(20.7.11) 小学校の授業が始まった
私はこの5月、小谷小学校からパソコン教育の「特別非常勤講師」に委嘱されたのだが、その後全く音沙汰がなかった。
かみさんは「やっぱりお父さんではダメなのかねえ。信頼がないねえ」なんていい始めるし、学校に行って聞いてみても、授業計画がまだ立っていないという。
「こりゃ、始まるのは夏休み後かな」と腹をくくっていたら、急に夏休み前の計画が出来上がった。
7月10日からほぼ毎日授業が予定されている。
「ううーん、集中豪雨みたいな計画だ」急に忙しくなった。
しかしどんな状況でも対応できるのが定年退職者の強みだ。他にすることと言えば清掃活動とブログの作成とマラソンだけなのだから、どうにでも都合がつく。
「はい、分かりました。がんばります」元気よく答えておいた。
今日(10日)ははじめての授業だ。1年生のパソコン授業の手伝いだが、キューブキッズと言う教育用ソフトを使用してマウスの使用法を会得するのだと言う。
小学校1年生は私にとって孫みたいなものだ。なんともかわいらしいし、おそろしく元気がいい。
パソコンは20台で生徒数は30名強だから全員に1台と言うわけには行かない。このためかわりばんこにパソコンを使用することになるが、できる子が占有する傾向がある。
先生は「次はA子ちゃんの番でしょ。はい代わって」とパソコンのディリバリーだけで大忙しだ(注:パソコン教育の最大の問題点は一人1台づつのパソコンが設置されていないことだと私は思っている)。
だから子ども達は分からなくなると私の袖を引っ張って教えろとやんやの催促だ。こんなに子ども達から信頼され、頼りにされた経験はないので、大張り切りで教えまくったらすっかり疲れてしまった。
「いやはや、重労働だ」
余りに疲れたので、授業が終わって、誰もいなくなった教室で大の字になって寝てしまった。
しかし考えてみたら、ようやく念願の教師になれたのだ。私は長い間ある金融機関に勤めていたが、常に何か異質な感じがしていた。他にもっとふさわしい職場があったはずだという気持ちがどうしても拭いきれなかった。
一番なりたかったのは体育の教師でこれはその後の私の人生の軌跡をたどってみると天職だったことが分かる。
なにしろ銀行員だった期間、昼休みと時間後は必ずJOGをしたり、筋肉トレーニングを行なっていた。
通常の職員が実業団の選手顔負けの生活をしていたのだ。
何時だったか「貴方はオリンピックの強化選手ですか」と聞かれたこともある。
他の職員が仕事をしたり、議論をしたり、酒を飲んだり、マージャンをしていた時間をすべて運動に費やしていたのだから、銀行から見ればひどい異端児だ。
それでも私を置いてくれた銀行に心から感謝しているが、互いに疎遠な気持ちになったのは止む終えない。
そうして61歳になり、人生の黄昏時になんとあれほどなりたかった教師になってしまった。体育の教師ではないが教師であることにかわりがない。
今日職員室に設置してある名札の末席に私の名前があるのに感動した。
教頭先生から「来たときは名札を出席の状態にしてください」と指導を受けたが、そうしたことよりも私はその名札そのものに感動してしまった。
「見よ、先生じゃないか!!!」
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