(20.5.20) 老眼について
「おゆみ野四季の道」のテーマソング。以下のファイルをダウンロードすると曲が始まります。
「pianotokurarinetto.mid」をダウンロード
自分が老眼になったのを始めて知ったのは、今から15年以上も前の46歳頃のことである。夜半友達とドライブをしていて地図を確認しなくてはならなくなった。
しかし室内灯をつけて地図を見ようとしても見えないのだ。
「なぜだ。なぜ地図が見えない」動揺してしまった。
あれやこれやして、最後に眼鏡をはずすと、地図がクリアに見えたときは本当に驚いた。
「俺は老眼になってしまったのだ」
しかし当時の知識として、老眼と遠視の区別が付かなかった。どちらも近くが見えないのだから同じだろうと思ったのである。しかし正確に言うと遠視は近くが見えない病気で、老眼は「見る範囲が狭まる病気」である。
写真の専門用語で視写界深度と言う言葉があるが、その視写界深度が狭まる病気だ。
もともと私は近眼なので、遠くは見えなかたのに老眼になって近くも見えなくなってしまった。それでも当初は近眼の眼鏡をはずすとごく近くが見えたので、10年余りパソコン操作の時は眼鏡をはずして操作していた。
しかしだんだんと老眼も進む。
とうとうごく近くも見えなくなって、パソコン操作ができなくなった。
仕方なく老眼の眼鏡を購入することにした。約5年前の55歳のころの話である。
「お客様は遠近両用眼鏡がよろしいのではないでしょうか」
店員から勧められたが遠近両用眼鏡(近眼と老眼に対応したもの)は価格が高い。私はこおしたことにケチる性格があり、このときも老眼専用眼鏡を購入した。
「老眼専用で結構です」
しかし、老眼の眼鏡と近眼の眼鏡をとっかえひっかえかけるのは本当にわずらわしい。
「少しケチりすぎた。それにしても老眼の眼鏡をかけるなんて俺も年をとった。おじいちゃんじゃないか」
当初私は老眼は進行しないと思っていたが、老眼も少しずつ進行して、そのたびに眼鏡を変えなくてはならない。
しかも眼鏡をいくら変えても見える範囲は少しずつ狭まってくるし、さらに悪いことに細かい字が見えなくなってくる。
このことをいやと言うほど知らされたのは、定年になって放送大学の授業を受けようとしたときだ。
私は数学の勉強に興味があったので、定年になったことを機会に大学の数学の勉強をしなおそうとした。
年間10単位の取得を目指し、都合5万円の支払いをして授業の始まりを待っていた。
「ぼくももう一度大学生になるんだ」
しかし、届いた教科書を見てびっくりしてしまった。B5版の大きさの教科書に文字がびっしりと書き込まれ、私の目ではほとんど判別ができないのだ。
「これじゃ、何も書かれていないのと同じじゃないか」
それでも当初は無理して読もうとしたが、すぐさま頭の芯がじんじん痛んでとても読むどころではない。
「やはり、学問は若いうちにしなければだめだと言うことか」悟った。
かくして1週間で勉強を諦めた。
考えてみたら、私が本を購入する時の選択基準が文字が大きく、行間が空いていることだから、大学の教科書のようなものは絶対に不向きだ。
60歳でも放送大学の授業を受けている人はいるが、よほど目が丈夫なのだろう。
以来、細かい字が書かれた教科書を読むようなことは一切していない。
「仕方ない。老人老い易く学なりがたし」だ。
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