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(20.7.31) 不思議な本を貸してもらった

Image0_3  友達のNさんからとても不思議な本を貸してもらっている。本の題名は「あの頃の暮し」と言うもので、戦争末期から戦後初期にかけての、隣の誉田町(当事は誉田村)の様子を漫画とストーリーで描いたユニークな本だ。
当時はここおゆみ野は原っぱのような場所であり、誉田村が最も人口の多い、このあたりの文化の中心地だった。

 作者は宮崎よしひささんと言い、誉田村で生まれ今も誉田町に住んでいる地元の絵本作家で、若いときから漫画家を志して努力されたらしい。作風は馬場のぼるを彷彿させるほのぼのとしたタッチだ。

 私は当初「あの頃の暮し」と言う本の発行者が誉田商店街と言うので商店街の宣伝用雑誌かと思ったが、実際は誉田町の戦中・戦後の歴史書だった。

 これによると誉田駅にはかつて桜の古木があり、春は桜の花見を楽しんでいたこと、また駅の前には共同の井戸があって、当時の主要な交通手段だった馬車の馬方行商人の喉を潤していたことが分かる。
また大網街道は自動車など通ることもなく、子供の遊び場だったようだ。

 子供たちの遊びもユニークででリスの子供を森から見つけてきては牛乳で育てるのがはやっていたようだ。人間が育てたリスは育てた人間を親だと思って懐いたのだそうだ。

 また戦争中はここ誉田村に多くの兵隊が分宿していた。九十九里から米軍が上陸するのに備えて房総半島には多くの兵隊を帝国陸軍は配備していた。
ただし全く兵器を持っておらず、もっぱら防空壕を掘っているか、疎開した軍需工場で作業していたと言う。

 特に誉田小学校には多くの兵隊が分宿しており、松ノ木の上で敵機の来襲を見張っていたが、敵機が来ると防空壕に逃げ込むことだけが対抗策だったそうだ。

 また誉田村の上空でも空中戦が行なわれたが、もっぱら逃げていたのは日本軍機だったという。

 戦争が終わると誉田駅は故郷に帰る兵隊で大混雑をした。
大網街道にはアメリカ軍の戦車が轟音を立てて通っていき、子供たちは予想に反して優しいアメリカ兵にチョコレートをねだった。
そして日本軍が引き上げた後の草原に大量の軍の実弾が残されていたので、それで遊んだのだそうだ。

 この作者の母親は床屋を開業していたのだが無免許だったそうだ。仕方ないので休業中という札をぶら下げて、実際は営業していたと言うが誰もとがめる人はいなかったらしい。
なんとものどかな話だ。

 また誉田村には東洋交通と言うバス路線があったが、戦争が激しくなると燃料がなくなり木炭車になってしまった。馬力がなく坂道を登れなかったと言う。

 このあたりでは正月になると新しい下駄を注文するのだが、下駄は注文生産だったので、下駄屋さんに子供たちはよく足を運んだ。できばえが気になったからだ。

 そして町医者としては小沢医院しかなかったらしい。高齢の先生で往診を頼む時はリアカーに筵を引いて乗せてきた。

 こうした話が漫画とストーリーで続いており、見ているとなかなか楽しい。
いわば3丁目の夕日の世界に似ているが、それよりも10年以上前の話である。
この本は一般の本屋では売られていないので、入手しづらいが近在公立図書館には配布されているのではなかろうか。

 古きよき時代にノスタルジアを感じる人は一度読まれることを薦める。

(20.8.1追加) このブログを記載したところ、Nさんから緑区選出の「千葉市議会議員 みす和夫 後援会HP」の中に「あの頃の暮し」が掲載されているとの連絡を受けました。
題名は(あの頃地元誉田では)となっていますが、内容は「あの頃の暮し」と同じです(ただしページの順序や構成は異なります)。
以下のURLをクリックすると見ることが出来ます。


・終戦から60年 (あの頃地元誉田では)
http://www.misukazuo.jp/supporters/anokoro/index.html



別件)昨日調査をした携帯を利用してブログを見ている人の割合は、推定で5%程度と言うことが分かりました。
95%がパソコン、5%が携帯という割合です。
調査への協力、ありがとうございました。

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(20.7.30) ブログを何を使用して見ているのだろうか

 私は長い間ブログパソコン画面で見ているものだと思っていた。文字の量や、写真の添付等を考えるとどうしてもパソコンの大画面でないと無理だと思っていたからだ。

 ところが最近私のブログの読者で携帯を使用してブログを見ている人が何人かいることに気がついた。
あれ、もしかしたら携帯での読者がかなりいるのではなかろうか

 このココログには「アクセス解析」という機能が装備されており、これを見ると一日の読者数が分かる。ただしパソコンを使用してこのブログを見た人数であり、携帯を使用してみた人はカウントされない

なんとか携帯を使用した読者の数が、推定でもいいから分からないものだろうか」悩んでいる。

 私のブログを継続してみている人はよく知っているが、私の携帯の操作能力は極度に低い。
操作方法が面倒なのと、字が小さすぎるのでほとんど携帯を使用しない。四六時中パソコンの横に置いてあるので、固定電話と全く同じだ。
しかもメール機能を使用しようとしたら設定の方法が分からず、長い間そのままほって置いた。

 しかし世の中の動きは完全に携帯にシフトしつつあるように思われる。なにしろ電車の中では四六時中携帯を操作している人が多い。
画面そのものも大きくなり、また最近発表されたマックのiPhoneなどは完全タッチパネルだ。
携帯の読者に対応したブログの書き方を研究しなければ世の中から遅れそうだ。第一メールやインターネットが利用できないようじゃ話にならない

 先日意を決してソフトバンクサービスセンターに行ってメールアドレスの設定方法を聞いてきた。
お客様、メールのアドレス設定のためには、パスワードを入力し、画面をスクロールさせてOKボタンが出てきたら、OKをクリックしてください
なんてことはない、私はスクロールすることを忘れて、何回もパスワードを入力していたらしい

 インストラクターの女性は実に丁寧に教えてくれたが、本心は「またシーラカンスのような人が来たわ」と思ったことだろう。

 ようやく私も携帯に「おゆみ野四季の道」のURLを送って、携帯で見る環境を整えることが出来た。

 さてそこで、携帯で見ている人の割合を調べるためにココログの投票機能を使用したいのだが、この投票機能を使用して確認できるだろうか。
もしかしたら携帯ではこの機能を開くことが出来ないかもしれないが、とりあえずテストと思ってやってみよう( 私のソフトバンクの携帯では投票機能は開くことができません。他の携帯ではどうか私にはわかりません)。


 大変恐縮ですが、以下のアンケートにご協力ください。もし以下の投票機能が使用できない場合は、yamazakijirou@yahoo.co.jpに①携帯、②パソコン、③パソコンと携帯のいずれかの数字を記載してメールを送付していただければ幸いです。

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(20.7.29) ちはら台走友会の剣岳登山

 今年のちはら台走友会の登山は剣岳だった。25日(金曜日)の夜に出発して、27日(日曜日)の夜に帰ってくる計画だ。
貸切のバスを利用した車中一泊山小屋(剣山荘)一泊の予定である。走友会のメンバーは現役のサラリーマンが多いため、通常は2泊3日のコースをこうして時間を稼ぐ。

 当初は剣岳の一般コースとしてはかなり難関な草月尾根コースを予定していたが、根雪が多くアイゼンやピッケルが必要と分かったため、よりポピュラーな室堂経由のコースに変更された。

 これだと初日6時間かかるコースが4時間程度に短縮される。夜行バスではほとんど眠れないため時間短縮は大歓迎だ。
やれやれ、今回は山小屋で前日の睡眠不足を解消できそうだ

 今回は16名の参加だった。現役のランナーは元気がよく剣岳走破に意欲を燃やしていたが、日頃練習不足のランナーは気持ちがナーバスだ。
一服剣か前剣まで行けばそこで引返してもいい」ぶつぶつ言っている

 一服剣前剣剣岳の前山で、この二つの前山を越すと本体の剣岳に到着できる。
剣岳に登るにはカニのタテバイという難所を登り、帰りはカニのヨコバイというこれも目もくらむような難所を下降しなければならない。
登りと下りのルートが分けられているのは、そうしないと登坂者と下降者が難所でぶつかって動きが取れなくなるからだ。
ここは一般の登山道としては桁はずれに難関なルートと言える。

 本音としては前剣で引き返そうとしていた人が数人いたのだが、誰も自分がやめるとはとは言い出さない。真っ先にやめるなどと言えば後で走友会のメンバーから酒の肴にされてしまう。
みんな、ここまで来たのだからがんばろう登山隊長M氏の言葉にしぶしぶ従った。

 M氏はベテランの登山者だから、危なそうなメンバーと登山暦が多いメンバーと組み合わせて登坂させることにした。
私はSさんのサポートをすることになったが、Sさんは文学をこよなく愛す女性だが、マラソンの練習回数はすくない。

走友会の人たちははやいでしょ。だから私が遅れると悪いと思って、やはりリタイアしたほうがいいかなと思ってしまうの
山登りでは人のペースは気にしないでいいんですよ。自分のペースを守ることが一番大事です

 これが登山の鉄則だ。人のペースを気にするとあせって転んだりしてかえって問題が起こる。

 Sさんは登山暦が浅いため、岩登りのコツを知らない。岩にへばりつき、手で無理やりに身体を持ち上げようとして疲労困憊している。
鎖を持った手を伸ばし、身体を岩から離すのです。そうすると足場のスタンスが見えて、体を足でしっかりと支えることが出来ますよ

 当初は蛙が岩にしがみつくような格好で登坂していたが、岩から身体を離すことを覚えてからは実に快調な登山が出来るようになった。
カニのヨコバイといってもそれほどたいしたことなかったわ
高度恐怖症のスピードランナーAさんが「あんな怖いところはなかった」と述懐していたのと大変な違いだ。

 Sさんが走友会のメーリングリストに登山の感想を記載していた。

恐る恐る(カニのタテバイに)取り付いてみたら・・・腕の力が足りなくて足手まといになりそう・・・
けれどみんなの声に励まされ、山崎さんに助っ人としてついてもらうに至り、決心がつきました。

ちゃんと登ってくる!!』
前になり後になりしてアドバイスしてもらい、時には尻まで押し上げてもらい、さほど恐怖心を感じることなく登って降りれたのでした。
ほんとにホントに山崎さん始め皆さんのおかげです。

 頼りになる幹事のOさん、冷静な登山隊長のMさん、そしてそれぞれに魅力的なみなさん、ありがとうございました。
帰り道、折々に振り返って目にするあの山に、本当に登ったというのが不思議でした

 またTさんは実に愉快な人だ。当初私に「登山なんて何が面白いのかわからない。苦しいだけでくだらない」と言っていたのに剣岳に登坂したとたんに人間が変わった。

 帰りはグループの先頭に立ってリードし、これから登る登山者に会うたびに剣岳登坂の講釈をし始めた。
剣の頂上は実にいいですよ。そう、あなた一人で登るのですか。そうですか。カニのヨコバイはかなり厳しいですが、まあ、元気で行ってきなさい
会う人毎に講釈するものだから、登山隊長から「人が詰まっているから進みましょう」と言われてしまった。

 天候は初日、二日目の午前中と良かったのだが、二日目の午後から土砂ぶりの雨になってしまった。雷まで鳴り出すし、生きた心地がしない。
登山隊長のM氏は「ここで、俺の人生も終わりか」と覚悟していたと言う。

 びしょぬれになってようやく室堂のバスターターミナルに着いたが、この午後から翌日にかけて北陸地方は大雨になり、いたるところで洪水が発生していた。。
ほんの1日違いで剣岳の快適な登山が出来たのだからちはら台走友会立山の神の加護を受けていたわけだ。

 それにしても走友会の登山は例年ハイレベルだ。メンバーの一人が言っていた。
来年はもう少し楽な山に登りましょうよ


今回の剣岳登坂の記録写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20725?authkey=OcvXiC03ORg


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(20.7.28) 北海道大雪山系縦走 NO2

2000年 54才 

大雪山系縦走  
8月初旬  T氏と 

 私は長い間北海道の山に登りたかったが機会がなく、この年初めて北海道の山に登った。
Tさんにルート選定を依頼したところ,大雪山系縦走コースを計画してくれた白金温泉から,硫黄山,美瑛岳,オプタテシケ,トムラウシ,白雲岳,旭岳にいたるルートだ。

 北海道までは大洗からフェリーで苫小牧料金は5000円で高くはないが,水戸までの電車賃4500円と,苫小牧から札幌までのバス代1000円がかかる)に出て,そこから旭川まで電車で行った。
当日は旭川の駅頭で寝て翌朝早く美瑛に出,そこからバスで白金温泉に入った。
 当初は白金温泉からタクシーで登山口まで行こうとしたが,タクシーのネイちゃんが帰りのタクシー代まで吹っかけてきたので断って歩くこととした。
ねえ、あんた達、歩くと遠いよ
いえ、結構です。歩きますので

 北海道の山は人の入山が少ないせいか非常に美しく太古のままの趣があった。Tさんとはトムラウシまで一緒に言ったが,トムラウシの稜線で天候が崩れ2日間風雨にさらされた。
このときの様子をTさんが自分のブログに書いている。

今回はトムラウシ山頂へ40分の南沼のほとりで自然の猛威も経験した。幕営指定地ではなかったが、景色が良いうえに、疲れもあって、そこにテントを張った。
当初は、池の冷たい水で体を洗ったり、草むらに寝転んだりして快適に過ごしたが、その翌朝に低気圧に遭遇。テントを張った場所は運悪く風の通り路にあたり、翌朝から翌々朝まで強風と豪雨に見舞われた。

 外に出れば1分間も経たないうちにびしょぬれ。テントをたたんで他の場所へ移動したかったが、作業のために長時間雨にうたれれば、たちまち凍死する危険があったので、1昼夜、寝袋にくるまってじっとしているしかなかった。

 テントは吹き飛ばされそうにバタバタと音をたてる。寝袋は濡れてくるし、やや寒くなる。トイレに行くのは大仕事。都会の生活に慣れてしまうと人は野生味を失い、自然のすごさを忘れがちになるが、いったん荒れたら、自然は厳しい。人が生きるのにまず必要なのは、食物と水と濡れに強い防寒衣であることをあらためて実感した

 Tさんは時間の関係でトムラウシから下山し,私はさらに稜線伝いに大雪山の主峰旭岳まで行くことにした。
風雨が特に強かったのはトムラウシの側だけで,そこから離れるにしたがって天候は改善し,気持ちよい登山となった。

 途中のキャンプ場でテントを張ったが、夜半にテントの外で動物のうなり声がした。
うぅーう
すわ、熊か」と思い私はもっていた熊よけの笛を吹いて脅そうと思ったが、いくら吹いても笛はスースーとしかならない。
あわてると笛もふけなくなるらしい。

 私はすっかり熊かと思っていたが,後で確認するとキタキツネが私のテントの外に出していたゴミ袋を加えて持ち去ろうとしていたようだった。

 大雪からおりてもまだ時間が十分あったので利尻岳に登ることとした。稚内からフェリーに乗って利尻島まで行き,キャンプ場にテントをはって登山をした。一番厳しいルートは登山禁止になっていたため,もっともポピュラーなルートで登って,次に険しいといわれているルートを下った。


北海道の山は本当に原始の山だ。日本アルプスに飽いたら、北海道の山を登るといい。日本の山とは思われないような雄大な景色に圧倒される

写真を掲載します
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/FZeKgB/photo?authkey=aSqVDVAwmIg#s5171832868344463586

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(20.7.27) 戸隠西岳 NO1

1971年~72年 25歳~26歳

戸隠西岳登山

 戸隠西岳は実に思い出深い山だ。修験道の山で、標高は2千メートル弱の山だが、急峻な岩山で稜線では左右に鋭く落ち込み、初心者だと足がすくむような場所だ。
私の最初の勤務地が長野市だったこともあり、登山にのめりこんで行ったが、その中でもこの戸隠西岳は好きな山だった。

 長野市からバスで1時間程度で行け、しかも冬季の厳しさは日本一険しいと言われる剣岳並と言われていた。
実際冬季の登山は禁止されており、無理に行って遭難したりしたらそれこそ新聞で「無謀登山の犠牲者」と書かれてしまう。

 私はこの戸隠西岳に都合4回登ろうとして、内2回は頂上までたどり着けなかった。
戸隠西岳には戸隠神社の奥社から登るルートと、川筋から登るルートがある。奥社からのルートが通常の登山道で、川筋からのルートはベテラン向きのルートだった。

 私は好んで川筋のルートから登ったが、川のとっつきの場所が非常に分かりずらく、赤い布切れだけが目印で、よく見ないと見落としてしまいそうな場所だった。

 川筋のルートは夏と秋にそれぞれ1回登り、さらに冬季に登ろうとしたがこのときは雪で赤い布が隠れてしまい、とっつきの場所が分からなかった。
今思えば分からなくて幸いだったのだが、当時は西岳の冬季登山を敢行し「山と渓谷社」に登山報告を書くつもりだったので非常にがっくりしたことを覚えている。

 川筋ルートは途中から急峻になり、特に1箇所身体を空中に放り出さないと渡れない箇所があった。手でぶら下がるようにして、次の岩を足でまさぐるのだが、下は完全に切れていて空中散歩のようだった。

 当時私は信じられないほど体力があって、そうしたアクロバットのような登山を平気でしていた。シルベスター・スタローンクリフハンガーの世界だ。

 今は坐骨神経痛でまともに走ることも出来ないが、のような身のこなしだった当事が懐かしい。
人間には確かに「その時」だけ出来るような体の身のこなしというものがあるということをしみじみ感じている。

 

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(20.7.26) 夏休みは登山シリーズだ

 夏休み中はたっぷりと登山計画が入っているため、思い切ってブログを休もうかと思ってみたが、一方で阪神金本選手を見習って何とか継続回数を伸ばそうかとも悩んでいる。

 今期はちはら台走友会剣岳登山と、六つ星山の会南アルプス(千丈岳から塩見岳)、および東北の朝日連峰の縦走だ。

 六つ星山の会とは視覚障害者をサポートして登山をしている会であり、私の友人が事務局長をしている。夏場になると手が足りなくなって私にサポートの依頼が来る。
山崎さん、今年もお願いしたいのだけど
視覚障害者一人に3人程度のサポート要員がつき、前と後から支えながら登山をする。

 足場の悪い場所ではロープで支えるが通常は前を歩く人の肩に捕まってもらい、前を歩く人が足場の注意をする。
右に大きな石」「約50cmの段差」「左が切れている」「広い平原で安全」等等
後の人は視覚障害者が転んだり、危なかったりした場合のささえ役だ。

 友人の依頼でもあり頼まれると断れないので、今回は南アルプス朝日連峰に行くことにした。


 しかし登山をしている間はブログを書けないので、継続するとなると前もって用意しておかなければならない。しかし毎日のブログ作成でも資料調査で大変なのに、書き溜めるとなると大事だ。

 したがって今回は過去の登山記録を整理して見ていただくことにした。題して登山シリーズだ。

 私は最初の勤務地が長野市だったこともあり、その時から山の魅力に取り付かれてしまった。当時は休みを取るのも大変だったが、それでも時間を見つけては周辺の戸隠飯縄に登り、もう少し時間が有れば北アルプス八ヶ岳に行ったものである。

 その後は徐々に長い休みを取ることが出来るようになったので、時間があれば登山をしていた。当時は今と異なって身体が自由に動いたし、岩場を飛ぶように降りることもできた。
今思うと信じられないがとほとんど同じだった。

俺の天職は登山家なのではなかろうか」半ば本気で思ったものだ。
実際はその後も金融機関の職員として60歳まで働いたのだが、思い出しても当時が懐かしい。

 写真をスキャンしたり、当時のメモを参考に当時を懐かしむこととした。
登山に興味のない人には全く申し訳ないが、登山中は「登山シリーズ」でブログを埋めることとする。

 

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(20.7.25) 殺人狂時代

 殺人狂時代は1947年制作のチャーリー・チャップリンの映画だが、昨今の日本の現状はまさにこの殺人狂時代のようだ。
次から次と無差別殺人や、理由の分からない父親殺しが発生して日本はどうかしたのではないかと思ってしまう。

 3月に茨城県土浦で8人の殺傷事件がおき、岡山では18歳の少年が電車待ちの男性を突き落とし、6月には東京秋葉原でラガーナイフを持った犯人に17人が死傷される事件が起こっている。

 そしてこの22日の夜半、京王八王子のショッピングセンターで無差別殺人事件が再び起こってしまった。
殺された斉木愛さんは中央大学の4年生で、これから本当の人生を知る矢先だったのだから、気の毒で言葉にもならない。
斉木愛さんは死ぬまで「なぜ自分がこんなことになるのか」まったく分からなかっただろう。

 犯人の菅野昭一容疑者は「仕事がうまくいかず両親に相談したが乗ってくれず、無差別に人を殺したいと思って包丁を買った。むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった。両親を困らせるためにやった」と供述したが、これが果たして理由になっているのだろうかと考え込んでしまった。

 仕事がうまくいかないのは日常茶飯事だし、33歳の大人なんだから両親が相談に乗らなかったとしても当たり前だ。むしゃくしゃするのは良くあることだが、なぜそれが「誰でもいいから人を殺す」ことになるのだろうか。
原因と結果に余りに乖離があって理解不能だ

 19日に発生した埼玉県川口市の15歳の少女による父親殺害事件もそうだ。
少女の供述によると「勉強しろと言われることがわずらわしかったこと。またお父さんが家族を殺す夢を見て、午前3時ごろ目がさめ、殺意を思いついた」と言う。

 親が子供に対し勉強しろと言うのは普通だし、夢では奇想天外なことが起こるが、だからといってそれが実際と同じだとは通常は思わない。少なくとも中学3年生程度になれば夢と現実の相違は分かっているのが普通だ。

 おそらく殺された父親は自分が死んだことすら分からなかっただろう。
この事件も全く理解不能だ。

 こうした事件が発生するたびに世の識者と言われる人が
全て社会のせいにするのはフェアじゃないが、社会の中に原因がないのか点検しないと、無差別殺人の連鎖は断ち切れない落合恵子氏)」とか
むしゃくしゃして人を殺すのは絶対にあってならないが、20~30代のまだ元気で働ける人たちが、格差社会であえいでいるのは、本当は考え直さなくてはならない京都造形芸術大学 寺脇研教授)」
とかコメントをしているが、本当にそうだろうかと思ってしまう

 20~30代の若者の多くが派遣社員という格差社会であえいでいることは事実だが、それなら派遣社員全員が殺人事件を起こすとでも言うのだろうか。

 こうした社会制度に原因を求める議論は日本ではおなじみの議論だが、格差社会や受験勉強の厳しさと殺人を結びつけるのは間違っている。少なくとも無差別殺人事件の主要な要因ではない

 無差別殺人事件が発生する本当の原因は、殺人に対する社会認識の甘さだ。

 なにしろ日本では裁判で死刑が確定した人間に対し、法相が死刑執行に同意するだけで、朝日新聞から「死神」と言われる社会だ。
多くの被告人は何人もの人間をほとんど理不尽な理由で殺害したから死刑になっているのに、そうした死刑囚を死刑にすることも躊躇する社会なのだ。

 日本では殺人者の人権を最大限守ろうとする人はいくらでもいるが、殺された人の人権を守ろうとする人は少数派だ。死んだ人は生き返らないのだからどうでもいいということなのだろうか。
そして殺人を犯す理由を社会制度の欠陥に求め、「それゆえ殺人者は無罪だ」と叫ぶのが正義だと思っている。

 これでは「無差別に何人人を殺そうとも、そして死刑判決になろうとも、有力新聞をはじめ世の識者が殺人者を守ってくれる」から「誰でもいいから人を殺そう」となるのは当たり前ではないか。

 殺人者の人権を擁護するなら、それと同程度に殺された人間の人権も擁護しなければ片手落ちだ。しかし実際の裁判では殺されたものは何も抗弁できないから、殺人者は言いたい放題だし、そしてそうした殺人者を擁護する人はごまんといる。

 だからこの殺人にも社会的理由があるとする甘い対応が、こうした連続無差別殺人事件を引き起こしているのだ。
本当に、朝日新聞を始めとする殺人擁護派の識者は反省してほしいものだ。

 原因を社会制度に求めるのではなく「目には目を、歯には歯を」と言うハンムラビ法典の単純明快な原則を適応することが、無差別殺人をなくす唯一の方法だと私は思っている。



 

 

 

 

 

 

 

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(20.7.24) 今年の同期会

 今年も昨日(22日)、年に1回の会社の同期会が開催された。私がある金融機関に入ったのは昭和45年だから、ほぼ40年も前のことになる。
全員がすでにこの金融機関を退社しており、私のように完全にリタイアしているか、関連会社に第二、第三の職を得ている。

 昔の若者はすべて60歳を越え、初老と言っていいほどの年になった。一様に髪は薄くなり、身体には脂肪がたまって丸くなっている。
だが集まるとすぐに40年ほど前にタイムスリップし、和気藹々となるのがとてもいい。

 しかし数年ほど前まではこうではなかった。まだ出世競争が続いており、出世した者もそうでない者も心にわだかまりがあって、何か完全に心を開くことが出来なかった。

 60歳を越えた今、まだ職を得ている者も「そろそろ引退しなければならない」と考えている。
ほとんどの人はこの金融機関の斡旋で職を得ているために、後輩にその職を譲らなくてはならない時期だ。
いまさらギラギラした生活はもういい

 そのため、話題は健康老後のプランが多い。また妻に対する接し方も重要なテーマだ。

 Y君は心根の優しい人だ。
女房だけは大事にしないとダメだ。俺の一番のパートナーだ。まだ仕事で帰宅が遅くなるようなことが多いが、できるだけ女房に接するようにしている。何と言っても女房が一番だ。

 先日胃がんの検診で胃が相当荒れているのが分かった。タバコをやめて長生きし、女房と二人で楽しい老後を過ごすことにしたい

酒が入っていたせいもあるが、素直に女房をほめていた。

 K君は私と同じように金融機関の職員だったことが終生なじめなかった人だ。
俺は故郷の京都に戻り、そこで晴耕雨読の生活をする。だから来年からは同期会には出てこれない。いままで随筆を原稿用紙で250枚程度書いたが、何とかこれを物にしたい。
伊能忠敬だって引退してから花開いたじゃないか。俺が目指すは吉田兼好だ

 同期会では全員が5分程度近況報告をする。
私が「小学校の先生をしている」と言ったら一応に驚いていた。ほとんどの人がこの金融機関と関連する仕事で生活をしている。私のように無関係に生計を立てている人はほとんどいない。

小学生にパソコンを教えているが、孫みたいなものだ。とてもかわいいし、『パソコンの先生』なんて呼ばれると張り切ってしまう

毎日四季の道と言う6km程度の遊歩道を清掃している。仲間は10名程度いて、みんな街を美しくしようと積極的だ

おゆみ野の森という里山があって、そこの草刈隊長をしているが、ここではこの里山を守ろうとしている若いお母さん方とも仲良くなった

 私の生活が同期の人には異色なせいもあるが、感心して聞いてくれた。
山崎の生活が一番いいな」うらやましがられた。

 帰りがけにO君から「山崎は全く体型が変わらんな。その身体には感動してしまう」と言われた。O君は入社時は柔道部のキャプテンだったこともあり、筋肉隆々としていたが、今はよる年波で体型が崩れている。
うん、いつも鍛えているから」と言ったが、体型をほめられたことが本当は一番嬉しかった。

 

 

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(20.7.23) アメリカの金融危機は底なしだ

 しばらく前までアメリカの金融当局者はまだ楽観的だった。
日本の金融危機とアメリカの金融危機の最大の相違は、日本が損失処理を10年もかけて実施したのに比べ、アメリカは時価会計で即処理をしている。したがって金融危機は長期化しない

 確かにシティーグループメリルリンチも四半期ごとに損失額を時価会計で公表しているが、それは発見が早いだけで損失が減少する訳ではない。
報告するたびに損失額は増大し、サブプライム関連の損失額はシティーグループ5兆円メリルリンチ4兆円を越えてしまった。大手8社では16兆円を越えている。
いったい、何時になったら出血が止まるのだ」経営者は真っ青だ。

 かつてはサブプライムローンを組成した証券はいくらでも売れたが、今は全く買い手がない。買い手のないサブプライムローンは、持っていると住宅市場の悪化の影響でますます減価してくる。
ババ抜きのババを何時までも持っているようなものだ。
どうにかしてほしい」金融機関が悲鳴をあげ始めた。

 仕方なくアメリカ政府は政府系住宅金融会社2社に買い取り枠を拡大させ、ぼろ屑の住宅債権を金融機関から購入させることにした。
仕方ない、それでは住宅公社が肩代わりしよう

 当初はこれでうまくいきそうに見えた。一時期アメリカの金融危機が峠を越したと言われたのはこのためである。

 しかし予想に反し金融機関の不良債権はその後も拡大の一途をたどり、どんなに政府系住宅金融会社が不良債権を購入しても追いつかない状況になってしまった。
元々は実体経済の住宅販売が低迷しているのだから、これでは単に不良債権の付け替えをしただけに過ぎない。

 そしてとうとう政府系住宅金融会社2社の債権額は550兆円を超えてしまった。これはアメリカで組成された住宅ローン関連の証券化商品の5割に当たり、日本の国内総生産とほぼ同じ額だ。

 大げさに言えば、政府系住宅金融会社2社が、アメリカ全土の半分の不良債権を抱え込んだということだ

 おかげで「ぼろ屑を550兆円ためた、政府系金融機関はあぶない」と噂が流れ、株価が急落してしまった。
この2社は債券を発行し、その金で住宅債権を購入して証券化して販売していたが、全く売れないのだからすべて手持ちになるのは仕方がない

どうにかしてくれ」今度は政府系住宅金融会社が悲鳴をあげた。
ついにポールソン財務次官がこの2社に対して「公的資金の導入をしても救済する」と言明して騒ぎを鎮めなくてはならなくなってしまった。

 なんてことはない、不良債権の付け替えゲーム住宅専門会社→金融機関政府系住宅金融会社と付け替えをして、最後は政府の責任になった。

 時価会計だと威張っていたが、アメリカも結局公的資金を導入して救済する道しか残されていなかったことになる
問題はその金額だ。日本では約100兆円の資金を導入して収束を図った。

 さて、アメリカが必要とする公的資金の金額はどの程度になるだろうか。
すべての住宅債権が不良化すれば550兆円だが、さすがにすべてが不良債権化することはない。
日本の経験では不良債権は当初半分程度と思われていたが、最終的には7割程度まで拡大した。

 半分としたら275兆円、7割だったら385兆円だ。
アメリカの経済規模は約日本の2倍だから、金融危機のレベルが日本と同じならば約200兆円が資金投入額になるはずだ。

 しかしアメリカ政府が投入しなければならなくなると思われる資金の金額は200兆円をはるかに越えそうなのだから、日本の金融危機よりも深く厳しい

 1980年代は日本が世界を席巻し、1990年以降はアメリカの時代だったが今アメリカの時代が終わろうとしている。
米大手金融 損失底なし」と新聞は報道しているが、歴史は繰り返された。

 マルクスは言っている「歴史は2度繰り返す。最初は悲劇として、そして2度目は喜劇として

 

 

 

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(20.7.22) 天才野茂が引退した

 野茂英雄投手がこの17日に引退声明をだした。1990年に近鉄に入団し、1995年に大リーグのドジャースに入団しているから、日米通算18年間在籍し、201勝155敗の成績だった。
その間、大リーグで2回ノーヒットノーランを記録し、最多奪三振王にも2回輝いている。大リーグきっての豪腕投手だった訳だ。

 しかし野茂投手の軌跡をみると波乱万丈であり、はっきり言って日本では不遇だった。
野茂がトルネードを始めたのは中学生の時からだったが、それゆえ名門高校からは完全に無視された。
あんな投球方法ではコントロールが定まらないし、使い物にならない

 私が野茂を天才だと思うのは、誰がなんと言おうともあのトルネードを一度たりとも止めようとしなかったことである。
名門高校の監督から「フォームを変えなければダメだ」といわれても怯むことがなかったのだから驚きだ。
これが俺のフォームだ」中学生の野茂がそう信じたのである。

 高校卒業後ノンプロ新日鉄堺に入団したが、その最大の理由はフォームを変えたくなかったからである。プロではフォーム改造に意欲を燃やすコーチがてぐすね引いて待っていた。

 新日鉄堺フォークボールを覚えた後の活躍は目覚しく、1988年ソウルオリンピックでは日本のエースとして活躍し、一躍プロ野球各球団の注目をあびた。

 翌年のドラフト会議で近鉄に1位指名されたが、その時の野茂の入団条件が「フォームを変えないこと」だった。野茂はその後も常にこのフォームにこだわり、年俸よりも野球のスタイルにこだわっている。

 野茂が幸運だったのは、その時の近鉄の監督が仰木彬氏だったことである。仰木氏は日本の監督としては異色といっていいほど、天才を見る目を持った監督だった。

好きなように投げればいい
野茂イチロー仰木監督がそだてた秘蔵子である。

 近鉄時代の野茂の活躍は素晴らしかったが、1992年仰木監督が退団し、その後任に鈴木啓示氏が監督となると、野茂との確執が始まった。

 鈴木氏も天才肌の投手であったが、鈴木氏野茂を認めることができなかった。特に鈴木氏野茂を嫌ったのは四球の多さだった。
あいつは三振も取るが、フォアボールが多すぎる。守備の時間が長くて仕方がない。フォームを改造しなければ使い物にならない

 鈴木氏は現役当時屈指のコントロールを誇っていただけに、野茂のコントロールの悪さに我慢ならなかったのだろう。しかしここが仰木氏との監督としての力量の差だった。

 鈴木監督との確執に加え、12球団随一のケチ球団だった近鉄野茂の高額の年俸引き下げを図ろうとして、野茂の怒りに油を注いだ。
野茂近鉄を追われるようにして大リーグ、ドジャースに移籍したのは1995年のことだが、近鉄は最後まで野茂に底意地悪い対応をしている。

 「任意引退選手」にしたのである。これは当時のプロ野球の規定では任意引退選手は日本の他の球団でプレーすることができなかった
コミッショナー側の高額年俸を要求する選手を封じ込める一種のギルド制度だと思えばよい。

 だから野茂大リーグに挑戦したのは、日本の球界から鞭持って追われたからで、自ら望んでという訳ではない。年俸も1億4千万から980万に落ちた。
ドジャースでは当初マイナー契約しかしてもらえなかったからだ。

 しかし、人生とは何が幸いするか分からない。アメリカの球界は日本のそれとは異なり、天才についておおらかだ
どんな投球方法でも勝てればいい

 その後の野茂の活躍は見事だ。1995年13勝6敗新人賞奪三振王に輝いた。
さらに2回ノーヒットノーランを達成し、アメリカ人のアイドルにもなっている。

 今、野茂英雄の名前を知っている日本人は多いが、鈴木啓示の名前を知る人は少ない。
野茂の大リーグ挑戦など、単なるマスターベーションで成功するはずがない
この鈴木啓示の言葉は当時の日本人の常識だったことを覚えておられるだろうか。

 野茂はアメリカで大成功をおさめたが、二度と日本の球界に戻ろうとはしなかった。トルネードを認めない日本球界を嫌っていたからだ。
ドイツの心理学者クレッチマーは言っている。
成功したパラノイア(一つのことにどこまでもこだわり続ける性格の人)を人々は天才と呼ぶ

 野茂トルネードにこだわり続け、そしてアメリカで自分が天才であることを証明した。

 

 

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(20.7.21) 第16回 「おゆみ野の森」の活動記録

 「おゆみ野の森を育てる会」が主催している「おゆみ野の森」の活動も16回目を迎えた。
今日(20日)は朝から晴れ渡った夏日で、気温も30度を越えていたが、ここおゆみ野の森は木立の中にあるため意外と涼しい。
夏休みに入ったせいだろうか、参加人員も50名を越えてなかなか盛況だ。

 今回のメインテーマはそうめん流で、新都市ライフのOさんが長年温めていた企画だ。Nさんがさっそくモウソウ竹を集めてきてくれて、準備はおさおさ怠りない。

 見ていると長いモウソウ竹を半分に割って、竹の樋を作り、竹のコップ竹の割り箸をみんなが協力して作っていく。自然に有るものを使って道具を作るのが、この会のコンセプトだ。
お父さんやお母さんも実に熱心に竹細工に取り組んでいる。

 私もここおゆみ野の森に定期的に通うようになり、またキャンプ実験隊に参加したりしたので、実に多くのお父さんやお母さん、それに子供たちとも知り合いになれた。

 特に炊事担当のお母さん方は、前回のキャンプ実験隊で共同作業をした仲なので気楽に声をかけてくれる。
山崎さんのブログを見たけれど、山崎さんは定年退職者なんですってね。でも信じられないほど若いNお母さんから言われてしまった。確かに首から下は若い。

 娘からは「お父さんは帽子を取らなければ40台後半ね」といわれている。
うぅーん、困った。これではNさんの期待を裏切らないため、金輪際帽子を脱ぐことができないじゃないか

 
 ここおゆみ野の森そうめん流しをした一角を除いて、雑草が鬱蒼とはびこっている。2日前に新都市ライフのOさんや、Uさんら5人と入口付近の雑草を草刈機で除去をしたが、まだまだ雑草だらけだ。

 時間を見ては草刈釜で雑草を除去していた時、NPOみどりのネットワーク千葉のインストラクター齋藤さんから興味ある話を聞いた。
齋藤さんは元花の美術館の館長さんだ。

千葉には植物の絶滅種が何種類かあって保護活動をしていますが、単に何もしないでほっておくと、周りの雑草にやられて、結局絶滅してしまうのです。ですから定期的に雑草を除去しなくてはいけません

先生、でも私は雑草と絶滅種の区別がつきません

基本的にはすべて草刈をしてかまいません。私はカタクリで実験をしてみましたが、カタクリが咲いた後、周りの雑草がはびこったため一律に草刈をしてみました。
すると翌年には多くのカタクリが咲きました。
雑草をはびこらせると、雑草の根が張ってきてカタクリを駆逐してしまうのです。

 ですから、目的の花が咲いた後は、カタクリかカタクリでないかの区別はせず、雑草の除去をするのがいいのです

 おゆみ野の森で活動を始めてから、実に多くの助言を得ている。竹細工そうめん流し草刈も実に楽しいし、得がたい経験だ。
ここは子供たちを楽しませる取り組みをしているところだが、私のように定年退職者も実に楽しく遊べる。
是非、多くの人がこの森に集まってきてほしいものだと思う。

今日のそうめん流しの写真を撮っておきました。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20720?authkey=M-o6TYTtNLo

 

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(20.7.20) 教育委員会に国語教育を

 大分県教員採用試験の汚職事件に伴い、全国の教育委員会事前連絡等の調査を文部科学省が実施したが、その結果教育委員会の恐るべき日本語能力の欠如が判明した。

 37都道府県・政令都市の教育委員会で「県議や市議に対して事前連絡を行なっているが、金銭的な授受は一切ない」と回答してきたのである。
群馬県、埼玉県、山梨県、北海道、仙台市等すべて同じ回答だ。

 ここで次のような国語の問題を解いていただきたい。

○○教育委員会教育長が電話で××県議にA君の合格通知を連絡している。『  』の中に最も適切な言葉をいれて、標準的日本人が理解できる会話を作れ。

教育委員会の模範解答

教育長先生から何も依頼のなかったA君の採用について、事前に言う必要はないのですが、合格しました

県議私にとって何の関係もないA君について、必要もないのに事前に合格をしらされました

教育長ついては金銭の授受はしないことになっていますので、何も関係ないA君のお父さんに金銭はダメだと伝えてください

県議では、何も関係ないA君のお父さんに、商品券は金銭でないと伝えましょう

 これが日本語と言えるだろうか。教育委員会は日本語を知らないのではなかろうか。私がこの模範解答の採点者だったら零点をつける。

標準的日本人の回答

教育長先生から依頼のありましたA君ですが、A君を合格させるのは大変だったのですよ。なにしろ成績がいま一つだったので

県議しかし、まさか不合格なんてことはあるまいね

教育長先生のたっての依頼とあれば、断るわけには行きませんが、そのための得点調整には苦労しました。担当者の抵抗も相当なものでした

県議そこを通すのが、君の役目だろう。それはそうとA君の父君が君にお礼をいいたいそうだ。ぼくも同伴するからX料亭でどうだ

教育長くれぐれも金銭の授受はまずいですよ

県議ははは、分かってるよ、商品券だろう

 これなら立派な日本語だ。100点をつけてもいい。

 私は教育委員会は決定的に日本語能力が欠如していると思う。なぜ上記のような100点が取れる回答ができないのだろうか。
教育委員会がこんなことだから、児童の日本語能力の低下現象をふせぐことができないのだ。

 子供たちの学力向上のためには、まず教育委員会の日本語能力の向上をはかり、教育長が立派な日本語をしゃべれるようになる運動を起こす必要がありそうだ。

必要もないのに事前に連絡している」なんて回答をしている教育長の日本語レベルは小学生以下だと私は思う。

 

 

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(20.7.19) 苅田郷の陶三様展

Image0  京成おゆみ野駅から歩いて10分程度の場所に、おゆみ野とは全く異なった昔ながらの村落があり、その一角に古民具工芸の村苅田郷(かったごうがある。

 その苅田郷7月19日から27日までの9日間、若手陶芸家の陶三様展が開催される。開催時間は午前10時から午後5時までである。
苅田郷には土蔵を改修した凌雲堂というギャラリーがあり、そこで若手陶芸家が精魂こめて作った作品が展示即売されている。

 私は陶芸家の一人、高梨洋一さんとは知り合いなので陶三様展について聞いてみた。
何時から陶三様展を始めたのですか
3年前からです。私がほかの二人に呼びかけてはじめました

高梨さんは笠間で修行されていますが、皆さん、笠間焼きの作陶家と言っていいのですか

たしかに笠間で修行を積んだ仲間ですが、必ずしも笠間焼きというわけではありません。それぞれが工夫をしながら新しい陶芸を目指しています。
それと私自身については陶芸家と言われるような位置にあるとは思っていません。焼物屋と自分では思っています

どのような作品を展示されるのですか

主としてコップやお皿ですが、できるだけ品質の良いものを展示即売します。悪いものを売ると、あそこはそうしたものを販売するところだと客さんから思われてしまいます。長い目で見るとそうした評判は取りたくないのです

 高梨さんは非常にまじめな方で、今日からの陶三様展に全力を注いでいる様子がよく分かった。
以前会ったときに比べると身体が痩せ細っている。

ずいぶん痩せましたね
準備が大変なのです。今日も夜中までかかりそうです

 ここおゆみ野に隣接して、おゆみ野とは異なった異空間が存在し、そこで若手陶芸家(焼物屋)が努力している姿を見ることができる。
苅田郷そのものも魅力ある場所なので、もしこの場所を知らない人がいたら、一度訪問されることを勧める。
きっと気に入られるのではなかろうか。

出品作品の写真を撮ってきました。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20715?authkey=0SyNNbCp2sQ

(別件)

* 「おゆみ野の森」の草刈について

 7月18日(金)に出られる人だけ(5人)で草刈を実施しました。事前に「休日であれば草刈をしたい」と申し入れをいただいた方には、大変申し訳ないと思っております。
次回からは「休日に草刈をして見よう」との案も出ておりますので、検討することにしました。

 なにしろ雑草の成長力は強く、ほっておくとどこまで伸びるか分からない状態です。今後とも草刈隊の活躍が期待されます。


* おゆみ野の森の活動日(第3日曜日)

 7月20日が定例的な活動日です。時間は10時からおよそ13時ごろまでで、参加は自由でかつ無料ですので、まだこられた経験のない方は是非来て見て下さい。子供連れの参加者が多いのが特色です。
今回はそうめん流しを予定しています。

 なおそこで会員になっていただければ次回からは連絡が届く仕組みになっていますので、気軽に会員になってください。

(注)私自身は「おゆみ野の森を育てる会」の事務局ではないのですが、事務局メンバーのOさんから、「おゆみ野四季の道」で是非情報発信をしてほしいと言われてます

 

 

 

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(20.7.18) 逆井(さかさい)の鐘が快調だ

 「大人の絵本」作家、花牟礼祐一さんの「逆井(さかさい)の鐘」が快調に仕上がりつつある。全5章、100枚の水彩画からなるこの物語も、現在第3章、64枚の水彩画が上梓された。

 逆井城利根川江戸川が分岐する関宿の近くにあった城で、中世から戦国にかけて関東の覇権を左右するほど重要な戦略的拠点でも有った。

 この地をめぐって新興勢力の北条氏と旧勢力の古河公方(こがくぼう)がつばぜり合いをしていた。北条氏は戦国大名の雄であり、一方古河公方は室町幕府の関東における将軍である。

 逆井城主逆井常繁は古河公方方の武将で、北条氏に攻められ落城するのだが、その歴史的事実をモチーフに花牟礼さんは戦国絵巻を「大人の絵本」として私たちに見せてくれる。

 水彩画はほとんどが戦闘場面だが、黒澤明監督の「影武者」のシーンのように一枚一枚が躍動感があり興味深い。
花牟礼さんの水彩画が単なる絵コンテでないのは、すべての水彩画によく推敲されたストーリーがあるからで、花牟礼さんはこれを「電子紙芝居」と言っている。

 こうしたジャンルは他にほとんどなく、まったく花牟礼さんのオリジナルといってよい。

 実際この時代を映像で分からしてもらえるのは実に貴重な体験だ。特に戦国前期城郭の構造についてはほとんどの人が知らない。
私たちがイメージするのは織田信長が安土に築いた安土城以降近代的城郭であり、それ以前の城のイメージを持っていない。

 花牟礼さんの「逆井の鐘」を見ると戦国前期の城が城郭と言うよりに近いものだったことが分かる。
当時の城とはこんな形をしていたんだ」感心してみてしまった。

 また、この物語を読んで、当時ここには南北30km東西1km飯沼と言う沼があり、逆井城がそのほとりにあったことを知った。
この沼は江戸時代に干拓されて今は農地になっているのだが、この地に霞ヶ浦のような大きな沼があったとは全く知らなかった。
利根川の流域には利根川の水路の変更に伴う、多くの湖沼があったことになる。

 私はよくマラソンの練習で江戸川を遡り、関宿から利根川を下っていたが、かつてここで関東の覇権をめぐる壮絶な闘いがあったことを、花牟礼さんの「逆井の鐘」を見て始めて知った。

 そうした意味で花牟礼さんの「逆井の鐘」は私たちがほとんど知らない北関東の歴史を美しい映像で教えてくれる。
余りに映像が美しいので、外国人、特にアメリカの映画監督が見たら、あのラストサムライのイメージでハリウッドで撮影したくなるのではなかろうか。

花牟礼さんのホームページは以下のURLをクリックすると見ることが出来ます(クリックして拡大してみてください)。
http://8760.y.mepage.jp/ss-sk-nav.html

 

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(20.7.17) パソコン教育でくたくただ

 私が毎日見ているブログにプールサイダー」という言葉が紹介されていた。プールの脇にいて泳法について実に的確な分析をするので、さぞや立派なスイマーと聞いた人は思うが、泳がしてみると全く泳げない人のことを言うのだそうだ。

 実は私もパソコン教育プールサイダーではないかと内心ジクジたる思いをしている。
校長先生、パソコン教育の最大の問題点は、サポート要員の不足です。先生一人ではどうにもなりません。リテラシー豊かな専門家を要請すべきです」専門語をちりばめた実に立派な進言だ。

そうですか、では山崎さん、貴方がサポート要員になってください
言われてしまった。最初は自信満々に引き受けた。
所詮、小学生が使用するソフトだ。たいしたことはあるまい

 千葉県の小学校にはキューブキッズというソフトと算数の補助ソフトが用意されている。
この二つのソフトを使用して子供たちのパソコン能力の向上に役立てようとしているのだが、キューブキッズは実に奥深いソフトであることに途中で気づいた。

 大人が使う、ペイント、プレゼンテーション、ワープロ、インターネット、MIDI、ホームページ、表計算等のソフトを子供向けに言葉と操作を簡単にしただけで、内容は大人のソフトと変わらない

うぅーん、俺が出来るのはワープロとインターネットと表計算ぐらいではないか」唸ってしまった。
実際にこのソフトを使用するとなると、事前に操作研修をしておかないと、操作方法がさっぱり分からない。

 ところが先生と事前打合せの時間がないため、すべてぶっつけ本番だ。
今日はパソコンの先生がいらっしゃいました。山崎先生です。先生は私よりもっともっとパソコンのことをよくご存知です。なんでも聞くのですよ
子供たちの尊敬のまなざしが降り注がれ、一方私はヒア汗が流れ、目まいがしてくる。

主よ、主はこのロドリゴに試練を与えたもうたのでしょうか。無から有を作り出す奇蹟はまだロドリゴには備わっていないのです

 先日は「かみしばい」というソフトでお話を作ると言う2年生の授業だった。一種のプレゼンテーションソフトで、映像と音声と動きを組合わせ、10枚程度のかみしばいをスライド形式で流し、各自がお話をするという趣向だ。
今回がそのソフトを使用した2回目の授業だった。

山崎先生見てやってください。とてもすてきなお話もあるんですが、少し手直しをしたほうが良い子もいるんです
担任の先生は私が「かみしばい」の専門家だと思っている。

はあ、かみしばいですか」聞いたことも見たこともないソフトだ。ヒア汗が脇の下を流れる。
仕方ないので一番上手そうな子供の後ろで操作方法を見ながら「これはどうするの」なんて聞いてようやくソフトの中身が分かった。

 それまではあちこちから「先生、先生、わからない」なんて声がワンワンしても無視だ。

分からないのは、君じゃない。この俺だ」泣きたくなった。

 毎回こうしてソフトを覚えていくのだが、精神のエネルギーの消耗たるやすさまじい。授業が終わるたびにその授業で使用したソフトの復習をするのだが、だんだんと意識が朦朧となってくる。

 誰もいないパソコン教室で30分程度寝てようやく帰宅が出来る状態だ。
しかし幸いなことに学年での授業は大体同じだから、一旦覚えれば他のクラスでも使用できる。
今日は同じソフトだと分かると心から安息の気持ちになる。

主よ、今日は主からパンとぶどう酒を授かりました。ロドリゴは主の恵みに感謝いたします

 まことにプールサイダーのパソコン教育は厳しいのだ。

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(20.7.16) 失敗記 その12

 本当はこのことは記したくなかったのだ。できれば墓の下にそっと持って行こうと思っていたのだが、神様のお迎えがもうすぐ来る年になったのだから公開しても許してもらえるだろう。

投資の巻き

 正直言って私ほど投資と言うものが身につかない人間も珍しい。金融機関に40年余りいたのに、まったく金儲けの才がない。
確かに後半の約30年近くはコンピュータの仕事ばかりだったが、最初の10年融資担当者だった。

 「山崎さん、景気動向をどう見ますか。A株は上がりますかね」よく取引先の社長から聞かれた。
はあ、日経では○○と言う記事が出ていましたし、××総研の予想は△△でした」とりあえず答えたが、「そんなことは新聞を見れば分かる。俺は特別な情報がほしいのだ」と軽蔑されたものである。

 金儲けとはほとんど縁のない私だったが、バブル最盛期の80年代の終わり頃には10百万円ほどの余裕資金を持っていた。
子供を大学に行かせるため蓄えた資金である。そのまま持っていたら問題がなかったのだが、ある時考えた。

これを株式で運用すれば、またたくまに2倍程度になり10百万円程度は余るかもしれない。これで世界旅行をしよう

 確かに当初は株価は上昇し、10百万円13百万円程度になった。
見よ、私の経済を見る目は確かだ」有頂天になった。
ちょうどその頃息子が信じられないことを言った。当時息子は高校生である。

おやじ、株は売ったほうがいい

いや、まだだ。株は必ず上がる。お父さんの経済を見る目は確かだ」ガキの言うことなんか聞けるかという気持ちだ。

 しかし、その時が日本のバブルの最盛期だった。瞬く間にバブルははじけ、あれよあれよと言う間に株価は下がり、泣く泣く株を手仕舞いした時は約7百万になっていた。3百万の大損だ

だから、あの時売ればいいといったろう」息子が軽蔑の目で言う。
お前の学費を稼ぎたかったのだ」と言おうとしてぐっとこらえた。本音は世界旅行だったのだからおおきなことは言えない。

 だが、なぜなのだろう。私は多くの本や雑誌を読み経済情報を分析しているのにまったく先が読めず、息子は何もしないでバブルの崩壊を予見した。この世界は正直言ってさっぱり分からない。

 バブルに踊って大損した後、私は従来のまともな生活に戻った。正確に言えば余裕資金は子供の学費に消えて投資などしようがなかった。
再び若干の資金の余裕ができたのは、退職金をもらったからである。

 退職金をほとんどを企業年金に振り替えたので、手持ちの余裕資金は僅かだったが、少しでも増やせないかと思案した。
なにしろ銀行の金利は1%未満で、ほとんどないに等しい。
やはり、これは投資信託だ。日本経済は復活する」2年ほど前に購入した。

 前回と同じように当初は株価は上がり大満足だった。
今度は経済を見る目は確かだ。だてに年は取っておらん

 しかし満足は1年と続かなかった。アメリカのサブプライムローンの焦げ付きに始まった世界同時株安で、またたくまに投資信託は元本割れだ。特に最近の株価の低迷は構造的に見える。

しまった。またか
唯一の救いはほとんど余裕資金はなかったので、ダメージも小さいことだけだ。

 だが、これはなんとしても息子に知られたくない。
おやじは全くセンスがないのに、金儲けをしようとして失敗ばかりしている。俺が20年前に教えた教訓が生きていない」生きている間中言われそうだ。

 世の中には金輪際金儲けと縁のない人間がいることを再認識させられている。
生活防衛はジャスコのトップバリューの食パンがさらに10円引きになるのを待って購入することだけのようだ。

 

 

 

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(20.7.15) 6.14恐喝事件の続報(その2)

 このブログでは6月14日恐喝・暴行事件(高校1年生のA君が、15、16才と思われる高校生の4人組から恐喝を受け、現金を脅し取られた上暴行を受けた事件)について、引き続き掲載していくことにしている。その最大の理由はこのような事件が多発しているにもかかわらず、一般メディアには全くといっていいほど掲載されないからだ

 これでは恐喝・暴行と言うような犯罪は微罪であり、「いくらやってもお咎めなしなのだからやり放題だ」という風潮が蔓延してしまう。
実際、この事件では暴行を受けたA君は、口や歯に全治4週間の傷をおっており、まだ病院通いが続いている

 しかしおゆみ野地区に住むほとんどの人がこうした事件があったことすら知らない。
A君のお父さんや、泉谷中おやじの会のメンバーはこうした事件の再発防止にどのような取り組みをしたらよいか真剣に考えているが、今のところ取り組みはその粋をでない。

 今回A君のお父さんからその後の経緯について連絡を受けたので、できるだけ原文に近い形で掲載する。

 お父さんが弁護士から聞いた話によると、加害者の少年達は犯行当時自分たちのしたことについてほとんど罪の意識がなかったようだ
単なるカツアゲ位で、ゲーム感覚」という意識だったらしい。その後警察の取調べや、弁護士との接見等を通じて始めて自分達がしたことの罪の重大さを認識し始めたのだと言う。

 A君のお父さんの話は、被害を会われた家族がその後どのような対応をせざるを得ないかがわかる貴重な証言です。

(7月4日)
・加害者少年4人は検察から家庭裁判所に送致、身柄は少年鑑別所に移された。


(7月12日)
・私たちの元に家庭裁判所から被害者への通知が速達郵便で届く。
・家裁での審判に向けての調査が開始された。審判は7月29日に行う。
・被害者は申請すれば
①事件記録の閲覧・コピー、
②審判結果の通知、
③被害者としての
心情などを裁判官又は調査官への意見陳述ができる制度がある。


加害者サイドの動き
・少年一人の保護者から直接連絡あり、面会し謝罪を受けた。(6月29日)
・強盗致傷罪の少年の弁護士と面会、保護者も面会し謝罪したい意思を知る。
 この少年は高校を自主退学した。(7月4日)
・もう一人の少年の弁護士と面会、少年に代わっての謝罪受け、保護者も面会し謝罪したい意思を知る。(7月10日)
・この3人とも治療費など賠償請求には誠意をもって対応することを明言。
・最後の一人の少年からは、未だに何の連絡もない。


ようやく事件の全容(事実)を知ることができそうです。
事件後、何を置いても連絡を取り謝罪してくれた保護者は一人。この保護者は友人など地域とのつながりがあり、少年を更生させるプログラムを作れそうでした。


他の3保護者は初期の謝罪対応が欠如しています(弁護士を立てて始めて謝罪したいといってきました)。(心からの謝罪では到底なく)どんな理由があっても許されないと思っています。
 審判に向けての調査が開始された今、単なる謝罪を受ける段階ではないと感じております。
これらの保護者に更生を責任を持って行う姿勢、力量はないと感じざるを得ません。
 とはいえ弁護士と伴に、少年の猛省を促し更生に真剣に取り組む計画を明確にしてほしいのですが、更生計画というものの具体的内容が分かりません。


息子の7月11日診療では上顎前歯歯牙脱臼箇所の神経回復遅く、他にも異常の心配あり7月14日再検査となりました。
これから何が起こるかわからないので、まだまだ賠償請求できる状態ではないと思っています。


被害者が受けることができる上記①②③を申請し、事実を知り、少年らには厳しい処罰を下すことを家裁に陳述したいと思っています。


少年らが通っている(いた)高校は何をしているのでしょうか?自主退学させておしまいなのでしょうか?ここにも問題あるのではと思わざる得ません???


本件ブログと関係する記事は以下の通り
*(20.6.24) 6.14 恐喝事件の続報
*(20.6.20) おゆみ野で恐喝事件が多発し始めた



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(20.7.14) おゆみ野の森のキャンプ実験隊

 12日の土曜日、おゆみ野の森キャンプの実験が行なわれた。おゆみ野の森は「市民の緑地」で市が管理する「公園」ではない。
そのためこの森で市民参画で何ができるのかの実験が行なわれている。
今回はキャンプ実験隊だ。

 当初この実験に参加する人数は約20名程度だったが、だんだんと人数が増えて最終的には約40名が参加した。家族として参加したのは11家族、あとは個人参加だ。

 午後1時に集まって、まずテントタープを張りキャンプの準備をする。今回は初めてなので宿泊まではせず夜中の10時ごろまでには撤収する計画だ。

 食事の前準備としてもうそうだけを節ごとに真っ二つに割って竹の食器を作り、細い竹でバンブーパンを作る。

 ここではなるべく自然にあるものを使い使用後は土に返す試みをしており、竹の食器はその一環だ。紙コップや使い捨ての皿はできるだけ使わない。

 子ども達のためにスイカ割り、花火、星の観察、肝試し等の盛りたくさんのメニューが用意されていている。
一方大人は火おこしやカレー、バンブーパン、バーベキューの準備に大忙しだ。

 勿論子ども達にも手伝ってもらっているのだが、なにしろ大人にとっても始めての作業が多い。
私はKさんとご飯を飯ごうで炊く役目だ。

 まずはブロックを作り、火おこしをしなければならない。ブロックで炉を作るのは始めての経験だったが、ブロックを30cm程度の高さに並べ、下にレンガをひけばおしまいだ。
あとは火をおこせばいいのだが、細枝がなかなかもてくれなくて悪戦苦闘だ。
子ども達がうちわで風を送り込んでくれてようやく燃え出した。しかし一旦火がつけば火力は思いのほか強い

 Kさん飯ごうでのご飯たきは初めてだったが、インターネットで十分事前勉強しており、初回にしてはじつに立派なご飯が炊けた。

 周りではカレーの準備や、バンブーパンの準備が着々とされている。子ども達もお母さんにまじってパン作りを手伝っている。バーベキューの準備も怠りなしだ。

 途中で2回にわか雨が降ってきたため、子ども達はテントやタープの中に避難した。私のテントは大人3人用だが、そこに10人程度の子どもが入って大騒ぎだ。雨のテント生活を経験してくれた。

 カレーの食事は6時からだったが、それ以前にすいかわりのスイカや、バンブーパンをたっぷり食べたために、子どもも大人もかなり満腹状態だ。

 私はこうした活動は初体験だったが、なかなか楽しめた。炉を作るのも火をおこすのもそれなりに工夫が必要で、自然の中での遊びは大人も十分楽しめる。

 子ども達は満腹になると側のふと縄ブランコロープ遊びをしたり、夜半暗くなってからは小クワガタの採集をして遊んでいた。
ここおゆみ野の森は住宅地の側にあるのだが、自然がそのまま残されており子どもも大人も楽しめる貴重な空間だ。

 今回のような活動をとおして、この貴重な空間を今後どのようにして管理していけばよいかの実験がされている。
また、今まで知らなかったお父さんやお母さんとも知り合いになれた。
お母さんの一人から「山崎さんは私のお父さんと同じ年です」と言われてしまった。
うぅーん、俺は大長老か

 さて、この実験の結果はどのようになるだろうか。私は大いに満足しているのだが、近近参加した各自が実験結果を取りまとめて意見交換をする場を設けられるだそうだ。

今回のキャンプ実験隊の活動が分かる写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/NO120712?authkey=08XrcmBRk8o

 

 

 

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(20.7.13) 評議員にになって2年目だ

 小谷小学校評議員の委嘱を今年も受けた。1年で首にならなかったところを見ると、一応の合格点をつけてもらったようだ。

 二年目になると知り合いの人がほとんどになる。学校歯科医の氏家先生や、保護者会のK会長や、元会長のSさんなどとはいつもどこかの会合や四季の道で顔を合わせているなかだ。
また会いましたね」が合言葉になってしまった。

 また私は小谷小学校でスクールボランティアをしているので、校長先生教頭先生とも日常的に顔をあわせており、何か小学校が私の生活の一部になっている。

 2年ほど前まではある金融機関のシステム監査を担当していたが、金融庁から検査のあり方について指導を受けたり、アメリカの金融当局から信じられないような難解な行政指導を受けたりしておおわらわだった。
あなたのとこのような立派な金融機関が、この程度のシステム監査レベルでいいと思っているのですか」金融庁の担当者のあの頃の皮肉が懐かしい。

 それがいまは小学校のあり方について委嘱をうけて考える立場で、このような経験をするなんて2年前までは考えることすらできなかった。

 小谷小学校寺崎校長先生はとても前向きな考え方をする方で、地域の支援ボランティア図書館ボランティア保健室のサポート要員を積極的に受け容れている。

これからは先生だけではダメで、地域の方の協力を仰ぎながら学校経営をしていくことが必要なのです」いつも言っている。
こうした態度で小学校の運営をしている校長は必ずしも多くなく、多くの小学校では従来の伝統を守った運営をしているのが実態のようだ。

 小谷小学校では20年度からは特別支援学級はばたき学級」を設置し、5人の生徒を受け容れ、養護教諭も新たに赴任してきた。
こうした児童を地域全体で見守っていくことが大事で、支援ボランティアの方のご努力で軌道に乗るようになりました

 校長先生は熱心に取り組んでおられるが、かなり苦労されているようだ。必ずしも全員のおやごさんや教師の支持を受けているのではないことが言葉の端々から伺える。

子どものためになることは積極的にしよう」校長先生のスローガンだ。
校長先生だけに苦労をしょわせるわけに行かないので、私も評議員の一員として及ばずながら校長先生をサポートし、より良い学校経営ができるように努力したいものだと思っている。

 

 

 

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(20.7.12) 大分県教育界は大揺れだ

 私も教員(特別非常勤講師)の一人として、今回の大分県教員採用試験昇格試験贈収賄事件に無関心でいられなくなった。
なにしろこの贈収賄事件は次々と新事実が出てくるので、一体どこまで拡大したらとどまるのか訳が分からなくなっている。

 大雑把に言って、小学校、中学校、高校の教員採用試験合格の半数、および教頭・校長の昇格試験合格者のほぼ全員、および教育委員会が組織ぐるみ贈収賄事件に関連していると言うのだ。

 08年度小学校の教員採用試験合格者は41名中学校31名だが、はっきりと分かっている小学校では15名が点数のかさ上げをしてもらって合格していた。
一方10名点数のかさ下げをされて不合格にされていたのだと言う。
中学・高校も同様の傾向だが、まだ詳細は判明していない。

 これはすべて教育委員会NO2二宮正人容疑者の指示に基づき、義務教育課人事班の江藤勝由参事の手で行なわれていたと言うから驚く。このルートが増収賄のメインルートだ

 今回の事件で私が心から同情したのは、点数をかさ下げされて不合格にされた10人だ(他に点数はそのままだが、かさ上げ者より点数が少なかったため不合格になった5名がいる。まじめに勉強をして実際に教員になれたはずなのに「あんたは学力がないから不採用だ」と言われてしまった。
これでは試験を何のためにやっているのかわからない。

 私は大分県教育委員会採用試験に当たって次のように公表すべきだったと思う。

採用試験に当たっては、ペーパーテスト、作文、面接のいかなる点数も採用試験の参考にしない。すべて教育委員会および義務教育課人事班に対する情実によって決定する。

 したがって受験者は、政界・財界・教育界のあらゆるコネを総動員し、さらに足らざるところは資金を十分提供し、義務教育課人事班参事が納得するように行動されたい。

 間違っても教員は教育者としてすぐれた資質があるから採用するのではないので、受験生は試験勉強に努力することなく、世間はコネで成り立っているという一般常識に従って行動することを期待する。

以上通知する。大分県教育委員会

 また、教員採用だけでなく、校長や教頭の昇格もすべて、江藤参事の情実によって決まっていたようだ。こちらの場合は江藤参事の部下、矢野容疑者が仲介者として斡旋していたらしい。

 従来どうしても教頭になれなかったA氏の事例が明らかになっている。A氏矢野容疑者の斡旋で50万円の商品券を贈ってやっと教頭になれたと言う。

 それ以前A氏は4年連続で教頭試験に不合格になっていたが、合格者と答え合わせをしてみるといつも成績が良かったのだと言う
そのような状況で矢野容疑者から「コネを使わなければ昇格は難しい」といわれ50万円の商品券を包んだのだそうだ。

 この教頭は小学校を去るにあたり「教頭は誘惑に負けた悪い人間です。君たちは正しい行いができる勇気ある人となってください」と言い残しているが、この教頭が悪い人間とはとても思われない。

 情実以外で昇進できないのであれば、誰でも仕方なく金品の提供をしてしまう。大分県教育委員会がすべて金品の授受で校長・教頭の昇格を決めていたのだから、これは教育委員会の責任でA氏は無罪だ。

 しかし考えてみれば教員の採用も校長の昇格人事もある個人に権限が集中しているとは、信じられないような人事制度だ。
結局有る特定の個人が全権限を持つと、最終的には情実の世界になると言う好見本だ。

 そして他の都道府県でもまったく同様の人事制度を採っているのだから、牛やブタやうなぎの産地偽装問題と同様に、全国規模で教育界のうみをこれから何回も見せ付けられることになりそうだ。

 

 

 

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(20.7.11) 小学校の授業が始まった

 私はこの5月小谷小学校からパソコン教育の「特別非常勤講師」に委嘱されたのだが、その後全く音沙汰がなかった。
かみさんは「やっぱりお父さんではダメなのかねえ。信頼がないねえ」なんていい始めるし、学校に行って聞いてみても、授業計画がまだ立っていないという。

こりゃ、始まるのは夏休み後かな」と腹をくくっていたら、急に夏休み前の計画が出来上がった。
7月10日からほぼ毎日授業が予定されている。
ううーん、集中豪雨みたいな計画だ」急に忙しくなった。

 しかしどんな状況でも対応できるのが定年退職者の強みだ。他にすることと言えば清掃活動ブログの作成マラソンだけなのだから、どうにでも都合がつく。
はい、分かりました。がんばります」元気よく答えておいた。

 今日(10日)ははじめての授業だ。1年生のパソコン授業の手伝いだが、キューブキッズと言う教育用ソフトを使用してマウスの使用法を会得するのだと言う。

 小学校1年生は私にとってみたいなものだ。なんともかわいらしいし、おそろしく元気がいい。
パソコンは20台で生徒数は30名強だから全員に1台と言うわけには行かない。このためかわりばんこにパソコンを使用することになるが、できる子が占有する傾向がある。
先生は「次はA子ちゃんの番でしょ。はい代わって」とパソコンのディリバリーだけで大忙しだ(注:パソコン教育の最大の問題点は一人1台づつのパソコンが設置されていないことだと私は思っている)。

 だから子ども達は分からなくなると私の袖を引っ張って教えろとやんやの催促だ。こんなに子ども達から信頼され、頼りにされた経験はないので、大張り切りで教えまくったらすっかり疲れてしまった。

 「いやはや、重労働だ
余りに疲れたので、授業が終わって、誰もいなくなった教室で大の字になって寝てしまった。

 しかし考えてみたら、ようやく念願の教師になれたのだ。私は長い間ある金融機関に勤めていたが、常に何か異質な感じがしていた。他にもっとふさわしい職場があったはずだという気持ちがどうしても拭いきれなかった。

 一番なりたかったのは体育の教師でこれはその後の私の人生の軌跡をたどってみると天職だったことが分かる。
なにしろ銀行員だった期間、昼休みと時間後は必ずJOGをしたり、筋肉トレーニングを行なっていた。
通常の職員が実業団の選手顔負けの生活をしていたのだ。
何時だったか「貴方はオリンピックの強化選手ですか」と聞かれたこともある。

 他の職員が仕事をしたり、議論をしたり、酒を飲んだり、マージャンをしていた時間をすべて運動に費やしていたのだから、銀行から見ればひどい異端児だ。
それでも私を置いてくれた銀行に心から感謝しているが、互いに疎遠な気持ちになったのは止む終えない。

 そうして61歳になり、人生の黄昏時になんとあれほどなりたかった教師になってしまった。体育の教師ではないが教師であることにかわりがない

 今日職員室に設置してある名札の末席に私の名前があるのに感動した。
教頭先生から「来たときは名札を出席の状態にしてください」と指導を受けたが、そうしたことよりも私はその名札そのものに感動してしまった。
見よ、先生じゃないか!!!

 

 
 

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(20.7.10) 復活は可能か

 5月の連休の川の道252km以来、走ることを止めている。最大の理由は左足の膝のお皿がカタカタ言って、さらにお皿の下側に痛みがあったためだが、およそ2ヶ月間養生したおかげでお皿の痛みは取れた。
嬉しいことに骨が触れ合うようなカタカタ言う音もしなくなった。

 しかしここ2ヶ月間は体調を維持するのに悪戦苦闘だ。当初はNAS水泳をしていたが、またたくまに鼻炎が悪化して夜寝苦しいことこの上ない。
苦しさに耐えかねて水泳をやめ、こんどは自転車に乗って坂道を登っていたが左足で踏み込むとやはりお皿の周囲が傷む。

 帝京市原接骨院院長先生から「坂道走なんてとんでもない。平地をゆったりとこぎなさい」と言われ、坂道も登れなくなった。

 運動不足は確実に身体に現れ始め、徐々に腹の回りに脂肪がたまりだした。
私はかつて一度も腹の周りに脂肪をためたことがないのが自慢で、スーダンの難民のように腹はすっきりしていたのだが、ここ数週間の間に、腹の脂肪を手でつかめるようになってしまった。
いくら腹筋背筋をしても一向に腹はへこまない。

こりゃ、ダメだ。このままいくと腹の周りにまわしができてしまう
昨日から、意を決してマラソンを再開した。とりあえずは四季の道を1周しているが、幸いなことに膝は痛まない。
ただし坐骨神経痛から来る臀部の痛みが相変わらずだ。走り初めが特に痛く、時間がたつにつれ身体が温まり痛みが消える。

先生、やはり臀部の違和感はなかなか治らないですね
うむー、山崎さんは長い間身体を痛めつけてきたので、そうやすやすとはなおりませんよ」院長先生から笑われている。

 しかし何と言っても走るのが一番だ。身体中から汗が吹き出て気持ちがハイになる。
四季の道には知り合いだらけなので、「ハーイ、元気!!」なんて大声で声をかけながら走っている。
臀部の違和感はなかなか治りそうにないが、気にしていたら全く走ることができないので無視することにした。

 帝京市原接骨院院長先生に思いっきり指圧をしてもらいながら、またマラソンを復活しよう。四季の道を毎日2周すれば、腹は確実にしまってくるはずだ。

 マラソン仲間のSさんから「山崎さん、またウルトラをやりましょうよ。山崎さんが走らないなんて考えられない」と言われている。
はは、そのうちに」と答えているが、再びウルトラができる身体に成りたいものだと本音では思っている。

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(20.7.9) 文学入門

 この年になって読書会に誘われるとは思わなかった。かつてはそれなりに文学に興味を持ち、一日中小説を読みふけっていた時代があったが、それからすでに30年はたっている。

 老眼の目には小さな文字はつらく、もはや二度と小説を読むことはなかろうと思っていたが、友達のAさんに誘われて河村義人さんが主催する読書会に出席した。
河村義人さんおゆみ野在住の作家で「子どもたちへのブンガク案内」という本を出版されている。
河村義人さんのプロフィールはおゆみ野walkersの「この人に会いたい 河村義人さん(リンクが張ってあります)」に詳しい。

 今回の読書会の報告者はBさんだった。
Bさんは緑図書館ができる前にすずかけで「ルピナス文庫」という家庭文庫を開いていた人で、この文庫は小さな子供のいた主婦にはとても助かった場所だったそうだ。
本のことについては非常に博識な知識を持っており、本そのものがとても好きだと言う人だ。

 私は河村義人さんにもBさんにも初対面だったが、文学を愛して止まないと言う雰囲気をかもし出す人たちだった。

 報告者Bさんが選んだ本は吉野せいの「洟(はな)をたらした」「梨花(子どもの名)」という短編の2編だった。
吉野せいといってもほとんどの人は知らない。私が住井すえと勘違いしたほど現在では忘れられた作家といってよく、実際本屋で吉野せいの作品を探そうとしても置いてない。

 私は読書会に参加することになってからあわててアマゾンインターネットで注文したが、入手できたのは文春文庫の中古本だった。増刷はされていないらしい。

 吉野せい1977年78歳で没したが、信じられないことに彼女が文学活動をしたのは70歳を過ぎてからの数年間だった。
それまでは貧しい農夫の妻に過ぎず、ほとんど人に知られることのなかった女性が、突然「洟をたらした神」で大宅賞を受賞したのだから世間は驚いた。
しかし実際にこの本を読んでみるとなぜ彼女が小説を書かなければならなかったかが分かる。

 福島県の貧しい開拓農民として土くれとなって生きてきただけの女性が、「自分だって喜びも悲しみも知る一人の人間なのだ。私という人間を知ってほしい」という魂の叫びがこの小説の真髄だ。

 特に「梨花(りか)」が悲しい。梨花とは1歳にも満たない前に夭逝した娘の名前である。開拓地の労働は厳しく12月の寒風が吹きすさぶ中で母親は労働をし、幼子は側の作業小屋で寝かされたままだ。
おしめもかえられず冷たい北風にあたって娘は腸を壊し、緑色の便をだしはじめる。
そして常に微笑を絶やさなかった幼子からだんだんと笑みが消えていく。

 その数日後に幼子は夭逝するのだが、それを日記として淡々と綴っている。幼子に対する愛情がないのではなく、あふれんばかりの愛情をもって、しかし事実は事実として綴っており、私は思わず目頭が熱くなり泣いてしまった。

 医者にかけるお金もない貧しい開拓農家の母親が「なぜ子どもを死なせることになったのか」自問自責する姿は悲しい。
医者にかけられないため氷のうで熱を冷まそうとするが、体温が下がりすぎかえって幼児の体調を悪化させてしまう。

冷えて凍えて病勢を募らせたか、あれくらいの病気で死ぬものではないと思う。それのみを思う。恨むか、梨花!」心の叫びだ。

 
この小説は小説と言うよりノンフィクションと言えるもので、吉野せいという女性がたどった凄惨な歴史書だ。
昭和初期という厳しく貧しい時代に、知的ではあったが恵まれない女性が「だが、こうして私は生きていた」と訴えているのだ。

 今では読まれることのない小説になってしまったが、文庫本を取り寄せてぜひ読まれることを勧める
特に「梨花」は涙なくして読むことはできないが、人間の生き様を知るには最適な本だ。

 

 

 

 

 

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(20.7.8) 日本は亜熱帯か

 最近は驚くことばかりだ。今日(7日)もいつものように朝7時に清掃活動に出発したが、西空がやけに暗い。これは場合によったら雨が降るかもしれないと、いつもよりも急いで清掃活動をしていた。

 出発してから40分程度たった頃、ちょうど冬の道エステシティおゆみ野のマンションが建っているあたりで、土砂降りの雨が降り出した。通常はやや弱く降りだし、だんだんと強い雨になるのだが、今日の雨はいきなり土砂ぶりだ。

な、なんだ、これは!!! スコールじゃないか
一旦木陰に避難してみたが、とてもこれでは雨を避けられそうもない。幸いエステシティおゆみ野自転車置き場が側にあり、屋根がついていたのでそこに駆け込んだ。

 雨脚は激しいなんてものでなく、こんな経験は台風の時の大雨以外に経験したことがない。景色も雨で霞んで見える。
たまたま通る人も傘を差しても体中濡れていて、ワイシャツが身体に張り付いて肌が透けている。

 ほとんど誰も通らなくなった四季の道を、信じられないことに男気の大将がマラソンをしていた。おそらく雨が目に入ってほとんど何も見えないはずだ。
私もかつて台風の時にレースをしたことがあったが、雨が直接目に入って視界がほぼゼロになった経験がある。

しかし何と言うことだ。この雨は温帯の雨じゃない。地球の温暖化でとうとう日本は亜熱帯になってしまった
私が生きているうちに日本が亜熱帯になるなんて予想だにしなかった。気候変動は数千年の単位で起こるものと思っていたが、とんだ勘違いだ。

 今は亜熱帯だがこのまま行けば、日本が熱帯になることも視野に入れなくてはならないだろう。
東京は今の沖縄のような気候になり、雪なぞ金輪際見られなくなるだろう。冬でも20度近くの気温で、冬着を着ることもなくなるので衣料メーカーは大弱りだ。

 東京湾さんご礁の海になって、泳いでいる魚は熱帯魚だ。多摩川には誰が放流したのかメガネカイマンが大増殖して、クロコダイル・ダンディの世界になってしまう。
照葉樹林の森は熱帯の森に変わり、ニホンザルに代わってオラウータンが生息し始める。
子供達は熱帯の森でターザン遊びに夢中だ。
私が食べる果物は、パパイアマンゴーで、かつてりんごという果物があったことを忘れてしまう。

 そんなことを考えていたらようやく雨脚は弱まってきた。ほぼ1時間の集中豪雨だった

集中豪雨の写真を撮っておきました。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2077?authkey=DofI8k6lZ6E

 

 

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(20.7.7)マルチ商法は蜜の味 ワールドオーシャンファーム

 ワールドオーシャンファームWOF)、会長黒岩勇容疑者による巨大詐欺事件の全貌が明らかになってきた。
事件は05年3月から配当の支払いが停止した07年1月までの約2年間約3万5千人の出資者から849億円の資金を集め、そのうち約100億円が使途不明金になっているというものだ。

海老の養殖事業に出資すれば約1年で出資額は2倍になる」と言うのがキャッチフレーズだったが、海老の養殖事業など全くやっておらず、出資金を配当に回すことでやりくりするマルチ商法だったことが明らかになっている。

 私は当初黒岩容疑者が849億円全額をネコババしたのかと思っていたが、それではマルチ商法は成り立たないらしい。
少なくとも当初の出資者に「これは確実に儲かる事業だ」と思い込ませるための仕組みが必要で、10日ごとに律儀に配当がされていたと言う。

 出資者が十分信頼し始めたころを見計らって「このような儲け話は大変貴重な情報だから、一番大切な人を紹介してほしい。その場合の手数料は新規に獲得した出資金の20%だ」と勧誘をはじめた。

 このため多くの出資者がWOFを信頼し、親戚縁者に話を持ちかけたらしい。
年間100%は確実に儲かるのよ。これ見て、私の通帳に振り込まれてきた配当金。もう一年もやっているから元を取って、これからは儲けだけ

 このマルチ商法は2年間続いているから、当初の出資者は確実に元を取ってかなりの利益が得られていたはずだ。
Goo 教えて Goo」という掲示板には06年9月段階で「WOFは信頼できるか」と言う問いに対する回答の一つに「自分は1000万投資をし、すでに半年は過ぎたが、10日ごとに配当がされていて、あと2年は続くだろうからぼろもうけする」との回答があった。

 実際はWOF07年1月に配当を停止したので、この1000万を投資した人はさらに半年間配当金を得たはずだから、確かに元は取っているわけだ。

 マルチ商法はその倒産する直前までは投資者から全幅の信頼を得るために出資金のほとんどを配当金や手数料として支払っている。
そして、マルチが限界に差し掛かる直前で最後の大勝負に出るようだ。

撒きえは十分した。大魚を釣るぞ
07年1月に、期間限定の大キャンペーンをした。この期間の紹介料は通常の紹介料にプラスして、出資額の3%を上積するといって、大量の金額を集めた。その額が約100億円で、その金額を持ってトンズラを図ろうとした直前に逮捕されたと言うのがいきさつらしい。

 幸か不幸か私自身は年金生活者でとてもマルチ商法の対象になるような人間でないが、WOFの手口を見てマルチ商法というものがよく分かった。

 出資者の信頼を得るためには、配当金や紹介料を間違いなく払う。この段階で実際にぼろもうけをした人が出てくる。

 マルチ商法は新たな出資額がなくなるとその段階で破綻するので、1~2年が限界になる(年100%の配当を約束しているため、毎年2倍ずつ出資額が増えなければならない

 出資者に対する支払いができなくなる直前で、最後の金集めを行い、それがマルチ商法の主催者の詐欺の取り分になる。反対に最後に出資者になった人は全額騙し取られる。

 私は長い間マルチ商法になぜ人が引っかかるのか分からなかった。銀行利子が1%の時に、年率100%の配当など常識的にはありえないし、誰でもいかさまと気づくはずだと思っていたのである。

 しかしマルチ商法は確かに蜜の味がして、当初の参加者は確実に儲かっていることが分かった。だまされた人は最後の一発勝負に乗った人だけなのだ

マルチ商法は食い逃げが勝負よ当初の出資者の高笑いが聞こえる。
これでは今後もマルチ商法が廃れることはなく、被害者は必ず出てしまいそうだ。

 

 

 

 

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(20.7.6) オラウータン ウォークが直ってきた

 このところ坐骨神経痛が悪化して、歩くにも前かがみになってしまった。鏡を見るとオラウータンの歩きにそっくりだ。
これは本格的に治療しないとやばい」強い決心をして、ここ2週間日曜日を除いて毎日、帝京市原接骨院に通っている。

帝京市原接骨院帝京平成大学の付属施設で学生の研修所を兼ねていて、柔道整体師養成コース付属医院だそうだ。
院長先生は若くバリバリで、自身はトライアスロンの選手なので実に元気がいい。

 ここ2ヶ月間は学生が1週間の実地研修に5~6名ずつ常時来ているので院長先生は学生を指導したり、治療したり大活躍だ。

先生、坐骨神経痛は直るものでしょうか
山崎さんの腰や臀部は筋肉がパンパンに張っていて、神経を圧迫しているのです。筋肉が柔らかくなれば直ります

 そういいながら臀部を思いっきり押すので、恐ろしいぐらい痛い。どこをどう押すとこんなに痛くなるのか飛び上がるような痛さだ。
うぅー」うなってしまう。

 しかし2週間続けて通ったおかげで、腰やお尻の筋肉が柔らかくなってきた。ここ数年、私は朝起き立ての時、2階から1階に降りるのに手すりをつかまらないと降りられなかった。カチカチに身体がこわばっているためだ。。
何でこんなに身体が動かないのか。これじゃロボコップだ

 それが指圧のおかげで身体が柔らかくなり、朝一番の階段の降りに支障がなくなった。加えて身体が立ってきた。オラウータンのような姿勢がまっすぐに伸びだしたのだ。
さらに信じられないことに身体をうしろにそらせることもできるようになった。ここ数年全くうしろにそらなかったのだから驚きだ。
イヤー、すごい。身体がうしろにそっている」鏡を見てはしゃいでいる。

 身体の柔軟性の回復には先生の指圧は実に効果的だ。筋肉は表の筋肉と奥の筋肉が有って、この奥の筋肉をほぐすのが重要らしい。

 とりあえずここまで身体が回復してきた。ただし柔軟性は回復したものの、坐骨神経の痛みは残念ながら相変わらずだ。
歩きだしや、走り始めの時痛む。

先生、坐骨神経痛は本当に治るものでしょうか
山崎さん、すぐには直りませんが、奥の筋肉のよりが取れたら直りますよ。時間がかかりますがゆっくり直しましょう

 考えてみたらオラウータンでなくなり、身体に柔軟性がでてきただけでも大収穫だ。幸いここの接骨院は保険が利いているので毎回500円で治療を受けられる。指圧そのものは拷問にあっているように痛いが、確かに身体は柔らかくなっている。

 あとは先生の言うように気長に坐骨神経痛の養生をすることにしよう。

 

 

 

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(20.7.5) 日本のブログは世界を制す

 昨日(3日)の毎日新聞の記事に、ブログについて信じられないような記事が乗っていた。
それによると、08年1月末現在で、国内のブログは1690万あり、使用言語別では全世界のブログの37%が日本語で世界一だと言うのだ。

 一瞬「本当か?」と目を疑った。それと言うのもブログそのものはアメリカ育ちだし、世界言語としての英語圏の使用が最も多いと思っていたからだ。

 もしこの記事が本当だとしたら、これは驚くべきことだ。日本では新聞、テレビ、雑誌と言う伝統的なメディア以外に、ブログというもう一つのメディアが、世界で最も発達していることになるからだ。

 おそらくアメリカよりもブログが日本で浸透した原因は、アメリカではホームページがいきわたっていたからではないかと想像される。
一方日本ではアメリカからやや遅れてホームページの開発が始まったが、その時はブログという技術も一般化していたために、新規ユーザがブログに流れたのではないかと思われる。
いわゆる後発者利益を享受したということだろう。

 及ばずながらも私もブロガーの一人として毎日記事を更新している。最近の私のブログの読者は1日平均150名、検索記事数約300である。
パソコン教室のサイモン先生が「1日平均100名の読者がいれば、ブロガーといえます」と言っていたので、ブロガーの末席に連なっているわけだ。

 新聞によると日本ではブログを立ち上げる人は多いが、1ヶ月に1回以上更新する人はブログ開設者の約2割で、あとは「さて作ったものの」と言う状態らしい。
実際やってみるとこのブログの更新、それも毎日更新するのは至難の業だ。旅行をしたり病気をしたりするとどうしても休んでしまうため、旅行の時は事前に記事の溜め込みが必要だし、またおちおち病気にもなれない。

 それに第一「今日は何を書けばよいか」と悩んでしまう。阪神の金本選手をみならって連続記載数を伸ばそうと躍起となり、無理して書いているうちにカテゴリー50近くになってしまった。
いやー、私の興味の範囲も広いものだ」自分で感心している。

 また読者に読まれる記事を書くためには、アクセス解析の「検索ワード・フレーズ」を常時見ていることが必要だ。これにより読者の興味の方向を知ることができる。

 最近までイオンおゆみ野SCの記事を多く書いてきたが、それはこの種の検索が開店日を挟んで爆発的に増えていたからだ。
また、「○月○日 事件 ××場所」などという検索があれば、事件が起こっていることが分かるので、情報入手がしやすくなる。

 ブログは技術的にも写真ビデオ音楽との融合が可能で、しかも作成がホームページに比較して格段に易しいのだから、今後の発展性は保証されているようなものだ。第4のメディアとして確実に地歩を築くだろう。

 さらに日本のブログは世界最大だから、なにか野球で言えばメジャーリーグに所属しているような気持ちだ。そうならばイチロー松坂のようになりたいものだと思ってしまう。

日本のブロガーは努力を惜しまなければ世界的なブロガーになれる位置にあるともいえそうだ。
日本のブログが世界を制するように、私もその一員として日夜研鑽を励みたいと心を強くした。


20XX年 国連ユネスコ本部報告

 日本のブログが世界中の読者に見られるようになって久しい。言語の自動翻訳機能で言語間の障害がなくなったことが大きいが、それ以上に日本のブログが世界性を発揮しているからと言える。

 かつて日本のアニメ「どらえもん」が世界の子供達に喜ばれたように現在は日本のブログ「おゆみ野四季の道」が世界の老人に愛読されている。
このような傾向は他の日本のブログも同様で、たとえば「
福谷章子のまちづくり」は世界各地の遊歩道における自転車ルールの標準化に寄与した。
 



 

 

 

 

 

 

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(20.7.4) なぜ人は記憶力を失うか

 私は自分の記憶力の悪さにすっかり慣れっこになっているのだが、本当は余り自慢すべきことでもないようだ。
なにしろ最近四季の道で会う人がとても多く、「おはよう」なんてハイテンションであいさつはするのだが、一部の人を除いて名前を知らない。

お名前は、そうですか、○○さんですか、よろしくお願いします」なんて調子よく分かれるのだが、翌日にはきっぱりと名前を忘れている。
また会って「おなまえは?」なんて聞いてしまうのだが、相手がびっくりしたような顔つきをするので、すでに何回か名前を聞いていることがわかる

いや記憶力が悪くて申し訳ありません」とすぐに謝まっているが、さすがにこれではいけないと思うようになってきた。
今日からは帳面に聞いた人の名前、時間、場所、特徴を書き、さらに私は常時デジカメを持っているのでついでに写真を撮ってはっておくことにした。

 これなら、絶対に大丈夫なはずだが、ポイントは何回も帳面の見直しをしないとすぐに忘れてしまうことだ。時間がたつと帳面があることすら忘れてしまう。

 私が三歩歩くと記憶がなくなるほど、ひどい記憶力障害に陥ったのには深いわけがある。このことを言うのは本当はとてもつらいことだが、話をしないと「なぜ人は記憶力を失うのか」と言うことが分からない。

 私は幼児期に母親から非常に厳しいしつけを受けた。現在の感覚からすると幼児虐待だが当時は親が子供を折檻するのは当たり前と思われていた。

 私は何かと言うとたたかれ、殴り飛ばされていたが、親戚のおじさんが後年私に言ったものである。
「Yさん(母親の名)は、あすこまで子供を殴らなくてもいいと思ったものだ。ちょっと異常だったよ

 こうした場合は幼児は対抗手段を持たない。ただ毎日殴られるだけだがそのままでは肉体的にも精神的にも死んでしまう。
たまたま私は身体が丈夫だったので肉体的には持ちこたえられたが精神的には持ちこたえられなかった。

 幼児の立場からすれば何の理由もなく殴られるのだから対応策はない。ナチ収容所ユダヤ人と同じ立場だと言えば分かってもらえるだろうか。
そこで私が知らず知らず取った手段が「記憶を抹殺する」と言う手段だった。
馬鹿になる」といったほうが良いかもしれない。
一日寝ることですべてを忘れ、翌日には傷を回復させる。

 この方法は大変有効で、おかげで私は幼児期を生き延びることができたが、非常な副作用があって記憶力が決定的に落ちてしまった
馬鹿になって生きていたのだから仕方ないのだが、名前名詞漢字を覚えることが、以来とても難しくなった。
私が小学校6年間で覚えた漢字は、数詞と3画程度の簡単な字に留まっている。

 また小学生の時私はよくかくれんぼで鬼になっていたが、最大の理由は「○○ちゃん、見つけた」と言うべき相手の名前を忘れてしまうからだ。

 幼児期には有効な手段が、年少期には桎梏になってしまった。その後私は懸命に努力をし、人の2倍の努力で記憶力の障害を補ってきたが、やはり覚えてもすぐに忘れる傾向はなんとも仕方がない。

 幸いに最近はGoogleのような検索技術が大発展して、一般的な知識は覚えてなくてもすぐに入手でき、ブログも自由に書く事ができるが、さすがにGoogleといえども友達の名前までは検索してくれない。

 そんな訳で帳面に名前を書いて覚えるという古典的方法を採用することになったわけだ。

  実際はこの記憶力がないことで、実社会ではしばしば困惑することがある。しかし私はそのことを悲しいとは思わない。
幼児期はそれゆえに生きることができたのだから、この記憶力障害はいわば自分のアイデンティティだ。

 間違いなくあの時は忘れないと生きられなかったのだから、この記憶力障害に感謝しているぐらいだ。

 

 

 

 

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(20.7.3) 有吉日枝神社の賽銭泥棒

 私がこの話を聞いたのは有吉日枝神社氏子で、最近おゆみ野クリーンクラブのメンバーになったMさんからである。

 今年の春休みに、Mさんがいつものように早朝日枝神社に散歩にいったところ、中学生から高校生ぐらいの数名が賽銭箱を壊していたところに出くわしたのだそうだ。

 Mさんは「これはいやなところに出くわした」と一瞬思ったのだが、たまたま一緒にいた年配の人が警察に通報した。

 犯人は蜘蛛の子を散らすように逃げたが、あとには格子を真っ二つに割られていた賽銭箱が残っていた。
賽銭泥棒は今回が初めてではなく過去に何回か有ったが、今回のように賽銭箱の格子を真っ二つに割って盗むようなことは初めてなのだそうだ。
どうやったら、あんなにも真っ二つに割れるのかしら」不思議に思ったそうだ。

 そのあとが大変で、氏子が金を出し合って賽銭箱を修理し直したり、周りの茂っていた樹木を切って見通しを良くするようにしたりして、かなりの費用がかかったらしい。

 この話を聞いたので今日(2日有吉日枝神社に行ってみたが、賽銭箱は綺麗に修復されており、周りの樹木は枝打ちがされて見晴らしが良くなっていた。
通常神社は草木が鬱蒼としているのが趣があるのだが、悪がきのおかげで公園並だ。

「神様のお金を盗むなんて」とMさんは言っていたが、最近は神仏を恐れぬやからが増えているらしい。
ここ有吉日枝神社はおゆみの地区でも有数の立派な神社であり、年始年末の人でも多く、お賽銭もかなりの金額になるのだそうだ。
まったく悪がきに神罰が当たってほしいものだと思う。

 かつての日本では、共同体の規制が厳しく少なくとも村の中で悪さをするような子供はなく、神様の賽銭が盗まれるようなことはなかった。
問題を起こすのはよそ者で、それゆえ村の中によそ者が入ってくるのを極度に嫌ったものである。

 最近はこうした共同体の規制がなくなってしまい、自分の住んでいる街の中でやり放題だ。
この界隈では悪がきの悪事が多発しており、有吉日枝神社の近くの、さくら公園のトイレも以前ひどく破壊された。今回ついでにトイレを見てきたが、壊されたまま放置されている。

 緑公園緑地事務所は今まではすぐに修理していたのだが、修理費にも事欠くようになってきたのだろうか、あるいはまた壊されるくらいならそのまま放置して置こうと言うことだろうか。

 いづれにしても賽銭泥棒といい、トイレの破壊といい悪がきの悪事を聞いたり見たりするのはつらいことだが、そうしたことが少しでも減るようにこのブログで情報を伝え続けることとしたい。

 最近(2日)の有吉日枝神社の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2072?authkey=IAm_qBbKdFk

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お願い)おゆみ野地区での破壊行為や事件についてはこのブログで積極的に取り上げるようにしております。情報をお持ちの方はこのブログのメール送信機能を使用して私宛、情報を教えていただければ幸いです。

 

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(20.7.2) 友達 その2

 最近は信じられないことばかり起こる。友達が何かと支援してくれるのだ。

 男気の大将は毎日早朝、四季の道をJOGで一周しており私が清掃活動をしている時に必ず会う。フォームはとても綺麗で速さもなかなかのものだ。
私は大将がレースにも出ているものと思っていたが、健康維持のために走っており競技には興味がないとのことだった。

 男気の大将は、四季の道で未成年者がタバコを吸っていたり、空き缶をポイ捨てしているのを見つけると厳しく叱責して止めさせる。
あんた、空き缶を道に捨てるなんて常識がないじゃないか。ちゃんと拾っていきなさい
未成年者がタバコを吸うなんてダメだ。止めなさい
見てみぬふりを絶対にしない。

 男気の大将は私のブログのファンでもあり、私がユニクロのマラソン用スポーツウェアを探していることを知っていた。
「使ってないユニクロのスポーツウェアがあるけど、使う?」
ここ1年以上もユニクロのマラソン用スポーツウェアを探していたので、飛びついてしまった。
ぜひ使わせてください」喜んで着ている。身体にぴったりだ。

 このマラソン用スポーツウェアはユニクロが慶応大学と共同で開発したもので、上下で6000円程度するのだが、大将は「使用していないので代金はいらない」と言う。これまた夢ではなかろかと思っている。

 これも先日のことだが、金沢小学校の近くに住んでいる有徳の女性がいて、私の貧しい生活を知って何かと支援してくれる。この人も私のブログのファンだ。
お坊様が毎日四季の道を清掃して下さっているおかげで、毎日気持ちよく過ごすことができます。これは些少ではありますが、山形のサクランボをお召し上がりください
いや、このような高価なものはいただくわけにはいきません

お坊様、功徳と思っておうけとりください
されば、我が家には餓死寸前の妻がおりますので二人でありがたくいただくことにいたしましょう
ここ数日サクランボで飢えをしのいでいる。

 有徳の女性は、私が花を街のあちこちに植え、この街をフラワータウンにしようとしていることも知っている。
もしよろしければ、我が家にありますアジサイの苗木をお使いください」プランターに植えてあった苗木を分けてくれた。
 これを小谷小学校の周りの、植栽が枯れて裸状態になっているところに植えるつもりだ。

 新都市ライフOさんも、私が乏しい年金でペンキを購入し、落書きを消しているのを見かねた一人だ。
山崎さん、新都市ライフがおゆみ野の市民活動の助成をしていますので、応募されたらいかがですか」情報を教えてくれた。
応募し審査をうけたら、適切な活動だと評価され5万円の助成金をいただいた。おかげで落書き消しを心置きなくできるようになった。

 なぜこのような僥倖が次々に起こるのかはわからないが、ありがたいことだとしみじみ思っている。
おかげで毎日にこやかに清掃活動ができるのだが、先日四季の道でよく会う女性から「山崎さんの笑顔を見ていると、とても幸せな気持ちになる」と言われた。

 私は私を支援してくださる方に感謝して笑顔になっているのだが、さらに私の笑顔で幸せにな人がいるのなら、これは信じられないような好循環だ。
私の笑顔程度で喜んでくれるなら、これからもいつもにこやかにしていよう」そう思っている。 

 

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(20.7.1) おゆみ野四季の道の駅伝大会

 おゆみ野四季の道駅伝大会来年の2月15日(日)に開催される。
今回の駅伝大会おゆみ野で始めて開催されることもあり、対象を小学生、それも3年生以上に限った
やはり最初から誰でもと言うのは無理でしょう」大会事務局の配慮だ。

 5人一組4年生以上は5km(一人当たり1km)、3年生は2.5km(一人当たり500m)の距離をたすきリレーで走る。
今はおゆみ野6校ある小学校に、出場の打診をしている段階だ。

 ここおゆみ野には四季の道と言うとても素晴らしい遊歩道があるのだが、この遊歩道を利用したイベントが少ない。隣のちはら台ではかずさの道を利用した駅伝大会がかなり前から行なってきており、地域に根付いたイベントになっている。

ぜひ、おゆみ野でも駅伝大会をしたいものですね」あちこちからそうした意見がでてきて、今回おゆみ野地区社会体育振興会が中心になって、駅伝大会の素案を作ってくれた。

 先日(29日)その第一回目の打合せ会が、おゆみ野のコミュニティーセンターでもたれた。こうした試みはおゆみ野地区の多くの団体が協力しないと実現が難しいため、実行委員として体育指導委員育成委員44連協および社協等の役員が参加している。

 私は市民ネットの福谷議員から「山崎さんは四季の道のランナーだから参加してくれませんか」と依頼を受けた。
私は頼まれると断れないので「はい、分かりました」と答えたが、最近は調子よく引き受けた仕事が多くなって、信じられないことにカレンダーにスケジュールが書き込まれている。

 今後は月に1回のペースで打合せを持つことになっているが、実現までには多くの人の協力と努力が要りそうだ。

 各小学校から学年別にチームを作ってもらう予定だが、まず人数確保には苦労しそうだ。
ちはら台の駅伝大会でも、学校行事の一環として参加してくれるちはら台南中学以外の参加率は極端に悪かった。
どうやらキーは学校がどの程度積極的に取り組んでくれるかにありそうだ。

 また途中にある道路との交差地点での交通整理はかなり大変そうだ。運転手とのトラブルを避けるため、事前の周知徹底や警察の協力を仰ぐ必要があるだろう。

 資金についても十分な予算があるわけでなく、今後は地区の商店等にも協力を仰ぐことにもなるだろう。

 イベントとして成功させるために、トン汁等の提供もしたいが、どの程度の参加が見込まれるかはっきりしないと計画も立てられない。

 すべてはこれからの実行委員の動きにかかっており、私も実行委員のひりとして協力することにした。

亀ゴン、私も忙しい人間になってきた。今までは真っ白だったカレンダーにスケジュールが書いてあるよ
今までは年に数回のマラソンレース以外には何もなかったのですから、たいしたものです

しかし、今回の駅伝大会は実施するまでかなりの努力が要りそうだ。小学校の協力がないと出席者が限られるだろう
それに駅伝大会では必ずといっていいぐらいメンバーの誰かが故障で出られなくなりますが、その穴埋め作業を誰がしてくれるかですね

「うん、ほとんど直前にリタイアがあるからなあ。ちはら台走友会でもメンバーの入れ替えで会長がいつも頭を悩ましているよ。
直前だと大騒ぎだ。それを小学校の先生がしてくれるかどうかがポイントだな
」 

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