(20.5.22) 竹島は日本領土か
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韓国と領有権を争っている竹島について、文部科学省は中学校の新学習指導要領で「竹島はわが国の固有の領土」と明記する方針を固めたと言う。
従来北方領土については「わが国の領土」と学習指導要領に明記していたが、竹島についてはそのような記述がなかったのだそうだ。
私は記述がなかったことに驚いたが、韓国政府はすぐさま反応し、韓国駐在日本大使を呼びつけて、遺憾の意を表明していた。
韓国のメディアも大騒ぎで「妄言だ。やはり日本は信用がならない」との論調一色だ。
竹島問題は日本と韓国間ののどに刺さった棘であるが、ほとんどの日本人は「なぜ竹島が日本領土」なのかその根拠を知らない。実を言うと私も知らなかった。これほど騒がれている問題なのになぜなのだろうか。
竹島は島根県隠岐島のさらに沖合いにある、日比谷公園を少し大きくしたぐらいの島であり、韓国の初代大統領李承晩が李承晩ラインを引いて、日本漁船を拿捕するまでは、ほとんど問題にもならなかった岩礁である。
1953年「竹島は韓国の固有の領土」と李承晩は宣言し、この近海に近づく日本漁船を拿捕するようになり、韓国はこのときから竹島に守備隊を置いて実効支配している。日本は当然異議を申し立てているが、韓国は「蛙の顔にしょんべん」だ。
この問題について井沢元彦氏が「逆説の日本史 第14巻 近世爛熟編」で詳細な記述をしていた。以下は主として「逆説の日本史」を読んで私が理解した内容である。
竹島問題がなぜ普通の人の常識になっていないかは、この問題の発生した時期が、江戸時代、それも5代将軍徳川綱吉の時代のことだからだ。今から300年以上も昔に、竹島の帰属問題が発生していた。当時の言葉で「竹島一件」と言う。
とてもややこしいのだが、現在の竹島は当時松島と呼ばれ、現在の鬱陵島(うつりょうとう)が竹島と呼ばれていたことだ。いずれも島根県隠岐島のさらに沖合いにある島である。
ただし鬱陵島は直径10km余りの実際に人が住める島だが、松島は単なる岩礁にすぎない。両島の間は約80km離れている。
徳川綱吉のころまで鬱陵島周辺はあわびの漁場として鳥取藩の漁民に知られており、両島とも日本人が実効支配していた(正確に言うと松島は単なる岩礁だから人が住んでいたわけでなく、鬱陵島に住んでいた)。
それ以前鬱陵島には朝鮮人が住んでいたが、倭寇の被害を恐れた朝鮮政府は鬱陵島に朝鮮人が渡航することを禁止していた。
その隙に日本人が住むようになったわけだ。
ところが綱吉の時代に、鬱陵島の漁業資源に目をつけた安龍福という人物が現れ、鬱陵島にいた日本人を追い出し、さらに松島(現在の竹島)も朝鮮の領土だと、鳥取藩の藩主に面会し認めさせたというのである。
韓国はこれを根拠に「すべてこのときに領土問題は解決済み」だと主張する。おかげで安龍福は韓国の国民的な英雄だ。
しかしこれはまったくの安龍福のほら話で、鳥取藩が朝鮮の外交部、東来府史に身元確認をした時の返書が残っている。
返書で「漂風の愚民にいたりては、たとえ作為するところあるも、朝家の知るところにあらずして」「妄作の罪」があると東来府史は答えている。
「安龍福なんかしらない。勝手に何か言っているが朝鮮政府とは関係ない」と言うことだ。
しかしこの時代に、安龍福の問題もあったため、鬱陵島の帰属について朝鮮との正式な話し合いが持たれ、結局綱吉は鬱陵島の朝鮮への帰属を認めた。当時の江戸幕府は朝鮮と善隣友好関係にあり、朝鮮とことをかまえるつもりはなかった。
かくして鬱陵島(竹島)は朝鮮領となったのだが、問題は松島(現在の竹島)の帰属についてである。
現在、韓国は鬱陵島と松島は一帯の島であり(実際は80km程度離れている)、このとき朝鮮領になったのは明白だと主張し、一方日本は松島の領有まで認めた訳ではないと主張している。
しかし冷静に考えてみれば、300年も前の時代に、人が住むこともない岩礁について領土権を主張しあうはずがない。当時は漁業権という概念はないのだから、人が住める鬱陵島についてだけ確認したというのが実態だ。
そうして松島(竹島)は長い間日本も、韓国も無視してきた岩礁だったが、国民国家としていち早く目覚め領土問題の重要性を知った日本が1905年、松島を正式に日本領として編入した。
一方朝鮮は国内問題に忙殺していたのと、国民国家としての意識が成熟していなかったため、松島(竹島)問題に的確な対応を取れなかった。
日本が竹島を日本領とする根拠はここにあり、1905年に正式に日本領になったと主張している。国際法的には日本の主張は正しい。
しかし編入時にこの島の名前を松島でなく竹島と称したのは明らかに外交上の失敗といえる。
韓国から言わせると「ほれみろ、松島なんて言っていたが、本当は竹島じゃないか。竹島(鬱陵島)は徳川幕府が朝鮮領だと認めた場所だ」ということになるからだ。
戦後日本がようやくサンフランシスコ平和条約を締結して国際社会に復帰した翌年の1953年、突然李承晩は竹島(松島)を韓国領と一方的に宣言し、李承晩ラインを引いて漁業権の確保を目指した。
日本は当然抗議をしたが、敗戦後軍事力をまったく持っていなかった日本の要請は韓国に無視された。
「文句があれば実力でこい」
以来韓国はこの島を実効支配し日本に返還する気持ちはさらさらない。
はっきりしていることは、江戸時代を通じて竹島(松島)の帰属は日本、朝鮮の両国にとってどおでもよかったことだ。
「人の住まないどこにあるかもしれない絶海の岩礁なんてどうでもいい」
近代になり領土問題が先鋭化して明治政府は1905年になって正式に竹島(松島)の日本帰属を表明した。
日本の方がいち早く領有権を主張し、国際的に認められた。
出遅れた朝鮮(韓国)は今度は戦争で疲弊した日本の隙をついて、実力で竹島を自国領に編入した。
北方領土のロシアと同様に、敗戦で抵抗できなかった日本の領土を、韓国は実力で奪い取った。
その根拠は安龍福という訳だ。
さて帰属問題は解決するだろうか。私の正直な感想としては、戦争で負けて奪われたものは、相手がまったく返すつもりがない時は戦争で奪い返す以外に手はない。
しかし日本はこの問題で韓国と戦争をするつもりはないのだから、残念ながら韓国の実効支配は半永久的に続きそうだ。
だから竹島問題は日本と韓国ののどに刺さった棘のままだ。
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