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(20.1.11)1周年記念

 今日お祝いの日だ。なにしろこのブログを毎日更新するようになってから、ちょうど1年が過ぎたのだ。一人ではしゃいでいる。

 実は立ち上げそのものは18年11月だったが、しばらく記事の掲載をしなかった。何を書いていいのか分からなかったからである。
それを19.1.11以降毎日更新できるようになったのは、清掃活動を通して、このおゆみ野の街を世界で一番美しい街にしようというコンセプトができたからである。
そして一年たったのだ

 やはりブログのようなものは何かキーになるものがないと毎日書けるものでないらしい。
その後私の趣味であるマラソン登山写真、および里山整備等の記事を加えながら今日まで来ている。
おかげでカテゴリー30にもなり、自分でも管理するのが大変だ。

 掲載されるブログの内容は毎日自分が実施したり参加した行事の報告であり、日記みたいなものだが、これは私が具体的な内容を好み、抽象的な思索を苦手とするからである。

 実は私は学生時代に日記を書いていたのだが、読み返してみると「愛とは何か」とか「死とは何か」いう内容はまったく面白みに欠けるが、日常的な事実を記載した日記には感動した。当時の自分がよみがえって来る。
以来、日記を含め文章はできる限り具体的に書くことにしている。

 またブログの中に会話が多いのは、かつて私がシナリオライターとしてのトレーニングをしていた時の、昔取った杵柄(きねづか)のようなものだ。

 ありがたいことに私のブログは読みやすく分かりやすいといわれているが、これは会話を含め、文章を絵画のように書こうとしているからだと思っている。

 話方にもその特徴が出ているらしく、在職時代「山崎さんの話は、起承転結がはっきりしていて、そのままで文章になる」とよく言われたものだ。
もっとも職場での会話はわざと相手の理解を妨げて煙に巻く必要がある場合があるのだが、そのような時は「問題点の所在がはっきり分かりすぎて」反対者から格好の餌食にされて苦慮したものだ。

 もう一つ言えば、教育者としての素質もあったらしく、教え方が非常に上手で分かり易いといわれてきた。
先生になっていれば才能を発揮できたかも知れないと思うと残念だ。

 私の場合はブログを書くときも、話をする時も、何かを教える時も分かりやすさをもっとうにしているので、そうした評価がされるのだと思う。
もっとも細部のディティールを犠牲にするので、細部をこだわる人からはラフな人間に見られてしまうのは止む終えない。

 いづれにしても1ヵ年あまりブログを継続できたのは、読者に支えられたからで慶賀に耐えない。
昨年の今頃はこのブログを見ている人は私一人だったのだから隔世の感がする。
ブログ仲間もおのずと増え、互いに切磋琢磨する機会も増えた。
これからも多くの仲間に支えられながら、このブログの成長を図って行きたいと思っている。
(なお、グリーティングカードを送っていただけるととても嬉しいのですが


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ただし、この評価への参加は、過去5回以上このブログを見た人にお願いします。

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