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(20.5.15) 日本は食糧確保ができるのだろうか

 おゆみ野四季の道」のテーマソング。以下のファイルをダウンロードすると曲が始まります。
 「pianotokurarinetto.mid」をダウンロード



 ひどいことになってきた。トウモロコシ大豆小麦といった基礎的な穀物の価格がここ1年でほぼ2倍になってしまった。

 しばらく前までは、穀物は過剰であり、常に値下がりするものと思っていた。
だから農業問題とは『穀物の価格低下で困窮していた農業者をいかに救うか』の問題だったのに、いまや穀物が世界市場で不足しているのだと言う。

 あまりに劇的な変化に世界の為政者は何をしてよいか分からなくなっている。
本当に穀物は足りないのか。単なる売り惜しみではないのか。投機筋の陰謀ではないか

 ことの起こりは06年オーストラリアの旱魃による小麦の大凶作から始まった。
続いてブッシュ大統領07年1月、農民保護と地球温暖化対策の切り札と銘打って『トオモロコシをエタノール原料にするための施設に補助金や税制優遇措置を実施』することにした。
このためトオモロコシは食料でなく燃料になってしまった。

 さらに中国やインドといった従来低開発国と見られていた国が急速に経済成長をとげ、裕福になった人々が豚肉や牛肉を食べるようになった。
豚や牛が穀物を食べ、人間は肉を食べるようになったのだが、直接穀物を食べることに比較すると約4倍程度の穀物が必要になる。

 あれやこれやで世界の穀物生産量は消費量を下回ってしまった。
日本ではまだ米の生産調整を行なっているが、世界的なレベルでは「食糧をいかに増やすかが緊急の課題」になっている。

 特に問題なのが貧しい国で、穀物価格の高騰で本当に食糧を購入できなくなっている。アフリカのサハラ砂漠以南の最貧国では約1億人が飢餓線上にさまよい始めたと言う。

穀物は常に過剰である。だから穀物をエタノール原料にしよう」という前提が崩れてしまったのだ。
ほれみろ。燃料はやはり石油だよ」石油産出国の高笑いが聞こえる。おかげで原油価格はとどまるところをしらない。

 食糧は有限な資源であり無駄ができなくなってきたが、一方日本の食料政策は相変わらず、食糧は無限に入手可能だとの前提の下に実施されている。
日本だけが別世界の中にいるみたいだ。

 たとえば、日本では消費期限問題がかまびすしく、消費期限(おおむね5日を過ぎたお弁当やおにぎりや惣菜は簡単に捨てられている。
こんなものを食べたら大変だ。中毒になってしまう

 しかし本当は「消費期限とは、この期間をすぎて消費者が食して中毒を起こしても製造元は責任を負わないという、免責条件」なのだ。
だから厳密に言えばに、それを過ぎたら自己責任で食べるのはかまわないということだ。

 だが、日本の現状は消費期限が絶対化され、1日でも消費期限が過ぎたものが販売されると大騒ぎになっている。
消費期限を1日オーバーして販売してしまいました」役員が深々と頭を下げている。

 本当に消費期限が1日でも過ぎたら問題があるのだろうか。実際船場吉兆は2週間も消費期限のラベルを張り替えて伸ばしたが、それで中毒を起こした人はいなかった。

 考えても見てほしい。飢餓線上にある人が「これは消費期限が1日過ぎているので、食べるのは止めて餓死しましょう」なんていうはずがない。
日本でも戦中戦後の食糧事情が厳しい時は、食べれるものはすべて食べていたのだから、消費期限など気にする人はいなかった。

 当時は食べれるかどうかは自分の目と舌で確認して食べていた。本当の意味の自己責任だ。

  農林水産省は今年の2月新聞広告を出し「消費期限は安心して食べられる期間で、それを過ぎて食べることはいけない」と言っている。
しかし本来の消費期限の定義からは、消費期限を過ぎたものは、価格を大幅に下げて自己責任で食べるようにするのが昨今の食糧事情からしたらより適切ではないかと、私は思ってしまう。

お客様へ

 本製品は消費期限を○○日過ぎておりますので、定価の1割で販売しております。本製品を購入して中毒等が発生しましても製造元は責任を負いかねますので、お客様の自己責任により購入をお願いいたします。
そのために、臭い、品質等について必ず確認後購入をお願いいたします


どうだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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評論 日本の政治・経済」カテゴリの記事

コメント

まったく同感です。
船場吉兆の件でも同じように感じました。
こちらは「ごまかし」が問題なのであって、
使いまわしはやりようによっては「あり」だと思います。
世界という視点からすれば、
「あまっているところから、足りないところへ」
の考えは、今後必要になってくると思っています。
というのも、例えばデコレーションケーキなどは、
家庭において、等分して仲良く食べます。
地球的に言えば、人類は家族の様なものですので、
等分してもさほど突拍子も無い考えとは思っていません。
但し、食品となれば、鮮度(本当に食べられる期間)の問題がありますから、運搬時間の問題はありますが。

(山崎)賛同していただいてとても嬉しいです。

投稿: チャリ会 | 2008年5月15日 (木) 15時51分

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