(20.8.17) 私は貝になりたい
「私は貝になりたい」は1958年にテレビ放映された、橋本忍脚本、フランキー堺主演のテレビドラマの名作である。
清水豊松という理髪店を営む気が弱いが優しい平凡な人間が、上官の命令で捕虜になったアメリカ兵を殺害しようとし、その罪でBC級戦犯として絞首刑になった物語である。
戦後間もなかった当時、日本人は軍隊と言うものが絶対服従の世界であることを知っていたので、この清水豊松が絞首刑になった理不尽さに心から同情し涙を流した。
「私は貝になりたい」と言う言葉は清水豊松が絞首台に向かう前に書いた遺書の一節である。
「せめて生まれ代わることが出来るのなら……
いゝえ、お父さんは生れ代わっても、もう人間になんかなりたくありません。
どうしても生まれ代わらなければならないのなら……いっそ深い海の底の貝にでも……
そうだ、貝がいゝ
貝だったら、深い海の底の岩にへばりついているから、何の心配もありません。
兵隊にとられることもない。戦争もない。
どうしても生まれ代わらなければならないのなら、私は貝になりたい……」
実は私はこの夏休みの時期になるといつも「私も貝になりたい」と思うのだ。
別に戦争に行ったわけでもなく、またBC級戦犯として絞首刑になるわけでもないが、気持ちがそうなるのだ。
原因は四季の道に隣接する公園の花火の後片付けに忙殺されるからだ。四季の道には多くの公園があるが、なかでも秋の道公園、そばら公園、春の道公園、のりくら公園にはほぼ毎日のように花火の残骸が残されている。
大きなゴミ袋にまとめられている場合も有るが、一方まったく散らかし放題に散らかされている場合も多い。
「花火は楽しい。しかし後片付けはいやだ。どっかのおっさんや、おばさんにやらせよう」そう思っているようだ。
特に春の道公園は最悪で、クリーンクラブのカモシカ姉さんや小太郎姉さんとほぼ毎日のように片付けているが、翌朝はまた大量の花火の残骸だ。
「散らかし放題でよく平気でいられるわね。子供頃からのしつけがなっていないのかしら」小太郎姉さんが怒っていた。
私は毎年のことなので諦めているが、気持ちがだんだんと落ち込んでいくのはいたし方ない。
なにしろ夏の暑い時期に大量の花火の屑を持って歩くのはそれだけでも至難の業なのだ。
こういうときは右足の坐骨神経痛がひどく痛む。
「せめて生まれ代わることが出来るのなら……
いゝえ、私は、もう人間になんかなりたくありません。
どうしても生まれ代わらなければならないのなら……花火の残骸のないいっそ深い海の底の貝にでも……
貝だったら、深い海の底の岩にへばりついているから、公園の清掃をしないですみます。
真夏の道を大黒様の袋のような、膨れ上がった花火の残骸を持たなくてもすみます。
どうしても生まれ代わらなければならないのなら、私は貝になりたい……」
花火をした後の写真の一部を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20816?authkey=AlLV9aevzcM
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コメント
毎日ご苦労様です。
先日は偉そうなことを書きましたが、山崎さんは実践家なのですね。
大変失礼をいたしました。
どうして散らかすのでしょうね。理解できません。躾がなっていないですね。
電車でも、食べ散らかしの菓子の袋、コーヒーの缶などをそのままにして降りてしまう奴等がいますね。
この頃は、良識あるべき親父共の中にも、これを真似して平気なのがいて、愕然とします。
私も、下車する際に、よく手近なゴミを拾って降りることがあります。
周囲にゴミがあると嫌です。自分のせいでゴミが散らかるなど、恥ずかしいことです。
社会の一員だ、との自覚があれば、こんなことはしないはずなのですが。
甘やかされ、親や周囲に咎められなかった子供が、そのまま尾を引いているのでしょうか。
お体お大事に、適度にお励みくださいませ。
(山崎) 時々愚痴をこぼしてしまうのです。コメントありがとうございました。
投稿: yokuya | 2008年8月17日 (日) 10時36分