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(20.7.25) 殺人狂時代

 殺人狂時代は1947年制作のチャーリー・チャップリンの映画だが、昨今の日本の現状はまさにこの殺人狂時代のようだ。
次から次と無差別殺人や、理由の分からない父親殺しが発生して日本はどうかしたのではないかと思ってしまう。

 3月に茨城県土浦で8人の殺傷事件がおき、岡山では18歳の少年が電車待ちの男性を突き落とし、6月には東京秋葉原でラガーナイフを持った犯人に17人が死傷される事件が起こっている。

 そしてこの22日の夜半、京王八王子のショッピングセンターで無差別殺人事件が再び起こってしまった。
殺された斉木愛さんは中央大学の4年生で、これから本当の人生を知る矢先だったのだから、気の毒で言葉にもならない。
斉木愛さんは死ぬまで「なぜ自分がこんなことになるのか」まったく分からなかっただろう。

 犯人の菅野昭一容疑者は「仕事がうまくいかず両親に相談したが乗ってくれず、無差別に人を殺したいと思って包丁を買った。むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった。両親を困らせるためにやった」と供述したが、これが果たして理由になっているのだろうかと考え込んでしまった。

 仕事がうまくいかないのは日常茶飯事だし、33歳の大人なんだから両親が相談に乗らなかったとしても当たり前だ。むしゃくしゃするのは良くあることだが、なぜそれが「誰でもいいから人を殺す」ことになるのだろうか。
原因と結果に余りに乖離があって理解不能だ

 19日に発生した埼玉県川口市の15歳の少女による父親殺害事件もそうだ。
少女の供述によると「勉強しろと言われることがわずらわしかったこと。またお父さんが家族を殺す夢を見て、午前3時ごろ目がさめ、殺意を思いついた」と言う。

 親が子供に対し勉強しろと言うのは普通だし、夢では奇想天外なことが起こるが、だからといってそれが実際と同じだとは通常は思わない。少なくとも中学3年生程度になれば夢と現実の相違は分かっているのが普通だ。

 おそらく殺された父親は自分が死んだことすら分からなかっただろう。
この事件も全く理解不能だ。

 こうした事件が発生するたびに世の識者と言われる人が
全て社会のせいにするのはフェアじゃないが、社会の中に原因がないのか点検しないと、無差別殺人の連鎖は断ち切れない落合恵子氏)」とか
むしゃくしゃして人を殺すのは絶対にあってならないが、20~30代のまだ元気で働ける人たちが、格差社会であえいでいるのは、本当は考え直さなくてはならない京都造形芸術大学 寺脇研教授)」
とかコメントをしているが、本当にそうだろうかと思ってしまう

 20~30代の若者の多くが派遣社員という格差社会であえいでいることは事実だが、それなら派遣社員全員が殺人事件を起こすとでも言うのだろうか。

 こうした社会制度に原因を求める議論は日本ではおなじみの議論だが、格差社会や受験勉強の厳しさと殺人を結びつけるのは間違っている。少なくとも無差別殺人事件の主要な要因ではない

 無差別殺人事件が発生する本当の原因は、殺人に対する社会認識の甘さだ。

 なにしろ日本では裁判で死刑が確定した人間に対し、法相が死刑執行に同意するだけで、朝日新聞から「死神」と言われる社会だ。
多くの被告人は何人もの人間をほとんど理不尽な理由で殺害したから死刑になっているのに、そうした死刑囚を死刑にすることも躊躇する社会なのだ。

 日本では殺人者の人権を最大限守ろうとする人はいくらでもいるが、殺された人の人権を守ろうとする人は少数派だ。死んだ人は生き返らないのだからどうでもいいということなのだろうか。
そして殺人を犯す理由を社会制度の欠陥に求め、「それゆえ殺人者は無罪だ」と叫ぶのが正義だと思っている。

 これでは「無差別に何人人を殺そうとも、そして死刑判決になろうとも、有力新聞をはじめ世の識者が殺人者を守ってくれる」から「誰でもいいから人を殺そう」となるのは当たり前ではないか。

 殺人者の人権を擁護するなら、それと同程度に殺された人間の人権も擁護しなければ片手落ちだ。しかし実際の裁判では殺されたものは何も抗弁できないから、殺人者は言いたい放題だし、そしてそうした殺人者を擁護する人はごまんといる。

 だからこの殺人にも社会的理由があるとする甘い対応が、こうした連続無差別殺人事件を引き起こしているのだ。
本当に、朝日新聞を始めとする殺人擁護派の識者は反省してほしいものだ。

 原因を社会制度に求めるのではなく「目には目を、歯には歯を」と言うハンムラビ法典の単純明快な原則を適応することが、無差別殺人をなくす唯一の方法だと私は思っている。



 

 

 

 

 

 

 

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