(20.7.16) 失敗記 その12
本当はこのことは記したくなかったのだ。できれば墓の下にそっと持って行こうと思っていたのだが、神様のお迎えがもうすぐ来る年になったのだから公開しても許してもらえるだろう。
(投資の巻き)
正直言って私ほど投資と言うものが身につかない人間も珍しい。金融機関に40年余りいたのに、まったく金儲けの才がない。
確かに後半の約30年近くはコンピュータの仕事ばかりだったが、最初の10年は融資担当者だった。
「山崎さん、景気動向をどう見ますか。A株は上がりますかね」よく取引先の社長から聞かれた。
「はあ、日経では○○と言う記事が出ていましたし、××総研の予想は△△でした」とりあえず答えたが、「そんなことは新聞を見れば分かる。俺は特別な情報がほしいのだ」と軽蔑されたものである。
金儲けとはほとんど縁のない私だったが、バブル最盛期の80年代の終わり頃には10百万円ほどの余裕資金を持っていた。
子供を大学に行かせるため蓄えた資金である。そのまま持っていたら問題がなかったのだが、ある時考えた。
「これを株式で運用すれば、またたくまに2倍程度になり10百万円程度は余るかもしれない。これで世界旅行をしよう」
確かに当初は株価は上昇し、10百万円が13百万円程度になった。
「見よ、私の経済を見る目は確かだ」有頂天になった。
ちょうどその頃息子が信じられないことを言った。当時息子は高校生である。
「おやじ、株は売ったほうがいい」
「いや、まだだ。株は必ず上がる。お父さんの経済を見る目は確かだ」ガキの言うことなんか聞けるかという気持ちだ。
しかし、その時が日本のバブルの最盛期だった。瞬く間にバブルははじけ、あれよあれよと言う間に株価は下がり、泣く泣く株を手仕舞いした時は約7百万になっていた。3百万の大損だ。
「だから、あの時売ればいいといったろう」息子が軽蔑の目で言う。
「お前の学費を稼ぎたかったのだ」と言おうとしてぐっとこらえた。本音は世界旅行だったのだからおおきなことは言えない。
だが、なぜなのだろう。私は多くの本や雑誌を読み経済情報を分析しているのにまったく先が読めず、息子は何もしないでバブルの崩壊を予見した。この世界は正直言ってさっぱり分からない。
バブルに踊って大損した後、私は従来のまともな生活に戻った。正確に言えば余裕資金は子供の学費に消えて投資などしようがなかった。
再び若干の資金の余裕ができたのは、退職金をもらったからである。
退職金をほとんどを企業年金に振り替えたので、手持ちの余裕資金は僅かだったが、少しでも増やせないかと思案した。
なにしろ銀行の金利は1%未満で、ほとんどないに等しい。
「やはり、これは投資信託だ。日本経済は復活する」2年ほど前に購入した。
前回と同じように当初は株価は上がり大満足だった。
「今度は経済を見る目は確かだ。だてに年は取っておらん」
しかし満足は1年と続かなかった。アメリカのサブプライムローンの焦げ付きに始まった世界同時株安で、またたくまに投資信託は元本割れだ。特に最近の株価の低迷は構造的に見える。
「しまった。またか」
唯一の救いはほとんど余裕資金はなかったので、ダメージも小さいことだけだ。
だが、これはなんとしても息子に知られたくない。
「おやじは全くセンスがないのに、金儲けをしようとして失敗ばかりしている。俺が20年前に教えた教訓が生きていない」生きている間中言われそうだ。
世の中には金輪際金儲けと縁のない人間がいることを再認識させられている。
生活防衛はジャスコのトップバリューの食パンがさらに10円引きになるのを待って購入することだけのようだ。
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