(20.3.20)筆談
「おゆみ野四季の道」のテーマソング。以下のファイルをダウンロードすると曲が始まります。
「pianotokurarinetto.mid」をダウンロード
おゆみ野春の道公園で不思議な人を見かけるようになったのは、2ヶ月ほど前からである。かなり年配の女性だが、いつも春の道公園の遊具を使用して、懸垂や腹筋、バランス運動、腕立て伏せを行なっている。
とても熱心にしているので感心して声をかけた。、私はスポーツ好きな人を見るとどうしても声をかけたくなる。
「ずいぶん、熱心にトレーニングしてるのですね」
相手の女性はきょとんとして、しばらくしてから「ワタシハ チュウゴクジンデス」と言う。どうも日本語はそれ以外知らないらしい。
私も若干驚いたが、唯一知っている中国語で「ニー ハオ」と挨拶してその時は別れた。
ところがこの女性Aさんの運動時間と私の清掃活動の時間がぴったりとあうらしく、ほぼ毎日顔をあわせることになった。
そうなると「ニーハオ」だけでは物足らない。Aさんは中国語で何か言っているのだが、こちらはさっぱり分からない。仕方ないのでこちらは日本語でとりあえずしゃべることにした。
「今日は、本当に暖かですね。もうすぐさくらも咲きそうだ。あなたもお元気そうで何よりだ」
互いに何をしゃべっているのかはちっとも分からなかったが、最後はハイタッチをして別れることが続いた。
言葉が分からない時はボディーランゲッジしか手はない。
ある日、クリーンクラブのカモシカ姉さんと四季の道で立ち話をしていたら、ちょうどAさんが散歩しているところにであった。
互いに精一杯の笑顔で挨拶をかわす。言葉が分からなければ笑顔が武器だ。
「この方は中国の方なんですよ」とカモシカ姉さんに紹介したら、カモシカ姉さんは私よりはるかに多い中国語の単語を並べた。
カモシカ姉さんのご主人は中国との商取引のために中国にしばしば訪れており、カモシカ姉さんも同伴することがある。
だからカモシカ姉さんは簡単な中国語を数語知っている。
Aさんは会話の取っ掛かりができたとすっかり喜んで、地面の上に私の持っていたゴミバサミで文字を書き始めた。
「そうだった。中国人とは漢字で意思が通じるんだ」
明治時代、宮崎滔天(とうてん)と日本に亡命中の孫文が筆談で会話を交わしていたことを思い出した。
しかし明治人は正確な漢文の素養があったが、残念ながら昭和人の私はそれほどの素養はない。かろうじて分かると言う程度だ。
ようやく「Aさんは中国の東北部瀋陽から来ているのだが、娘さんが日本人の男性と結婚し、このおゆみ野に住んでいる。
Aさんは日本にはほぼ3ヶ月間滞在し、また中国に帰る」ということが分かった。
正直言うと筆談をしている時はこのように明確に分かったのではない。たまたまカモシカ姉さんがこの女性に誘われて自宅まで行き、そこで娘さんにあって詳細な内容が分かった。
この娘さんは高校で中国語を教えているが、実に流暢な日本語をしゃべる。
Aさんが20日には日本を去ると聞いて、カモシカ姉さんと3人で送別会をしようと計画したのだが、具体的な話はさっぱり通じないのでこの計画は諦めた。
仕方なくちょっとした餞別をあげることにした。
今日(19日)、カモシカ姉さんと私とかみさんの3人で、Aさんの娘さんの家を訪れた。
とても瀟洒で家で、内部は中国風の置き物が飾られおり、一般の日本人の住宅とは一味違っている。
実はAさんに今日の早朝会ったとき、午後訪れることを筆談で伝えたつもりだったが、理解されていなかった。
「家に来るのか、家に来いと言うのか分からなかったが、分かったふりをしたの」と言われた。動詞が明確でなかったらしい。
「やはり、俺の漢文の知識はその程度か」納得した。
しかしAさんも娘さんも大変喜んでくれて、実に楽しいひと時を過ごせた。またAさんは瀋陽ではマイナス20度のなかで寒中水泳をしており、それをパソコンで見せてくれた。なかなかのものだ。
ときどきこうした国際交流をするのはいいものだとしみじみ思った。
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