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(20.4.10)悲しみのなかで

おゆみ野四季の道」のテーマソング。以下のファイルをダウンロードすると曲が始まります。
 「pianotokurarinetto.mid」をダウンロード



 最近これほど悲しい事件を聞いたことがない。
青森県八戸市で、母親が小学校4年生の息子を、電気コードで首を絞めて窒息死させた事件だ。

 殺害された西山拓海(たくみ)君 9歳は、全校生徒4名の小さな小学校に通っていた。拓海君が住んでいた美保野地区は八戸市の中心部から約10km離れた、荒地が広がる過疎地だそうだ。

 もともと荒地だった場所に、戦後まもなく27名の入植者がはいり、懸命に開墾した開拓地だったが、経済成長の波に取り残され再び過疎の村になっていたらしい。
昭和64年81人いた児童数が、事件が起きたときは4名になっていたのだから、この20年間に一気に過疎化が進んだことになる。

 西山拓海君は実に母親思いの少年だったようだ。拓海君が小学校2年生の時に書いた詩が残っているが、あじわい深い詩だ。母親を心から愛していたことが誰にでも伝わってくる。

おかあさん

おかあさんは どこでもふわふわ
ほっぺは ぷにょぷにゅ
ふくろはぎは ぽよぽよ
ふとももは ぽよん
おなかは 小人さんが トランポリンをしたら
とおくへとんでいくくらい はずんでいる

おかあさんは とってもやわらかい
ぼくがさわったら あたたかい 気もちいい
ベットになってくれる

 小学校2年生でこれだけの表現力がある子供はすくない。「ぷにょぷにゅ」「ぽよぽよ」「ぽよん」というやわらかさを表現する言葉は実に新鮮だ。
この詩は土井晩翠を記念した「晩翠わかば賞」で佳作になっていた。

 拓海君は詩だけでなく、作文でも突出した能力を示していた。昨年の児童作文コンクール文部科学大臣奨励賞を受賞した「ぼくは、ガーデニング王子」も実にいい。

ぼくは、今、畑の世話にむちゅうです。ぼくの畑からは、命がぴょこんと毎日生まれます。くわとスコップで一生けん命作った畑は、ぼくの自まんです」から始まるこの作文は、祖父の荒れた農地の一角に自分の畑を作り、朝市で買ってきたトマトやイチゴを懸命に育てている拓海君の姿を生き生きと描写している。
拓海君は「ガーデニング王子」になりたかったのだ。

 拓海君を殺害したとされる母親の美紀(みき)容疑者は30歳だというから、20歳前後で結婚したのだろう。結婚した相手の男性は定職を持たず、生活が苦しかったため、5年前に離婚して八戸の実家に戻って来たという。

 結婚については父が反対していたというから、必ずしも祝福された結婚生活ではなかったはずだ。
おそらく美紀容疑者は、荒れた農地しかないこの土地を一刻も早く離れたかったのではないかと想像されるが、あこがれた東京生活は期待したものではなかったようだ。

 夢破れて傷心の心で戻ってきたこの母親の心に何が起こったかうかががい知ることはむずかしい。
拓海君を殺害した理由を母親は「収入なく将来が不安」だったとしか語ろうとしないからだ。

 美紀容疑者拓海君との関係は、深く愛情に満ちていた親子関係だったことが拓海君の残した詩や作文からうかがい知れる。
学校の下校時間になると美紀容疑者拓海君は手をつなぎスキップしながら楽しげに帰っていったという。

 それゆえ、母親を心から愛していた少年、ガーデニングの王子になろうとした少年が、このように死ななければならなかった運命が痛ましすぎるのだ。
なぜだ、貧しくとも生きていけたのではないか
誰もがそう思うだろう。

 この感受性豊かな少年が、9歳でこの世をさってしまった理不尽さに、私は呆然としてしまった。そして止めどもなく涙が流れ、思わず嗚咽した。
あまりに悲しすぎるじゃないか。こんな人生があっていいのだろうか

天国に菜園はあるのだろうか。あってほしいと思う。拓海君がなりたかったガーデニングの王子になってほしい
今はそお思うだけだ。

 


 

 

 

 

 

 

 


 

 

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