(20.5.16) 中国は普通の国になったのか
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今回の四川省で発生したM7.8の大地震に対する中国政府の対応を見て「中国もようやく普通の国になったのか」と感慨深かった。
災害発生を知ると、温家宝首相を本部長とする地震災害対策本部を直ちに設置し、首相自らも現地に飛び、災害復旧の陣頭指揮を執っていた。
すでに1万人以上の死者が判明し、これからもどのくらい死者が増えるかわからない大災害に対し「一分一秒を争って人名の救助に当たってほしい。われわれは災害を乗り越えることを信じる」と温家宝首相は言っていた。
村山首相の阪神大震災のときの対応を知ってるだけに、温家宝首相のこの対応は実に立派なものだと思わず目頭が熱くなった。
しかし、過去において中国政府の対応はまったくこのようなものではなかった。
従来は災害が発生すると、直ちに報道管制を引き、外国メディアは勿論、国内メディアさえ災害の実態を放送させず、被害状況を実際よりはるかに小さく見せて公式の発表をするのが普通だったからである。
「今回の災害は大規模なものでなく、人民の被害もない」
特に私が今回感銘したのは、中国政府が始めて国民全員を救おうとしたからだ。いままでは中国には共産党幹部・人民解放軍とその他の人々がいて、国民とは共産党幹部・人民解放軍だけをさしていた。
だからその他の一般の人がいくら死亡しても、人的被害はゼロと発表してはばからなかった。
その他の一般の人は国民ではなかったのである。
しかし今回温家宝首相は、災害現場で自らハンドマイクをもって「あなたがた全員を救助する」と崩れ落ちた瓦礫に向かって叫んでいた。
「中国もようやく国民の命を大事にする国になったんだ」
日ごろ中国に対して批判的な娘も、瓦礫の中から小学生が助け出されるシーンを見て手をたたいて喜んでいた。
中国が今までいかに人命を軽視し、人権のない国だったかは歴史的に検証できる。
1950年から3年間、朝鮮半島で朝鮮戦争が勃発したが、このとき中国は中国人民義勇軍を派遣して、国連軍の主流アメリカ軍と戦った。
このとき中国側の死傷者は約90万人と言われたが、そのほとんどが毛沢東に降伏した蒋介石国民党軍の元兵士だった。
毛沢東はこの厄介な国民党元兵士を前線に送り、その後方に人民解放軍の銃殺部隊を配置して、逃げてくる国民党軍元兵士を銃殺した。
そおして、元国民党の兵士の在庫一掃を図った。
あの、アメリカ軍に雲蚊のごとく襲い掛かった中国人民義勇軍とは、後退すれば銃殺されるため、前にしか進めなかった元国民党軍の兵士だったのである。
1960年代後半から、1979年代前半まで吹き荒れた文化大革命では、約1000万人の国民が、走資派として粛清され殺された。
もともとは大躍進政策の失敗で権力の座から滑り落ちていた毛沢東が、紅衛兵を利用して権力の再奪取を図ったものだが、人を殺すことに一切躊躇をしていない。
「走資派は一人も生かしておくな。あいつらは人間でない」紅衛兵の標語だ。
1989年の天安門事件では、完全に報道管制を敷いた後、関係した学生を根こそぎ殺害したが、その数は数万人と言われているものの、歴史の闇だ。
チベットでは共産党支配に反対するチベット人を数十万人単位で殺害して、今に至るチベット問題の遠因となっている。
これだけ人命を軽視してきた国が今回は報道管制も敷かず、また災害の様子を外国メディアに一切隠すことなく、全世界にありのままの真実を伝えている。
温家宝首相も国民を助けようと必死だ。始めて中国政府は、共産党員や人民解放軍だけでなく国民全員を助けようとしている。
「中国もやはり変わってきたのだ」私はひどく感銘した。
北京オリンピックを中国で開催することは成功だったのだと思う。
中国は世界から見られている存在であることを意識して行動し始めた。少なくとも政治の指導者はそのように行動するようになった。
中国政府が今回始めて見せた、国民の命を大事にする姿に私は胸を打たれ、思わず涙が流れた。
「中国も変わってきたんだ」
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