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(20.5.31) イオンおゆみ野SCがオープンした

おゆみ野四季の道」のテーマソング。以下のファイルをダウンロードすると曲が始まります。
 「pianotokurarinetto.mid」をダウンロード



 本日(30日)、イオンおゆみ野SCがオープンした。このSCについてはブログで何回も書いてきたので、自分の予想と実際が当たっているか気になって見に行ってみた。

 初日だけあって、平日の金曜日にもかかわらずかなり混雑していた。駐車場は満車状態だが、道路でひどく待つというほどでなく見ているとつぎつぎに駐車場に入っている。道路の混雑はないといってよい。
自動車の出入口は当初4箇所と思っていたが、5箇所あっていづれもスムーズに動いていた。
もっとも平日の状況なので、土日にどのようになるかはもう一度確かめる必要はありそうだ。

 中に入ってみた印象は、ちはら台unimoにそっくりだった。
建物のつくり方から中に入っている店からほとんど区別がつかない。
マックスバリュについても生鮮食料品を売っているジャスコ鎌取店の1階売り場とほとんど同じだ。

うぅ-ん、SCはこんなにも同じになるのだろうか。それで十分な集客は可能だろうか」唸ってしまった。

 もともとここはおゆみ野ちはら台をあわせて約6万程度の人口規模だが、そこに4つのSCが存在することになった。
一SCあたり15000人だ。

  これはマックスバリュを展開するための、想定商圏人口3万からすると半分に過ぎない(1993年、マックスバリュを展開することにしたが、その時の指針で商圏人口を3万人と想定した)。
この計算によると、この地区のSCとしては2社程度が適正規模ということになる。
やはり、SCが乱立だ

 そうなると、イオンおゆみ野SCの戦略としては、この地域の人口が倍増してくれるまで我慢するか、他のSCの顧客を奪う以外に手はない。

 マックスバリュについては、ヤオコーセンドーと同様の生鮮食料品の専売店だから、近在の人は重宝して利用しそうだ。
ヤマダ電気については、かなり健闘しそうな雰囲気を感ずる。売り場面積はケーズ電気とさして変わらないが、得意のポイント制でかなり顧客を獲得するだろう。

 ヤマダ電気の他店への影響を見るため、帰りにケーズ電気100満ボルトをのぞいてみたが、ケーズ電気にはそこそこ人が入っていたたものの、100満ボルトは顧客がほとんど入っておらず、店員が手持ち無沙汰だった。
やはりヤマダ電気の影響は100満ボルトに強く現れている。

 イオンおゆみ野SCその他の店については、これといった特色は見られない。
本屋は精文館書店が入っていたが、これはちはら台unimoアカデミアに規模と本の種類ではるかに劣る。
スポーツ店はあるのかもしれないが見つけることができなかった。
私が期待して待っていたユニクロは思いのほか店構えが小さく、マラソン用スポーツウェアをさがしに行ってみたのだが、残念ながらなかった。
うぅーん、少し期待はずれだ

 飲食店はかなりある。しかし郊外のファミリーレストランに比較して、価格がやや高い印象だ。飲食店自身の魅力は余りなさそうなので、SCに人が集まらなくなるとかなり苦戦しそうだ。

 その他のSCの印象としては、カフェはかなり充実しており感じ良く、休むには手ごろそうだ。また休憩用の高級感のあるソファーもあって、顧客に対するサービスはかなり考慮されている。

 さて、総合的に見てイオンおゆみ野SCは競争力があるのだろうか。
ちはら台unimoには映画館が併設されて、私は非常の重宝しているが、イオンおゆみ野SCにはどうもそのような特色ある目玉はなさそうだ。

 ヤマダ電気(建物は別)はかなり集客力がありそうなのとマックスバリュには相応の顧客が付くと思われるが、その他の店は特色のある店が少なくかなり苦しい経営になりそうだ。

初日の様子を写真に撮ってきました
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/SC20530?authkey=Y9l93IfLDIY


別件)おゆみ野の街の散策者を募集しています。


① 日程  6月1日
② 時間  午前9時半から12時まで
③ 集合場所  鎌取駅改札口(ここに齋藤さんと私がいます)
④ 散策コース

・四季の道(夏の道) ここでケヤキ並木の剪定がされたがその後の経緯について確認する。

・泉谷公園  森および菖蒲園の散策  植生について齋藤さんのレクチャーあり

・泉谷公園 川沿いの道  あずまやや水車小屋が放火や破壊されたが、その後の経緯について確認

・苅田郷  時間があればここまで足をのばす。時間がなくなれば学園前駅で解散。

⑤ 雨の場合は取りやめ(別途日にちを設定する)

 

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(20.5.30) 小谷小学校のつつじが再生し始めた

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 私が校長先生と約束し、再生を図っている小谷小学校つつじが再生し始めた。学校の南側の運動場に面した植栽のつつじである。

 このつつじは数年前の酷暑の夏に立ち枯れが始まり、その後成長が著しく停滞していた。一旦立ち枯れが始まると雑草の繁茂がひどくつつじをすっぽり覆ってしまうために、まったく生長ができないのだ。

 一昨年から気にして雑草の除去に勤めてきたが、小谷小学校ボランティアを始めることになったのを機会に、再生計画を作って定期的に雑草の除去を始めた。昨年のことである。

 ただし、すでに完全につつじが死んでしまった場所もあり、ここには松葉菊を植え松葉菊通りをイメージして努力している。
しかし、ここのつつじ松葉菊の再生活動は苦難の連続だった。

 問題はこの植栽の棚に駆け上がって遊ぶ犬がいて、せっかく成長し始めたつつじの枝が折られ、松葉菊はほとんど踏み荒らされて死んでしまう。
注意書きをしたり、園芸用のポールを立てて入れなくしたりしたのだが、どおしても犬が蹴散らす。

 もちろん散歩をさせている主婦の方がいるのだが、この人は犬が面白がって遊ぶのがことのほか好きらしく、松葉菊を踏み荒らすのを喜んでみている。
私は何回も注意したのだが、どおしても聞いてくれなかった。
そんなことは犬に言ってください

 仕方なく、園芸用の縄を何重にも張って犬が入れなくしたが、今度はこの縄を切って遊ぶ悪がきがいて、3日に一回程度の割合で、園芸用の縄が切られてしまった。
そのたびに補修をして対応してきたが、その甲斐があってようやくつつじが生長するようになり、昨年植えた松葉菊も再び花を咲かせ始めた。

よかった。何とかなりそうだ。つつじは大きくなってきたし、松葉菊も1年間生きてくれた亀ゴンと二人で肩を抱き合って喜び合った。

先生の努力が実を結びはじめましたね。このままいけば来年にはつつじは十分大きくなり、松葉菊もたわわに垂れ下がるようになるでしょう

これも亀ゴンと一緒に努力したおかげだ。しかし松葉菊は犬が一回でもその上で遊ぶとすぐに死んでしまうから、油断できないんだ

先生がこのおゆみ野を花の街にしたいとの希望で立ち上げたプロジェクトですから是非成功させたいものですね。この場所がつつじと松葉菊で覆われたら、きっと散歩する人も楽しめるでしょう

数年前にマラソンレースで、旧東海道を名古屋から三重を通り京都にかけて走ったことがあったのだが、そこの旧宿場町が松葉菊通りだった。あの美しい景色が忘れられないんだ。
是非ともこのおゆみ野にも松葉菊通りを作りあげたいんだ

不肖、この亀ゴンも犬を入れないようにして先生のお手伝いをしますのでがんばってください

最新のつつじの状況を写真に撮っておきました
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20528?authkey=m8YQaOVn8AU

なお、小谷小学校のつつじについては、カテゴリー(つつじの再生『小谷小学校』)に時系列的に入っております。



別件)おゆみ野の街の散策者を募集しています。


① 日程  6月1日
② 時間  午前9時半から12時まで
③ 集合場所  鎌取駅改札口(ここに齋藤さんと私がいます)
④ 散策コース


・四季の道(夏の道) ここでケヤキ並木の剪定がされたがその後の経緯について確認する。

・泉谷公園  森および菖蒲園の散策  植生について齋藤さんのレクチャーあり

・泉谷公園 川沿いの道  あずまやや水車小屋が放火や破壊されたが、その後の経緯について確認

・苅田郷  時間があればここまで足をのばす。時間がなくなれば学園前駅で解散。

⑤ 雨の場合は取りやめ(別途日にちを設定する)

 

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(20.5.29) 後期高齢者医療制度で大騒ぎだ

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 18年6月医療制度改革関連法が国会を通過した時、後期高齢者医療制度がこれほど大騒ぎになるとは、厚生労働省の幹部も予想していなかったようだ。
この制度が実施(20年4月)され、混乱が始まった当初は「大型の制度改正はこんなもの」とうそぶいていたが、新保険証の未着が6万件になったり、意外に保険料が高かったことが判明して後期高齢者のひどい反発にあい、あわて始めた。
75歳以上の人間は死ねというのか」老人が怒ると怖い。

 もともとは増え続ける老人医療費に悲鳴を上げた政府や厚生労働省が、高齢者にも収入に応じて保険料を払ってもらおうとしたのだから、当然高齢者の負担は増加する。
しかしこおしたものは実際に制度が発足し、自分の支払う保険料が分かるまでは反対の声も表面化しないものだ。

 多くの高齢者が新保険証に添付された保険料を見てびっくりしたのは、今まで市町村等が行なっていた補助がすっかり剥げ落ちたからだ。
こんな高額の保険料は年金生活者は払えない」悲鳴をあげた。

 それまで厚生労働省は「病院での支払いは10%で今までと変りがない」と変化のないことだけ強調し、市町村の補助がなくなることを言わなかったのだから、反発が出るのも当然だ。

 この、後期高齢者医療制度本質は、75歳以上の人を切り離し高齢者保険を別会計にしたところに最大のポイントがある。
自分達が使った医療費を明確に計算できるようにし、その医療費の増加分は自分達で支払え」といっているのだ。

 何しろ75歳以上の人の医療費は現役世代の約5倍であり、これからもこの75歳以上の人口が増えるので、とても現役世代に負荷し続けるわけには行かないというのが実情だ。

 そこで、今までは被扶養者だったため、保険料を払う必要がなかった約200万人から新たに保険料を徴収し、自己負担についても現役並み所得者は30%の負担になるのだが、それだけでは到底増え続ける高齢者の医療費をまかないきれない。

 そこで2年ごとの見直しで、保険料を上げたり、10%の自己負担徐々に増加させる計画だったが、ここに来てすっかり様子が変わってしまった。
自民党は昨年の参議院選挙で大敗した後も、年金問題や道路特定財源で退潮の一途をたどっている。

まずい、さらに後期高齢者医療制度で国民から反発を受けたら自民党は大敗だ
被扶養者200万人の保険料を半年間ゼロにしたり、その後も半年間90%保険料を減免することにしたが、風向きは変わりそうもない。

 小沢民主党は再び好機到来とばかり、野党4党で「後期高齢者医療制度廃止法案」を参議院に提出する予定だが、これは単にこの制度を政争の具にしようとしているにすぎない。
倒閣だ。福田内閣の嫌がることは何でもしろ。あとはどうにでもなる

 しかし、後期高齢者医療制度はほとんど機能しなくなりつつある現行の医療制度の改革のために実施したのだから「単に反対するだけでは無責任だ」という自民党の主張は正しい。

 だが老人が怒ってしまった。老人は積極的に選挙では投票をする。
こんな老人いじめの自民党より、やさしい民主党がいい」必ずそおなる。
医療改革は本当は世代間の医療費の調整で「若者にだけ負担をかけるわけいにいかない」という非常に全とうな改革なのだが、退潮の自民党にとってさらなるアキレス腱になってしまった。


別件)おゆみ野の街の散策者を募集しています。

① 日程  6月1日
② 時間  午前9時半から12時まで
③ 集合場所  鎌取駅改札口(ここに齋藤さんと私がいます)
④ 散策コース

・鎌取駅周辺  ここでどのような清掃活動が行なわれているかの確認をする。

・四季の道(夏の道) ここでケヤキ並木の剪定がされたがその後の経緯について確認する。

・泉谷公園  森および菖蒲園の散策  植生について齋藤さんのレクチャーあり

・泉谷公園 川沿いの道  あずまやや水車小屋が放火や破壊されたが、その後の経緯について確認

・苅田郷  時間があればここまで足をのばす。時間がなくなれば学園前駅で解散。

⑤ 雨の場合は取りやめ(別途日にちを設定する)

 

 

 

 

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(20.5.28) 悪いのは白鵬か

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 ひどい話だ。千秋楽の横綱決戦で朝青龍白鵬がにらみ合い、一触即発の雰囲気になったことに対する相撲協会北の湖理事長当初の裁定のことである。

 白鵬の師匠、宮城野親方を呼んで「お返しをした白鵬が悪い。朝青龍のダメ押しは流れの中で出たものだ」と注意したと言うのだ。
私は最初、白鵬でなく朝青龍に注意したことの間違いではないかと思ったくらいだ。

 ことの起こりはいつものように朝青龍が不必要な「ダメ押し」をしたことから始まる。
勝負そのものはほとんど一瞬で、朝青龍の引き落としが決まった。勝負が決まった後、いつものように朝青龍が上から白鵬の身体を押さえた。
白鵬は場所の途中から左足首を痛め、まともな相撲を取れないイライラがあったのだろう、この「ダメ押し」に怒り、肩で朝青龍の胸をどついた。

 両者は互いに土俵上でにらみ合い、プロレスサッカーだったらほとんど取っ組み合いの喧嘩になったところだ。
サッカーなら両者にイエローカードものだな」私もそお思った。

 このバトルに対しNHKのアナウンサーと解説者も「これはいけませんね。どちらも悪いですね」と言っていたが、その後出された北の湖理事長の処分は、信じられないことに白鵬が悪いと言う。

 これはあまりにこの取り組みを見ていたファンの認識と乖離がありすぎた。
ファンならば誰でも知っているが朝青龍の「ダメ押し」は目に余る。相撲は非常に怪我の多いスポーツだから、勝負が決まったら互いに力を抜くことが暗黙の了解事項になっているはずだ。

 実際、朝青龍以外の力士は必ずそおするのに、朝青龍は必ず相手を土俵の下まで突き飛ばすのが常態化していた。
俺は横綱だから何をしてもいいんだ

 モンゴルで病気療養中にサッカーをして2場所出場停止になった時は、神妙な態度をしていたが、その後優勝をするとまたもとの朝青龍に戻ってしまった。

 さすがに今回の北の湖理事長裁定に、横綱審議委員会が怒った。特に審議委員の中には、朝青龍の天敵、内館牧子氏がいる。内館氏は日頃の朝青龍の傍若無人な態度に腹を立てている。
こんな品性のない横綱は辞めさせるべきだ内館氏の本音だ。

流れの中のダメ押しではない。意図的な不必要なダメ押しだ。白鵬は売られた喧嘩を買ったので、喧嘩を仕掛けたのは朝青龍だ内館氏北の湖理事長に迫ったが、最後は「喧嘩両成敗」になった。
北の湖理事長はやむなく白鵬朝青龍を呼んで注意した。

 しかし、本当に問題なのは朝青龍白鵬ではない。
問題は相撲協会、わけても北の湖理事長本人だと私は思っている。長らく一人横綱だった朝青龍に何も注意することができず、不必要すぎる「ダメ押し」を許してきたのは北の湖理事長だ。

これは勝負の流れの中で出たダメ押しで意図的なものでない北の湖理事長の常套句だ。
他の力士なら朝青龍ダメ押しを我慢するが、白鵬は横綱だ。白鵬は他の力士を代表して怒ったのだ。
いい加減にしろ

 だから今回の品格を欠いた相撲の一番の責任者は、朝青龍を放任してきた北の湖理事長2番目が調子に乗りすぎた朝青龍3番目が反応した白鵬の順番だ。

 このまま朝青龍のわがままな態度を放任すると、再び「病気療養中のサッカー事件」が再発するだろう。そおなると朝青龍の力士としての寿命はお終いだ。
北の湖理事長は自分の不徳を恥じ、そおならないように朝青龍を指導すべきだと私は思っているが、北の湖理事長にそれだけの責任感があるか、今回の当初の裁定を見るとかなり疑問だ。


別件)おゆみ野の街の散策者を募集しています。

① 日程  6月1日
② 時間  午前9時半から12時まで
③ 集合場所  鎌取駅改札口(ここに齋藤さんと私がいます)
④ 散策コース

・鎌取駅周辺  ここでどのような清掃活動が行なわれているかの確認をする。

・四季の道(夏の道) ここでケヤキ並木の剪定がされたがその後の経緯について確認する。

・泉谷公園  森および菖蒲園の散策  植生について齋藤さんのレクチャーあり

・泉谷公園 川沿いの道  あずまやや水車小屋が放火や破壊されたが、その後の経緯について確認

・苅田郷  時間があればここまで足をのばす。時間がなくなれば学園前駅で解散。

⑤ 雨の場合は取りやめ(別途日にちを設定する)

 

 

 

 

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(20.5.27) おゆみ野の街の散策をしませんか

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 おゆみ野の森インストラクターをしている齋藤さんから、おゆみ野の街を散策し、この街のあり方について自由に語ろうと言う提案を受けた。
できれば多くの人に参加してもらって、お話を聞ければいいですね

 散歩しながら語り合うのがポイントで、ちょうど古代ギリシャで、ソクラテスとその弟子が歩きながら問答をしていたが、そんなイメージだ。

 齋藤さんは稲毛浜にある花の美術館元館長だから、非常に植物について詳しい。植物のスペシャリストだ。
私はこのおゆみ野の街のレポーターだから、この街の出来事には詳しい。特にこの街の遊歩道公園の現状について毎日チェックしている。

 そこに色々な方も参加してもらって、散策しながら雑談をしようとの提案だ。参加は自由で、発言も経験談も自由にしてもらう。

日程は以下のとおり

① 日程  6月1日
② 時間  午前9時半から12時まで
③ 集合場所  鎌取駅改札口(ここに齋藤さんと私がいます)
④ 散策コース

・鎌取駅周辺  ここでどのような清掃活動が行なわれているかの確認をする。

・四季の道(夏の道) ここでケヤキ並木の剪定がされたがその後の経緯について確認する。

・泉谷公園  森および菖蒲園の散策  植生について齋藤さんのレクチャーあり

・泉谷公園 川沿いの道  あずまやや水車小屋が放火や破壊されたが、その後の経緯について確認

・苅田郷  時間があればここまで足をのばす。時間がなくなれば学園前駅で解散。

⑤ 雨の場合は取りやめ(別途日にちを設定する)

ところで山崎さん、うまく人が集まるだろうか。佐倉市の草笛の丘で、同じような企画をしたのだが、今のところ申し込みはゼロだそうだ

そうですね。このような企画は難しいから、もしかしたら齋藤さんと私の二人しか参加しないかもしれませんね。その時は二人で散策しましょう。いい機会だからこの街のよい所とそうでないところをすべて案内してあげますよ

本当は多くの人に集まってもらいたいけれど、二人になってもがっかりせずに散策しますか

本当の気持ち) できるだけ多くの方が来て頂くのを歓迎します
ラストリゾート) たった二人でも実施する。


なお、事前にこのブログのコメント欄か通信欄を使って、参加の希望をいただけると幸いです。

 

   

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(20.5.26) カンガルーを絶滅の危機から救おう

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 「このような素晴らしい動物が生存しない地球に住むことが想像できますか。何百年にもわたる捕獲によって、カンガルーは絶滅寸前です

 これは私が作った環境保護団体 カンガルーシェパードのキャッチフレーズで、元ネタはオーストラリア 環境相マルコム・ターンブル氏の「捕鯨反対キャンペーンの言葉」の「クジラ」を「カンガルー」に変えただけである。

 この19日オーストラリア国防省は軍用基地内にいたカンガルー約400頭の駆除を行なった。当初は3200頭のカンガルーの駆除を予定していたが、環境保護団体の反対に会い、他の場所への移送を検討していたが移送先から断られため、駆除に踏み切ったとのことである。

 このカンガルーの駆除に反対した環境団体は実に立派な団体だと感心したが、一方あれほど日本の調査捕鯨に反対し、公海上のシーシェパードの犯罪行動を黙認し、実際は陰で操っていた環境相マルコム氏は沈黙したままだ。

 クジラを駆除するのは犯罪行為だが、カンガルーを駆除するのは見てみぬふりをするらしい。

 このような態度をダブルスタンダードと言う。
私などクジラよりカンガルーのほうがよほど愛らしいと思っているくらいだが、オーストラリア人に言わせると「旱魃で残った草をカンガルーが食べてしまい、家畜のえさがなくなるので止む終えない措置なのだ」そうだ。

 それにカンガルーはいくらでもいるのだからて駆除しても一向に差し支えないとの態度だ。日本の水産庁が「クジラは順調に増加しており、そのうちの一部を捕鯨対象にしても問題ない」との発言とまったく同じなのだが、こと捕鯨となると聞く耳を持たなくなるらしい。

 何しろ環境大臣のマルコム氏元グリーンピースの幹部なのだから、捕鯨問題になると常識を逸脱するのは止む終えないのだが、問題はこのような人物を環境相に任命したオーストラリア労働党政権にある。

 これでは日本に喧嘩を売っているようなもので、クジラだけが人生の人間が日本とオーストラリアの国際関係をぶち壊しているようなものだ。
もし、マルコム氏がインドのジャイナ教徒のように、すべての生き物の殺生に反対し、植物以外に何も食べないのなら、私もマルコム氏の主張を認める。
しかしの肉を食べまくり、挙句の果てにカンガルーを殺害しても平然としているのだから、とてもまともに話あう相手ではない。

 グリーンピースのような環境保護団体が間違っているのは、生物はバランスの上に成り立っていると言う原則を無視するからだ。
たとえばクジラの頭数が激減すればそれを保護するのは正しい態度だが、保護が行き過ぎて増え続ければこんどは駆除するのが正しい態度になる。

 すべてはバランスを考えて実施しべきなのに、一方的に保護だけを主張し、挙句の果てはクジラをこの世の中で最も崇高な生き物だと祭り上げてしまう。

 なぜ、生き物に上下の区別があるのか不思議なくらいだ。すべての生き物には生存する権利があり、少なくなれば保護し、多すぎれば駆除するのが自然の態度ではなかろうか。

 日本政府はいい機会だから、カンガルー撲滅反対キャンペーンを大々的に行なって、オーストラリア政府が捕鯨問題でしたように、調査団をオーストラリアに送るべきだ。

 そして私が作ったキャッチフレーズをオーストラリアの放送局から流そう。

このような素晴らしい動物が生存しない地球に住むことが想像できますか。何百年にもわたる捕獲によって、カンガルーは絶滅寸前です


本件と関連する記事は「捕鯨反対運動について」です。

 

 

 

 

 

 

 

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(20.5.25) 小谷小学校の運動会

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 小谷小学校の運動会が今日(24日)行なわれた。教頭先生から評議委員の一人として招待状をいただいたので喜んで出かけた。本部テントが二つ用意されており、そのうちの一つが招待者用だ。

 昔小学生のころ、運動会になると本部テントに、年取ったおじさんやおばさんが座っており、「あのおじさん達はなんだろう」と思っていたが、私のような立場の人間だと言うことをはじめて知った。

 この本部テントはさすがに、全体がよく見える場所で写真を取るのに好都合だ。見ていると親御さんたちがゴール近辺で盛んにシャッターを押している。わが子の晴れ姿を狙っているのだろう。
小学校の運動会はおやごさんたちも熱心で、わき合い合いとしている。

 しかし今日は暑かった。テントの中は日陰になっているのだが、運動場の照り返しが強く、私はしばらく座っていたら目がしょぼしょぼし始めた。
雪山で目が痛くなるがそれに似ている。

 耐えられなくなって運動場の周りを歩き回ったが、多くのおやごさんが暑さでへたばっており、日陰で寝ていた。
子供と違って、親は暑さに弱いんだ」安心した。

 知り合いのお母さん方にも何人にも会った。いつも会っているので気が置けなくていい。私は女性の前では緊張するタイプなのだが、小谷小学校ではそおしたことがない。

 今日も写真を撮って楽しむことにした。先週青葉の森のリレーマラソンで、走者の写真を撮る技術を習得したので、今回も徒競走の写真をだいぶ撮ることができた。

 本当はそのまま見てもらいたいのだが、M先生から「子供の顔がはっきり分かるものはよくない」とアドバイスを受けているので、一部編集して見てもらうことにする。
なお、私は途中でへたばってしまい、午前中で退散してしまったので、すべての種目の写真にはなっていない。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20524?authkey=kl_RPgEz5Zg

 

 

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(20.5.24) 娘には頭があがらない

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 私はにはまったく頭があがらない。実は娘には住居問題で大恩があるためだ。
現在私はおゆみ野に住居を構えているが、1990年前後バブルの真っ最中のころ「おゆみ野に住むか、東京の京王堀の内に住むか」悩んでいた。

 当時私は杉並の会社の寮に暮らしていたが、一定年齢になると寮をでなくてはならない。そのために現在のおゆみ野の場所に土地の手当てをしていたのだが、かみさんがこの場所に住むことを嫌がった。

 20年以上も前のことだが、当時は宅地整備が一部で始まっていたものの、私の住む場所はほとんどのような場所で草が生い茂っていた。
ジャスコもまだできておらず、駅前はただ広い空き地だったころである。

こんな田舎に住むのはいやよ。私は仕事をしているのだから京王線沿線じゃないと困るの

 私自身は田舎でもなんともないのだが、かみさんの希望もあり懸命に京王線沿線の物件を探した。そして契約したのが、あの裁判にもなっている京王堀の内都住宅供給公社が販売したマンションである。

 私が契約したのは93㎡で経費を含め7000万円の物件だったが、周りのマンションよりやや高めの価格設定だったため、競争率が低かった。
このマンションでは住民組合が組織され、周りの環境については「住民組合の意向にそって整備していく」のが売りだった。当時はそおした住民主体の環境整備がはやっていた。

 当初からやや高めだと思っていたが、当時は資金手当てになんら心配しなかった。
会社や、住宅公庫から金は借りられるし、おゆみ野の土地を売れば問題ないだろう
今から考えると信じられないが、当時は約7000万円の借り入れでも簡単に返済できると思っていたのだ。
 
 しかしそれからしばらくしてバブルがはじけた。マンションは建設中だったが、周りの物件の価格はどんどん下がっていく。
私は都の住宅公社に掛け合った。
周りの住宅価格が下がっているのだから、販売価格を下げるべきではないですか
いえ、都公社は一切お下げすることはいたしません。この価格ですべて売ります

 私は諦めてこの価格で住むつもりでいた。
かみさんが京王沿線じゃないと困るといっているし、都公社も価格を下げないといっているのだから、仕方ない

 このときかみさんを説得してくれたのがだ。
おかあさん、いままでずっとアパート暮らしだったのだから、今度は一軒家に住むほうがいいわよ。園芸もできるしきっと楽しいわ
そうね、そうかもしれないわね

 娘の言葉で、かみさんおゆみ野に住む決心をしてくれた。ちょうどジャスコもでき買い物に困らなくなったころである。
私はこのマンションをキャンセルしおゆみ野に住居を構えた。今から約15年程前のことである。

 それから数年たったある日、新聞を見てびっくりした。京王堀の内のその物件は半分以上が売れ残り、約25%値引きして販売するのだと言う。
そうかあの物件は5250万円が相場だったのか

 しかし驚きは続いた。また数年たち、残った住宅を当初価格の50%値引きをして販売したのだ。
何だ、あのマンションは3500万円だったのか

 驚きはこれに留まらなかった。2003年7月、なんと残りのマンションを7割引きで販売したのだ。
なんだ、絶対に値引きしないなって言ってたのに、7000万が2100万円じゃないか。もし購入していたら含み損は4900万円だ

 これには当初から住んでいた住民が怒った。都住宅公社を相手取り、集団訴訟を起こしたが、裁判では他の同様な訴訟同様敗訴している。
私は都の公社職員が「絶対に価格を下げることはしません」と言ったのをじかに聞いているので複雑な気持ちだった。

 現在私はボランティア人生を送っているが、もしそこにすんでいたら、約5千万含み損を抱えて、集団訴訟に明け暮れなくてはならなかったはずだ。

 だからのあの一言が天と地の分かれ目で、このように静かな人生がおくれるのもすべてのせいである。
だから私はにまったく頭があがらないのだ。

 

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(20.5.23) 身体は復活するだろうか

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 すっかり身体が弱ってしまった。特に5月の連休に川の道252kmを走ったのが身体にこたえている。このレースは2日と6時間かけて、長野県小諸市から新潟県新潟市の信濃川河口まで走るレースだが、左足の膝のお皿カタカタ言うようになり、無理に力を加えると痛みが走る。

右足は坐骨神経痛で、左足は膝のお皿が壊れてしまったのか」ため息が出た。
おかげで大好きなジョギングもできなくなり、ひどいストレス状態だ。

 毎朝1時間の柔軟体操と、約2時間の清掃活動は継続しているものの、これでは運動不足になってしまう。
川の道252kmを走ったあと、身体中の脂肪がなくなっていたが、再び腹の周りにうっすらと脂肪が付くようになった。
まずい、ランナーの身体が変形し始めた」

 従来はこのような状態のときは水泳をしていたのだが、最近は水泳をすると鼻炎になってしまい夜苦しくて寝ることもできない。
何とかジョギング水泳に変わるスポーツができないかと悩んでいたが、ようやく自転車が最適なことを発見した。

 前から自転車は坐骨神経痛があっても痛まないことを知っていたのだが、膝痛にも対応できるのは新発見だ。まったく痛まない。
おそらく身体がやや前傾になるので腰の負担が減るのと、足はペダルの上にあるので衝撃がまったくないためだと思う。

 しかし問題は自転車は通常の道では負荷が少なすぎて運動にならないことだ。そこで坂道を見つけてそこを何回もこぎあがることにした。
今私が利用しているコースは泉谷公園の森の中と、秋の道公園の坂道だ。

 いづれも標高差は20m弱で、距離は150m以内だが、これを何回も登るとそこそこの運動になってくれる。
やれやれ、何とか運動をする方法を見つけたぞ」嬉しくなった。
私は常時運動をしていないと、気持ちがナーバスになり、いらいらしてしまう。
常に泳いでないと呼吸ができなくなって死んでしまう海洋性のサメみたいだ。

 マラソンのような汗びっしょりと言うわけには行かないが、運動ができるだけでもよしとしよう。

亀ゴン、どうしたもんだろうかね。毎年毎年からだが弱ってきて、ほとんど半病人だ。特に坐骨神経痛には泣かされるよ
先生は昔、筋肉の塊のようでしたが、今見るとほとんど剥げ落ちてミャンマーや中国の被災者並ですからね

そんなにひどいかい
おそらく昔の知り合いが見ても先生だと分からないでしょう

最近はほとんど力がなくなって、少しでも重いものを持つと腰に来るんだ
腰が曲がっていてオラウータンみたいですよ

どおしたらいいだろうか
見ていると先生は最近、朝の柔軟や筋トレを手抜きをして実施していて、何か諦めているみたいです。ヒラリーを見習って最後の最後まで努力してください

努力が実らなくてもがんばるわけか分かった。亀ゴンの言うとおりにするよ

 

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(20.5.22) 竹島は日本領土か

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 韓国と領有権を争っている竹島について、文部科学省は中学校の新学習指導要領で「竹島はわが国の固有の領土」と明記する方針を固めたと言う。

 従来北方領土については「わが国の領土」と学習指導要領に明記していたが、竹島についてはそのような記述がなかったのだそうだ。
私は記述がなかったことに驚いたが、韓国政府はすぐさま反応し、韓国駐在日本大使を呼びつけて、遺憾の意を表明していた。
韓国のメディアも大騒ぎで「妄言だ。やはり日本は信用がならない」との論調一色だ。

 竹島問題は日本と韓国間ののどに刺さった棘であるが、ほとんどの日本人は「なぜ竹島が日本領土」なのかその根拠を知らない。実を言うと私も知らなかった。これほど騒がれている問題なのになぜなのだろうか。

 竹島は島根県隠岐島のさらに沖合いにある、日比谷公園を少し大きくしたぐらいの島であり、韓国の初代大統領李承晩李承晩ラインを引いて、日本漁船を拿捕するまでは、ほとんど問題にもならなかった岩礁である。

 1953年「竹島は韓国の固有の領土」と李承晩は宣言し、この近海に近づく日本漁船を拿捕するようになり、韓国はこのときから竹島に守備隊を置いて実効支配している。日本は当然異議を申し立てているが、韓国は「蛙の顔にしょんべん」だ。

 この問題について井沢元彦氏が「逆説の日本史 第14巻 近世爛熟編」で詳細な記述をしていた。以下は主として「逆説の日本史」を読んで私が理解した内容である。

 竹島問題がなぜ普通の人の常識になっていないかは、この問題の発生した時期が、江戸時代、それも5代将軍徳川綱吉の時代のことだからだ。今から300年以上も昔に、竹島の帰属問題が発生していた。当時の言葉で「竹島一件」と言う。

 とてもややこしいのだが、現在の竹島は当時松島と呼ばれ現在の鬱陵島(うつりょうとう)竹島と呼ばれていたことだ。いずれも島根県隠岐島のさらに沖合いにある島である。
ただし鬱陵島直径10km余りの実際に人が住める島だが、松島は単なる岩礁にすぎない。両島の間は約80km離れている。

 徳川綱吉のころまで鬱陵島周辺あわびの漁場として鳥取藩の漁民に知られており、両島とも日本人が実効支配していた(正確に言うと松島は単なる岩礁だから人が住んでいたわけでなく、鬱陵島に住んでいた
それ以前鬱陵島には朝鮮人が住んでいたが、倭寇の被害を恐れた朝鮮政府は鬱陵島に朝鮮人が渡航することを禁止していた。
その隙に日本人が住むようになったわけだ。

 ところが綱吉の時代に、鬱陵島の漁業資源に目をつけた安龍福という人物が現れ、鬱陵島にいた日本人を追い出し、さらに松島(現在の竹島)も朝鮮の領土だと、鳥取藩の藩主に面会し認めさせたというのである

 韓国はこれを根拠に「すべてこのときに領土問題は解決済み」だと主張する。おかげで安龍福韓国の国民的な英雄だ。
しかしこれはまったくの安龍福ほら話で、鳥取藩が朝鮮の外交部、東来府史身元確認をした時の返書が残っている。

返書で「風の愚民にいたりては、たとえ作為するところあるも、朝家の知るところにあらずして」「妄作の罪」があると東来府史は答えている。

安龍福なんかしらない。勝手に何か言っているが朝鮮政府とは関係ない」と言うことだ。

 しかしこの時代に、安龍福の問題もあったため、鬱陵島の帰属について朝鮮との正式な話し合いが持たれ、結局綱吉鬱陵島の朝鮮への帰属を認めた。当時の江戸幕府は朝鮮と善隣友好関係にあり、朝鮮とことをかまえるつもりはなかった。

 かくして鬱陵島(竹島)は朝鮮領となったのだが、問題は松島(現在の竹島)の帰属についてである。
現在、韓国は鬱陵島松島一帯の島であり(実際は80km程度離れている)、このとき朝鮮領になったのは明白だと主張し、一方日本は松島の領有まで認めた訳ではないと主張している。

 しかし冷静に考えてみれば、300年も前の時代に、人が住むこともない岩礁について領土権を主張しあうはずがない。当時は漁業権という概念はないのだから、人が住める鬱陵島についてだけ確認したというのが実態だ。

 そうして松島(竹島)は長い間日本も、韓国も無視してきた岩礁だったが、国民国家としていち早く目覚め領土問題の重要性を知った日本が1905年松島を正式に日本領として編入した。
一方朝鮮は国内問題に忙殺していたのと、国民国家としての意識が成熟していなかったため、松島(竹島)問題に的確な対応を取れなかった

 日本が竹島を日本領とする根拠はここにあり、1905年に正式に日本領になったと主張している。国際法的には日本の主張は正しい。

 しかし編入時にこの島の名前を松島でなく竹島と称したのは明らかに外交上の失敗といえる。
韓国から言わせると「ほれみろ、松島なんて言っていたが、本当は竹島じゃないか。竹島(鬱陵島)は徳川幕府が朝鮮領だと認めた場所だ」ということになるからだ。

 戦後日本がようやくサンフランシスコ平和条約を締結して国際社会に復帰した翌年の1953年、突然李承晩竹島(松島)を韓国領と一方的に宣言し、李承晩ラインを引いて漁業権の確保を目指した。
日本は当然抗議をしたが、敗戦後軍事力をまったく持っていなかった日本の要請は韓国に無視された。
文句があれば実力でこい

 以来韓国はこの島を実効支配し日本に返還する気持ちはさらさらない。
はっきりしていることは、江戸時代を通じて竹島(松島)の帰属は日本、朝鮮の両国にとってどおでもよかったことだ。
人の住まないどこにあるかもしれない絶海の岩礁なんてどうでもいい

 近代になり領土問題が先鋭化して明治政府は1905年になって正式に竹島(松島)の日本帰属を表明した。
日本の方がいち早く領有権を主張し、国際的に認められた。

 出遅れた朝鮮(韓国)は今度は戦争で疲弊した日本の隙をついて、実力で竹島を自国領に編入した。
北方領土のロシアと同様に、敗戦で抵抗できなかった日本の領土を、韓国は実力で奪い取った。
その根拠は安龍福という訳だ。

 さて帰属問題は解決するだろうか。私の正直な感想としては、戦争で負けて奪われたものは、相手がまったく返すつもりがない時は戦争で奪い返す以外に手はない。
しかし日本はこの問題で韓国と戦争をするつもりはないのだから、残念ながら韓国の実効支配は半永久的に続きそうだ。

 だから竹島問題は日本と韓国ののどに刺さった棘のままだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(20.5.21) 三菱東京UFJ銀行はシステム統合で大騒ぎだ

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 三菱東京UFJ銀行はシステム統合のトラブルで大騒ぎだ。「最大の経営課題」と銘打ち「世界最大規模のシステム統合」を目指したが、初日(12日)に提携先のセブン銀行のATMが動かなくなり、約2万件の取引ができなくなったと言う。

 例によって役員は深々と頭を下げ「障害を起こした取引をリハーサルの対象にしていなかった」と弁明したが、金融庁はひどいおかんむりだ。
何しろ金融庁としてはみづほ銀行のシステム統合の失敗に懲りて、① システム統合を1年延期し十分なテスト期間を設けさせ 定期的な報告を義務付け、さらにターゲット監査まで行いそれでも心配なので  東京三菱とUFJのシステムの新システムへの統合日を分けて段階的移行までさせたのに、これでは何のために指導してきたのか分からなくなってしまった。

俺の顔に泥を塗った」と、銀行法に基づく障害報告の提出を求め、恐怖の業務改善命令を出すようだが、私の判断ではそんなことをいくらしても障害の発生はなくならないと思う。

 実はこの点システム担当者(私もその一員ですそうでない人との認識が決定的に違うところだ。システム担当者は経験的に障害をゼロにすることなど不可能なことを知っている。
障害はある確率の元に発生し、98%の確率で安全だとか99%の確率で安全だとかの確率統計の問題だと思っているが、その他の人100%安全か否かと問う。
絶対に障害が発生しないことを確約してください

 本当に100%安全かどうか確約するためならば、半永久的にテストを繰り返し、そもそもシステムの稼動などできなくなってしまう。
時間と費用と人員」に限度があるならば、その限られた条件の中で最善を尽くすしかないので、結局は重要性の原則に従ってテストをするのが普通だ。

 今回の障害の原因は  通帳未記帳が10件以上ある顧客に、 記帳を促すメッセージを送るのだが、 その時のコードが仕様ではカタカナコードであったのを漢字コードで送ってしまった、のが原因だと言う。

 たしかにこれだけ聞けば「テストさえしていれば簡単に分かるトラブルではないか」と言うことになるが、記帳を促すメッセージを送るような付随的な処理が、セブン銀行とのテスト項目からはずされていた経緯は私にはよく分かる。

 通常他行システムとのテスト時間調整で困難を伴うものだ
おそらくセブン銀行は自分のシステムでないのでどうしても協力は消極的になり、「この時間しかテスト時間は取れません」なんていっているはずだ。
その結果テストは限られた時間の間にしなければならなくなり、預金の入出金取引のような最も重要な処理のテストでほとんどの時間がとられてしまう。

 だから今回のような付随業務をテスト対象にできないのが普通で、システム稼動に100%の完全性を求めるなんてどだい無理なのだ。
所詮確率の問題だと私は思っているが、残念ながらシステム担当者以外はそう思わない

 三菱東京UFJ銀行の役員も「やれることはすべてやった」なんて言うものだから、世間はまったく障害が発生しないと思ってしまう。

 この認識相違が本当の意味で問題だと思うのは、このシステム統合のために三菱東京UFJ銀行約4000億円の費用と、国内のIT技術者約20%に相当する6000名を集めたことだ。
金や人はいくらつぎ込んでもいい。失敗だけはするな

 しかし、その結果得られるのは  ATMの稼働時間と  手数料が東京三菱とUFJ間で合わせられることぐらいだ。
コストパフォーマンスが極端に悪い。

 今回開発した預金取引のようなシステムを勘定系システムと言うが、これは1980年代に技術体系が確立され、その後コンビニATMとの連動のような拡張はあったものの、技術的にはなんら新鮮さがない
一言で言えば一世代前システム体系と言える。

 私はある金融機関システム部にいたので知っているのだが、勘定系システムにまわされたシステムマンは一様に思ったものだ。
こんな古臭いシステムのお守をしているようじゃ、俺のシステムマンとしての人生も先が見えた

 金融機関では国際系システム証券系システムリスク管理システム花形で、勘定系システム旧日本軍のイメージでいえば、航空母艦の時代に戦艦大和を作ったようなものだ。
このような一世代前のシステムを再構築するために、三菱東京UFJ銀行4000億円の費用と6000名のシステムマンを集めた。

 理由はただ一つ。トラブルが発生し、金融庁の業務改善命令を受け役員が更迭されることを恐れたからだ
俺の首がかかっているのだぞ

 しかし役員の首の問題を別にすれば三菱東京UFJ銀行がいう「ATMの稼働時間と手数料体系を統一することが、最大の経営課題」という意味が理解できない。
資源配分に無駄が多すぎる。

 考えても見てほしい。今世界の金融機関の本当の課題はサブプライムローンによる損失の発生にいかに対処するかにある。
欧米の銀行は軒並み数兆円の損失を計上し、資本増強をはからなければ倒産はまぬがれない。

 日本の失われた10年の逆バージョンだ。
幸いなことにみずほ銀行を除けば、日本の金融機関の損失は少ない。
欧米の金融機関が身動きできなければ、それこそ失われた10年で世界市場から締め出された日本の金融機関が復活するチャンスではないか。
特に三菱東京UFJ銀行は名実ともに日本のトップバンクである。

 ところが当の三菱東京UFJ銀行の「最大の経営課題」はシステムを統合して,ATMの稼動時間手数料体系をあわせることだという。
そんなことで時間を失っていいのか私だったら叫んでしまう。

 
ぜこのようなことになってしまうか。その原因は、金融庁マスコミをはじめとする世間一般が「障害を確率統計の問題としてとらえず、100%の完全性を求める態度」にある。
これでは、日本の金融機関は永遠に二流のままだ。

 私は是非とも「障害は天気予報と同様に確率統計の世界の問題だ」という認識が一般化し、一定のトラブルは想定範囲の内だと考えるようになってほしいと思うのだが、残念ながらこの認識に到達するには戦艦大和の撃沈が必要のようだ。

(お願い)読者のご意見を待ちしてます。

 

 

 

 

 

 

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(20.5.20) 老眼について

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 自分が老眼になったのを始めて知ったのは、今から15年以上も前の46歳頃のことである。夜半友達とドライブをしていて地図を確認しなくてはならなくなった。
しかし室内灯をつけて地図を見ようとしても見えないのだ。
なぜだ。なぜ地図が見えない」動揺してしまった。

 あれやこれやして、最後に眼鏡をはずすと、地図がクリアに見えたときは本当に驚いた。
俺は老眼になってしまったのだ

 しかし当時の知識として、老眼と遠視の区別が付かなかった。どちらも近くが見えないのだから同じだろうと思ったのである。しかし正確に言うと遠視は近くが見えない病気で、老眼は「見る範囲が狭まる病気」である。
写真の専門用語で視写界深度と言う言葉があるが、その視写界深度が狭まる病気だ。

 もともと私は近眼なので、遠くは見えなかたのに老眼になって近くも見えなくなってしまった。それでも当初は近眼の眼鏡をはずすとごく近くが見えたので、10年余りパソコン操作の時は眼鏡をはずして操作していた。
しかしだんだんと老眼も進む。

 とうとうごく近くも見えなくなって、パソコン操作ができなくなった。
仕方なく老眼の眼鏡を購入することにした。約5年前の55歳のころの話である。
お客様は遠近両用眼鏡がよろしいのではないでしょうか
店員から勧められたが遠近両用眼鏡(近眼と老眼に対応したもの)は価格が高い。私はこおしたことにケチる性格があり、このときも老眼専用眼鏡を購入した。
老眼専用で結構です
しかし、老眼の眼鏡と近眼の眼鏡をとっかえひっかえかけるのは本当にわずらわしい。

少しケチりすぎた。それにしても老眼の眼鏡をかけるなんて俺も年をとった。おじいちゃんじゃないか
当初私は老眼は進行しないと思っていたが、老眼も少しずつ進行して、そのたびに眼鏡を変えなくてはならない。
しかも眼鏡をいくら変えても見える範囲は少しずつ狭まってくるし、さらに悪いことに細かい字が見えなくなってくる


 このことをいやと言うほど知らされたのは、定年になって放送大学の授業を受けようとしたときだ。
私は数学の勉強に興味があったので、定年になったことを機会に大学の数学の勉強をしなおそうとした。
年間10単位の取得を目指し、都合5万円の支払いをして授業の始まりを待っていた。
ぼくももう一度大学生になるんだ

 しかし、届いた教科書を見てびっくりしてしまった。B5版の大きさの教科書に文字がびっしりと書き込まれ、私の目ではほとんど判別ができないのだ。
これじゃ、何も書かれていないのと同じじゃないか

 それでも当初は無理して読もうとしたが、すぐさま頭の芯がじんじん痛んでとても読むどころではない。
やはり、学問は若いうちにしなければだめだと言うことか」悟った。

 かくして1週間で勉強を諦めた。
考えてみたら、私が本を購入する時の選択基準が文字が大きく行間が空いていることだから、大学の教科書のようなものは絶対に不向きだ。

 60歳でも放送大学の授業を受けている人はいるが、よほど目が丈夫なのだろう。
以来、細かい字が書かれた教科書を読むようなことは一切していない。
仕方ない。老人老い易く学なりがたし」だ。

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(20.5.19) 青葉の森リレーマラソン

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 18日の日曜日、千葉市にある青葉の森公園で、「第6回青葉の森リレーマラソン」が開催された。1周約2km周回コース21周走り、フルマラソンに相当する距離をリレー形式で走るレースである。
出場チーム数は200チームを越えており、1500名以上のランナーが集まっていた。

 1チームは最低4名のエントリーが必要で、私が所属するちはら台走友会からは1チームあたり6名で、計2チームが出場した。
一人当たり4周程度走ることになるが、1周ごとにたすきタッチをするので、休んでる間に呼吸を整えることができる。
しかし疲れてくるとスピードを維持するのは大変だ。

 当初私もエントリーされていたのだが、2週間前に走った川の道252kmで左ひざの皿がカクカク動いてしまい、どうにも走る状況になかったので、応援と写真撮影を行なうことにした。

 天気は快晴で走るにはやや暑かったが、とても気持ちのいい一日だ。見ていると実業団顔負けのスピードランナーをそろえているチームもいれば、もっぱら仮装に凝っているチームもいて、なかなかバラエティーに富んでいる。

 ちはら台走友会Aチームは10位以内の入賞は逃したが、クラブチーム1番になった(10位以内のクラブチームはクラブチームの順位から外される)。
1位になったなんて信じられない。運動会でも1位になったことはないのに」AチームのリーダーMさんの言葉である。

 リレーに参加するのは走友会にとりクラブチームの団結を強めるのでとてもよい試みだと思う。私は普段個人レースしかでたことがないので今回は出場したかったのに残念だ。
前回の長柄湖のリレーの時も肉離れをおこして走ることができなかったので2回続けて、走れなかったことになる。

 次回はなんとか体調を整えてリレーを走りたいと思っている。

 今回は写真撮影に徹したので、かなり多くの写真を撮ることができました。ハイスピードランナーの走りを是非とも写真に収めたいと挑戦しております。

 また仮装ランナーや女性ランナーの写真もかなり撮ってみました。
スポーツ写真の専門家と言うわけには行きませんが、今回は楽しく写真撮影ができました

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20518?authkey=1gOXMHoCpmo


 

 

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(20.5.18) Dellのパソコンが壊れた

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 「うぅーん」うなってしまった。先日からDellのパソコンがうんともスンとも言わなくなった。
このパソコンは約半年前に7万円で購入したのだが、そのコストパフォーマンスのよさに満足していたのに、まったく動かない。

 通常システムがおかしくなる前には何らかの兆候があるものだ。動きがやけに遅いとか、すぐに固まってしまうとか、設定を変更したとか、無料のソフトをインストールしたとか、必ずこれが原因と思われるものがある。

 ところが今回に限ってまったくそのような兆候がなかった。数分前まで快適に動いていたパソコンが突然動かなくなったのだから、途方にくれてしまった。
今まで元気に遊んでいた子供が突然死してしまった母親のような立場だ。

 このパソコンはかみさんインターネットメール交換に使用しており、私はメインのパソコンのバックアップ機として使用している。
だからブログが書けなくなるというような、すぐさま問題が発生するわけではないが、なんとも気持ちが落ち着かない。

 正直に言うが、私は日常生活のパターンが急に崩れるようなことがあると、精神的にうつ状態になってしまう。
これじゃ、バックアップにならないじゃないか」食欲も落ちてしまった。

 かみさんは「しばらく使わないからいいわ。パパさん、直しといて」と平然としているのだが、私は頭を抱えた。
何しろ再インストールとなると、半日仕事だ。メーラーの設定もしなければならないし、またウィルスバスターを入れなければならない。
住所や、お気に入りだって作り直さなければならない。
いやになっちゃうな」ぐずぐず数日間たってしまった。

 昨日(16日)意を決して、再インストールを始めたが、信じられないことに再インストールができない。
通常Dellの マークがでている間にF12キーを数回押して、再インストール画面に入るのだが、何度トライしても再インストール画面が出てこない。
んなことがあっていいのだろうか」頭が混乱してきた。

 仕方ないのでDellサポートセンターに電話して対応を聞いたが、相手の担当者も頭を抱えてしまった。
もしかしたら、ハードが壊れているかもしれませんので、Dell の工場でチェックさせてください」パソコンは緊急入院だ。

 私はDellのパソコンの安さと、快適な動きがとても好きなのだが、どうやらハードに問題がありそうだ。友達の散歩おじさんのパソコンもDellなのだが、前にディスククラッシュして緊急入院していた。

 日本製のパソコンはハードはしっかりしていて、問題はソフトにあるのだが、Dellは反対にソフトは快適だがハードに問題がありそうだ
このパソコンは中国製だったな」しみじみと眺めてしまった。

 やはり安いパソコンにはそれなりの理由があるということだが、安さと電話対応はいいのだから、我慢することにした。
しかし、次回はしっかりデータバックアップを取っておいて、クラッシュに備えることにしよう。

(お願い)Dellパソコンを使用して私と同じような事例がありましたら、その経緯を教えてください。

 

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(20.5.17) 街を美しく

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 街を美しくする活動はいつしても気持ちのよいものだ。今日(16日)は、四季の道の中で、塗り残していたケーズ電気近くの道路下のトンネルの塗装を行なった。

 ここは前年度片側だけ美しく落書きを消しておいたが、もう片側はペンキ代金が不足して十分に消すことができていなかった。

 この片側はさらに色の異なったペンキで落書が消されていたり、全体として塗装が汚くなっていたのを、今回全面的に塗りなおしたものである
塗装はどおしても全面的に塗らないと美しくならない。

 幸いなことに、新都市ライフおゆみ野市民活動助成金を受けることができたので、十分なペンキも準備することができた。
片面1.6Lの缶で2缶は必要となる。一缶、3000円程度なので計6000円はかかるのだが、従来は自己調達していたために、十分なペンキを用意することができなかった。
自己調達の場合はどおしても財布との相談になる。

 今日はクリーンクラブメンバー3人で、このトンネルと、どうのうしろ公園の落書きを消しておいた。
メンバーの I さんWさんはとても仕事が丁寧で、養生テープを張って高さを綺麗にそろえてくれた
プロに負けないレベルを目指したいですね」 I さんの言葉だ。

 私は今まで養生テープを使用したことはなく、「エイヤー派」だったのだが、メンバーが充実してこおした丁寧な活動ができるようになったのは喜ばしいことだ。

 落書きは一旦始まるとエスカレートしていくので、見つけ次第消すのがコツで、「おゆみ野の遊歩道は落書きがまったくないんですね。本当に綺麗だ」と散歩している人に思われたら成功だ。

 おゆみ野クリーンクラブは、結成後ほぼ1年半が立ち、毎日の清掃活動落書き消し活動も定着し、この活動に参加希望者も増えつつある。
おゆみ野の街を世界で一番美しい街にしようとしている活動も、実際は落書きや、破壊活動が絶えず本当は一進一退だが、少しでも運動が前に進んでいればそれでよしとしよう。

 作業をしている時、知り合いの奥さんや小学生から「どうもありがとう」と言われたが、その言葉がこうした活動の元気の元だ。
この街のために少しでも力になれれば、それだけで幸せと言うものだ。

 今回の作業結果の写真を掲載します
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20516?authkey=68PFsVeedHQ


 

 

 

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(20.5.16) 中国は普通の国になったのか

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 今回の四川省で発生したM7.8の大地震に対する中国政府の対応を見て「中国もようやく普通の国になったのか」と感慨深かった。
災害発生を知ると、温家宝首相を本部長とする地震災害対策本部を直ちに設置し、首相自らも現地に飛び、災害復旧の陣頭指揮を執っていた。

 すでに1万人以上の死者が判明し、これからもどのくらい死者が増えるかわからない大災害に対し「一分一秒を争って人名の救助に当たってほしい。われわれは災害を乗り越えることを信じる」と温家宝首相は言っていた。
村山首相阪神大震災のときの対応を知ってるだけに、温家宝首相のこの対応は実に立派なものだと思わず目頭が熱くなった。

 しかし、過去において中国政府の対応はまったくこのようなものではなかった。
従来は災害が発生すると、直ちに報道管制を引き、外国メディアは勿論、国内メディアさえ災害の実態を放送させず、被害状況を実際よりはるかに小さく見せて公式の発表をするのが普通だったからである。
今回の災害は大規模なものでなく、人民の被害もない

 特に私が今回感銘したのは、中国政府が始めて国民全員を救おうとしたからだ。いままでは中国には共産党幹部・人民解放軍その他の人々がいて、国民とは共産党幹部・人民解放軍だけをさしていた
だからその他の一般の人がいくら死亡しても、人的被害はゼロと発表してはばからなかった。
その他の一般の人は国民ではなかったのである。

 しかし今回温家宝首相は、災害現場で自らハンドマイクをもって「あなたがた全員を救助する」と崩れ落ちた瓦礫に向かって叫んでいた。

中国もようやく国民の命を大事にする国になったんだ
日ごろ中国に対して批判的な娘も、瓦礫の中から小学生が助け出されるシーンを見て手をたたいて喜んでいた。

 中国が今までいかに人命を軽視し、人権のない国だったかは歴史的に検証できる。

 1950年から3年間、朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発したが、このとき中国は中国人民義勇軍を派遣して、国連軍の主流アメリカ軍と戦った。
このとき中国側の死傷者は約90万人と言われたが、そのほとんどが毛沢東に降伏した蒋介石国民党軍の元兵士だった。

 毛沢東はこの厄介な国民党元兵士を前線に送り、その後方に人民解放軍の銃殺部隊を配置して、逃げてくる国民党軍元兵士を銃殺した。
そおして、元国民党の兵士在庫一掃を図った。
あの、アメリカ軍に雲蚊のごとく襲い掛かった中国人民義勇軍とは、後退すれば銃殺されるため、前にしか進めなかった元国民党軍の兵士だったのである。

 1960年代後半から、1979年代前半まで吹き荒れた文化大革命では、約1000万人の国民が、走資派として粛清され殺された。
もともとは大躍進政策の失敗で権力の座から滑り落ちていた毛沢東が、紅衛兵を利用して権力の再奪取を図ったものだが、人を殺すことに一切躊躇をしていない。
走資派は一人も生かしておくな。あいつらは人間でない紅衛兵の標語だ。

 1989年の天安門事件では、完全に報道管制を敷いた後、関係した学生を根こそぎ殺害したが、その数は数万人と言われているものの、歴史の闇だ。

 チベットでは共産党支配に反対するチベット人を数十万人単位で殺害して、今に至るチベット問題の遠因となっている。

 これだけ人命を軽視してきた国が今回は報道管制も敷かず、また災害の様子を外国メディアに一切隠すことなく、全世界にありのままの真実を伝えている。
温家宝首相も国民を助けようと必死だ。始めて中国政府は、共産党員や人民解放軍だけでなく国民全員を助けようとしている

 「中国もやはり変わってきたのだ」私はひどく感銘した。
北京オリンピックを中国で開催することは成功だったのだと思う。
中国は世界から見られている存在であることを意識して行動し始めた。少なくとも政治の指導者はそのように行動するようになった。

 中国政府が今回始めて見せた、国民の命を大事にする姿に私は胸を打たれ、思わず涙が流れた。
中国も変わってきたんだ

 

 

 

 

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(20.5.15) 日本は食糧確保ができるのだろうか

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 ひどいことになってきた。トウモロコシ大豆小麦といった基礎的な穀物の価格がここ1年でほぼ2倍になってしまった。

 しばらく前までは、穀物は過剰であり、常に値下がりするものと思っていた。
だから農業問題とは『穀物の価格低下で困窮していた農業者をいかに救うか』の問題だったのに、いまや穀物が世界市場で不足しているのだと言う。

 あまりに劇的な変化に世界の為政者は何をしてよいか分からなくなっている。
本当に穀物は足りないのか。単なる売り惜しみではないのか。投機筋の陰謀ではないか

 ことの起こりは06年オーストラリアの旱魃による小麦の大凶作から始まった。
続いてブッシュ大統領07年1月、農民保護と地球温暖化対策の切り札と銘打って『トオモロコシをエタノール原料にするための施設に補助金や税制優遇措置を実施』することにした。
このためトオモロコシは食料でなく燃料になってしまった。

 さらに中国やインドといった従来低開発国と見られていた国が急速に経済成長をとげ、裕福になった人々が豚肉や牛肉を食べるようになった。
豚や牛が穀物を食べ、人間は肉を食べるようになったのだが、直接穀物を食べることに比較すると約4倍程度の穀物が必要になる。

 あれやこれやで世界の穀物生産量は消費量を下回ってしまった。
日本ではまだ米の生産調整を行なっているが、世界的なレベルでは「食糧をいかに増やすかが緊急の課題」になっている。

 特に問題なのが貧しい国で、穀物価格の高騰で本当に食糧を購入できなくなっている。アフリカのサハラ砂漠以南の最貧国では約1億人が飢餓線上にさまよい始めたと言う。

穀物は常に過剰である。だから穀物をエタノール原料にしよう」という前提が崩れてしまったのだ。
ほれみろ。燃料はやはり石油だよ」石油産出国の高笑いが聞こえる。おかげで原油価格はとどまるところをしらない。

 食糧は有限な資源であり無駄ができなくなってきたが、一方日本の食料政策は相変わらず、食糧は無限に入手可能だとの前提の下に実施されている。
日本だけが別世界の中にいるみたいだ。

 たとえば、日本では消費期限問題がかまびすしく、消費期限(おおむね5日を過ぎたお弁当やおにぎりや惣菜は簡単に捨てられている。
こんなものを食べたら大変だ。中毒になってしまう

 しかし本当は「消費期限とは、この期間をすぎて消費者が食して中毒を起こしても製造元は責任を負わないという、免責条件」なのだ。
だから厳密に言えばに、それを過ぎたら自己責任で食べるのはかまわないということだ。

 だが、日本の現状は消費期限が絶対化され、1日でも消費期限が過ぎたものが販売されると大騒ぎになっている。
消費期限を1日オーバーして販売してしまいました」役員が深々と頭を下げている。

 本当に消費期限が1日でも過ぎたら問題があるのだろうか。実際船場吉兆は2週間も消費期限のラベルを張り替えて伸ばしたが、それで中毒を起こした人はいなかった。

 考えても見てほしい。飢餓線上にある人が「これは消費期限が1日過ぎているので、食べるのは止めて餓死しましょう」なんていうはずがない。
日本でも戦中戦後の食糧事情が厳しい時は、食べれるものはすべて食べていたのだから、消費期限など気にする人はいなかった。

 当時は食べれるかどうかは自分の目と舌で確認して食べていた。本当の意味の自己責任だ。

  農林水産省は今年の2月新聞広告を出し「消費期限は安心して食べられる期間で、それを過ぎて食べることはいけない」と言っている。
しかし本来の消費期限の定義からは、消費期限を過ぎたものは、価格を大幅に下げて自己責任で食べるようにするのが昨今の食糧事情からしたらより適切ではないかと、私は思ってしまう。

お客様へ

 本製品は消費期限を○○日過ぎておりますので、定価の1割で販売しております。本製品を購入して中毒等が発生しましても製造元は責任を負いかねますので、お客様の自己責任により購入をお願いいたします。
そのために、臭い、品質等について必ず確認後購入をお願いいたします


どうだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(20.5.14)マラソンシューズはアシックス

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山崎さん、靴は何を履いたらいいですか」とランナー初心者に聞かれたら「アシックスがいいですよ」と答えることにしている。

 私が過去30年余りのマラソン生活で履いた靴は、アシックスのほかにニュー・バランスアディダスブルックス、ミズノがあるが、なんといっても履き心地がよかったのはアシックスだ。

 アシックスは日本のメーカーだけあって、甲高で幅広という日本人の足の特徴をよく理解している。
私の足は典型的な日本人の足なので、どおしてもアディダスのような西洋人向けの甲が低く、細い靴は合わない。

 当初はそのことを知らず、アディダスにあこがれた。あるマラソン大会の出展ブーツでアディダスが5000円で売っていた時は飛びついてしまった。
こいつは掘り出し物だ

 しかしはいてみて驚いた。どおしても先の方が詰まってしまうのだ。
紐を緩めても駄目で、仕方がないので靴の一部を切って詰まっている部分を広げて使わなければならなかった。
うぅーん、せっかくのアディダスだと言うのに切らなければいけないのか

 そこにいくとアシックスはまず絶対といってよいほどフィットしてくれる。最初から幅広だと想定して作っているようだ。

 またクッション性も抜群で、まだ私が記録を狙っていた頃はアシックスターサーを使用していた。定価で15000円弱とやや高いが、この靴を掃くと地面をきっちりとらえてくれるのでスピード感が抜群だった。

 アシックススカイセンサーも好きな靴だったが、これは長い距離を走るのに重宝した。軽くて丈夫なことが気に入っていたので、よく100kmマラソンで使用したものである。
ただし、スカイセンサーターサーに比べると軽い分安定性が弱いと見え、しばらくすると形が変形してしまったのは残念だ。

 最近もアシックス専門だが、実はどんどん価格帯が低い靴にシフトしている。原因は定年になって資金不足に陥っているためだが、それ以上に定価が5000円程度の靴でも結構走れるからだ。
アシックスはどんな靴をはいてもそこそこの品質だ

 しかし、これにも限界があったようだ。どうやら通常の使用をすればと言う条件があるらしい。私のように100km以上のウルトラマラソンをするものは、5000円程度の靴だと問題が起こってしまう。

 かかと部分のクッションが弱いため、特に疲れてそった走りになると、重心が後に移動して、腰に非常な負担がかかるのだ。
地面の衝撃が直接腰にくる。
いてー、腰痛になりそうだ

 さすがに安ければよいという態度にも限界があることが分かった。
今回川の道252kmを走るにあたって、「GEL 1120」という靴を新たに購入したのは、GELがかかとの衝撃の吸収材だからだ。

 価格は定価で10000円弱程度だが、GELがあるとないとではまったくかかとにかかる衝撃が違う。
いやー、さすがにGELだ。こんなにもかかとにやさしいのか」感心してしまった。

 私はどうしても安い価格帯に目が行くが、このマラソンシューズだけはそおした選択が誤りであることを痛感した。
身体を痛めないためにも、マラソンランナーは最低でもGEL程度の靴をはく必要がありそうだ。

 

 

 

 

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(20.5.13) イオンおゆみ野SCは交通渋滞を引き起こすだろうか

 最初にイオンおゆみ野SC周辺の交通路のイメージを得るために、写真の確認をお願いします。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20511?authkey=bybHdvowrjw

 
 この5月末日に、イオンおゆみ野SCが開業されるという。すでに建物の建設は外側から見ると完了しており、駐車場も綺麗に整備された。
おそらく最後の内装をしている段階と思われるが、準備万端ととのってきたと言う感じだ。

 通常ショッピングセンター(SC)が開業されると、交通渋滞の問題がかまびすしくなり、特にまわりに住宅街があったり、従来より混雑している道路に面したりしていた場合は、住民運動に発展しかねない。

 実際あちこちでそのような例があり、三井不動産が入間市に開業したSCでは、国道16号線が慢性的に渋滞して、住民の顰蹙(ひんしゅく)を買っていると言う。
 日立市の鮎川町にできた鮎川SCでも同じ様な問題が発生して、周辺住民が交差点の改良や、道路の拡張を行政に求めているのだそうだ。

 さて、イオンおゆみ野SCでは、同様の交通渋滞問題が起こるだろうか。
先日(12日)、ここのパーキングエリアへのアクセス状況を見てきたが、開業当初を除けば基本的には問題はなさそうだった

 一番大きな理由は周辺に住宅が少ないことで、原っぱの中にポツンとSCがあるような感じだ。
また、交通のアクセスは非常によい。パーキングは都合4箇所あるのだが、2箇所は鎌取からちはら台駅方面に行く4車線の道路に面しており、交通量はそこそこあるが、ちはら台unimo(おなじくこの道路に面している)の例から見て、問題は起こりそうにない。

 後の2箇所は通常自動車があまり通らない広い2車線の道路に面しており、ここも問題がなさそうだった。

 前にも記したが、ここは6万人程度の人口規模のところに4つの大型SCができることになり、交通渋滞より集客に悩むほうが実態だろう。

 だが、しかしこれは絶対に問題になりそうな箇所が1箇所ある。
四季の道(冬の道)を横切る自動車道が1箇所あるのだが、ここは金沢小学校の生徒の通学路になっている。

 従来から朝の通学時間帯と自動車の通勤時間帯が重なっているらしく、自動車の通行量が多くなっていた。
毎朝、金沢小学校の関係者交通整理に当たっているが、ここはSCができると、間違いなく渋滞が発生しそうだ。
おゆみ野の住宅街からSCに行く近道だからだ。

 従来から問題があったため金沢小学校の教頭先生が交通量調査をしたり、市民ネット福谷議員現地調査をしていたが、現状は従来のままだ。
地区の利便性と小学生の安全性について、意見の集約がままならないらしい

 見ていると遊歩道を横切る道路には、スピードを落とすための道路面のでっぱりなどがあって、必然的に速度は落ちるのだが、時に無理やり速度を上げて通過する自動車もある

 SCが開業して、ここが便利な短縮路となると、やはり子供達の安全性と住民の利便性との間で問題が発生しそうだ。

 私の提案は、「児童が通学と帰宅をする時間帯は通行禁止にすること」で、実際渋滞すれば通ることもままならなくなるのだから、通行禁止にしても問題はなさそうだ。
いくら待っても通れないんじゃ、開かずの通勤路じゃないか」了承してくれるのではなかろうか。

 私は直接の利害関係者ではないが、金沢小学校地区自治会、および警察署の3者で、適切な対応を取る事を願っている。

 

 

 

 

 

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(20.5.12)胡錦濤国家主席の訪日は大成功だ

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 胡錦濤国家主席の訪日は、近来まれに見る成功に終った。特に早稲田大学で胡錦濤主席福原愛選手と中国のエース王楠選手を相手にラリーをしていた姿には思わず笑ってしまった。

 やや肩に力が入っていたが、65歳とは思われない運動神経でスマッシュをはなって、さすが卓球王国の主席だけはあると観客をうならせた。

 北京で外国からの賓客に会うときは、身体を微動だにせず、相手が近づいてきて握手するまで不動のまま表情を変えないのだが、ラリーをしている姿からは腕白坊主が夢中になっているようなかわいらしさがほとばしり出ていた。

 私のように、普段中国を快く思わないものでも、今回の胡錦濤主席に好意を抱いたのだから、これが成功でなくて何と言えよう。

 思えば10年前の江沢民主席の訪日はひどかった。口を開けば「日本軍国主義」「歴史認識」「謝罪」を繰り返し、天皇陛下に対する敬意も微塵にも見られなかった。
ほとんど喧嘩を売りにやってきたようなもので、さすがの中国ロビーの面々も鼻白んだほどだ。

 江沢民早稲田大学の講堂で「日本軍国主義は対中侵略戦争を起こし、中国軍民3500万人を死傷した」と講演したのである。
これに対し胡錦濤主席は、同じ早稲田大学で「私たちが歴史を銘記するのは、恨みを抱き続けることでなく、歴史を鑑(かがみ)に未来に向かうためだ」と述べた。

 なんという違いであることか。江沢民はただ恨みだけを述べていたが、胡錦濤主席未来に向かいたいと言う。
日中間の懸案問題は、東シナ海のガス田毒入り餃子事件の解明日本の国連安保理の常任理事国入り等多いが、本当の意味ののどに刺さったとげは「歴史認識」にあることは確かだ。

 この問題が持ち出されるたびに、日中両国の国民はほとんどわれを忘れて感情的に対立する。
こおした問題はどこの国にもあり、イギリスでは長く北アイルランド問題がそおであったし、スペインではバスク地方問題がそれだし、トルコではクルド人問題だ。
隣の韓国と日本は中国と同じ歴史認識で互いに興奮してしまう。

 今回胡錦濤主席江沢民が要求した「おわび」も「反省」も求めず「未来」を強調した。
中国もやっと大人の付き合いができるようになったのか」私はひどく感銘した。

 最も中国は中国のお家の事情からしても「歴史認識」など言っていられないはずだ。
中国経済は今、後進国型の経済成長から、中・先進国型の経済成長に変換しなければ、確実に昔の中国に戻ってしまう瀬戸際にある。

 すでに昨年の10月から株式は下がり続け、ピーク時の半値になってしまった。不動産価格はまだ暴落には至っていないが、上昇はしなくなった。先見の明のある中国人はすでに不動産投資からは撤退している。

 中国元管理変動相場制に移行した5年7月以降、すでに20%の切り上げが行なわれている。
元相場の上昇を抑えようと、中国政府はドル買い元売りをしてきたが、売られた元が国内の物価を急上昇させ、国民は爆発の寸前だ。
豚も食えないじゃないか

 元相場を維持するためにインフレを甘受するか、それともインフレを抑えるために元高を容認するかで、中国当局は頭がいっぱいだ。
前者を採用すれば国民が怒り出し、後者を採用すれば輸出業者がバタバタ倒産してしまう。
どうすりゃいいんだ

 すでに中国では紡績皮革製品のような労働集約型産業は採算に乗らなくなった。
次はインド、ベトナムの時代になろうとしている。

  こんな時に「歴史認識」など持ち出して、日本の対中投資の足をひっぱたら大変だ。
これからは、日本に対し友好的なインドに投資しましょう安部前首相でなくてもそお言いたくなる。

 歴史は繰り返えすのだ。かつて日本や韓国がそおであったように、中国も今、中・先進国型経済に脱皮しなければならない段階にやってきた。
その場合組む相手は最先端技術の国日本が最有力候補だ。
日本を怒らせても何の利益にもならない胡錦濤主席の本音だ。

 さて、ようやく日中間に春風が吹いてきた。
中国は日本に「助けてくれ」とサインを送ってきた。この状況を日本はどのように利用できるか、日本の戦略的対応が見ものだ。

 

 

 
 

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(20.5.11) ありがたいことだ

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 ありがたいことだと思う。おゆみ野クリーンクラブが、新都市ライフの「おゆみ野市民活動助成事業」の対象になり、資金助成をしてもらえることになった。

 クリーンクラブの活動は、四季の道等の遊歩道公園清掃活動と、おなじく遊歩道公園落書き消去だが、落書き消去のためのペンキ代に苦慮していたからだ。

 ペンキ剥離剤は高い。たとえば1.6Lのペンキで3000円程度するが、これで消去できるのは15㎡程度だ。道路下の通路の壁などは片側だけで通常2缶必要になる。

 昨年のペンキ代実績は約4万円だったが、市から「落書き防止条例」に基づく現物支給を1万円程度してもらい、残りは自己負担した。
街を美しくするための自己負担ではあるが、やはりそれなりにつらい。
本来もう少し美しく塗りたいところも、ペンキをケチったりしている。

 だから今回「おゆみ野市民活動助成事業」として資金助成をしていただいたことに心から感謝している。
これで街の落書きをもっと綺麗に消去できるぞ」嬉しくなってしまった。

 今日(10日)、ぷらっとおゆみ野おゆみ野ホールで一次審査を通過した14団体の説明会があった。各団体10分程度の持ち時間で、団体側の資金助成をしてもらいたい理由の説明と選考委員からの質問を受ける。

 私はおゆみ野クリーンクラブの代表として説明を行なったが、こうした説明をするのは実に久しぶりであったので少し緊張し、心臓がどきどきした。

 今回とても参考になったのは、このおゆみ野地区に色々な団体があり、それぞれ有意義な活動をしていることを知ったのと、その代表者に会えたことだ。
ああ、この人がこの活動をしてたのか」名前だけ知っていた人に、実際に会うことができた。

 4時ごろから、助成金授与式が行なわれたが、その席で選考委員長から、助成の主旨説明がなされた。

・ できるだけ新規の団体を対象にしたこと
・ 従来から支援を行なっていた団体には新規の取り組みを期待したこと
・ おゆみ野地区全体の広がりのある事業を助成の対象にしたこと
等である。


 おゆみ野クリーンクラブを立ち上げて1年半たったが、ようやくこのクラブも社会的に認知されてきたと思うと、喜びがわいてくる。
名前に恥じないように、おゆみ野の環境保全に全力を尽くそうと心を新たにした一日だった。

(募集)おゆみ野クリーンクラブの会員の募集をしています。

 活動は上記の、清掃活動と落書き消しの二つですが、強制は一切ありません。

 清掃活動については、会員が自由に自分のテリトリーを決めて、自分ができる範囲内で活動をしていただければ結構です。
毎週金曜日の10時から鎌取駅周辺で合同の清掃活動を行なっていますが、これへの参加も自由です。

 落書き消しは若干の技術が必要なので、現状は特定の人が行なっています。

 この街を美しくしたいと思っておられる方の参加を希望いたします。




 選考結果の発表等の写真です。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20510?authkey=ehAL1DdYtB0

 

 

 

 

 

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(20.5.10)ネコババはまずいけれど

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 ネコババはまずいけれど、それ自体は正しい行為なのではないかと思ってしまった。
船場吉兆の「残った料理を別の客に出した行為」である。

 私は従来から、高級料亭での食べ残しの問題を不思議に思っていた。通常高級料亭に来るような人はがつがつと料理を食べない。少し酒を飲んで食べたいものを少しつまんでおしまいだ。

 高級料理などほぼ毎日のように食べているので食傷ぎみだし、ほとんどの人が糖尿病メタボに悩んでいる。だからまったく箸を着けずに残された料理が山のように出てしまう。

いったいこれを全部捨ててしまうのだろうか。こんな高級な食材でしかも料理人が精魂こめて作ったものを、ただ一回並べたと言うだけで捨てていいのだろうか」不思議に思っていた。

 マアタイさんが「もったいない」という言葉を日本人に再確認させてくれたが、これなどは「もったいない」の極致みたいなものだ。
たとえば家での食事であったら「まあ、お父さんたらまた食べないの。それ、残しておいといて。あとで私がたべるわ」とかみさんが言うところだ。

 特に最近は食糧問題がかまびすしい。フィリッピンではベトナムからの米の輸入が途絶えてパニックに陥っていたし、アメリカでもウォルマートで米の販売制限をしていた。
ミャンマーではサイクロンの被害で餓死者が続出だ。

 食料は限られた資源なのに、ただ並べたと言うだけで捨て去る行為は、世界の食糧事情から見たら犯罪行為のようなものだ。

 だから船場吉兆の「残った料理を別の客に出した行為」そのものはなんら非難には当たらないと思ったのである。
非難されるとしたら、この行為を客に知られないように実行し、料金をネコババしたことで、それさえなければ船場吉兆のこの商法は時代の要請にマッチした実に先端的な取り組みだと評価されたはずだ。

 船場吉兆は以下のように宣言していればよかったのである

船場吉兆は全世界の食料事情にかんがみ、食材を有効に利用することを宣言いたします。

 お客様が一切箸をつけずに残された料理を他のお客様のご了解の下に食していただきますが、その場合これによって得られた収益金は全額ユネスコ等の国際機関に寄付いたします。

 その際協力いただいたお客様の氏名をもって寄付行為をいたすことを約束いたします。

 船場吉兆といたしましては食材を無駄に使用し、世界の食糧事情を悪化させるよりはマアタイさんの精神にかんがみ『
もったいない』行為をしないことで、社会的使命を全うしたいと考えております。

 なにとぞお客様のご理解とご協力を賜りたく、お願い申し上げます」

エコロジー船場吉兆

 
 高級料亭
に来るような人は、ほとんどが日本のエリートであり、社会的使命に敏感な人が多いから、きっと協力者が多いのではないかと思う。
実際日本ではあまりに多くの食材が無駄に捨てられており、こおした行為をやめるだけでも世界に貢献できるのだから、大いに推奨すべきではないだろうか。

読者のご意見を求めます

 

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(20.5.9)小学校の教師になりそうだ

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 信じられないかもしれないが私が小学校の教師になりそうなのだ。
千葉市には「特別非常勤講師」という制度があり、「教員免許状は持たないが各種分野においてすぐれた知識や技術を有する社会人を・・・・非常勤講師として千葉市内の小学校または中学校に任用する制度」なのだそうだ。

山崎さん、山崎さんのシステムの知識を学校で教えてくれませんか小谷小学校校長先生に頼まれてしまった。

確かに私はシステム経験は長い。ある金融機関で30年近くもシステム開発やシステム監査の仕事をしてきた。また情報処理技術者としての通商産業省の資格もばっちり持っている。

 しかし正直言うと、これは誇大広告だ。金融機関のシステム部の人間は自分でシステムを作る訳ではない。
ユーザ部門の開発要望を聞き、ソフトウェア会社にどのようなシステムを作るのか指示するだけだ。
システム用語で概要設計と言うのだが、この概要設計書を作った後は、ソフトウェア会社が作るプログラムの品質管理納期管理をするだけだ。

 だから自分でプログラムを組んだ経験はない

 また情報処理技術者と言っても、ペーパーテストなのだから、ウェブデザイナーの娘から「おとうさんは手よりも頭のほうが働くみたいね」なんて笑われている。

 本当の意味で自分だけでシステムを維持管理したのは、引退しブログを立ち上げてからで、環境設定再セットアップを繰り返すうちに何とかプログラマーらしくなってきた。

 だがしかし、形式用件も必要なのだ。
先生、分かりました。私は30年のシステム経験のベテランで、情報処理技術者です」元気よく答えておいた。

 しかし本音を言えば、私は教育現場と言うものをしらない。
だいじょうぶだろうか」やはり不安がよぎる。

 昔、小学生の家庭教師をしたとき、もう少しで馬脚を現しそうになった経験が頭をよぎった。

 その子はある付属中学に入るための勉強をしていて、私が教えたのは小学5年から6年までの時期だったが、素直で利発な子供だった。
しかし始めてその子のうちに行った時は大変だった。

 母親から「この子はこんな問題が解けないのですよ」とある種の算数の問題を出されたが、信じられないことに私も解けなかった。
方程式を立てればなんていうこともなく解けるのだが、小学生は方程式を使えない

 いわゆる植木算とか鶴亀算と言うような特殊な解法があって、それを理解していないと解けないのだ。
ヒア汗がでてしまった。30分ぐらいうなって幸い何とか解法が見つかったが、小学校の算数が非常にタフなことが分かった。
やはり、この人を雇うのは断わろうかしら」母親はそお思ったに違いない。

 その日から1週間、私は小学校の算数の問題集を購入して大学にもいかずに一日中問題を解いていたものだ。
このままでは首になりそうだ。がんばれ

 おそらく今回もそおした努力が必要だろう。
知っているだけでも学校のシステム環境は特殊で古い。自動車の運転で言えば一世代前の手動クラッチの自動車の運転をするようなものだ。

 しかし、せっかくの与えられた機会だ。馬脚をあらわさないように努力して、特別講師の仕事に取り組もうと思っている。

 

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(20.5.8) 川の道252kmが終わった

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 ようやく川の道252kmのレースが終わった。この日のために24時間走12時間走富士五湖112kmに参加して準備を整えてきたのだから、終わって心からほっとしている。

 というのも私はこのレースを最後にウルトラマラソンから引退しようと思っていたからだ
やはり年齢を重ねると体力の低下がはなはだしい。もうすぐ62歳だが、昔で言えばおじいちゃんだ。

 かつてはあれほどあった筋肉も足を除いてはほとんどそぎ落ち、鏡を見ると上半身はスーダンの難民みたいだ。
筋力速力もなくなり、残ったのは意志力だけだが、それだけでレースを続けていくことは難しい。身体が壊れてしまうからだ。

 この252kmは長野県小諸市懐古園の前をスタートし、千曲川沿いに長野市飯山市を経由して、新潟県津南町に入る。
新潟県に入ると川の名前が千曲川から信濃川に変わるのだが、このあたりの川面が一番美しい。

 さらに十日町市、小千谷市、三条市をへて新潟市に向かうのだが、私は新潟県の地理に不案内のため場所感がほとんどわかなかった。
ひたすら地図を見て前に進んでいたのだが、これは昔からの川の道のようだった。

 今回のレースは一言でいえば非常に暑いレースだった。初日(3日)から夏日になってしまい、二日目(4日)もひどい夏日で、身体が夏の身体になっていなかったのでバテバテになってしまった。
こおした時は水分補給が一番大事で、私はコンビニや自動販売機を見つけると500mlのペットボトルを買って、のべつ幕なしに水を飲んでいた。

 おそらくレース中に30本近くのペットボトルを飲んだはずだ。そおやって身体から汗を噴出させて空冷しないと、身体が熱中症になってしまう

 熱中症になると頭が朦朧としてきて、身体がふらつき始め最悪の場合は死んでしまう。そおなる前に涼しいところで休めば回復するが、その判断もできなくなって死んでしまうレーサーもいる。

 私はベテランだから熱中症対策はばっちりなのだが、年がら年中水を飲んでいないといけないのはつらい。それに金銭的にも馬鹿にならず飲料代5000円近くにも達してしまった。

 このレースは非常に特異なレースで、1ステージマラソンといい、120km地点の宝山荘で2時間以上の休憩を取ることと、13箇所チェックポイントを通過すること以外は決まりがない。

 どこで休もうが、食事をしようが勝手で、後は54時間以内(2日と6時間)にゴールに着けばよい。時速に直すと約5kmなのだから、ちょっとした早足程度なのだが、実際はかなりタフだ。
途中で疲れてくるとどおしても仮眠をしてしまい、気がつくと30分や1時間程度はすぐにたってしまう。

 私は宝山荘まではかなり時間に余裕をもって到着したのだが、その後はめろめろになってしまった。
何しろ猛烈な暑さと、宝山荘の仮眠が4時間程度だったこともあり、2日目の日中は走っては休んでいた。そのため本当に時速5kmになってしまった。

はやく太陽が沈んでくれ
まともに走れるのは夜しかないが、一方夜はやけに眠たい。

 寝る場所はどこでもOKで、昼間は神社の境内夜間は道の脇の歩道に寝ていた。
この近所のイメージでいうと、蘇我から千葉南警察前を通る4車線の道路があるが、その歩道で寝ていたことになる。
最初は座っているのだが、すぐに横になりふと気がつくと寝ているという状態で、これを通りがかりの人が見たら路上に変死体があるようなものだ。
警察ですか。道路で人が死んでます

 私はもう少しで62歳になる。62歳にもなる人間が歩道でマグロのように寝ている姿はどおみても正常でない。
これでは老人の品格が保てない」さすがに反省をした。

 こおしてどうにか53時間ゴールしたが、ようやく61kgまで戻った体重もこのレースで再び58kgになってしまった。脂肪などどこを見てもなくなってしまっている。

 残ったのは身体が壊れたサインだ。今回は左足の膝のお皿が不安定になってしまった。収まるところに収まらず、歩くとがちがち音を立てる。
無理やりに収めようとすると猛烈な痛さが走る。

 今日(7日)は、一日中家でごろごろしている。いつもの清掃活動にも膝の皿が笑うと思うと怖くて出て行けない。

 やはり何にでも引退時期というのはあるのだ。柔道の井上康生だって内股がかからなくなって引退した。
ゴールをしたとき、スポーツエイドの関係者の方が「山崎さんはこれで前半と後半を走ったのだから、次は全コース制覇ですね」と言っていた。笑って会釈をしておいたが、その機会はないだろう。

 考えてみればよくここまで持ったものだと思う。身体が人一倍丈夫だったせいもあるが、本当にありがたいことだ。
これからはウルトラマラソンと言う、楽しくはあっても身体に負荷がかかりすぎるレースからは引退し、後はフルマラソン程度を楽しむことにしよう。

(注)本ブログと関連するブログは「川の道252kmに参加する」です

 今回走りはめろめろでしたが、写真はばっちり撮ってきました。最近はレーサーと言うよりも報道写真家になったみたいです。ただし夜走った場所の写真はありません。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2053?authkey=LdaS7NtzSvs


 

 

 

 

 

 

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(20.5.7)京都議定書は国際連盟か

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 温室効果ガスを削減することは世界の共通認識ではあるが、そのために1997年に日本で締結された京都議定書、いわゆるCOP3ほど不可思議な協定はない
協定の内容は「温室効果ガスを1990年を基準として、2008年から2012年の間に、各国に割り当てられた削減数字を達成する」ことだが、排出量世界1位、2位アメリカ中国がさっさと抜けてしまった。

 この2カ国で世界の排出量の40%を越えており、今後ますますこのウェイトは高くなりそうなので、はっきり言って温室効果ガス削減効果はほとんど期待できなくなってしまった

 しかも当初は第3位の排出国ロシアも、この協定を批准しなかったため、全世界の排出量の55%(これが議定書の発効条件)を越えることができず、議定書そのものの発効も、2005年まで待たねばならなかった。

 なんとも不思議な協定である。これはちょうど第一次世界大戦の後できた国際連盟のようなものだ。国際連盟には超大国になったアメリカが最初から入っておらず、日本も満州事変の後抜けたので、実質的に瓦解してしまったが、京都議定書もそれにそっくりだ。

 日本はこの議定書で、1990年対比6%の削減を義務付けられているが、現状ですでに1990年対比10%あまり、温室効果ガスが増加しているのだと言う。

 排出セクターは産業、業務(オフィス)、家庭、運輸等に分かれるが、日本で削減が実施されているのは、産業だけで、後はまったく規制がないのと同様なのだそうだ。
早い話が、会社の電気はつけっぱなしのところが多く、家庭での節電などまじめに取り組むこともなく、自動車は乗り放題と言うことだ。

 その結果、2008年から2012年の間に日本は約16%も削減しなくてはならなくなり「これは到底不可能だ」というのが専門家の一致した見方だ。

 日本、ロシア、オーストラリア、それにアメリカ(批准はしてないが協議には参加している)といった削減が不可能な国は京都議定書の修正を求めているが、この協定に熱心なヨーロッパは一歩も引こうとしない。

 環境問題はヨーロッパとその他世界との対立という様相を呈してきたが、その理由は環境問題が金になるからだ。
京都議定書では「排出量取引」という枠組みが規定されたが、この趣旨は「温室効果ガスを削減できない国は、削減できた国に金を払え」と言うことだ。
これによると、温室効果ガス削減に熱心に取り組んでいるヨーロッパに、その他世界は金を払わなければならなくなる。

 日本はまじめな国だから、すでにヨーロッパの各国と「排出量取引」の仮契約を始めたが、アメリカや中国は最初からそんな規定を認めるつもりはないらしい。

排出量取引を石油や鉄鉱石のような資源にさせてなるものか」アメリカの本音である。

 一方ヨーロッパは環境問題先進国の優位性を100%活用して、世界のお金の流れをヨーロッパに引き寄せる戦略を着々と進めている。
すでにヨーロッパ内では「排出量取引の市場」が出来上がっており、株や債券と同様に、「排出量」が取引されている。
石油に代わる戦略物資は排出量だ。これでヨーロッパの復権を果たそう。アメリカや石油産出国に負けるな」ヨーロッパの本音である。

 日本環境先進国だと言われてきたが、それは排出量の約40%を占める産業部門だけで、後はまったく駄目だ
最近日本は産業セクター別アプローチ」を提唱しているが、これは日本が競争力があるのは産業部門だけだからである。
とりあえず企業にだけ削減を実施してもらおう」日本の本音である。

 そんな訳で、温室効果ガスの削減はパワーゲームになってきた。削減そのものには反対しないが、やり方によって世界の金の流れが変わる。

 さて、日本は京都議定書にしたがって、ヨーロッパにペナルティーを払うのか、あるいはぐずぐずいって、この協定を骨抜きにするのか、洞爺湖サミットが見ものになってきた。

 

 

 

 

 

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(20.5.6)ブログの読者が急増している

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 信じられないような状況が起こっている。私のブログの読者が急増しているのだ。この4月9日に「ぼくはブロガーになってしまったという記事で、毎日100人の方が見てくれる水準に近づいたことを報告し、ナッツままから激励を受けたのが遠い過去のようだ。

 それから1ヶ月もたたないのに読者数は150人を越えてしまった。
私がブログを書き始めた時、平均して50名の読者になるのに8ヶ月もかかったのに、最近は1ヶ月もたたないで50名も読者が増えてしまう

 特に「ピクシーは日本が好きなのだ」という記事を書いた時は、476名の読者が私のブログを見に来た。このうちでピクシーの記事に直接アクセスした人は336人だった。
それにしても一日で476名である。瞬間的にではあったが、これには心底驚いた。
いったい何が起こっているのだろう

 内容を検討してみると、100名から150名になった理由は「イオンおゆみ野SC]にかかる記事の検索が増えたことがわかった。
そうなのかこの近所の人はイオンおゆみ野SCの開店に関心があるんだ

 当初私としてはおゆみ野に起こっている情報として何気なく「イオンおゆみ野SCの開店が迫った」という記事を書いたのだが、その後積極的に「イオンおゆみ野のSC戦略」や「ヤマダ電気の戦略」について記載している。そおした記事の読者はかなり多い。

みんなが知りたいのならできるだけ記事を書こう
なんとなく流行作家がヒットした作品を書き続けているような気分だ。

 ただ「ピクシーは日本が好きなのだ」に検索が集中したのは、おそらく名古屋グランパスのファンがこの記事をたまたま見つけて、グループ配信をしたからではないかと思っている。
そうでなければ急に合計で383名も検索に訪れるようなことはありえないからだ。

 しかしそれにしても最近はGoogleや」Yahooでの検索で私の記事がよく引っかかるようになって来た。どうも検索のメカニズムの中に、「よく見られるブログ」という要素があるみたいだ。
だから一旦読者が増えだすと加速度的に増えてくる。

 私としては怖いぐらいだが、一旦始めた以上ビビル訳にも行かないので、心してまじめなブロガーとして研鑽を励みたいと思っている。

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(20.5.5)アメリカの次期大統領は誰になるのだろうか

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 日高義樹氏は私の好きな評論家の一人だ。元NHKワシントン支局長を勤めたあと、ハーバード大学客員教授を務め、いまはアメリカのトップレベルの研究所と言われるハドソン研究所主席研究員をしている。

 また毎月1回テレビ東京で「日高義樹のワシントンレポート」という番組を放映しているので、この主の番組が好きな人はなじみの名前のはずで、私も毎回のようにこの番組を見ている。

 私は日高氏のアメリカ分析は超一流と思っているが、日高氏昨年の10月現在で、次期大統領選を予想した内容がまったく外れているのには笑ってしまった。

 日高氏は次のように分析していたのである。
アメリカ民主党の大統領候補には、・・・ヒラリー・クリントン上院議員が選ばれることがほぼ確実である。・・・オバマ上院議員は弁舌がたくみで新鮮な印象を国民に与えているが、やはり黒人であることが大きなハンディになっている。

 共和党側はニューヨークのジュリアーニ前市長と、トンプソン上院議員がトップを争っている。・・・・この二人のうちでは、減税とテロリストの戦いで定評のあるジュリアーニ前市長が有力だと私は考えている(「資源世界戦争がはじまった」日高義樹著)」

 日高氏をもってしても、アメリカ大統領選の行方はまったく予想不能らしい。
さらに現時点での日高氏の予測は、共和党マケイン上院議員が大統領になると言うものである。

 なぜ共和党が勝つかの理由は「アメリカの大統領選挙のシステムは、保守的な中西部や南部の州に有利になっており、保守的な政治家のほうが各州に割り当てられた大統領選挙人を集めやす」からと言うものだ。

 ちょうど日本の国政選挙と同じで農村部と都市部に格差があり、都市に強い民主党より、農村部に強い共和党のほうが有利だと言うものである。
実際そおした例があり、2000年大統領選挙では全体の得票数で上回った民主党ゴア氏が農村部を地盤にした共和党ブッシュ氏に敗れている。
日高氏は今度も同じことが起こるはずだと予測しているわけだ。

 しかしこの日高氏の感度は私の感度とはかなり違う。私の見るところブッシュ共和党イラク戦争で完全に手詰まりになっており、また経済サブプライムローン問題で後退にも見舞われ、満身創痍だ。
アメリカ国民の保守層がどんなに強くとも、現状はどお見ても共和党が不利だ。
変化」を求める国民は民主党オバマ氏を押すのではないだろうか。

 選挙制度は日高氏の言うように保守派の共和党に有利だが、日本で保守王国山口県の補選民主党が勝利したような動きが、アメリカでも起こらないとは限らない。

 私の予想は「オババ上院議員が大統領になり、イラクからの撤退をするとともに、世界の警察官を辞める」と言うもので、「変化」とはアメリカ伝統のモンロー主義の復活であり、「アジアのことはアジアで決めろ。俺は知らん」という時代の始まりだと思っている。

 果たしてプロの日高氏の予測が当たるのか、素人の私の予測が当たるか、大統領選挙の結果が楽しみだ。

 

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(20.5.4)坐骨神経痛 その3

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 坐骨神経痛には大弱りだ。直す方法が見つかったと思うとまたもとの状態に戻ってしまう。自力整体法でがんばってみたが、ちょっと油断すると元に戻り、右の臀部から右足大腿部の外側ふくろはぎの外側が常時痛む。

 座っていたり寝ている時はなんでもないのだが、歩いたり走ったりすると急激に痛みが走る。おかげで歩きながらでもお尻のマッサージをしていなくてはならなくなった。
かつては電車で席に座るのはまれだったのに、今はすぐに席を見つけて座ろうとする。道で人にあっても立ち話などは長時間できないので、周りにベンチがないかうろうろしてしまう。

うぅーん、これでは半病人だ」頭を抱えた。
かみさんからは「パパさんはマラソンを止めない限り直らないわね。坐骨神経痛を抱えて250km走るなんて、キチガイ沙汰よ」と言われてしまう。
しかしマラソンは私のほとんど唯一の趣味と言ってよく、これがなくなったら生きていても仕方がないと思うくらいだ。
主よ、ロドリゴはどのように生きたらよいのでしょうか

 数週間前から意を決して医者通いを始めた。ちはら台にある帝京市原接骨院だが、ここで電気をかけ、マッサージをしてもらっている。
先生は若い先生で自身もトライアスロンの選手だから、スポーツ選手の心理はよく分かっている。

山崎さん、ここまで悪化した坐骨神経痛はあまりないんですよ。本当は走らないほうがいいですが、まあ言っても無駄でしょう。
マッサージをしてケアしながらできるだけ持たせるしかありませんね

そういいながら坐骨神経を思いっきり押すのだから、飛び上がるほど痛い。

ああー、先生、死んでしまいます」大の大人が悲鳴を上げている。
しかしおかげで少しずつお尻の筋肉がほぐれてきた。今までは股を広げて走るのがつらかったので、老人のちょこちょこ走りになっていたが、股が少し広がるようになってきた。

 さらに最近は身体をやや前傾して走るようにしているが、そおすると腰に負担がかからなくなり、腰の痛みがあまり現れない。
いやー、満身創痍だが何とか坐骨神経痛に悩まされない走りができるじゃないか」嬉しくなっている。

 ただしこの走りは腰で走ると言うより足で走っているので長距離走に向かない。マラソンの経験がない人はあまり知らないが、長い距離の走りはで走るのだ。
うぅーん、一難さってまた一難だ

 坐骨神経痛とは一生涯の友となってしまった。
昔読んだ本で「虫歯の痛さで実存を知る」なんて言葉があったが、よもや「坐骨神経の痛さが生きている証」になるとは思わなかった。

 仕方がない。マッサージをして対症療法でこの身体を持たせるより仕方なさそうだ。

(相談)坐骨神経痛を本当に治した方はおられるでしょうか。もしいたらその経験を教えてください。

 

 

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(20.5.3)川の道252kmに参加する

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 世の中には実に不思議なマラソンレースがあるが、スポーツエイド・ジャパンが主催する日本横断「川の道」フットレースもそのうちの一つだ。

 このレースは荒川の河口の葛西臨海公園から荒川を遡り、奥秩父の甲武信岳北側に位置する三国峠を越えて信州側に降り、そこから千曲川、信濃川を下って日本海の河口まで走るレースであり、この連休中に毎年開催されている。

 全長は522kmであるが、レースは3種目に分かれており、① 日本縦断ステージ522km(参加45名)、② 荒川・千曲川ステージ270km(参加7名)、③ 千曲川・信濃川ステージ252km(参加23名)からなる。

 私は2年前に② 荒川・千曲川ステージ270kmを走っているので、今回は残りの③ 千曲川・信濃川ステージ252kmを走ることにした。
前回走った時は、三国峠(約2000m)越えのときに、幻覚と幻聴に悩まされ、その時の経験をブログに「魔境」として記載した。

 このレースの最大の特色は基本として休みがないことにある。私が走るステージは2日と6時間(54時間)以内にゴールに到着すればよく、その間1箇所で2時間以上の休憩を取る事を定められているが、それ以外の時間は常時身体を動かしていることになる。
このようなレースを1ステージマラソンといい、「疲れたら勝手に休憩を取りながら走れ」ということだ。

 イメージとしては2日強寝ないで走れば信濃川の河口に到着することになる。計算すると平均時速は5km弱だから少し早足の状態で52時間がんばれば完走が可能なのだが、実際はかなりタフだ

 途中で休んだり食事をしたりしているとたちまち時間が経過してしまうので、できるだけ休憩を取らず、食事もそこそこにひたすら走り続けなければならない。寝るなどはもってのほかで、最後は頭が朦朧としてくる。
今回のコースは三国峠越えのような厳しい場所はなさそうで、基本は川にそって下っていくので気持ちとしてはかなり楽だ。

 私はこのレースのために24時間走富士五湖のウルトラマラソンを走って準備して来たが、坐骨神経痛を抱えてのレース参加は本当につらい。

 長距離レースをしてみると分かるが、荷物を背中に背負っていることと、腹筋がだんだん疲れてくることから、後にそった走りになってくる
前回の三国峠の下りでは、どう努力しても前傾姿勢がとれなかった。
こうなってくると腰に対する負担が強く加わり、坐骨神経痛をさらにいためてしまう。

 このレースが終わったら、きついレースはやめて身体のリハビリに取り掛かろうと思っている。
老人なのだから無理をしすぎると死んでしまいそうだ
夏場はもっぱら登山をすることにしてマラソンレースを忘れているのがよさそうだ。

 

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(20.5.2)村田川のこいのぼり その2

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 毎年この時期になると、村田川瀬又地区こいのぼりを見に行っている。数年前に村田川をサイクリングしていたときに偶然このこいのぼりを見つけたのだが、以来とても気に入っている。
村田川ちはら台の南を横切り、東京湾に注ぐ中級河川だが、上総の国下総の国を隔てる境界線の川で、歴史にも何回も出てくる川だ。

 今年もきっと空に向かって力強く泳いでいるはずだと、期待しながら自転車で出かけた。村田川の土手はサイクリング道路になっていて気持ちがいい。
今日(1日)は特に気候がよかったのか、サイクリング道路ヤマカガシマムシか判別できなかったが、蛇が寝ていた。

 もう少しで自転車で踏みつけそうになって、蛇も私も悲鳴を上げた
心臓の鼓動が収まらないうちに、今度は大きな毛虫がサイクリング道路を横切っており、よけるのに一苦労した。
暖かくなると外に飛び出してくるのは人間ばかりではないらしい。

 村田川の水はお世辞にも清流と言うわけには行かないが、がすむのには十分らしい。この時期、鯉の恋の季節なのだろうか、数匹のが背びれを出しながら群がっていた。よく見てみるといたるところにが泳いでいる。
こいのぼりを見るつもだったが、本物のもこれほどいるとは知らなかった。

 瀬又地区こいのぼりは地元に住んでおられる方が、ある時期から始めたらしい。川の両側にポールを立てて縄を渡し、おそらく農家の奥にしまわれていたこいのぼりをみんなで集めてきたのだと思う。

しまっているだけじゃ、仕方あんべえ。みんなで集めて、こいのぼりの川渡しをして瀬又の名物にすんべい

 農村部では男の子がいると必ずこいのぼりを飾る風習が残っている。子供が大きくなって飾ることがなくなるが、そおしたこいのぼりが多く残っていて、それをもう一度飾ろうということだろう。
私はこおした農村の伝統を守ろうとする習慣が好きだ。

 若い頃は伝統と言うとそれだけで、時代遅れだと思っていたがその考えが間違いだったことに気づいた。
こいのぼりもいいじゃないか

 過去は十分大事にするだけの価値がある。
今は過去と現在と未来にそれぞれ3分の1の価値を置いて生きていきたいと思っている。

 今年もまた、村田川こいのぼりを見ることができた。
サイクリングも気持ちよく、とても幸せな気持ちになった一日だった。

村田川周辺とこいのぼりの写真を掲載します
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/2051?authkey=GhEHhnDtzU8

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(20.5.1)リヨンSUDAがんばれ

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 ここおゆみ野で私が好きなパン屋は「リヨンSUDA トロワ」と「石釜パン工房 ルマタン」だ。どちらもとてもおいしいパンを適切な値段で提供してくれる。
私は「石釜パン工房が昨年8月にオープンするまでは、もっぱら「リヨンSUDA」を愛用していた。

 私の家族も「リヨンSUDA」のファンで、家族でこの前を通るとかみさんが「パパさん、また2000円カンパして」というのが常套句で、帰ってからどのパンも4等分しては家族4人で食べたものである。

一人頭、500円でこんなに裕福な気持ちになるのだから安いものじゃない」これもかみさんの常套句だ。

 しかしこの「リヨンSUDA」は一つ大きな弱点がある。駐車場が少なく、また狭いため自動車がとても止めずらいのだ。
この駐車場に駐車するには技術がいるのよ。お父さんでは絶対にできないわね」娘がよく言っている。

 見ていると駐車場のスペース(10台分が少ないため、かつては道路上に違法駐車をしながら買い物をしている人も多かった。
今は回り近所の人が腹に据えかねたのか、あるいは「リヨンSUDA」が自主的にしているのか、赤い三角錐の路上駐車禁止の目印が置いてある。

 対応策として第二駐車場が用意され、10台程度駐車できるのだが、やや場所が遠いためかこちらはあまり使用されない。相変わらず店の前の10台のスペースの順番待ちだ

 しかしこれは「リヨンSUDA」にとっても、またこの店を愛用している顧客にとっても好ましい状態とは言えない。
はっきり言って顧客数に比較し駐車スペースが少ないのだ

 特に私がそお感じたのは「石釜パン工房 ルマタン」の60台収容の広い駐車場を見たからだ。
やはりこれからはパン屋さんも広い駐車場が必要な時代なのだな

 本日(29日)、このブログを書くためにリヨンルマタンを見てきたが、リヨンに止まっていた自動車は約10台ルマタン約40台だった。また顧客の数はリヨン約15人ルマタン約60人だった。
すでにリヨンルマタンでは顧客数で約4倍の開きが出ているようだ。

 私は「リヨンSUDA」のパンがとても好きだ。特に数年前に開店した時のアンパンは圧倒的だった。薄い皮の中にあんが目いっぱい入っており、あんを食べただけで腹がふくらみ、その日一日中食欲がなくなってしまったほどだ。
その後このアンパンにお目にかかれなくなったが、開店のあいさつとはいえ、パンでこれほど驚いたことはなかった。
以来、「リヨンSUDA」のファンになっている。

 それだけにこの店の駐車場の少なさと狭さは気になってしょうがない。それにルマタンができてから客足が減少しているみたいだ。

これではルマタンのような駐車場完備のパン屋さんがもう一軒できてしまえば、リヨンSUDAにとって、大変な脅威になってしまう

 私が気にしても「リヨンSUDA」に対し何の影響力もないが、ファンの一人として応援しよう。

このままではジリ貧になります。その前にルマタンのような駐車スペースと食事場所を兼ね備えた店にしてください

ブログを書くために写真を撮ってきました
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/20429?authkey=IfkxeUdmV6A

 

 

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