は11月頃には収穫できるらしい。
さっそく蕎麦うちの話になったが、実際はその前に収穫し脱穀しなければならない。
インストラクターの齋藤さんが「そんなに簡単に蕎麦が食べられるわけではありませんよ」と釘をさしていた。蕎麦の殻は固く、見た目でも脱穀はかなり難しそうだ。

 私はここおゆみ野の森にこの4月以降通うようになり、その間キャンプ実験隊に参加したり、草刈隊に参加したので、ここに通ってくる常連のメンバーとはすっかり顔なじみになった。

 くわがたの採集に情熱を傾けているAさん家族や、おゆみ野クリーンクラブのメンバーで、乳母車を引きながらゴミを集めているBさん家族、四季の道に面して住んでいて、朝私の笑い声で目を覚ましてしまうCさん家族達とは月に数回顔をあわせている仲だ。

 特にCさんは私のブログの読者でとても気さくなお母さんだ。
山崎さん、帽子とって見て」と私をからかう(意味の分からない人は20.8.15 62歳の誕生日を読んでください)。

 ここにはNPOみどりのネットワーク千葉から多くのインストラクターが来てくれているのだが、森の工作の達人達で、モウソウ竹から、カキ氷を食べる器とスプーンを作ってしまった。

 ここに来て一番びっくりしたのは食器やスプーンや箸をすべてから作ってしまうことで、竹さえあれば食事の道具に困らないと言うことを教えてもらった。

 そういえば時代劇竹でできた水筒から水を飲むシーンを思い出した。
もしかしたら日本の竹文化は相当深いのではなかろうか
一度調べてブログに書いてみたいものだ。

 私はここおゆみ野の森になじんでおり、常連メンバーから「草刈隊長」なんて呼ばれている。
ここはほっておくとすぐさま人間の背丈を越える雑草で鬱蒼としてしまう場所だ。
名に恥じないように来月もまた草刈隊を組織して草刈を行なうことになったので、男性の参加がほしいところだ。

今回のおゆみ野の森の活動記録の写真を掲載いたします
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2061702?authkey=hV76OCpkutQ


 

 

 

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(20.8.17) 私は貝になりたい

 「私は貝になりたい」は1958年にテレビ放映された、橋本忍脚本フランキー堺主演のテレビドラマの名作である。

 清水豊松という理髪店を営む気が弱いが優しい平凡な人間が、上官の命令で捕虜になったアメリカ兵を殺害しようとし、その罪でBC級戦犯として絞首刑になった物語である。

 戦後間もなかった当時、日本人は軍隊と言うものが絶対服従の世界であることを知っていたので、この清水豊松が絞首刑になった理不尽さに心から同情し涙を流した。

私は貝になりたい」と言う言葉は清水豊松が絞首台に向かう前に書いた遺書の一節である。

せめて生まれ代わることが出来るのなら……
いゝえ、お父さんは生れ代わっても、もう人間になんかなりたくありません。
どうしても生まれ代わらなければならないのなら……いっそ深い海の底の貝にでも……
そうだ、貝がいゝ
貝だったら、深い海の底の岩にへばりついているから、何の心配もありません。
兵隊にとられることもない。戦争もない。
どうしても生まれ代わらなければならないのなら、
私は貝になりたい……」


 実は私はこの夏休みの時期になるといつも「私も貝になりたい」と思うのだ。
別に戦争に行ったわけでもなく、またBC級戦犯として絞首刑になるわけでもないが、気持ちがそうなるのだ。

 原因は四季の道に隣接する公園の花火の後片付けに忙殺されるからだ。四季の道には多くの公園があるが、なかでも秋の道公園、そばら公園、春の道公園、のりくら公園にはほぼ毎日のように花火の残骸が残されている。

 大きなゴミ袋にまとめられている場合も有るが、一方まったく散らかし放題に散らかされている場合も多い。
花火は楽しい。しかし後片付けはいやだ。どっかのおっさんや、おばさんにやらせよう」そう思っているようだ。

 特に春の道公園は最悪で、クリーンクラブのカモシカ姉さん小太郎姉さんとほぼ毎日のように片付けているが、翌朝はまた大量の花火の残骸だ。

散らかし放題でよく平気でいられるわね。子供頃からのしつけがなっていないのかしら小太郎姉さんが怒っていた。
私は毎年のことなので諦めているが、気持ちがだんだんと落ち込んでいくのはいたし方ない。
なにしろ夏の暑い時期に大量の花火の屑を持って歩くのはそれだけでも至難の業なのだ。
こういうときは右足の坐骨神経痛がひどく痛む。

せめて生まれ代わることが出来るのなら……
いゝえ、私は、もう人間になんかなりたくありません。
どうしても生まれ代わらなければならないのなら……花火の残骸のないいっそ深い海の底の貝にでも……

貝だったら、深い海の底の岩にへばりついているから、公園の清掃をしないですみます。
真夏の道を大黒様の袋のような、膨れ上がった花火の残骸を持たなくてもすみます。
どうしても生まれ代わらなければならないのなら、
私は貝になりたい……」



花火をした後の写真の一部を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20816?authkey=AlLV9aevzcM

 

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(20.8.16) 野口みずき選手の欠場はコーチの責任だ

 愕然としてしまった。野口みずき選手が女子マラソンに欠場すると言う。
左大腿部の裏側にあるハムストリングと言われる筋肉の肉離れによるものだそうだ。
何てことだ。金メダル確実と言われた野口が欠場か」歯軋りしてしまった。

 野口選手は私が最も好きな選手の一人だ。150cm40kgの小柄の身体でストライドを身長と同じ150cmにして走る姿は、アフリカの草原を疾走するカモシカのようだった。

 しかしこのストライド走法は今回肉離れを起こしたハムストリングを酷使する。
走った距離は裏切らない」と信じて毎日40kmの距離を走っていたと言う。月間では1200kmで、男子のマラソン選手でもここまでは追い込まない。

 いわゆる金属疲労と同じで、ハムストリングを酷使しすぎて肉離れが起こってしまった。
野口選手の談話があるが、なんとも物悲しい。

・・・大腿後部に痛みを感じ、その後練習を中断することになりました。・・・1週間経ても痛みが和らがず、8月4日に帰国して今日まで検査と治療を続けてまいりました。

・・・(しかし)未だ走り出すと時間的経過と共に痛みを感知し、次の段階のトレーニングに入ることが出来ません。
・・・今も走りたい、走ろうという思いは消えることはありません。
しかし現状を認識すれば、出場を断念せざるをえません。・・・


 こうした事態について、野口選手を指導してきた広瀬永和コーチがコメントを述べている。
オーバーワークはないし、練習はそんなにきつくない。原因が何なのかははっきり分からない

 この言葉を聞いて、これがコーチの言う言葉だろうかと耳を疑った。そして私は野口選手に心から同情した。
コーチが悪すぎる

 コーチにとって重要な仕事が二つある。一つは言うまでもなく選手の走る能力を最大限に引き出せるように導くことだが、もう一つの大事な仕事は「目標とする大会で最大のパフォーマンスが発揮するように、コンディション作りをする」ことだ。

 そのためにはレース直前では練習をすることではなく、練習をしないことが重要になる
選手はそれまでの練習の結果信じられないような走力が身についておりさらに練習を強化したがるが、絶対にコーチはそれを許してはいけない

 大会前にピークが来てしまい、大会当日は疲労で失速してしまうからだ。
過去の事例では瀬古利彦がこの失敗をしている。瀬古はロスアンゼルス、ソウルといずれも優勝候補だったが、直前までの過剰な練習の結果本番ではいづれも惨敗している。

 瀬古はそれでもオリンピックに出場できたが、野口の場合は肉離れで出場すら出来なくなってしまった。
おそらく広瀬コーチ野口の希望のままに練習メニューを組んでいたに違いない。
野口の身体の異変に全く気がつかないとは、コーチとしての能力を疑う。

 すでに野口2006年ベルリンマラソンを左足首の故障で断念した経緯があるではないか。30歳を向かえ、カモシカのような走りには相応の負担があることは誰が見ても明らかだ。

 私が広瀬コーチが無能だと思うのは、一方で北島康介選手の事例があるからだ。
北島選手もアテネオリンピックの後失速し、05年の世界選手権の代表にさえもれている。
この不調の時期を支え、北京オリンピックに標準をあわせて最高の能力を発揮できるように導いたのは、北島を14歳の時から教えてきた平井伯昌コーチの手腕である。

 コーチとは平井伯昌氏のような人を言う。

肉離れの原因が何か分からない」のではない。広瀬コーチの無能さが原因なのは明らかだ。悲しくて涙が出てしまいそうだ。


「今日の先生の評論は広瀬コーチに少し厳しすぎやしませんか。ほかのメディアのどれを見ても広瀬コーチの責任だなんて書いていませんよ

それだから問題なのだ。このままでは野口選手がかってに練習をしてかってに怪我をしたことになる。
しかし、怪我をしないように指導するのがコーチの役割なのだ。
広瀬コーチはそのことを認識していない

確かに『原因が何か分からない』はコーチの言う言葉ではないですね。サッカーだったらすぐさま監督解任でしょう

責任逃れで『原因が何か分からない』と言ったのなら、とんでもない人間だし、本当に分からないのであればコーチとして無能と言うことだ。いづれにしても今回のことについてはコーチの責任は逃れることは出来ない

 

 

 

 

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(20.8.15) 62歳の誕生日

 今日(14日)は私の62歳の誕生日だ。62年間も生きてきたことに感無量だ。
というのは自分としては40歳までしか生きられないのではなかろうかと、かつて思っていたからだ。

 35歳前後から常時に耳鳴りと目まいに悩まされていた。真珠腫性中耳炎(悪化すると死に至る)だったのだが、私は死期が近づいていると思い、子供たちが小さかったので「せめて40歳まで寿命を延ばしてほしい」と真剣に思ったものである。

 幸いに順天堂大学病院で手術を行なって真珠腫を摘出したため、その後生きながらえることが出来たが、右の耳の聴力はひどく落ちてしまった。
だが、聴力の低下は命との引き換えだから文句の言える筋合いではない。

 その後の寿命目標50歳にすることにした。40歳で死ぬつもりだったから50歳まで生きれれば神様に文句を言わないことにしたのである。その余禄の人生がすでに12年も続いている。心からありがたいことだと思っている。

 しかし年齢を重ねるに従って、予期せぬことが起こるものだ。
一番驚いているのは、実年齢と肉体年齢のギャップがひどくなってくることだ。高校や大学の同窓会に出てみると、若者と老人の集まりみたいだが実際は同年齢の学友であることに驚いてしまう。
肉体年齢はその人の生き方と強い相関関係が有るらしい。

 幸いに私は真珠腫性中耳炎を患った後は、病気と無縁(坐骨神経痛は病気と言うより、長生きしたための証みたいなものだ)になった。

 毎日筋肉トレーニングを欠かさなかったのと、マラソンを中心とするスポーツを中心に生活をしていたので、ストレスがたまらず病気になりようがなかったからだ。
おかげで筋肉は40歳代みたいだが、こんどは個人レベルの実年齢と肉体年齢のギャップに悩まされている。
頭頂部がすっかりはげてしまったからだ。

なんてことだ。一人の人間の中に若さと老人が同居している

 頭髪は筋トレが効かないのと、育毛剤が宣伝ほど効果がないので対応のしようがない。

 仕方なく肉体と頭髪のひどいギャップをカバーするためにいつも帽子をかぶっている。
先日四季の道でよく会う女性から「まあ、山崎さんはどう見ても40歳代だと思っていました」と言われたが、帽子を取らなければという前提条件があるのがつらい。

 おかげでますます帽子が取れなくなってしまった。弟からは「ローマ法王みたいだ」なんていわれるし、息子からは「親父が帽子に投資した金額を合わせればかつらが買えたのではないか」なんて冷やかされている。
うさ吉というお茶漬け屋さんのご主人からは「食事をする時に帽子を取らない不思議な人」と思われてしまった。

 さらに先日Googleおじさんからダメ押しをされた。
Googleおじさんは、新都市ライフのホームページを見て私のハゲの写真を見つけたのだ。
新都市ライフから補助金を受けていた団体の責任者の集合写真があって、その中に帽子を取った私の写真があった。
山崎さん、すっかり禿げてましたよ」実に嬉しそうだった。

 40歳で死ぬつもりが62歳まで生きてしまったために、生き恥をさらしているようなものだ。

主よ、ロドリゴはまだ美しかった時に、主に召されたほうがよかったのでしょうか

 

 

 

 

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(20.8.14) 最後は自転車か

 坐骨神経痛になってからできるスポーツの範囲がだんだんと狭められてきた。
大好きなマラソンもお尻が痛くて走る気が起こらない。無理して走れば最初の10分ぐらいは死の苦しみだ。身体が温かくなるにしたがって徐々に痛さが引いてくるのだが、それまでは顔がゆがんでしまう。

 従来は走れなかった時は水泳をしていたのだが、鼻炎になってからは水泳もままならない。夜、鼻が詰まって寝苦しいことこの上ないので水泳も諦めた。

 結局現在出来るスポーツは自転車と登山だけになった。自転車は坐骨神経と関係がないらしく全く臀部やふくろはぎが痛むことはない
登山は最初痛みがあるがすぐに痛さになれてしまうのでこれも問題がない。

 楽しげにママチャリに乗って、秋の道公園で坂上がり走を2時間程度しているのだが、先日帝京市原接骨院の院長先生から言われてしまった。院長先生はトライアスロンの選手である。
山崎さん、山崎さんが自転車に乗っているのによく会うのですが、なんというか、服装と自転車が相当アンバランスですね

 私は自転車に乗る時はユニクロのマラソン用タイツをはいてばっちり決めているのだが、それとママチャリが違和感をもたらすらしい。
山崎さんのようなスポーツマンはやはりそれなりの自転車が要るのではないですか
院長先生は30万円もする、ロードレーサーを持っている。

 悩んでいたら、今日(13日)マラソン仲間のSさんが四季の道を競技用自転車でやってくるところにであった。Sさんも腰痛に悩まされていて最近はもっぱら自転車だ。
互いに自転車にしか乗れないことを確認しあったのだが、Sさんが耳寄りの話を教えてくた。

山崎さん、蘇我に自転車の専門店がこの7月にオープンしたんですよ。いまキャンペーンをしてますから行ってみたらどうですか
後でわざわざキャンペーンのチラシまで届けてくれた。

 さて、どうしようか。いまチラシを見ながら悩んでいる。自転車は車体が軽くなるほど価格が高い。
私の自転車好きの友人が「自転車は軽さを金で買っているようなものだ」と言っていた。この友人は60万のロードレーサーを購入している。
オリンピックの選手が使用している自転車はぎりぎりまで軽くするため200万程度はするのだと言う。

 一方私はママチャリでも平気な人間なんだから、重たさなど全く気にならないが、値段はばっちり気になる。

ならば金のなさを重さでカバーしよう
チラシによると当店おすすめモデル31800円で売っていた。重さは12.4kgママチャリよりは軽そうだ。

 これでも見た目はロードレーサーで素人目には値段は分からない。マラソンがとても出来そうもないので、しばらくはこの自転車を購入して乗り回すことにした。

(20.8.15追加) 自転車の専門店に行ったところ、キャンペーンは終わっておりロードレーサーの価格は定価になっていた。仕方なくロードレーサーは諦め、マウンテンバイクを購入して乗っている。

 

 

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(20.8.13) おゆみ野は高級住宅地か

 四季の道でよく会うGoogleおじさんから面白い話を聞いた。「千葉の高級住宅地はどこか」とGoogleで検索したら「新浦安、おゆみ野、常盤平」と言う人がいたと言うのだ。

おゆみ野を高級住宅地と思う人が現れたのですか」意外な感じがした。
私が持っている感度とだいぶ違うからだ。

 実は私が一度は住んでみたかった場所は、海浜幕張の海と公園に面したマンション群で、「あの最上階の部屋から海と公園を眺めながら、筋肉トレーニングが出来たら」とよく思ったものだ。

 また、私が高級住宅地と言われて頭に浮かぶのは、土気のチバリーヒルズで、バブルのことは1軒あたりの価格が約10億円と言われていた場所だ。

まだ、おゆみ野を高級住宅地というのは無理なのではないですか
二人で確認しあったが、本心としては「そうなってほしい」と思う気持ちはある。

 一般的に高級住宅地といわれるためには、家そのものの品格や敷地の広さが頭に浮かぶ。「敷地が500坪以上」と言うようなものだが、そうした基準は一昔前のものだ。
現在はそれ以上に周りの環境と住む人の意識が大事だ。

 素晴らしい遊歩道公園が整備され、ガーデニングで庭を美しく飾る人が多く、さらにそこに住む住民がその環境を愛して守ろうとしていることが、第一の条件になる。

 さらに安全性も重要で、障害事件や、窃盗事件が発生しない街で、かつ住んでいる人々が互いに信頼していることも重要だ。

 また道路や公園にゴミを散かしたり、公共物を壊したりしないモラルの高さも必要だ。

 そうした物と心のバランスが取れた街を高級住宅地という。

 残念ながらここおゆみ野は心の面でまだ十分とは思われない事例が多いが、先日経験した「海老事件」には閉口した。

 クリーンクラブ小太郎姉さんと清掃活動をしていた時のことだが、春の道のベンチの後に大量の海老がすてられているのを見つけた。
それは数日前からそこにあったのだが、なんとなく胡散臭かった(盗んできてそれを捨てたような感じがしたし、最初はそれが海老だと言うことも知らなかった)ので近づかないようにしていたものだ。

 ひどい異臭がしており、小太郎姉さんが当惑している。
山崎さんどうしましょう

 よく見ると何十匹もの海老がビニールに詰め込まれており、腐って死臭が漂っている。思わず鼻を覆った。
仕方なしにゴミ袋に入れたが、悪臭で気持ちが悪くなるほどだ。

 その日はゴミの日でなかったので、物置にしまっておいたところ、翌日には大量のうじが湧き出して、異臭はさらにひどくなっていた。
ゴミ袋を3重にしてようやく異臭が外に出なくなったが、臭いと蛆で頭がくらくらしたほどだ。

こんなひどい状態でも、誰も清掃しないのかしら小太郎姉さんの述懐である。


亀ゴン、腐った海老には散々だ。ひどい異臭を放っていたんだけれど誰も清掃しないんだ。仕方ないので私が清掃したが蛆まで湧き出して気持ちが悪くなった

先生以外に誰も手を出さないのは問題ですね。そもそも海老をこのような状態で放置した人が悪いのですが、環境がひどく汚染されていても対応する人がいないのは住民のモラルの問題でしょう

道を歩いていても分かるほどひどい異臭だったよ。近所の人は平気だったのだろうか

そうですね。もう少し自分の周りの環境を自分で守ろうとする人が現れてくれば、この街もいい街になるんですけどね。すべて先生たよりではこの街の発展はないですね

 

 

 

 

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(20.8.12) 原油価格はピークアウトしたけれど

 複雑な気持ちだ。6月30日のブログで「原油価格の高騰はピークアウトしそうだ(リンクが張ってあります)と言う記事を書き、予想はばっちり当った。
当時1バーレル147ドルまで高騰した先物価格が、現在は120ドルを下回っており、さらに低下しそうになっている。

 しかし低下の原因は私が予想したプロセスとは全く違う。6月30日のブログで「世の中は悲観論一色だが、こと原油価格の高騰はドル表示ではますます高騰するものの、日本や西欧の実質価格ではピークアウトしそうだ。
今後はドル安が傾向的に進むと思われるからだ
」と記載したのである。

 実態はドル安は進まず、アメリカを中心とする世界経済の後退により石油に対する需要が冷え切ってきたため、必然的に原油価格が低下した。
アメリカも日本も中国もインドも、経済が失速し石油をこれ以上使用する理由がないじゃないか」誰もがそう思ったわけだ。
石油に向かっていた投機資金がドルに回帰しはじめた。

うぅーん、経済予測は実に難しい」反省した。
私がドル安を予測したのは、本音を言えば「そうなってほしい」と思っていたからだ。別に為替の投機を行なっているからではない。
日本経済がアメリカ経済から自立した経済になってほしいと思っているからだ。

 そのためには0.5%と超低金利の政策金利をアメリカと協調せずに利上げする必要がある。また1兆ドルを上回っている外貨準備からアメリカ国債を減らしてユーロ建て債権を増やさなければならない
アメリカが最も嫌がることが、日本の利益になる

 しかし「そうなってほしい」ということと「そうなる」ことはまったく別だ。
日本政府はアメリカに遠慮して、信じられないことに政策金利を下げることまで検討し始めた。
おかげで市場から円はそっぽを向かれて円安局面に入ってしまった。
3月末に97円まで円高になったのに、今は110円の円安だ。
せっかく原油価格が下がっても円安では何にもならない。これではガソリン価格も低下しないだろう。

日本は何時までアメリカの経済的植民地として甘んずるのだろうか
歯軋りする思いだが、政府も日銀もアメリカの嫌がることは金輪際する気はないらしい。
日本国民が物価騰貴に悩んでも、アメリカから見捨てられるよりはましだ」政府と日銀の本音だ。
福田政権はサブプライム問題で黄昏を迎えたアメリカ経済と運命を共にする気らしい。


亀ゴン、原油価格のピークアウトは当てたが、その原因は全く的が外れてしまった。円高局面にならず、かえって円安が進んでいる

先生の経済評論も今一ということですね。しかし先生、がっくりすることはないですよ。大切なことは『ともかく一度結論をだしてみる』ことです。
不完全でも自分なりの答えを出しておけば、後で自分の考えをチェックできる』と京都大学大学院教授の中西輝政氏も言っています

そうだね。今回の仮説の失敗は、『そうなってほしいこと』と『そうあること』を混同したためだ。次回からはもっと冷静に判断するよ

先生は素人評論家ですが、そうした努力を積み上げていけば、きっと予測の精度が上がると思います。不肖亀ゴンも先生に協力します

ははは、ありがとう

 

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(20.8.11) おゆみ野の森の草刈隊

 おゆみ野の森草刈3回目になった。草の成長は信じられないくらい早く、2ヶ月前に刈った広場にはすでに50cm程度の草が生い茂ってしまった。
うぅーん、これでは草刈が追いつかん」唸ってしまった。

 今回は土曜日(10日)に草刈日を設定したために、多くのお父さん方も参加してくれた。全体で20名弱の参加だから、新都市ライフのOさん「予想よりずいぶん多いですね」と驚いていた。
草刈の後にバーベキューパーティーを予定したのが、参加が増えた原因かもしれない。

 10時から2時間程度草刈をして、バーベキューパーティーが終わったのが3時だった。
草刈機は全体で4台用意したが、1台はまともにスタートがきれないため実稼動は3台だ。
草刈機のスタートは意外と難しく、なれないと当惑してしまう。

 おゆみ野の森の入口近くの背丈が2mを越えた草の草刈と、公園側の入口近くの空き地をそば畑にするための草抜きが今日の作業だ。
蕎麦を植えたいのですが、草の根が張っていると蕎麦が育たないのです
Oさんの指示で草刈隊以外の人は、草を手で根から掘り起こしていた。

 私はここおゆみ野の森に定期的に通いだしてからお父さんやお母さん、それに子供たちとも顔なじみになった。
いつも会うAさんの家族が今回も来ていたが、Aさんはくわがたが集まる樹木をおゆみ野の森で見つけた。
前には、この樹にはほとんど誰も来てなかったんだけど、最近は人が多く来るようになったみたいだ。下の草に踏み後がずいぶん出来ていますよ
子供達と暗くなってからまた、来ると話していた。

 またAさんは今回始めて草刈機を使用して草刈をした。
一度、この草刈機を使ってみたいと思っていたんですよ」とても楽しげだ。

 草刈も実は技術がいる。特に背の高い草が生い茂っていたり、つたが絡まっていた場合は、一度上を払ってから下を刈らないと、草刈機に草が絡まってしまって動きが取れなくなる。
動かすのも40年ほど前の自動車をスタートさせるようなものだ。

 ここおゆみ野の森の草刈を始めてから分かったのだが、雑草の生長は実に早い。1ヶ月で30cm位は成長しているのではなかろうか。
全体で2万㎡以上あると、草刈も片手間と言う訳には行かない。

真ん中の広場は業者に頼みましょう。私達はそれ以外の注意しながら刈る場所に限定しましょう
Oさんの提案に、草刈が趣味の私もさすがに賛同せざるを得ない状況だ。

 来月もまた草刈を行なう予定だ。今度は弁当を各自で持参することになるらしい。Aさんのように草刈機を経験したことがなく、かつ興味のある人には私がコーチをしてあげよう。
なにしろ私はおゆみ野の森の草刈男なのだから。

今回の草刈とバーベキューパーティーの写真を掲載いたします。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2089?authkey=V5e4-ZoTL4s

 

 

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(20.8.10) ぼくが生きた時 その6(最終回)

(シナリオシリーズのその6です。その1からの続きですので、その1、その2、その3、その4、その5を読まれていない方は「その1」、「その2」、「その3」「その4」、「その5」 リンクが張ってあります>からお読みください


○ 校庭(数日後,昼休み)

 鉄棒。一人でけあがりの練習している哲雄。そこに次郎がちかずいてくる。とおくで様子をうかがっているアキオと子供達。アキオは棒をもっている。次郎を見て戸惑う哲雄。

次郎「哲雄ちゃん,今日,学校終わったら魚取りにいかないか」
哲雄「(とまどいながら)あの,ぼく,都合がわるいんだ」
次郎「なんで,この間,池で魚とろうと約束したじゃんか」

哲雄「でも,駄目なんだ」
次郎「身体が悪いのか?」
哲雄「(当惑して)ううん」

次郎「網,なくしたんか?」
哲雄「ううん」
次郎「じゃ,なぜなんだ?」

  二人をうかがっているアキオ達の存在に気付く哲雄。

哲雄「(強く)ぼく,だめなんだ。本当にだめなんだ。もう誘うの止めてくれよ」

  アキオ達が二人にちかづいてくる。アキオは手に持っている棒をわざと振り回している。

アキオ「おい,次郎。哲雄がこんなにいやがってんのに,なに無理やりさそってんだよ。哲雄はお前と遊ぶのいやだっていってるだろ」
次郎「哲雄ちゃん,本当か?」

哲雄「・・・・・・」
アキオ「いやだってはっきりいってやれよ。不良とは付き合いたくねえってよ」
哲雄「・・・・・・」
次郎「本当か?」

アキオ「ばかやろう。嫌だっていってるだろ」

 手に持っていた棒で急に次郎をぶとうとするアキオ。一瞬ひるむ次郎。その隙をついて子供達全員が次郎に襲いかかる。次郎の服がやぶける。鼻血を出している次郎。執拗に次郎をあしげりする子供達。蒼白になっている哲雄。哲雄が職員室に助をもとめに走る

○職員室(続き)

  真っ青になって,職員室に飛び込んでくる哲雄。教師がびっくりして哲雄の顔を見る。立川先生のところに駆け寄る哲

哲雄「せ,先生,来て。大変です。 みんな,喧嘩してます」
立川先生「だれが喧嘩してるんだ」
哲雄「次郎ちゃんです」

  
立川先生「(うんざりした表情で)また,あいつか。誰がやられてるんだ」
哲雄「あの,次郎ちゃんです」
立川先生「誰に」
哲雄「アキオちゃん達が次郎ちゃんをなぐってます」

  間
立川先生「哲雄,それならかまわん,ほっておけ。次郎にはいい薬だ」
哲雄「だって次郎ちゃんが」
立川先生「いいんだほっておけ」

  悄然と職員室をでていく哲雄。あしげりされている次郎。

○ 教室(翌日の昼)

  昼休み。アキオが藁半紙を持っている。周りに集まっている子供達。次郎はいない。

アキオ「次郎のやつ,やけにいばってねえか弱いくせによ。このあいだもタコをパンチして生意気だ。タコはなんにもしねえのになぐられてんだぞ。タコがかわいそうだ」
子供A「ソウダよ、タコがかわいそうだ」

タコ「ぼく,いつも次郎にいじめられるんだ(泣き出す)」
アキオ「次郎は不良だってかあちゃんがいってたぜ」
子供A「あいつは完全に不良さ」

アキオ「あいつなんか、いなきゃいいんだ。そうだろう?」
子供A「そうだよ。抹殺すりゃいいんだ」
子供B「先生も次郎はどうしょうもないヤツだっていってたよ」

アキオ「次郎の葬式ごっこをする。次郎の葬式をするのに反対のやつはいるか(じろっとあたりをみまわす)」
子供A「反対するもんなんかイネイヨ」

  笑う子供達。

アキオ「よし,決まった。みんなで次郎の葬式ゴッコをする」
  はやす子供達。

アキオ「次郎の葬式ごっこするぞ、葬式ごっこするものこの指とまれ」

  いっせいにアキオの指に集まる子供達。アキオの周りに集まって藁半紙に書き込みをする

アキオ「(読む)次郎、お前が死んで、おれはうれしいぜ」
  はやす子供達。

子供A「(読む)地獄にいけ、次郎」
  笑う子供達。

子供B「(読む)死ね、悪魔の子」
  笑う子供達。

子供C「(読む)死をもって償え」
子供A「(まわりを見回しながら)なんだよ。 女の連中はかかねえのかよ」
アキオ「おい、康子、かけよ(おどす)」
  いやいや書く康子

アキオ「康子も書いたぞ。全員で書くんだ」
  女生徒全員が書き込みをする。

アキオ「まだ,書いてないものいねいだろうな(念を押す)」
子供A「哲雄がまだ書いてねえ」

 全員で藤沢哲雄の顔をみる。下をむいている哲雄。

アキオ「なんだ,哲雄,お前,なぜ書かないんだ。また仲間外れになりたいのか!」
哲雄「・・・・・・・・・・」
アキオ「みんな書いたぞ。鞄やぶくぞ」

  哲雄の鞄を取り上げるアキオ。

哲雄「やめてくれよ(弱く)」
 アキオが哲雄の胸をつかむ。

アキオ「じゃ,書くんだ。哲雄,お前は先頭にかけ」
哲雄「(泣き声)なんて書いていいか分からないよ」
アキオ「『次郎,死ね!この日を待ってた哲雄』と書け」

哲雄「ぼ,ぼく,書けない」
アキオ「タコ,ヒロ,鞄をやぶけ」

  タコとヒロが哲雄の鞄を両方から思いっきり引っ張る。無残に裂ける鞄。

哲雄「や,止めてくれ」
アキオ「なまいきいうんじゃねえ。みんな,哲雄をやっちゃえ」

  全員で哲雄にとびかかる。鼻血をだしながらたたかれている哲雄。

アキオ「(かたで息をしながら)もう,いいこんなやつほっておけ。おい、タコ、先生にも書いてもらってこい。葬式ごっこだからなんでもいいから書いてくれって言うんだ。先頭に書かせろ」
タコ「誰の葬式だって言われたら、どうする」

アキオ「まだ、決まってねいって言え。次郎のだなんて絶対にいうなよ」
タコ「うん」

  教室を飛び出していくタコ。

○ 教室(1時)

  藁半紙をじっと見つめている次郎。息をひそめて次郎の様子をうかがっている子供達。一番最初に立川先生の文字。

次郎「(心のなかで)『君が死んだことを聞き、先生はほっとしました。おめでとう。立川』」

  立川先生が教室にはいってくる。教師の顔を見る次郎。急に藁半紙を破り捨て、教室から飛び出す。あっけにとられる立川先生。一斉に喝采をあげる子供達。哲雄がかなしそうに次郎の後姿を目でおっている。

○ ローカル線の沿線(1時間後)

  高架のローカル線のはしをとぼとぼと歩いている次郎。線路に耳をあて列車がちかずいているかどうか調べている。近かづく列車の音。線路から耳を離さない次郎。列車のちかづく音が大きくなり、警報の汽笛が鳴る。ようやく線路から離れる次郎。次郎の前を通り過ぎる列車。再びあてどもなく線路の上を歩いている。


  ふたたび、線路に耳をあてる。列車のちかづく音。だんだん大きくなる。警報の汽笛。どかない次郎。

 回想『イネのさいごの言葉』

イネ「次郎、人間は生きるために喧嘩しなくちゃ、いけない時あるの。ばあちゃん、山口に行ったら、もう、次郎を助けてあげられない(嗚咽)。だから次郎、お前は一人で強く生きるの。学校のガキ大将とも母さんともたたかって、負けちゃいけないの」
次郎「ばあちゃん、ぼく、約束する。絶対負けない」

  次郎を強くだきしめるイネ
 回想 終わり

  はっとして、線路から離れようとする次郎。あわてたので枕木に足をとられ、動けない。警笛の響き。懸命に足を枕木からはずそうとする次郎。近づく列車。運転手の慌てた表情。警笛。目をつぶる次 郎。急に横から哲雄が線路に飛び出し,次郎のからだにおもいっきりぶつかる。列車が通過する寸前に二人の身体が高架から転げ落ちる。側の鉄柱に頭をうちつける次郎。爆音を轟かして通り過ぎる列車。機関士のバカヤローというどなりごえが消えていく意識の合間に聞こえる 

○ 線路下(2時間後)

語り「僕はしばらく意識を失っていた」

  意識がもどる次郎。しばらく自分の置かている立場が分からない。頭をかるく振る。側に哲雄が座っている。顔から血がででいる。不思議そうに哲雄の顔を見つめる次郎。

次郎「哲雄ちゃん,どうしたの?」
哲雄「へへ,ふたりで落ちたんだ」
次郎「どこから?」

哲雄「あすこ(線路を指さす)」
次郎「どうして?」
哲雄「おれが,次郎ちゃんにぶつかったんだ。だって,次郎ちゃん,列車にひかれそうだったんだもん。死んじゃうのかと思った」

  
次郎「ここにいるの、どうしてわかった?」
哲雄「心配だからあとからついてきたんだ。そしたら次郎ちゃん,線路のうえからはなれないんだもん。おれ,驚いちゃった」

  間
次郎「哲雄ちゃん,おれとあそぶのいやなのんじゃないか?」
哲雄「ううん(首をふる)」
次郎「じゃ,このあいだ魚とりいくのなぜいやがったんだ」
哲雄「次郎ちゃんと遊ぶと,アキオに鞄破くっていわれたんだ」

  
哲雄「でも,おれ,葬式ごっこ嫌だといったんで鞄破かれちゃったからもういいんだ」

  (顔をじっと見つめあう)
次郎「じゃ、これから魚とりにいこうか?」
哲雄「うん」

○ 小川(続き)

  幅2メ-トル程度の小川。両方をせきとめ,中の水をせきとめて鮒をてずかみでとっている次郎と哲雄

次郎「哲雄ちゃん,そっちに逃げた。捕まえろ」

  二人で泥まみれになって魚をとっている。 つかれて,土手に腰をかける二人。

哲雄「次郎ちゃん,明日,学校にいくの?」
次郎「(強く)行く」

  
哲雄「また,アキオが意地悪するよ」
次郎「逃げれば,また苛められる。ぼくは絶対に逃げない」
哲雄「鞄,破かれるかもしれないよ」

次郎「哲雄ちゃん,心配しないでいい。あす一番にアキオの鞄を破ってやる」
哲雄「先生が怒るよ」

  
次郎「それでもいい。だってばあちゃんと約束したんだ。男の子は戦うんだって」

  (笑う二人)
次郎「魚取り,続きをしようぜ」
哲雄「(元気よく)うん」

  流れる雲。せせらぎ。桑畑。肩を組んで桑畑を帰る二人。
                                       
                                        終わり

(お願い) 少し長いシナリオでしたが、最終回まで読んでくださった方には、心から感謝いたします。できれば感想をコメントか私宛メール(yamazakijirou@yahoo.co.jp
)で送っていただければとても嬉しいのですが

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(20.8.9) ぼくが生きた時 その5

(シナリオシリーズのその5です。その1からの続きですので、その1、その2、その3、その4を読まれていない方は「その1」、「その2」その3」、「その4」リンクが張ってあります>からお読みください


○ 自宅(夜)


  布団をひく次郎。夕御飯をたべずにねようとする。破れた上着を隠している。和子が不信に思い声をかける。

和子「次郎、どうしたの。ご飯たべないの? 風邪でもひいたの?」
次郎「今日、食べたく無い。寝る」

  布団の中で

次郎「ばあちゃん、ぼく、今日、アキオと闘った。ばあちゃんに言われた通り、ぼく、闘った。上着破られたげど、ぼく、負けなかった。アキオが泣いた。ぼく始めて泣かなかった」

○ 学校(昼休み)

語り「僕はいつかクラスで一番身体が大きくなっていた。そして喧嘩してみて、始めて自分が必ずしも弱くないことを知った」

  杉の木の鬼。雄叫びをあげながら次郎に迫ってくる子供達。最初にやって来たタコをおもいっきりなぐりつける次郎。泣くタコ。猛然と次郎に飛びかかるアキオ。とっくみあいの喧嘩。アキオをなぐる次郎。おさえつけられるアキオ。アキオに加勢する子供。辺りかまわずちかづく子供の腹を蹴飛ばす次郎。だれも次郎にかなわない。泣く子供。肩で息をする次郎

○ 教室(放課後)

  担任の立川先生が喧嘩の原因を聞いている。

立川先生「えぇー、どうしたんだ。どうしてこうなったんだ。言いなさい」

  黙っている子供達

立川先生「次郎、なんでみんなの腹をけったんだ、えぇー、あぶないじゃないか」

  唇を噛みしめてなにも言わない次郎。顔に擦り傷がある。

立川先生「最初に手をだしたのは誰だ(大きな声で)」
アキオ「次郎だよ、次郎がタコの腹を蹴っ飛ばしたんだ。だから、オレ、止めようとしたら、次郎がオレにパンチしたんだ。だから、喧嘩になったんだ。ナアー、みんな、そうだよなー」
子供達「(はやす)そうだ、次郎だ、次郎だ」

  黙って唇をかむ次郎。藤沢哲雄が手をあげようとする。

哲雄「あの・・・・」
立川先生「なんだ哲雄」
アキオ「哲雄,本当のこといえよ(睨みつけるアキオ)」

哲雄「いえ、なんでもない(口籠もる)」
立川先生「次郎,お前が最初にやったのか?」

  黙って答えない

  
アキオ「みんなみてたんだ、なあ。次郎が先にやったんだよな」

  そうだ,そうだとはやす子供達

立川先生「よし、分かった。他の者は帰っていい。次郎、お前は先生がいいと言うまでそこでたってなさい(決心したように)」
子供達「(はやす)ヤーイ、ヤーイ」

  天井をキッと睨んでいる次郎。

○ 教室(夕暮れ)

  暗くなる教室。ひとりたたずむ次郎。

次郎「(独白)ばあちゃん、ぼくばあちゃんとの約束まもってる。だってぼく、泣くといじめられる。だから闘うんだ」

  立川先生が教室に入ってくる。先生が優しく語りかける。

立川先生「次郎、どうしたんだ。お前、まえはこんな事、しなかったろう。喧嘩して、いつも泣いてた次郎が、どうしてパンチなんかするようになったんだ」

  
立川先生「先生、怒らないから、いってごらん」

  唇をかみしめたままの次郎。

立川先生「次郎、次郎にはおばあちゃんがいたな」

  びっくりして先生の顔をみる次郎。

立川先生「おばあちゃん、国に帰る前に先生のところにきた。おばあちゃん、次郎を助けてくれといってきた。家の話みんな聞いた」

次郎「(はじけるように)ぼく、ぼく、いつも泣いてた。だからぼくいつもいじめられた。だから、ぼく、もう泣かない。ばあちゃん、男の子は強くなれって言った。だから、だから、パンチしたんだ」

  
次郎「ぼく、そうしないと、いつも鬼だからだから、ぼく・・・・」

  じっと次郎をみつめる立川先生。

立川先生「次郎、分かったから、もう帰っいい。(間)ただパンチはよくないな」
次郎「うん」

○  映像

  アキオとの喧嘩。殴りつける次郎。互いの服が破れる。おびえる子供たち。次郎の後ろに回って次郎の足を蹴飛ばそうとするタコ。次郎が先に気付きタコの頬をおもいっきり引っぱたく。大声で泣き叫ぶタコ。

○ 父兄会(数日後,午前中)

  アキオの母親、下村まさ(33才)が立川先生につめよっている。同調する他の母親

まさ「先生は御存知ないかもしれませんが、この頃斉藤君の暴力には、ほとほと手をやいてるんですよ。先だっても、アキオの服がボロボロに破かれているんで、聞いたら斉藤君にやぶかれたっていうじゃありませんか。服、破かれてるの、アキオだけじゃありませんよ。他の生徒だってみんなそうです。それにタコちゃんなんか、いつもなんの理由もないのに斉藤君にたたかれてるんですよ。ねえ、みなさん(同意をもとめる)」

  うなずく他の母親。

母親A「斉藤さん、ちかごろ父兄会にいらっしゃらないけど、ちゃんと出てきて実情を把握してもらいたいものですわ」

  うなずく他の母親。

立川先生「はあ、お怒りはもっともですが、これには何か訳があると思います。よく調べてから次郎に注意しますから、すこし時間をください」

まさ「なにも訳なんかありません。斉藤君は不良なんじゃないですか。このままでは安心して子供,任せられません。きちっとしてください。いいですか、先生(強い調子で)」
立川先生「はあ,お約束します」

まさ「(皮肉っぽく)先生は斉藤君のおばあちゃんに何かいれ知恵をされているってもっぱらの評判ですよ。えこひいきしているって言う人もいますし」

立川先生「(あわてて)あっ,いえ,そんなことは決してありません。次郎には私から厳しく言っておきます」
まさ「どうしても駄目なら,校長先生にもご相談しなければと皆さんと話し合っていますのよ(十分な皮肉をこめて)」

  同調する母親。額の汗を拭う立川先生。

○ 職員室(昼休み,続き)

  立川先生の前に立っている次郎。イライラしている立川先生。他の先生がきき耳をたてている。

立川先生「次郎、先生は次郎にまえ、言ったろう。暴力はいかんと。なんでパンチするんだ。もうすぐ中学生になるっていうのにいつまでガキなんだ」
次郎「・・・・・」
立川先生「次郎、だまっていちゃわからんだろう(声を強める)」

次郎「・・・・(唇をかみしめたまま何もいわない)」
立川先生「アキオとタコのお母さんが、理由もなくお前がなぐるといってきたぞ。お前はいつからそんな悪い子になったんだ、えー(興奮する)」
次郎「・・・・」

  思わず,立川先生が次郎の胸ぐらをつかむ。

立川先生「次郎、いってみろ。だまってちゃ分からんだろうが」
次郎「(昂然と)ぼくは悪くない」
立川先生「なにをいうんだ。馬鹿(頬をたたく)お前は先生のいうことが分からんのか。そんなことじゃ,中学になったら不良になるぞ」

次郎「(弾けるように)ぼくはタコにいつも服,破られたんだ。そのときぼく、先生にいいつけなかった。いつもぼく、鬼だったんだ。でも、だれもかくれんぼ、やめようって言わなかった。アキオとタコなんかなぐっていいんだ」

立川先生「そ,そんな,古い話をきいてるんじゃない。いまのことをいってるんだ」
次郎「お母さんはいつもたたく。先生もそうだ。だからぼくだってたたいていいんだ」
立川先生「ばかやろう。この不良が!(ふたたび頬をたたく)」

  右頬をおさえ職員室を飛び出す次郎。茫然と見送る立川先生。

○ 校庭(同昼休み,続き)

  杉の木の下に子供が集まっている。アキオとタコが藤沢哲雄を詰問している。

タコ「哲雄,お前,やけに次郎となかいいじゃねいか。いつから子分になったんだよ」
アキオ「(すごむ)次郎と遊ぶと俺たちの仲間にいれないといっただろう」
タコ「仲間外れになってもいいのかよう。学校にこらせねえぞ」

  タコが哲雄の肩をこずく。

哲雄「・・・・・・・・・」
アキオ「いいか,哲雄,次郎にもうおまえとは遊ばないと言え。仲間外れになりたくなかったら次郎に言うんだ(強く)」
哲雄「やだ」
アキオ「お前,いい鞄もってるじゃないか。こうなってもいいのか?」

  アキオが哲雄の肩かけ鞄をとりあげ足でふみつける。他の子供も鞄を踏みつける。泣き出す哲雄。

哲雄「なにするんだよう。かあちゃんにおこられるよう。止めてくれよ」
タコ「金もないくせにいい鞄買うんじゃねい」
アキオ「弱いくせに強がるからいけないんだ鞄,破け」

  鞄を破こうとする子供達。教科書が地面にこぼれ落ちる。

哲雄「(泣き声)やめてくれよ,かあちゃんが働いて買ってくれたんだ」
アキオ「じゃ,次郎と遊ばないというか?」
哲雄「(不承不承)うん,いう」
アキオ「おい,鞄をかえしてやれ」

  ようやく哲雄にかえされた鞄。教科書が泥でよごれている。

アキオ「いいな,次郎と遊ぶとまたこうなるらな(脅す)」

  肩をいからせながら去っていく子供達。茫然とたたずむ哲雄。

(明日に続く)

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(20.8.8) ぼくが生きた時 その4

(シナリオシリーズのその4です。その1からの続きですので、その1、その2、その3を読まれていない方は「その1」、「その2」その3」リンクが張ってあります>からお読みください

○ 自宅(数日後の真夜中)

語り「そして、ある夜」
和子「次郎、きなさい、起きなさい、すぐに起きるの(興奮した声)」

  灯りがついており、令子と則夫が隅で泣いている。興奮している父母。諦めきった顔のイネ。

和子「次郎、父さんはね、あたしにでていけっていうんだよ」
一郎「出ていけなんていってない。あなたがこんな貧乏所帯にいるのがいやなら、出ていってもいいといったんだ」
和子「なによ、でていくさき、ないの分かってて、そういうこと言う」

一郎「や、山口に、いったらいい(つっかえながら)」
和子「じゃ、子供はどうするの、次郎は!令子は! 則夫は!(ヒステリックに)」
一郎「出ていくものがそんな心配しなくていい!(強く)」

  大声で泣き出す令子と則夫。下を向く次郎。

和子「なら、子供に聞いてみる。次郎、おまえ、どうする? 母さんといく? 父さんといる?(超興奮状態で)」

  下を向き、答えない次郎。次郎の胸をつ かみ、揺する和子。

和子「答えなさい、次郎!」
イネ「やめなさい。和子!(強くたしなめる)子供にそんなこと言って、答えられる訳ないでしょ!」

  (長い沈黙)
イネ「(決心したように)山口には、おばあちゃんがいきます。一人でも、減れば、少しは助かるでしょ。だから、和子、そんなこと子供にいうのはおやめ!」

  (父母が驚いて、イネの顔をみる)
次郎「ばあちゃん、山口にいっちゃうの?ぼく、ぼく,ヤダ(涙ごえ)」

  
イネ「次郎、大人の世界では、どうしょうもないこと、あるんだよ。お前も、大人になったら分かるから、だから、おばあちゃんが山口にいっても我慢するの(言い含めるように)」
次郎「ヤダ(目に涙をためる)」

  次郎の頭を静かにさするイネ。沈黙。破れた障子。割れた硝子窓。

○ 台所(1カ月後)

  イネと次郎。イネが次郎の肩にてをかけ諭すように話かけている
      
語り
「しかし、すぐに祖母は、山口に行かなかった。おそらく、大人の社会には難しい手続きがあり、それに数カ月要したのだろうと思う。山口に行く前日、祖母は僕に言った」

イネ「次郎、今日は、おばあちゃんのいうこと、よく聞くの。そして、絶対にわすれちゃ、だめだよ」
次郎「うん」

イネ「母さん、今、死のうとしている。次郎をつれて、死のうとしている。だから、次郎、母さんがどっかにいこうと言っても、絶対についていっちゃいけないよ。それになにか、へんなもの食べろといっても、絶対にたべちゃいけない。食べたふりして、吐き出すんだよ」

次郎「うん、ばあちゃん、そうする」
イネ「次郎、お前はほんとうにいいこだ。ばあちゃん嬉しい。(大きく息をして)でも次郎、本当は、ばあちゃん、次郎にとってもわるいことしたと、思ってる」

  (じっとイネの言葉に耳を傾けている次郎)

イネ「和子がこんな我慢なしに育ったの、みんなばあちゃんの責任だ。地主の子だといって甘やかしほうだい、甘やかしたから・・・ばあちゃん、昔、農地開放でたんぼ取られたとき、本当に悲しかった。でも、それよりもっと悲しかったのは、次郎、お前が和子に叩かれて、泣いているときだった
 ・・・・・・・」

  
次郎「ばあちゃん、ぼく、もう泣かないからだから、だいじょうぶだよ」

  次郎を強くだきしめるイネ。次郎の顔を見つめながら。 
          
イネ「よくお聞き、次郎。ばあちゃん、ず-っと次郎のこと見てきた。次郎はとっても心の優しい子だ。だけどね、次郎。男の子は心が優しいだけじゃ生きていけないよ」

  うなずく次郎。

イネ「次郎は小さい頃、いつも近所の子に仲間外れにされて、泣いていた。学校でも、ガキ大将にいつも泣かされてるだろ。運動会のとき、ステテコはいてって、次郎、泣いてたじゃないか。ばあちゃん見てたんだ」

次郎「ぼく、泣きむしだから・・・・」
イネ「次郎、いいかい、泣く子はいつも泣かされるんだよ。だから、男の子はけっして泣いちゃいけない」
次郎「ぼく、喧嘩強くないから・・・」

イネ「次郎、人間は生きるために喧嘩しなくちゃ、いけない時,あるの。ばあちゃん山口に行ったら、もう、次郎を助けてあげられない(嗚咽)。だから次郎、お前は一人で強く生きるの。学校のガキ大将とも母さんともたたかって、負けちゃいけないの」

  

次郎「ばあちゃん、ぼく、約束する。絶対負けない」

  ふたたび次郎を強くだきしめるイネ

語り「それが祖母の最後の言葉になった。祖母は山口に帰ると体調を崩し、そのまま帰らぬ人となったという。しかしあとで、僕は祖母が自殺したのだと聞いた」

○ モンタージュの連続

  食事時、ご飯茶碗を一郎に投げつける和子。体にくっついたご飯粒を黙ってとる一郎

  6畳間。令子の髪の毛をもって、引きずり回す和子。泣き叫んでいる令子。茫然と見ている次郎と則夫

  包丁を持って次郎を刺そうとする和子。座蒲団で防いでいる次郎。和子の足を思いっきり蹴飛ばす次郎。もんどりうって倒れる和子

○ 校庭(放課後)

  がき大将のアキオのまわりに集まっている子供達。いつものかくれんぼをするところ
               
アキオ「おい、次郎、オメイ、また鬼だ。ヤレヨ」
次郎「(ちから強く)ヤダ、しない」
アキオ「(胸をつかんで)ナンダよ、次郎、オメイ、そんなこと言えるのかよ。昨日の最後の鬼だろ」

次郎「(手を払いのけて)鬼はしないときめたんだ」
アキオ「(もう一度胸をつかんで)泣きをみていのかよ」

  タコが後ろから次郎にちかずき、次郎の足を蹴飛ばす。振り返りざまタコの横顔を張り倒す次郎。張り倒された頬をおさえ、びっくりして泣き出すタコ。アキオの顔色が変わり、猛然と次郎に飛びかかる。次郎とアキオのとっくみあい。次郎の上着が破ける。周りであっけにとられて見ている子供達。次郎がアキオを引き倒す。下でもがくアキオ。

アキオ
「(もがきながら)タコ、ヒロ 次郎にかかれ」

次郎に襲いかかるタコとヒロ。タコをあしげりにする次郎。飛ぶタコ。もうだれも二人にちかづかない。ついに泣き出すアキオ。唖然として見ている子供達。



明日に続く)

「別件
おゆみ野の森で草刈隊の参加者を募集しています。

8月9日(土) 10時から12時
その後、バーーべキュー大会をします。

基本は大人が対象で、作業をした後楽しくバーベキューを食べようとの主旨ですので、気楽に参加してください。

道具は用意してありますから、各自は作業が出来る服装で来て頂ければ結構です。

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(20.8.7) ぼくが生きた時 その3

(シナリオシリーズのその3です。その1からの続きですので、その1、その2を読まれていない方は「その1」、「その2」リンクが張ってあります>からお読みください


○ 運動会(100メートル競争)


  破れて泥のついたステテコで走る次郎。父兄席で次郎を指差し、小声で囁きあっている母親たち。

○ 校庭の杉の木(運動会終了後)

  杉の木の下にアキオと次郎、クラスの子供達が集まっている。

アキオ「次郎は嘘ついたから、この木でセミになれ。罰だ!」
次郎「嘘なんかついてない」
アキオ「嘘、ついたろう。ステテコを白ズボンなんて言ってよ-」

次郎「白ズボンだ」
アキオ「なんだよ-、先生だってステテコだって言ってたじゃねえか。じゃ-先生が嘘ついたっていうんか(勝ちほこったように)」
子供達「(はやす)言ってやろ!言ってやろ!先生のこと嘘つきだって、次郎がいってたって言ってやろ!」

  黙って下をむく次郎

アキオ「蝉になれ、命令だ!」

  杉の木に登り、蝉の真似をする次郎。アカトンボの飛翔。

○ 自宅(冬、朝)

語り
「家計はまったく好転しなかった。むしろジリジリと悪化していった」
  ちゃぶ台には、朝の支度がしていない。不信そうにちゃぶ台をみている兄弟3人。何もいわない父とイネ。母が財布から20円玉をとりだす。

和子「今日はご飯がないから、次郎、これでコッペパンかっといで」
令子「何で、ご飯ないの、ヤダ」

  口をとがらす令子、下を向く次郎。

令子「ヤダ、絶対ヤダ(拗ねる)」

  困惑する父母、イネ。

次郎「いいよ、令子、パン買いにいこう」 

  不満げな令子、ほっとした大人達。

次郎「令子、行くぞ(大きな声で)」
令子「うん(不承不承)」

○ パン屋(同日)

  20円でコッペパンを買う次郎。白い息。霜焼けの手。後ろで、肩を落とし、石を蹴っている令子。

令子「にいちゃん、どうしてご飯じゃないの?」
次郎「令子、コッペパン、きらいなのか?」
令子「そうじゃないけど」

  
令子「ジャムもつけないの?」      
  間

○ 自宅(同日)

  まないたの上にコッペパンを置き、包丁で3等分する次郎。のぞきこむ令子と則夫。少し大きさが揃わない。

令子「にいちゃん、そっちのほうがおおきいよ」

  あわてて、大きさをそろえる次郎。大事そうにコッペパンをたべる子供たち。見てみぬふりをする一郎と和子。後ろでなみだぐんでいるイネ。


○ 藤沢家玄関口(12月、土曜日、午前)

  藤沢家の安手の玄関口。靴がとびちらかしてある。和子が藤沢家に借金にきている。藤沢秀夫(44才)と藤沢テル(42才)が応対にでている。

語り「この頃母は返すあてのない借金の依頼にかけづりまわっていた」

和子「こんなこと、言うのは大変申し訳ありませんが、子供の給食費もまだだしてないんです。藤沢さんもごぞんじのとおり、元はといえば、藤沢さんの依頼もあり、B織物に主人が裏書をしたのが始まりですので500万の一部でもいいですから、返してほしいのです」

秀夫「奥さん、何か勘違いしていませんか。確かにB織物は私の親類です。だけど私が依頼したから裏書したんじゃない。あんたのご主人が欲に目がくらんだからじゃないですか。金を貸して欲しいと素直にいうなら、こっちもまんざら無関係じゃないから、考えんこともない。それがどうですあんた、返してといいましたね。冗談じゃない。借りてもないのに何故、かえさにゃならんのですか。お断りです」

  和子、怒りで目がつり上がる。テルは下を向いている。

和子「藤沢さん、あなた、よくもそんなこといえますね。(つまりながら)私、ききましたよ。B織物と一緒になって、主人に酒のまして、いざとなったら、親類縁者で責任持つといったっちゅじゃないですか。あんた、親戚でしょ、責任とってください( ヒステリックに)」

秀夫「な、なにをいいだすんだ。互いに酒の席じゃないか。あんたの主人が欲張りだからこうなったんだ。いいがかりだ。証拠を見せろ、証拠を! なにもないじゃないか(興奮して)」

和子「しらじらしい。世間にいいふらしてやる。みんな、言ってやる。藤沢は嘘つきで人のいき血を飲む極悪人非人だといいふらしてやる(叫ぶ)」

秀夫「何だ、何だ、人がだまってきいていたら、いいきになって。貧乏が頭にきて気が触れたんじゃないか。帰れ!帰れ!二度とくるな!(大声で)」
和子「だれがくるか! 人非人、人でなし!(ヒステリックに)」

  ドアーを思いっきり強く閉めて出ていく和子。藤沢秀夫は横の壁をあしげりする。テルは下をむいたまま。

○ 和子の回想

 (映像)
  正月。庄屋の屋敷に小作が50名ほど集まっている。床の間を背にした和子の父母。そして女学生の和子。盛大な料理。卑屈に年賀をのべる小作。鷹揚な態度の和子の父,房太郎。昂然ととりすました和子。着物が美しい。

  (映像)
  藤沢家の玄関。借金の申込みをしている和子。断る藤沢秀夫の顔。ドアーをしめて、天を仰ぐ和子

和子「イヤー、イヤー、もうイヤー。死んでやる。死んで化けてやる」

○ 藤沢家玄関口(夕方)

  藤沢哲雄(12)と次郎が遊びながら帰ってき、玄関をあける。

語り「当時、私は藤沢家の長男哲雄とクラスが同じであり、もっとも仲のよい友達だった」

哲雄「今日、次郎ちゃん、オレんちでご飯たべろよ」
次郎「うん、そうする」
哲雄「かあちゃん、今日次郎ちゃん、オレんちで、ご飯たべるって(元気よく)」

  二人が家の中に入ってくる。玄関、食堂 六畳一間の小さな家。安手の家具が置いてある。奥まった6畳間に炬燵。藤沢秀夫が座っている。テルは台所。次郎の顔を見て、藤沢秀夫とテルが顔をみあわせ  る。藤沢秀夫はバツがわるそうに目をそらせ、新聞を見るふりをしながら次郎に背をむける。テルは涙ぐむ。

テル「あっ、次郎ちゃん。よくきたね。今日おばちゃん、美味しいもの、いっぱい作ってあげる。次郎ちゃんの好きな卵焼きにしょうか? おばちゃん、つくってあげる」
秀夫「そう、そうしなさい。それがいい(つまりながら)」

○ 藤沢家(夕食)

  秀夫、テル、哲雄、和夫(哲雄の弟、9才)、そして次郎。そまつなテーブルに それぞれの卵焼き。次郎のが一番大きい。

和夫「ずるいよ。次郎ちゃんのが一番大きいよ」
テル「次郎ちゃんは、身体が一番大きいからこれでいいの」
和夫「だって、次郎ちゃん、家の子じゃないのに・・・」
秀夫「和夫、だまって食べなさい。これでいいんだ(強く)」

  嬉しそうに卵焼きをほうばる次郎。外は星がきらめいている。

○ 自宅(同日,続き)

  次郎が元気よく帰ってくる。家では和子が泣きはらした目をしている。

次郎「ただいまー。かあちゃん、おれ、今日ご飯いらないよ(大声で)」

  和子がききとがめる。

和子「どうして?」
次郎「おれ、今日、哲雄ちゃんちでいっぱいたべたんだ。こんな大きな卵焼きだよ。おばちゃんが特大の卵焼き作ってくれたんだ」

  次郎、手で大きさをしめす。和子は怒りで身体が震える。

和子「次郎、もうあんな家、いっちゃダメ(怒りをおしころして)」
次郎「なんで(怪訝そうに)」
和子「かあさんがダメといったら、ダメなの(ヒステリックに)」

  (次郎、茫然としている)
次郎「だってー、おばちゃんやさしいし、おじちゃんだってやさしかったよ」
和子「馬鹿(右手で次郎の頬をおもいっきりたたく)」

  左頬を押さえ唖然としている次郎。次郎の胸ぐらをつかみゆする和子。

和子「おまえに、かあさんの気持ち、わかってたまるか。かあさん、藤沢で馬鹿にされたんだよ。悔しいよー。もとはと言えば、小作じゃないか。かあさん、もう我慢できない。死んでやる。死んで化けてやる。次郎、おまえも一緒に死にな(泣き叫ぶ)」

次郎「ヤダヨ(和子を強く押し戻す)」

  和子の身体がとび、仰向けにたおれる。興奮する和子。

和子「次郎、おまえ、かあさんに手かけたね。 親に手かけたね。親に手かける子は少年院にいれてやる。こうしてやる(次郎を押し倒おす)」

  下からあしげりする次郎。ふたたび和子の身体がとび、襖に身体をぶつける。台 所に飛んでいく和子。逃げようとする次郎。玄関のガラス戸が閉まっており、すぐに開かない。包丁をもって次郎を追い かける和子。部屋の中で、座蒲団をたてに包丁を避ける次郎。

和子「死んでやる。おまえを殺して、死んでやる(ヒステリックに)」

  イネがハラハラしながらみている。令子と則夫は脅えて隅で震えている。

イネ「和子、馬鹿なことはやめなさい。包丁振り回すのやめなさい」

  イネの存在にきずく和子。イネのほうに向かって包丁を振りかざしながら。

和子「死んでやる、みんな殺して死んでやる(ヒステリックに)」

  和子がイネの方をむいたすきをついて、後ろから和子をはがい締めする次郎。思わず包丁を畳に落とす和子。その包丁を拾って一目散に外に飛び出す次郎。泣き叫びながら、食器をあたりかまわず投げる和子。泣く令子と則夫。二人をかばうイネ。

○ 建てかけの家(同日、真夜中)

  建てかけの一軒家。屋根と床が張られており、壁は一部つくりかけている。夜空が見える。北風。寒さに震えながら、壁に寄り添っている次郎。右手に包丁。自動車のライトが一軒家を照らす。脅えるように壁に身体を押しつける次郎。遠くから次郎を呼ぶ一郎のこえ。だんだんちかづいて来る。

一郎「次郎 、次郎 、いたら答えなさい。次郎 、次郎 」

  一軒家から、おずおずと出てくる次郎、右手に包丁を持っている。

次郎「とうちゃん、ここにいるよ」

  
一郎「次郎、とうちゃんとかえろう」
次郎「ヤダヨ、だって、かあちゃん、また包丁持っておいかけてくるもん」
一郎「なにしたんだ?」
次郎「知らない。哲雄ちゃんちで卵焼き食べたっていったら、急にぶつんだ」

  
一郎「そうか・・・・・」

  
一郎「母さん、いま、心がいたんでいるんだ。だから、次郎、母さんにごめんなさいといいなさい」
次郎「(強く)ヤダ、だって、ぼく、わるくないもん」
一郎「次郎、母さんはいま病気なんだ。ごめんなさいと言ってあげなさい。(間)それに、明日、次郎、映画につれてってあげるから・・映画すきだろ?」

次郎「うん」
一郎「その包丁かしなさい」
次郎「うん」

  包丁を手わたす次郎。次郎の肩に手をかけ促す一郎。月の光がまばゆい。

明日に続く)

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(20.8.6) ぼくが生きた時 その2

(シナリオシリーズのその2です。その1からの続きですので、その1を読まれていない方は「その1」リンクが張っております>からお読みください

○ 家(秋、夜中)

語り「僕が小学校6年になるまで、父の存在を意識したことはなかった。父は年の半分を東北の秋田や盛岡に行商にでており、帰ってくるときには、東北特有の味のない乾いたサラのようなせんべいを買ってきた」

 6畳間、親子5人が寝ている。父母の話し声(小声)。

和子「で、裏書きをしたの?」
一郎「うむ」
和子「だまされるんじぁない?」
一郎「うむ」
和子「前にも一度不渡りだしたんでしょ」
一郎「うむ」
和子「お父さんは人がいいから、酒のまされて、だまされるんじゃない」
一郎「いや、大丈夫だ。あそこはいざとなったら、財閥がついている」
和子「財閥って、A商店? 高利貸しじゃない」
一郎「うむ」
和子「で、裏書きするといくらくれるって?」
一郎「二割か三割、いや、三割五分かな、500万だから、えぇーと、200万位になる(急にはっきりと)」
和子「・・・・・・・・」
一郎「商売のことは私にまかせておけばいい(強く)」 
             
  
和子「なら、お父さんにまかせるけど、危険なことはしないで下さい。いま倒産が多いんだから(不詳不精)」

  間

○ 夜中(数日後)

語り
「そして、数日後」

 父母の争う声。
和子「だからいったでしょ(おしころした声)」

  間
和子「私があれほど止めろといったのに!」

  
和子「だまされて、お金どうするの(声が大きくなる)」

  
和子「手形、落ちないんでしょ、いくら足りないの?」

  
一郎「うむ」
和子「幾らなの(金切り声)」
一郎「子供がおきるじゃないか」

  
一郎「500万だ」
和子「どうするの」

  
和子「どうするの(強く)」
一郎「あてがある。A商店に頼んでみる」
和子「高利貸しじゃない!」
一郎「こおいう時は、高利貸しが一番たよりになる」
和子「担保は?」

  
和子「担保はなんなの?(大きな声)」
一郎「この家だ」
和子「だめよ。絶対だめ(叫び声)

  和子の泣き声

語り「この日から、毎日父と母のいいあらそいが始まった」

○ 自宅、3畳の間(数日後、午後)

  来客、債権者がきている。応対している一郎。台所の陰で聞いている和子、イネ

来客「私もこまるんですよ。斉藤さん、あなたを信用したから貸したんです。たがいにながい付き合いでしょ。だから貸したんだ。あの金がないと、私も、手形、おとせないんです。返してくれるんでしょうね(顔を覗き込むように)えっ、斉藤さん」

  
来客「どうなんですか(いらいらしながら)」
一郎「いゃ、盛岡のX商店から、今月入金の当てがありますので、それがはいったら・・・必ず、必ずお返ししますので・・・(ぼそぼそと)」
来客「幾らですか(たたみかけるように)」

  
来客「ええ、いくらなんですか(強く)」
一郎「200万、いや、400万です」
来客「それを真先に、私(強く)に返してくれるんでしょうね?」
一郎「えぇ(弱く)」

  
来客「長いつきあいだから、こんなこと言いたくないが、いざとなったらこの家、処分してもらいますよ」
  

○ 自宅、台所(同時刻)

  学校から帰ってきた次郎。債権者の言葉にきき耳を立てている和子とイネ。次郎が給食費の袋を取り出す

次郎「かあちゃん、先生がねぇ、今日、給食費、持ってきていないひと、早く持ってきてくださいって」

  それどころではないという顔をする和子

次郎「ねぇ、かあちゃん、先生がねぇ、まだもってきていない人、僕だけだっていってたよ(少し強く)」
和子「いま、母さん、いそがしいんだから、あとにしなさい(イライラと)」

次郎「だって、先生が(強く)」
和子「馬鹿(左頬をおもいきりたたく。襖にたたきつけられる次郎)」
イネ「止めなさい、和子!(叫ぶ)」

  泣き出す次郎。鼻血。手拭いで出血を止めるイネ

和子「泣くの止めなさい。いま、お客がきてるんだから、泣くんじゃない(ヒステリックに)」

  シャクリあげる次郎。

○ 自宅、3畳の間(同時刻)

  母子のやりとりをきいて、いたたまれず下をむいている一郎。同じくバツのわるそうな借金取り

来客「ま、今日はこれで帰りますが、かならず耳をそろえて返してください。私だって好きでこんなこ としてるんじゃないんだ」
  
  頭をさげたままの一郎。ほっとした表情の和子、イネ。シャクリあげる次郎。

和子「高利貸しのくせに、くやしいー(おしころしたように)」

○ 自宅(翌日、夕方)

  6畳の間、壁ぎわに大きな電気蓄音機。耳をスピーカーに当てるようにして、ラジオ放送をきいている次郎。一郎が次郎 の側にやって来る。

語り「翌日のことだった」
一郎「次郎、ちょっと父さんのいうこと、きいてくれるか?」
次郎「うん(顔を一郎の方に向ける)」

一郎「実をいうと、父さん、商売で失敗してそれで、今度、ここに、父さんがお金、借りている人が集まるんだ」

  (じっと話を聞いている次郎)。
一郎「それで、この家、借金のかたに取られるかもしれない」

  
一郎「今、次郎が聞いている電蓄も取られるかもしれない」
次郎「電蓄も?(おもわず涙ぐむ次郎)」

  
一郎「もし、そうなっても、次郎、泣くんじゃないぞ。男なんだから」
次郎「うん(涙がこぼれる)」
一郎「いいこだから我慢するんだ」

次郎「うん、ぼく、少年探偵団がきけなくても我慢する(さらに涙がこぼれ落ちる)」
一郎「もし、家がなくなったら、父さん、ドミニカにみんなで移民しようと思っている。ドミニカって知ってるか?」
次郎「(首をふる)ううん」

一郎「いい国だ。家も畑もただでくれるんだ。父さん、小さい頃、百姓してた。おまえも百姓するか?」
次郎「うん、する」
一郎「だから、家がなくなっても、泣くんじゃないぞ」
次郎「(頷く)うん」

○ 自宅、6畳の間、債権者会議(午後)

  床の間を背にした10名の債権者。その前で一郎が頭を畳にこすりつけるように平身低頭している。お茶をだす、和子とイネ。和子の身体が小刻みに震える。頭を畳にこすりよせたままの一郎。外から隙間ごしに中をのぞいている次郎

語り「数日後、父のいう債権者会議が開かれた」

  切れぎれに聞こえてくる言葉

債権者A「斉藤さん、そうはいってもね、ここまでくれば・・・・・」
債権者B「私達だってこまっているんですよ。金が余っている訳じゃないんだから・」
債権者A「このさい、きっちり精算してもらったほうが・・・・・・」

一郎「お願いします。もうすこし、もうすこし待ってください。必ずおかえしします。あてはあります。盛岡のX商店からちかぢか送金があるはずです」
債権者A「そんなこといってもねえ。X商店だって倒産してるんですよ・・・・・」

  父と母の頭を深々とさげる姿。
  

債権者B「まあ、いつまで頭をさげててもはじまらないから、じゃ、こおしましょう。斉藤さん、借用証書、かいてください。みなさん、長期弁済で手をうとうじゃないですか。まあ、斉藤さんともながい付き合いだから。どうですか」

  間
債権者A「まあ、仕方ないか。家を売ってもこんなボロ屋じゃねえ。それに借地でしょ。あとは、汚らしい電蓄一台か(軽蔑したように)」

  全員の目が電蓄に注がれる。軽い軽蔑した笑い。一心に電蓄を見つめている次郎

○ 自宅(秋、朝)

語り「その日は、小学校の運動会だった」

  運動会を知らせる花火。横断幕。白ズボンの代わりに一郎のステテコをとりだす和子。それを見ている次郎。

和子「次郎、お前、これをはいていきなさい」
次郎「これぇー、これとうちゃんのステテコじゃない? ヤダよ」
和子「ステテコじゃ、ありません。白ズボンです」

次郎「こんなに薄いよ、ステテコだよ」
和子「ステテコじゃ、ありません(強く)」

  ステテコを手でつまみあげる次郎。生地が透き通っており、向こうが見える

次郎「でも、みんな、ステテコだというよ」
和子「母さんが、ステテコじゃないといったら、ステテコじゃない(強く)」
次郎「でも・・・・・」

和子「男の子でしょ。しっかりしなさい(ヒステリックに)」

  黙ってステテコをはく次郎。唇をかみしめている。

○ 運動会(朝)

  次郎の周りに集まっているクラスの子供達。次郎の白ズボンについて言い合っている。ガキ大将のアキオが次郎のステテコをつまみながら詰問する。

アキオ「次郎、オメエのズボン、ステテコじゃないか?」
次郎「ちがうもん、白ズボンだもん」
アキオ「じぁ、なんでこんなに薄いんだよう!」

次郎「薄くないもん(強く)」
アキオ「チンポがすけてみえるじゃないか、ステテコにきまってらあ」
次郎「見えないもん(強く)」

子供達「(はやす)チンポがみえる。チンポがみえる」
次郎「見えないもん(唇をかみながら)」
アキオ「オメエ、運動会は白ズホンって先生がいってたの聞いてネエのか。タコ、先生に次郎が白ズボン はいてネエっていってこい」

  顔が真っ赤になり、思わずアキオに飛びかかる。

次郎「白ズボンだっていったろう(大声で)」

  とっくみあいの喧嘩。回りの子供がみんなアキオに加勢する。裂けるステテコ。担任の立川先生(25才)が騒ぎに気付いて近づく

立川先生「お前達、なにしてるんだ!」

  喧嘩を止める子供達。

アキオ「先生、運動会では白ズボンだよね」
立川先生「そうだ」
アキオ「ほれみろ、次郎、先生が白ズボンだといってるぞ」

次郎「白ズボンだもん」
アキオ「先生、次郎のはいてるのステテコだよね」
子供達「ステテコだ。ステテコだ(大合唱)」

  じっとステテコを見る立川先生。助けを求めるような次郎の目。

立川先生「・・・・・・・・」
アキオ「(強く)ねえ、先生、ステテコだろう!」
立川先生「(曖昧に)ステテコみたいだな?」

アキオ「ほれ見ろ、ステテコじゃないか。次郎は嘘つきだ」
子供達「(はやす)嘘つき次郎、嘘つき次郎」

下を向き唇をかみ締める次郎

(明日に続く

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(20.8.5) 6.14恐喝暴行事件の続報(その3)

シナリオシリーズを掲載中ですが、6.14恐喝暴行事件に合われたA君のお父さんからメールをいただきましたので、その記事を先に掲載いたします

 このブログでは6月14日恐喝・暴行事件(高校1年生のA君が、15、16才と思われる高校生の4人組から恐喝を受け、現金を脅し取られた上暴行を受けた事件)について、引き続き掲載していくことにしている。その最大の理由はこのような事件が多発しているにもかかわらず、一般メディアには全くといっていいほど掲載されないからだ


 今回被害に会われたA君のお父さんから、加害者の少年達に審判が下ったことを機に、お父さんの心情を述べられたメールが送付されてきたので、全文を掲載したい。
このお父さんのメールを読めば、日本の法律が少年の更生という名目で加害者だけを守り、被害者は全くと言っていいほど法律に守られていないことが分かります。

刑事裁判は少年の更生を図るのが目的だから被害者は関係ない。必要があれば民事裁判で損害賠償を請求すればいい」と言うのが日本の実情です。
ですから私達住民がA君やA君のお父さんを支援していかなければ、被害者は精神的にも実質的にも孤立してしまいます。
今後もこのブログでは被害者の家族を支援するために、記事の掲載を続けます。



山崎 次郎 様

 少年たちに審判が下った。

しかし、その内容をお伝えすることはできない少年法の精神に反していると言う。

被害者は申請すれば家庭裁判所で調査官などに意見陳述し、審判結果通知を受けることができる。知り得た情報は誰にも明かさないことを求められる。

 少年審判当日は全て非公開被害者は傍聴すらできない。申請しなければ公には審判結果の内容を知ることはできない。

少年法において少年犯罪は罪を処罰すること以上に、少年の更生、健全な育成と社会への復帰を優先させている。加害者はもちろん、その家族を含めプライバシーの侵害を受け、この少年法の精神を被害者であれ、何人も阻害してはならないのだ。
ところが、被害者とその家族に対するケアーは極端に少ない。

 少年たちの刑事罰は決まった。良識ある裁判官が下した罰であると信じる。

民事処分はこれから。息子の脱臼した上顎前歯の神経は壊死した。今は歯根膜をこれ以上傷付けないよう、時間をかけて少しずつ壊死した神経を摘出している。折れた下顎前歯は元には戻らない。前歯を使っての食事はまだできない。心の傷も受けた。前歯が全部抜け落ちる夢を見ている。

 息子が受けた心身の傷は元には戻らない。ところが、加害者たちにはやり直すチャンスが与えられる。法律は犯罪を起こした少年を守る。このアンフェアーは酷過ぎる。損害賠償でこの喪失感、法律の不条理への憤りを静めることができるのか。

多くは期待していない。しかし、614日以降、被害者家族として受けた冷遇は忘れられない。くやしい。許せない。

 是非、被害者に刑事罰がどんな手続きで進むのか。刑事と民事の違いは。健康保険は使えるのかなど相談に乗ってくれる仕組み(機関)を作ってほしい

 被害者の立場になって寄り添ってくれる人がほしい。私はなりふり構わず多くの人に助けを求めた。仕事を休んでも自分の足で歩き、突然襲い掛かった悲劇と向き合う術を求めた。自分の気持ちを整理しようとしてきた。とんでもなく、しんどい。なぜ、被害を受けた者がこんな思いをしなければならないのか。おかしい。間違っている。

 第二、第三の被害者を産み出さないために何が必要か。

加害者の親の教育が絶対必要である。審判を受けた後も、「今までの子どもの育て方に間違いなかった。我が子がした事とは信じられない。ショックを受けている」と平然と私の前で言い切る親がいる。

 私の息子を襲撃するまでの我が子の振舞いを知らない?知らないふりをする親がいる。未だに姿を現さない父親がいる。被害者の痛みを受け入れない、事実と向き合う事を避け、弁護士に全てを任せ名前と連絡先さえ言わない親がいる。こんな無責任な親たちの姿勢を敏感に子どもは感じ取る。親に甘えがある以上、子どもがほんとうに更生できるとは思えない。

親を教育する仕組みがあるのか。これから確認したい。なければ作るべきである。

 息子の治療が一段落付いた時点で損害賠償を請求する。戦いはまだまだ続く。

皆様からのご厚情にこの場を借りてお礼を申し上げます。これからも、変わらぬご支援をお願いいたします。

 表に出ていないカツアゲなど少年犯罪が身近でたくさん起こっています。カツアゲは昼間も起こっています。ゲームを楽しむ感覚、親からもらっているこずかい以上に飲食、遊興したいが故に罪の意識なく、どこにでもいる一見普通の子どもが犯罪を起こします。カツアゲに応じない気持ちを持ってください。被害届を警察に出す勇気を持ってください。悪い事を悪いと言い、許さないおゆみ野を作りましょう。
 

 罪は厳粛に償い、真にやり直そうとする少年とその家族を受け入れ、見守る街を作りたいと願います。

そうでなければ、被害者とその家族はどうしたら報われるのでしょうか。

私は考え、私の思いを発信し続けたいと思います。

では、またご連絡します。よろしくお願いいたします。

平成2083日 父親

(20.8.10追加)この記事にコメントをしてくださった、yokuyaさんがA君の記事を書いておられました。以下のURLをクリックすると見ることが出来ます
http://biomass.exblog.jp/8812762/    

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(20.8.4) ぼくが生きた時 その1

本日から6日間はシナリオシリーズです。

○ 東京近郊の地方都市(昭和28年、春)

 小学校入学式の帰り。桜。斉藤次郎(7才)と母、斉藤和子(30才)の二人。

次郎「先生、名前、なんだったけ?」
和子「高崎先生、もう名前忘れたの。だめよ、よく覚えておきなさい。高崎先生、いってごらん」
次郎「高崎先生」
和子「そう、わすれちゃだめよ」
次郎「うん」
和子「それから、授業中は先生の目をよくみて、背中を伸ばして、いーい」
次郎「うん」
和子「うんじゃない、『はい』っていいなさい」
次郎「はい]
和子「それから、名前はといわれたら?」
次郎「斉藤次郎(小さな声で)」
和子「だめ、もっと大きな声でいいなさい。 もう一度」

 子犬が前をとおりぬける。みとれている次郎。尻尾をふる子犬。頭を撫ぜようとする。むっとする和子。

和子「(厳しく)おおきな声でと言ったでしょ、この子はすぐ注意が散漫になるんだから。もう一度いいなさい」
次郎「斉藤次郎(びっくりしながら大きな声で)」

  丘。桑畑。雲。舞う桜。

○ 斉藤次郎の家(5月、午後)

 1階建、6畳、4畳半、3畳、台所のこじんまりとした安普請の家。6畳間にちゃぶ台が置かれている。次郎と和子。和子が国語を教えている。

語り僕が生まれたこの地方都市は何の変哲もない田舎町だった。鉄道、甲州街道沿いの商家、桑畑が僕の知っているすべてだった。
この町に父母が居をかまえたのは、父が勤めていた軍需会社が疎開先をこの町にきめたからである。
戦後、失業した父は、この町で炭を売り、そして僕が物心ついたときこの町の唯一の産業である絹織物の行商の仕事をしていた

和子「また背中がまるまってる。伸ばして!ちゃんと書いて!そうじぁないでしょ。書き順がちがうでしょ。ほら、もう一度」

 もう一度、書きなおす次郎。
和子「またー、何度言ったらわかるの、ちがうでしょ(イライラする和子)」

 下を向いている次郎、目が吊り上がっている和子
和子「もう一度(強く)」

 書こうとしない次郎。
和子「なぜ、書かないの、書きなさい(声がだんだん大きくなる)」

 涙ぐむ次郎
和子「早くしなさい(怒鳴る)」

 ようやく書き始めたが、手が震えてかけない。
次郎「か、書けない(下をむきながら、弱々しく)」
和子「書けないなんてことないでしょ、馬鹿(次郎の左頬を平手打ち)」

 飛ぶ次郎、襟首をつかみ引き戻す和子。和子の母親、イネ(65才)が見かねて仲裁に入る。

イネ「お前、次郎は子供なんだから、そんな無茶しちゃ・・・次郎いいからあっちにいきなさい」

 しゃくりあげながら、ちゃぶ台を離れる次郎。怒りがおさまらない和子。

和子「おばあちゃん、口出しするのは止めてよ!」
イネ「和子、子供を叱りすぎると頭がわるくなるんだよ(静かな声で)」
和子「なにいってんの、おばあちゃん。あの子はどんなにしかっても大丈夫なの。馬鹿なんだから」
イネ「そんなことないよ。みてごらん。ふるえてるじゃないか」

 隅でちじこまり、震えながら不安げに和子を見ている次郎。
和子「字もかけずに,そんな恰好するんじゃない(怒鳴る)」

○ 外、子供達(同日、夕方)

 近所の子供が集まっている。20名。がき大将は小学校6年のヤス(12才)。かくれんぼ。

語り「当時、どこの路地にも20名ぐらいの子供のグループができていた」
ヤス「おい、かくれんぼするぞ。かくれんぼするもの、この指とまれ」

 すばやく指に集まる子供たち。次郎が一番遅くとまる。
ヤス「次郎、オメエが一番遅かったから、鬼は次郎」

 はやす、子供。下向く次郎。
次郎「鬼はジャンケンじゃなきゃ、ずるいよ(ぼそぼそと下をむきながら)」
ヤス「遅いのがわるいんだ、次郎。あの電信柱で100数えろ。はやく離れたら反則だぞ」

 ごすごと電信柱に向かう次郎。電信柱で100数えて、振り向く。最初にヤスが見つかる。

次郎「ヤスちゃん、見つけた!」
ヤス「次郎、オメエ、100数えてネエ。反則だ」
次郎「かぞえたもん」
ヤス「反則だ!」

 他の子供達も、ヤスに同意する。
子供達
「ハンソクダ、ハンソクダ、ハンソクダ」

 下を向きながら再び電信柱に向かう。100数える次郎。電信柱を離れる。最初にタカが見つかる。

次郎「タカちゃん、見つけた!」
タカ「次郎、反則だ。100数えてネエ」
次郎「数えた(強く)」
タカ「100数えてネエ、なあヤスちゃん」

 子供の視線がヤスに集まる。食い入るような次郎の目。

ヤス「100数えてネエ、次郎、反則だ(冷たく)」
子供達「ハンソクダ、ハンソクダ、ハンソクダ」

 目から涙が流れる。肩を落とし電信柱に向かう次郎。夕日、空に一番星。コウモリの飛翔。子供達のハンソクダ、ハンソクダのはやし声。

○ 斉藤次郎の家(午後7時)

 外に井戸がある。井戸で顔をあらい、涙のあとを隠そうとしている次郎。家の中から和子の呼び声が聞こえる

和子「ご飯だよ、手洗って早くきな」
次郎「うん(慌てて目をこする)」

 目がはれている。

○ 4畳半での食事(午後7時すぎ)
 
 和子、次郎、イネ、妹の令子(6才)、弟の則夫(3才)の5人。父親の一郎(37才)は仕事で帰ってきていない。ちゃぶ台での粗末な食事。ご飯、おみおつけ、一品のおかず。

和子「次郎、今日、外でなにして遊んだ?(ご飯をよそりながら)」
次郎「うん、かくれんぼだよ」
和子「鬼はだれ(それとなく)」
次郎「・・・・・(食事の手を止める)」

  
和子「鬼はだれと聞いてるでしょ(強く)」
次郎「タカちゃんと、ヒロちゃんと、ぼくだよ(あわてて答える)」
和子「違うでしょ(更に大きな声)、母さん窓からみてたよ。次郎がずうっと鬼だったじゃない。どうして嘘つくの」
次郎「・・(下をむいたまま答えない)」

  間
和子「次郎、お前、どうしていつも鬼なの(強い調子で)」
次郎「あのー、ヤスちゃんがぼく、鬼だというんだ(下をむき、箸とチャワンを持ったままの姿勢)」
和子「鬼はジャンケンできめたの」
次郎「ううん(首を横にふる)」
和子「じぁ、どうやって決めるの(イライラしながら)」

  
令子「コノユビトマレだよ。にいちゃん、遅いからいつも鬼なんだ(口をはさむ)」
和子「この子はいつもノロマだから・・なぜジャンケンできめようっていわないの(ヒステリックに)」
次郎「言ったけど、ヤスちゃんがコノユビトマレだって(ぼそぼそと)」
和子「馬鹿(次郎の左頬を平手打ち)」

 泣きじゃくる次郎、無言の令子と則夫。イネが仲裁にはいる。

イネ「和子、もうよしなさい。次郎も早く食べておいき」
和子「おばあちゃん、余計なこといわないでっていったでしょ。この子はいつもグズで馬鹿だから,母さん、いつもつらい思いしてるんだ。なぜジャンケンだと言わないの(気が高じて次郎の襟首をつかむ)」

 割ってはいるイネ。逃げる次郎。目をつりあげる和子。黙って下を向いている令子と則夫。飛び散った箸とチャワン。

○ 和子の回想(子供時代)

 (映像
 山口市。地主の屋敷。立派な門。掘割。白壁。枝振りのよい松。子供たち。一人美しい着物を着た和子。ぼろをまとった小作の子。中心になって遊ぶ和子。鬼を指定する和子。泣く小作の子。和子に慇懃に挨拶するとうりすがりの小作。

 (映像
 次郎の泣顔。いますんでいる小さな古ぼけた一軒家。貧相な夫。

和子「なんで(独り言)」

○ 学校の校庭(昭和34年、小学校6年、秋、放課後)

 クラスの男子生徒20名が遊んでいる。かくれんぼ。がき大将のアキオが命令している

アキオ「次郎、オメエ昨日の最後の鬼だったから、つづきヤレ」
次郎「ヤダヨ、ぼく、ずーっと鬼じゃないかヤダヨ」
アキオ「オメエ、ずるいぞ。鬼がヤダからそういうんだろ」
子供達「(一斉にはやす)ずるいぞ、次郎、ずるいぞ、次郎」

 次郎の肩をこずく子供達。目に涙をためしばたたせる次郎

子供達「次郎がまた泣いたぞ。パチクリ次郎 パチクリ次郎」

 鬼になる次郎。かたまってかくれている子供達。杉の木で100数えて振り向く次郎。一斉に雄叫びをあげ、次郎にむかってかけだす子供達。逃げながら『○○ちゃん見つけた』と懸命にいう次郎。足の速いアキオが次郎にタッチする

アキオ「次郎、タッチしたぞ。鬼だ」
次郎「ぼく、アキオちゃん見つけたって言ったよ」
アキオ「イワネエヨ」
次郎「いった(強く)」
アキオ「なら、みんなに聞いてみろ」
子供達「(一斉にはやす)イワネエ、イワネエ、イワネエ、イワネエ」

 目から涙が溢れる次郎。
子供達「パチクリ次郎、パチクリ次郎」

○ 学校の校庭(放課後、数日後)

  クラスの男子生徒20名。かくれんぼの続き。がき大将のアキオの命令

語り「今日もまだ僕の鬼が続いていた」
アキオ「次郎、オメエ、今日も鬼だ。続きをヤレ」

 無言の次郎。黙って杉の木に100数えにいく。杉の木を離れない次郎。イライラしながら隠れて待っている子供達。たまりかねてアキオが催促する。

アキオ「次郎、もう100数えたんだろ、早く探しにこい」

 振り向くが杉の木を離れない次郎。一斉に雄叫びをあげながら、次郎に向かって走り出す子供達。次郎にタッチ。されるままになっている次郎。無表情。
   
アキオ「ずるいぞ、次郎。木を離れて探しにこい」

 無表情の次郎。
子供達「ずるいぞ次郎、ずるいぞ次郎」

 無表情の次郎。

○ 授業中(昼)

 次郎の後ろにアキオが座っている。アキオが次郎の背中をこずく。振り向く次郎

アキオ「(小声で)おい、次郎、パン買ってこい」
次郎「やだよ、授業中だよ、先生に怒られるよ」
アキオ「おめえは、オニなんだからいくんだ]
次郎「やだよ」

 後ろから背中をおもいっきりたたくアキオ。
アキオ「行け、次郎」

 仕方なく身をかがめ隠れながら教室をでようとする。わざとアキオが音をたてて,教師の注意を次郎に向ける。立川先生(25才)に見つかる次郎。

立川先生「次郎、何してんだ」
次郎「あの、ぼく」
アキオ「(さっと立って)先生、次郎はずるして授業をさぼろうとしました」
生徒達「(はやす)さぼりや次郎、さぼりや次郎」                
立川先生「次郎、本当にそうか?」
次郎「あの、ぼく」
アキオ「(強く)次郎はよくさぼってます」
生徒達「(はやす)さぼりや次郎、さぼりや次郎」

 目に涙を浮かべる次郎。(明日に続く)


立川先生「(冷たく)次郎、そこに立ってなさい
次郎
「(涙ごえ)ぼく・・・
生徒達「
ぱちくり次郎、ぱちくり次郎

 涙を浮かべ肩を落として立つ次郎。

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(20.8.3) 夏休みがほしい

 夏休みがほしいと真剣に思うようになった。ブログの掲載についてである。私は去年の1月以降、ココログがメンテナンスで使用できなかった1日を除いて、毎日ブログを掲載している。
鉄人、リプケンみたいだ」自分で感心している。

 ところがそうなってくると一日でも休むことが精神的に出来なくなった。
毎日清掃活動から帰って一休みした後、2時間程度かけてブログを作成している。

 従来は自分が経験したことを書いていたのだが、1年半も書いているとそれでは足らなくなってきた。最近は週に1回~2回は評論を書くことにしたが、この場合は資料集めの時間が必要になり、あれやこれやで半日ぐらい時間がかかってしまう場合も多い。

主よ、このロドリゴに安息日がないのでしょうか
特に今は夏休みだ。みんなが山や海や海外旅行をしている時に、ひたすらブログを書いているのはつらい。

 思い切って休めばいいのだが、ブログは更新回数が減ると途端に読者が減ってしまう。
ブログの制作者は中小企業の社長と同じで、毎日が勝負と言うようなところがある。男はつらいよタコ社長と同じだと思えばよい。

うぅーん、どうしようハムレットのように悩んでいたらこのような時の常套手段を思い出した。
私は45歳の前後シナリオライターになろうとして、かなりの作品を書き溜めた。このブログのカテゴリーのシナリオにすでに数作品紹介したが、実は明確には紹介していないある作品がある。

 それは「幼児虐待」を扱った作品だが、今から15年以上も前の時代ではこの主題はほとんど注目されることはなかった。
虐待を受けている幼児がいると近所の人が警察に通報するようなったのは最近のことで、当時はまだ親が子供を折檻していても家庭内の問題だと判断している人が多かったからだ。

 私はこの作品がとてもすきなのだが、このシナリオを読んだ先輩のシナリオ作家は「内容が暗く、特に母親が異常に子供に厳しすぎる」と評価した。こんな母親はいないし、シナリオの主題としても社会が注目していないと言うわけだ。

 私はある特別な理由があって、「幼児虐待」の事実を早くから知っていたが、これがシナリオの主題として世の中に認知してもらうためには、15年の歳月が必要だったことになる。

 夏休みの作品としてはポケモンのような明るさがないので申し訳ないが、人の心の闇に感心がある人には良い作品だと思っている。

亀ゴン、明日からは昔書いたシナリオを掲載することにしたよ
「『ぼくが生きた時』と言う題名だそうですね

うん、幼児虐待やいじめられっ子を扱った内容だけど、昔書いたときは暗すぎると言われて評価されなかったんだ
特に幼児虐待が注目されるようになったのは最近ですからね

そうなんだ。幼児虐待は虐待された児童は深い精神的傷を負うのだけれど、精神的傷は外からみえないからね
夏休みシリーズの一環ですか
うん、少し休みを取りたかったんだ

明日から掲載します

 

 

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(20.8.2) 北京オリンピックの金メダルはいくつだろうか

 北京オリンピックがこの8月8日から24日までの17日間にわたって開催される。以前はこの時期になると金メダルがいくつ取れるかの予想が新聞やテレビで連日報道されていたものだが、今回はやけに静かだ。

 日本人も大人になって、オリンピックの金メダルの数が国威発揚にはつながらないと悟ってきたのか、あるいは今回は誰が見てもアテネ金16には及ばないと思っているのか、いづれにしても意気があがらない。

 日本オリンピック委員会(JOC)の強化育成専門委員会は昨年11月に、陸上、水泳、体操、柔道、レスリングの5競技団体から予想獲得金メダル数を聴取した。結果は陸上2、水泳1、レスリング3、柔道4~5で、計10~11の予測(体操はメダルの内訳を示さずメダル4と答えている)をあげているが、私の予測はこれより厳しい。

 その一番の理由は日本柔道の黄昏にある。なにしろアテネオリンピックで男子3個、女子5個の金メダルを取り、「さすが柔道日本だ」と言わしめた勢いは、昨年のリオデジャネイロ世界選手権で完全に失速してしまった。
この世界選手権では井上康生鈴木桂治と言った日本のエースが予選でバッタバッタと敗退したのだから、首脳陣は真っ青になった。

 日本が苦戦した一番の原因は、日本柔道の欠点を各国に研究されたからだ。日本柔道は美しい一本勝ちの柔道を行なうが、そのためには思い切ってワザをかけないといけない

 弱いと技をかけているときの態勢が不安定になり、そこをねらって返されてしまうためだ柔道をしたことがある人は知っているが、掛け技より返し技のほうが楽に習得できる。
各国の選手はこの返しワザ全力で磨きをかけた。
その結果井上康生鈴木桂治が次々にしとめられてしまい、それを見ていた他の日本選手は動揺し、まともなワザをかけられなかった。その結果が金3の惨敗だ。

 その傾向はその後に行なわれたアジア選手権でも続いていたので、どう考えても柔道は世界選手権の金3が限界だろう。

 また陸上の金2も難しそうだ。野口みずき室伏広治に期待してのことだが、野口はともかく室伏の金はありえない。今期は調整が遅れて最近になってようやく80mを越すことが出来たが、ライバルは84m程度をいつでも投げている。
おそらく室伏銅メダル程度が限界だろう。

 レスリング3も少し難しそうだ。前回同様吉田伊調馨金2が取れれば上々だろう。
水泳は北島康介が得意の200m金1個ではなかろうか。
体操は前回体操日本が復活し団体戦で金だったが、今回は開催国の中国が強いので銀メダルがいいとこだろう
そうした積み上げをすると金メダルは結局と言うことになる。

 勝敗は時の運のようなところがあり、上にも下にも振れる可能性があるから、バッファーを見て金メダル数はプラスマイナス程度と言うのが私の予想だ。

亀ゴン、今回のオリンピックはやけに静かだ。金メダルがいくつになるかと言うような話がほとんど新聞やテレビで報道されない

それは、2006年のトリノ冬季オリンピックで懲りてるからですよ。
トリノの時は大選手団と大報道陣をトリノに送って、メダルラッシュを期待したのに、結局は荒川静香選手の金一つだったでしょ。

おかげでイタリアでは『世界最大の日本の報道陣は何もすることがないので観光旅行をしている』なんて揶揄されていましたからね

そういえばNHKのヒーローインタビュールームに入賞選手を呼べなくて、アナウンサーが困り果てていたな

今回もそのようなことが予想されるので、さすがにはしゃげないと言うのが実態でしょう


本件と関係するブログは以下の通り。

日本柔道危うし

 

 

 

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(20.8.1) 散歩おじさんからの便り

 私のところに散歩おじさんから定期的にメールが届く。
散歩おじさんは毎日早朝、四季の道2周しているので必ず私とは会っている。

何か良いことは有りませんか」私の口癖だ。
そんなに、いいことはありませんよ散歩おじさんはいつもそう答えていたが、先日のメールで宗旨替えをしたことが分かった。

 散歩おじさんは友達から年賀状で言われたそうだ。
毎日のニュースは、・・・悪い記事ばかり目に付きますが、勇気が持てるような一日一つ『よいこと日記』を書き続ける年にしたいです

今日から良いことを毎日一つ見つけよう散歩おじさんは決心した。

 さっそくよく四季の道で会うカモシカ姉さんに言ったそうだ。
今朝は美男でもないし、ちょっと頼りない散歩おじさんですが、また会えてよかったと思いましょう。そうすれば元気でいつも清掃活動できますよ

 実際は会えてよかったのは散歩おじさんの方だったようで「今日は元気なカモシカ姉さんに会えた」ことが「良いこと日記」だったらしい。

 また散歩おじさんのメールにあった花形賃貸住宅の話は示唆に富む話だ。
1950年代、日本住宅公団が当時の花形賃貸住宅として建設した団地があった。

 足立区だが埼玉県との県境にあり、2DKタイプ、洋風トイレに風呂付の当時としては最新鋭の団地だったそうだ。
そこに散歩おじさんも16回も抽選に応募し、ようやっとのことで入居できたと言う。
これで俺も、都市住民として憧れの生活ができる」25年間そこで過ごしたそうだ。

 ところが最近新聞を見てびっくりした。
築44年、足立区の旧公団住宅で、孤独死」と見出しが躍っている。
そこは紛れもなく散歩おじさんが若き日を過ごしたあの団地だ。

 1998年、団地の老朽化による立替計画が出来て、新規の入居が停止されたため若い人の入居がなくなり、現在は総戸数2725戸のうち、約1000戸が空き家になっているという。

 散歩おじさんは書いている。
44年の時間の経過と共に、我が故郷ははやあこがれの住まいではなく、人も団地も老い孤独死を生む集落に変貌してしまった。
憧れの公団団地は今や、世帯主の65%が65歳以上になり街としての機能をうしないつつあるという。

20歳代から過ごした、憧れの団地にも老いが迫り消えていくのは悲しい

 街を活性化させるためには若い新たな住民が入ってこないとダメと言う事例だ。そのためにはこの街に住んでみたいという気持ちにさせるような努力が必要だ。
ほっておくと街は老い、そして荒廃する。

 私たちクリーンクラブはこの街を少しでも美しくし保つことによって、この街を見た人が「こんな美しい遊歩道がある街に一度住んでみたい」という気持ちを起こさせるために活動している。

 地味だけれど重要な活動だと散歩おじさん花形賃貸住宅のメールを見て再認識した。

 

 

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