(20.1.21) 失敗記 その11
「おゆみ野四季の道」のテーマソング。以下のファイルをダウンロードすると曲が始まります。
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ひどい状態になってきた。自動車の運転がまったくできなくなってきたのだ。
(自動車運転の巻)
私は日常ほとんど運転をしない。年に2~3回がいいところだったが、ここ1年まったく運転をしなかった。
ところが先日(19日)、かみさんから資源ごみを回収場所まで運んでほしいと依頼された。新聞紙の包みが10袋、それに衣類を入れたビニール袋が一袋である。
回収場所まではおよそ200m程度だが、新聞紙の包みは一つ当たり4kg程度ある。
「こりゃ、ちょっと重そうだ。何回も手で運ぶのはしんどそうだ」
仕方がないので久しぶりに自動車で運ぶことにした。
「おとうさんは運転できるの」かみさんが心配そうに言う。
「免許暦、40年のベテランだ」みえをきった。
ところがいざ自動車を運転しようとしてびっくりした。どちらがアクセルかブレーキか分からないのだ。
代わりばんこに動かしてみてようやくアクセルとブレーキの区別がついた。
「ああ、そうだ。大きいほうがブレーキだ」
次に足の置き方が分からない。
とりあえず右足をアクセルに乗せ、左足をブレーキに乗せてコントロールしようとしたら、足への指令がちぐはぐになって、動くのだか止まるのだか分からない状態になってしまった。
急発進、急ブレーキもいいところだ。
朝早く誰も通らないからいいようなものの、もし人がいたら大変だ。
ようやくアクセルとブレーキを右足一本でコントロールしていたことを思い出した。
「ああ、そうだった。アクセルとブレーキは右足の操作だった」
ここまでくるのに5分以上かかっている。
ようやく自動車は動き出し、資源ごみを回収場所においてきたが、今度は車庫に入るのに一苦労だ。
以前は一度でできた車庫入れを、何度も出し入れしてようやく入った。
「こんなところをかみさんに見られたら何をいわれるかもしれない。やれやれだ」
ところが、こんどはどうしても鍵が抜けない。ヒア汗が出てきた。
「なぜだ、なぜ鍵が抜けない」
かみさんのいやみが頭をよぎった。
「やはりお父さんは認知症ね。病院にいったら」
こおいうときは娘に助けを求めるに限る。娘はかみさんと違って皮肉をいわない。
寝ている娘に懇願して、かみさんに知れないように自動車を見てもらうことにした。
「おとうさん、ギアはパーキングになっている?」
「もちろんだ。そんな初歩的なミスはしない」見栄を張った。
「おとうさん、これギアがニュートラルよ。これじゃあ抜けないわ」娘があきれている。
信じられないことに、私はパーキングとニュートラルの区別がつかなくなっていた。
「おとうさんはこうした時・・・いいい・・・頭が真っ白になるから・・・そお・・大きく深呼吸してもう一度見るの」娘にたしなめられた。
小学生並だ。
しかし、本当にどうしたらいいのだろう。1年ですっかり運転を忘れてしまっている。
時々運転をすればいいのだが、私の生活の中で運転をする機会はほとんどない。
移動は歩くか、走るか、自転車だ。
かみさんから「認知症だ」といわれるくらいなら、一生自動車の運転をやめたほうがいいのではないかと思っている。
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