(20.6.27) 拉致問題解決は日本国民自身の課題だ
テロ支援国家解除をめぐる米朝間の協議があわただしさを増してきた。
アメリカは北朝鮮に対し二つの条件を持ち出していた。
① 寧辺にある核施設の無能力化
② すべての核開発計画を申告してプルトニウム生産量を明確にする
アメリカにとっての最大の関心事は「生産されたプルトニウムがアルカイダのようなテロ組織に渡り、アメリカに対するテロ攻撃に使用されないようにすること」であるから、上記2つの条件が満たされれば「テロ支援国家」の指定を解除すると北朝鮮に提案していた。
日本はアメリカに対し「拉致問題の解決なしに、テロ支援国家の解除をしない」ように要請し続けてきたが、拉致問題を解除条件に加えるのは難しそうだ。
アメリカとしては「拉致事件はサポートはするが、解決するのは日本政府の責任だ」と言うのが本音だろう。
リップサービスとしてライス国務長官が「日本人拉致問題がセンシティブな問題であることを理解しており、今後とも北朝鮮に対し対応を強く求めていく」とコメントしたが、あくまでもリップサービスだと思ったほうがいい。
やはり拉致問題は日本政府と国民の責任において解決すべき課題だ。
今でこそ拉致問題が日朝間の最重要課題となっているが、歴史的に見るとこの問題は無視され続けてきたと言える。
北朝鮮工作員による拉致事件が多発したのは1970年代後半から1980年代にかけてだったが、当時は「新潟や福井、鹿児島の海岸で男女のアベックが神隠しにあっている」という程度の認識だった。
「神隠し」とはなんとも非科学的な表現だが、誰も北朝鮮工作員による仕業なんて疑っている人はいなかった。
何しろ北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」と必ず新聞に記載しなければならないほどの民主主義国だと誰もが思っていたからだ。
この問題を国会で北朝鮮の仕業だと始めて取り上げたのは民社党の塚本三郎氏で1988年のことだ。
つづいて共産党の橋本敦氏がこの問題を継続的に取り上げていたが、政府が正式に北朝鮮に拉致された可能性を認めたのは1997年で、国家公安委員長だった梶山静六氏が「北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と述べた時からだ。
実に20年間に渡って拉致問題は存在していないことになっていた訳だ。
しかもこの政府見解に対しても、日弁連の土屋公献氏は「日本政府は謝罪と賠償の要求に応じないばかりか、政府間交渉で疑惑に過ぎない行方不明者問題を持ち出し、朝鮮側の正当な要求をかわそうとしている」と言ってはばからなかったし、社民党は広報誌で「少女拉致疑惑事件は韓国安全企画部と産経新聞がでっちあげた事件」だと言っていた。
誰もが拉致事件の存在を認識したのは2002年9月、当時の小泉首相が平城を訪れた時、キムジョンイル総書記が「日本人の拉致13名を認め、内8名が死亡している」と言ったからである。
これには拉致問題をでっちあげといってきた人は困った。朝鮮総連も社民党も朝日新聞もこの時を境に国民の支持を失っている。
もっとも私自身も余りほめられたものではない。私は長い間岩波新書の「韓国からの手紙 T.K生」というでっち上げ報告を真に受けて「韓国は牢獄のような国だが、北朝鮮はチョンリマの輝く国」だと思っていた。
私が北朝鮮こそ牢獄の国だと認識したのはソビエトが崩壊する1991年以降である。
拉致問題については、塚本三郎氏や橋本敦氏のような先見の明がある人もいたが、多くの日本人は2002年まで「拉致は存在しない」と思っていたのが正直なところだ。
これほどまでに無視してきた問題なのだから、今そのツケを一気に払わされているのだと言うのが実際だ。
だから急に強気になって「拉致問題が解決しなければテロ支援国家の指定を解除すべきでない」などといえるほど日本政府もメディアも国民も立派だったとは言い難い。
拉致問題については、かつての自分達の行動を恥じ、日本人みづからの問題として、贖罪として解決すべき問題であり、アメリカに頼めば済むような問題とは思われない。
これは日本人が日本人の問題として解決すべき課題だ。
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