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(20.5.10)ネコババはまずいけれど

おゆみ野四季の道」のテーマソング。以下のファイルをダウンロードすると曲が始まります。
 「pianotokurarinetto.mid」をダウンロード



 ネコババはまずいけれど、それ自体は正しい行為なのではないかと思ってしまった。
船場吉兆の「残った料理を別の客に出した行為」である。

 私は従来から、高級料亭での食べ残しの問題を不思議に思っていた。通常高級料亭に来るような人はがつがつと料理を食べない。少し酒を飲んで食べたいものを少しつまんでおしまいだ。

 高級料理などほぼ毎日のように食べているので食傷ぎみだし、ほとんどの人が糖尿病メタボに悩んでいる。だからまったく箸を着けずに残された料理が山のように出てしまう。

いったいこれを全部捨ててしまうのだろうか。こんな高級な食材でしかも料理人が精魂こめて作ったものを、ただ一回並べたと言うだけで捨てていいのだろうか」不思議に思っていた。

 マアタイさんが「もったいない」という言葉を日本人に再確認させてくれたが、これなどは「もったいない」の極致みたいなものだ。
たとえば家での食事であったら「まあ、お父さんたらまた食べないの。それ、残しておいといて。あとで私がたべるわ」とかみさんが言うところだ。

 特に最近は食糧問題がかまびすしい。フィリッピンではベトナムからの米の輸入が途絶えてパニックに陥っていたし、アメリカでもウォルマートで米の販売制限をしていた。
ミャンマーではサイクロンの被害で餓死者が続出だ。

 食料は限られた資源なのに、ただ並べたと言うだけで捨て去る行為は、世界の食糧事情から見たら犯罪行為のようなものだ。

 だから船場吉兆の「残った料理を別の客に出した行為」そのものはなんら非難には当たらないと思ったのである。
非難されるとしたら、この行為を客に知られないように実行し、料金をネコババしたことで、それさえなければ船場吉兆のこの商法は時代の要請にマッチした実に先端的な取り組みだと評価されたはずだ。

 船場吉兆は以下のように宣言していればよかったのである

船場吉兆は全世界の食料事情にかんがみ、食材を有効に利用することを宣言いたします。

 お客様が一切箸をつけずに残された料理を他のお客様のご了解の下に食していただきますが、その場合これによって得られた収益金は全額ユネスコ等の国際機関に寄付いたします。

 その際協力いただいたお客様の氏名をもって寄付行為をいたすことを約束いたします。

 船場吉兆といたしましては食材を無駄に使用し、世界の食糧事情を悪化させるよりはマアタイさんの精神にかんがみ『
もったいない』行為をしないことで、社会的使命を全うしたいと考えております。

 なにとぞお客様のご理解とご協力を賜りたく、お願い申し上げます」

エコロジー船場吉兆

 
 高級料亭
に来るような人は、ほとんどが日本のエリートであり、社会的使命に敏感な人が多いから、きっと協力者が多いのではないかと思う。
実際日本ではあまりに多くの食材が無駄に捨てられており、こおした行為をやめるだけでも世界に貢献できるのだから、大いに推奨すべきではないだろうか。

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