(20.7.4) なぜ人は記憶力を失うか
私は自分の記憶力の悪さにすっかり慣れっこになっているのだが、本当は余り自慢すべきことでもないようだ。
なにしろ最近四季の道で会う人がとても多く、「おはよう」なんてハイテンションであいさつはするのだが、一部の人を除いて名前を知らない。
「お名前は、そうですか、○○さんですか、よろしくお願いします」なんて調子よく分かれるのだが、翌日にはきっぱりと名前を忘れている。
また会って「おなまえは?」なんて聞いてしまうのだが、相手がびっくりしたような顔つきをするので、すでに何回か名前を聞いていることがわかる。
「いや記憶力が悪くて申し訳ありません」とすぐに謝まっているが、さすがにこれではいけないと思うようになってきた。
今日からは帳面に聞いた人の名前、時間、場所、特徴を書き、さらに私は常時デジカメを持っているのでついでに写真を撮ってはっておくことにした。
これなら、絶対に大丈夫なはずだが、ポイントは何回も帳面の見直しをしないとすぐに忘れてしまうことだ。時間がたつと帳面があることすら忘れてしまう。
私が三歩歩くと記憶がなくなるほど、ひどい記憶力障害に陥ったのには深いわけがある。このことを言うのは本当はとてもつらいことだが、話をしないと「なぜ人は記憶力を失うのか」と言うことが分からない。
私は幼児期に母親から非常に厳しいしつけを受けた。現在の感覚からすると幼児虐待だが当時は親が子供を折檻するのは当たり前と思われていた。
私は何かと言うとたたかれ、殴り飛ばされていたが、親戚のおじさんが後年私に言ったものである。
「Yさん(母親の名)は、あすこまで子供を殴らなくてもいいと思ったものだ。ちょっと異常だったよ」
こうした場合は幼児は対抗手段を持たない。ただ毎日殴られるだけだがそのままでは肉体的にも精神的にも死んでしまう。
たまたま私は身体が丈夫だったので肉体的には持ちこたえられたが精神的には持ちこたえられなかった。
幼児の立場からすれば何の理由もなく殴られるのだから対応策はない。ナチ収容所のユダヤ人と同じ立場だと言えば分かってもらえるだろうか。
そこで私が知らず知らず取った手段が「記憶を抹殺する」と言う手段だった。
「馬鹿になる」といったほうが良いかもしれない。
一日寝ることですべてを忘れ、翌日には傷を回復させる。
この方法は大変有効で、おかげで私は幼児期を生き延びることができたが、非常な副作用があって記憶力が決定的に落ちてしまった。
馬鹿になって生きていたのだから仕方ないのだが、名前や名詞や漢字を覚えることが、以来とても難しくなった。
私が小学校6年間で覚えた漢字は、数詞と3画程度の簡単な字に留まっている。
また小学生の時私はよくかくれんぼで鬼になっていたが、最大の理由は「○○ちゃん、見つけた」と言うべき相手の名前を忘れてしまうからだ。
幼児期には有効な手段が、年少期には桎梏になってしまった。その後私は懸命に努力をし、人の2倍の努力で記憶力の障害を補ってきたが、やはり覚えてもすぐに忘れる傾向はなんとも仕方がない。
幸いに最近はGoogleのような検索技術が大発展して、一般的な知識は覚えてなくてもすぐに入手でき、ブログも自由に書く事ができるが、さすがにGoogleといえども友達の名前までは検索してくれない。
そんな訳で帳面に名前を書いて覚えるという古典的方法を採用することになったわけだ。
実際はこの記憶力がないことで、実社会ではしばしば困惑することがある。しかし私はそのことを悲しいとは思わない。
幼児期はそれゆえに生きることができたのだから、この記憶力障害はいわば自分のアイデンティティだ。
間違いなくあの時は忘れないと生きられなかったのだから、この記憶力障害に感謝しているぐらいだ。
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