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(19.10.31)ムクドリの研究

 ひと頃鎌取駅前の駐輪場(ジャスコ側)で、ムクドリの集団ケヤキの木に集まり夜のねぐらとしていたが、今はまったくいなくなってしまった。

 ムクドリの集団が集まっていた頃はフン公害がかまびすしく、特に商店が近くにあるケヤキの木の枝を切って、ねぐらをなくす措置をとっていたが、あの騒動はなんだったかと言うくらい静かになっている。

 駐輪場の自転車の上にも白いフンが大量に落ちていたので、それを自転車の持ち主がティッシュで拭いて捨ててあったが、あれほど大量に捨ててあったティッシュもなくなった。

 実はムクドリが集団で駐輪場近辺のケヤキの木に集まるのは季節性があり、夏場と決まっている
正確ではないが7月頃から集まり始め、9月末を過ぎるとどこかに消えてしまう。
したがって今まではしばらく我慢していればフン公害が収まるので、あえてねぐらのケヤキを切るようなことはしていなかったが、今年は店が増えたり駐輪場を設置したりしたため、フン公害が騒がしくなった。

 ムクドリケヤキのような高く枝が密集している木に集まって寝るのは、カラスのような天敵から集団で身を守る習性から来るようで、また夏場を過ぎるとどこかに移動するのも習性である。

 それにしてもどうも人間は我慢強さがなくなってきたらしい。少し待てばどこかに消えていくのに、市に「ムクドリのフン公害をなんとかせい」とねじ込むらしい。
緑土木事務所は已む無く、ねじ込まれたあたりのケヤキの木の枝を伐採するが、ムクドリは残っているケヤキの木に移るだけで、フン公害が移動するだけだ

 私も過去何回かフンを頭や肩に落とされた経験があり、なんともなまあたたかなグニュとした感じでその時は驚いたが、所詮その程度のことであり我慢の範囲内だ。

 自然との共生と割り切ってケヤキの木などは切らない方が賢明と思うがどうだろうか。


ムクドリがねぐらとしていたケヤキの木の写真です。http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/191030


ムクドリについてはWikipediaの以下の記載が参考になります
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AF%E3%83%89%E3%83%AA

ムクドリ対策として一部のケヤキの枝を切りましたが、この是非についてご意見をお聞かせください。 

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(19.10.30)守屋前防衛事務次官のゴルフ

 とても不思議な気がしている。山田洋行元専務が行ったゴルフ接待の頻度が多すぎるのだ
毎日新聞によれば「山田洋行側に記録が残る2001~05年では、多い時で月4回、年間30回に達した」(19.10.29)という。

 これでは毎週ゴルフをして、そのあとで賭けマージャンや、飲食を山田洋行の専務としていたことになる。
週末になると、防衛事務次官は、ほぼ一日中遊んでいるんじゃないか
それで日本の防衛は問題ないのかという疑問である。

 小池前防衛大臣が「守屋氏を解任する理由は、電話をしても出ず、これでは危機管理体制が取れているとはいえない」といっていた。
当初私は守屋氏がわざと電話に出ず、小池前防衛大臣に情報が行かないよう情報操作をしていたのだと思っていたが、とんだ勘違いだった。

 ゴルフでパーであがれるかどうかで緊張していたり、賭けマージャンで満貫を振り込むのではないかと頭がいっぱいになっていたり、カラオケで自慢の歌を歌っている最中だから出られなかったのだ。

 しかし防衛事務次官がこんなに遊んでいても問題がない日本の防衛とは何なのだろう。
北朝鮮のミサイルや原爆問題、イスラム原理主義者によるテロの危険性、そうしたことを日夜聞かされ、それゆえ防衛は必要だと思っていたが、あれは単なるプロパガンダだったのだろうか。

 なにより守屋氏が小池前防衛大臣との緊急連絡網を切って遊んでいたのだから、守屋氏は「この日本に緊急事態など存在しない。少なくとも好きなゴルフを途中でやめなければならないような緊急事態は存在しない」と認識していたことは確かだ。
防衛省の天皇とまで言われ、4年間にわたって防衛省に君臨してきた守屋氏の現状認識がそうなら、それはもしかしたら正しい判断なのではないかと思ってしまう。

 実際は北朝鮮問題も、原理主義者のテロも防衛省が予算獲得のために必要なので、予算さえ確保できれば「後は、君、ゴルフとマージャンだよ」といことのようだ。

 本日(29日)守屋氏の証人喚問が国会で行われた。見た限りとても誠実な人柄に思われた。主として業者との癒着がとりあげられており、ゴルフを業者と100回以上した事について「倫理規定違反であり、抗弁の余地はない」と責任を認めていた。
一方で「ストレスの発散のために必要だった」とも言っている。

 おそらくストレスはゴルフやマージャンの時が最高で、日常の仕事は予算獲得が済めば何もストレスを感じなかったから、「せめてゴルフとマージャンで緊張した生活をしたい」ということなのだろう

 それにしても「防衛事務次官が遊びほうけていても問題のない防衛問題とは何か」である。
小池前防衛大臣は、「この国には危機管理体制がない」と言ったが、正確には「危機管理体制なんか必要ない」と言うことのようだ。

 もう一度言うが、防衛事務次官が、一部のそれも必ずしもメインでない企業の専務と一日中遊んでいて、かつ、どこにいるかも知らせなくても4年間も問題が発生しなかった国である。

 なんと平和な国であろうかとつくづく思ってしまった

守屋前事務次官のゴルフについて意見を求めます。

 

 

 

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(19.10.29)ちはら台走友会のサンライズLSD

 ちはら台走友会の恒例のサンライズLSD(マラソン)27日28日の両日行われた。
ちはら台から九十九里の片貝海岸近くのサンライズホテルまでの36kmを、行きは全員帰りは希望者が走るマラソンで、5回目になるという。

 私は今回始めて参加したが、27日は台風が接近しており、あいにくの大雨だった。10時にちはら台のスーパーマーケットの前に落ち合い、決行すべきか否かの打ち合わせが行われたが、少々の雨で取りやめでは走友会の名が廃る。走ることになった。参加者は10名である。

 マラソンをしたことがない人のために説明すると、長距離走は小雨の時が一番走りやすい。また少々の雨でも雨対策がしっかりしていれば、走るのにほとんど支障はない。ただし大雨になると話が違う。

 27日は台風が接近していた関係で、外房は大雨になってしまった。歩道には水が5cm程度たまって、川の中を走っているみたいになり、トラックなどとすれ違うと、はねた水しぶきがシャワーのように降りしきる。
また、運転手の立場になれば、豪雨のなか、歩道のない道路の脇を人が走っているとは想像しがたいはずだ

 会長のYさんは何とかして最後まで走リたいようだったが、マラソンを途中で断念した。
当初の本納から白子に行くルートを変更し、より安全と思われた大網から大網街道経由で九十九里浜に行くルートを模索していたが、雨はますます強くなり、結局12km程度残して中止になった。

 雨は強いだけでなく氷雨にかわり、実際走っている間はなんともなかったが静かにしていると凍えるような寒さだ。サンライズホテルまではサポートカーに相乗りしていったが、ホテルで水泳をしたり風呂に入ってようやく生き返った。

 翌日(28日)は抜けるような快晴になった。台風一過の好天だ。前日消化不良の大会になったため、ほぼ全員が帰りも、ちはら台まで走ることになった。ルートはやや短縮し、30km弱のランになった。ただし基本は自由行動である。

 まっすぐ大網街道を遡るルートだが、大網から昭和の森の間は歩道がなく、かつ道幅が狭いのに自動車の量は多いと言う最悪なルートだ。
全員このルートを走ったようだが、私はここを避けるため昭和の森の下にある小中池へ向かう農道に入った。さらに昭和の森を横切り、チバリーヒルズの横の大通りに入ることができた。
このルートは安全で、景色も良く大網街道の危険とは天と地の開きがある。

 今回のサンライズマラソンの最大の収穫は、九十九里までの安全なマラソンルートを確認できたことだ。これからは長距離ランは九十九里に行くことにしよう。

 一方写真については、残念ながら少ししか取れなかった。カメラが雨にぬれてバッテリーがあがってしまい写真が撮れなくなってしまったためだ。特に台風一過後のサンライズホテルからの日の出は今まで見たことがないくらい美しかったのにバッテリー切れで取れなかったのは一生の不覚だ。

数少ない写真を掲載します
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/19102702

 

 

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(19.10.28)若さの研究

 実はこのことを記載するのは長い間躊躇してきたのだ。
奇抜すぎるし、人に紹介するのもどうしても気恥ずかしさが付きまとう。
しかし61歳にもなって神様のお向かいがいつ来ててもいい年になったので恥を忍んで公開することにした。

 私がちょうど40歳のとき、「人間はもしかしたら年をとらないのではないか、あるいは年のとり方を遅らせることができるのでかと気付いた
きっかけは、映画「2001年宇宙の旅」である。キューブリック監督の名作中の名作といわれたこの作品で「コールドスリープ」という技術を紹介していた。「体の体温を低下させて眠るとその間生物は年をとらない」という技術であり、言ってみれば熊の冬眠のようなものだ。

 普通の人は、この映画を見て感心するだけだが、私は本格的に「年をととらない技術の習得」に努めたのである。
目標は50歳で自然年齢より10歳若く60歳で20歳若く身体を保つことであり、できるだけ40歳の体力や知力維持する計画だった。

60歳になったとき「どう見ても40歳ですね」といわれれば実験は成功と言うことになる。

 信じられないかも知れないが私はこの実験に本格的に取り組んだ。時間があれば寝ていたが、寝ている間は年をとらないと確信したからだ。8時から寝てかみさんの顰蹙をかってしまった。

 しかしそれだけでは肉体を維持できないので、マラソンや登山のような運動はこれも時間の許す限りおこなった。昼休みは神宮外苑コースを走り回ったものである。
乗り物にはできるだけ乗らず、歩けるときは徹底的に歩くことにした。よく私の職場のあった新宿から本社の丸の内まで歩いていて移動していたので、よく言われたものだ。
山崎さん、歩くのはいいが会議に遅れないでくださいよ

 また、食事もラットの実験にあるように餌の少ないラットほど長生きすると知ったので、食事は1日1回に制限した。さすがに夕方になると飢餓状態になったが、10年程度続けたものである。

 勿論、身体に悪いと言われることは一切しなかった。酒もタバコも一切手をつけず、宴会はできるだけ避けるようにした。
サラリーマンなのに修験者みたいな生活だ。
こおして20年たったのである

 こんなにも努力した結果、その成果はどうだろうか。正直言って成果があったとも、なかったとも言える。
こと体力だけで言うと、先日の夢街道215KMのようなレースを完走することができたし、登山もテントをせおって1週間程度山の中を歩き回ることができる。筋肉はそれなりに隆々としているので、見てくれだけで言えば成果があったといえる。

 しかし一方で、頭ははげてしまい、耳の聞こえは極端に悪く、目は老眼になり、記憶力はどこに行ったのという状況だ。
かみさんからは「首から上が問題なのでは」なんて露骨に言われ、最近では自慢の肉体も坐骨神経痛に悩まされている。

 うぅーん、なんと表現したら言いのだろう。40歳からの20年あまりの実験をどう評価すべきだろうか。
帽子をかぶり、ランニングスタイルのときは40歳だが、それ以外は老人だと言うのだろうか。

 これは私のことを知っている方に実験の結果を判断してもらおう。なお、私のことを知らない方は投票をご遠慮ください。

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(19.10.27)陸ガメの研究 その2

 陸ガメと共同生活するようになって一番悩まされるのは、ウンチチッコの世話なのは犬と変わらない。
ウンチについては食べる量に正確に比例し、夏場庭に放して芝生等を食べた時は1日に数回もする。一方食事の量が減る秋口になると2日に1回とか3日に1回とかになる。

 チッコについては主食が植物だからのべつ幕無しと言うところがあって、特に急に抱き上げると緊張して放尿するところは人間と同じだ。

 問題なのはそれをどこでするかだが、亀ゴンはケージの中でしかしないとても行儀がいいといえる。長い間ケージの中だけで育てられたのが原因かどうか分からないが、庭やテラスではまずすることがない。

 当初ケージには何も敷いていなかったが、長い旅行をして世話ができなくなるとチッコの中で歩き回らなくてはならなくなるので、娘と相談してスノコを敷くことにした
さらにケージの一方に端に座布団ヒーターを敷いて傾斜をつけたので、チッコは一方の端にのみたまることになった。
これでチッコの湖から逃れることができた。

 ウンチについては見つけた都度処理しているが、時に手遅れになることがある。そおした場合、手や甲羅にウンチをつけて歩き回っているので、夏場は水道水、寒くなってからは温水で洗ってやる。
亀は人間より長生きするはずだが、衛生環境が悪いと早死にしてしまうので、ケージの中は常に衛生環境が良いように気をつけている。

 前に河川に捨てられた亀の甲羅にカビが生え、甲羅がふにゃふにゃになっていたという記事を読んだことがある。甲羅がフニャフニャになると表面からはがれて、裸の亀のようになるらしい。
幸い我が家の亀ゴンの甲羅は硬く、てかてかに光っていおり、実に亀らしい亀だ。

 亀の健康状態のチェックは① 甲羅の硬さ ② 皮膚の適度な湿り気(からからの場合は動物性の食品を与えなければならない)、それと③ パッチリとした目(調子が悪いと目がはれると ④ 足腰の強さ、こおしたことに問題がなければ、後は適度に食事を与えるだけで何時までも生きていそうだ。

亀ゴン、私が死んだ後は娘がお前の面倒を見ることになっているよ
私は亀ですので、先生や娘さんのおかげで22世紀まで生きれるかもしれません。その時は先生の一生について伝記を書きましょう

どんな風に書くのかい
マラソンと清掃活動がすべての人生で、特に四季の道の清掃だけは一生行ったというのはどうでしょう

女性に愛されたと言うのも入れてくれないか
亀とツツジのアイドルだったというのが限界で、人間の女性は少し難しいのではないでしょうか」

陸ガメ「ケヅメ」について知識のある方からの情報をお待ちしています。そおした情報等を集めてこのシリーズを充実したものにしたいと考えています

スノコと座布団ヒーターの写真を掲載します
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/191027

陸ガメを飼われているか、陸ガメに興味をもたれている方が、以下の質問に答えていただけると幸いです。

 

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(19.10.26)陸ガメの研究 その1

 我が家に陸ガメ亀ゴンがやってきてほぼ半年が過ぎた。亀ゴンの世話は私が主として行っており、いつも私の横にいるので陸ガメの生態について知見も増えた。

 当初亀ゴンは体重が3kg程度で我が家にきたが、今では4.5kgになって身体が一回り大きくなった。体長は頭まで入れると35cmだが、餌を与えるとどんどん大きくなり60cm程度には成長するのだと言う。
娘から「あまり大きいと世話ができなくなるので、餌は控えめにあたえて」と言われているが、つい餌を与えすぎる傾向がある。

 我が家に来る前までは、ほとんどケージの中の生活だったが、ここでは芝生ベランダで遊ばしているので足腰も非常に丈夫になり、暖かい日は走り回っている。
呼べば飛んでくるところなどは犬と同じだ。

 種類は「ケヅメ」といい中央アフリカが原産のため、寒さには特に弱い。人間の温度感覚より5度程度低いらしく、気温が30度くらいの時、陸ガメは25度程度に感じているらしい。
20度以下では寒いのか動きが極端に悪くなる。同時に頭の回転も悪なってほとんど反応しなくなる。頭も身体の一部らしい。

 最初一番悩んだのは食事で、この亀の前の所有者からはレタスをやってほしいと言われたので、レタスだけを与えていたがこれは間違いだったようだ。
亀は基本的に雑食性で人間とほとんど変わらない。人間の食べるものなら何でも食べるが、主として植物性の食品を食べると言うのが正解で、動物性食品をたまにはやらないと皮膚が老人のように干からびる。

 現在与えている食べ物は、レタスキャベツ小松菜バナナりんごなしゆで卵焼きシャケ、ウインナーソーセージ等で、動物性の食物は週に1回程度、頭がからからになったら与えることにしている。

 10月に入り朝晩の寒さが厳しくなってきたので、寒さに弱い亀ゴンのために娘が亀用のちゃんちゃんこを作った。よく犬が胴体に巻いている服と似ている。
少々寒くても晴れていればちゃんちゃんこを着せてベランダに出している。これで寒さを防げるらしい。

 夜は座布団ヒーターをケージの下にひいて、上からは毛布をかけてやると静かに朝まで寝ている。
毛布をはがすこともなく、中で丸まっているだけだ。
亀は狭いところにもぐる習性があるので、毛布がちょうど穴倉のような役目を果たすらしい。

 亀の性質は非常におとなしく、また人になつくし、しぐさはとてもかわいらしい。バナナなどは口を大きく開けて催促するので、舌の上に載せてやると器用に食べる。最初噛みつくのではないかと思ったが、舌を出した時は噛みつかないことを知った。

 また亀は思いのほか知能が高く主人が誰かを認識するし、窓を手で開けてベランダから屋内に入ってきたりする。
爬虫類だといって馬鹿にしてはいけないことを知った。

進化の道筋が少し違えば、亀が世界を支配していたかもしれない」なんて亀ゴンを見ながらつくづくそお思っている。

陸ガメの生態について知識のある方からのコメントや訂正意見をお待ちしています


陸ガメの生態が分かる写真を掲載しました。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/19102102

陸ガメを飼われているか、陸ガメに興味をもっている方が、以下の質問に答えていただけると幸いです。

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(19.10.25)バンパイアが暴れている

 夜半、おゆみ野四季の道周辺でバンパイアが暴れているらしい。一時期春の道公園周辺で街路灯を壊しまくっていたが、今度は秋の道公園のベンチが壊され、どうのうしろ公園ではスプレーによる落書きがされていた。

 このことを私に教えてくれたのは、おゆみ野クリーンクラブのメンバーのF姉さんで、クリーンクラブの同胞メールに以下の内容が掲載された。

19日の朝、ケーズ電気そばにある秋の道公園のベンチが2基、破壊されていて公園事務所に撤去してもらいました。

20か21日に、イオン工事中の敷地の隣にある、どうのうしろ公園が破壊されたようで(金曜にはゴミが少量あっただけ)、酒盛り跡のゴミやガラス瓶の飛び散り、スプレーによる落書きがいたるところにあり、遊具や木にまでかけられていました。

秋の道公園木の枝が2本折られ、ティッシュがあちこちに飛び散り、ガムの包み紙が大量にありました。(一部、子どもが作るゴミも多くあるようです)
3時間かけて、30リットルゴミ袋3袋と買い物袋に缶1袋、ガラスを1袋拾いました。

 なお、この件については警察と緑公園緑地事務所に連絡をしておきました。おゆみ野地区担当の植木さんが土曜から休暇中とのことで、詳しいメンテがどうなるのかは決まっていませんが、応対の方の話では、おゆみ野地区は破壊が多く、予算がきびしいそうです

 さっそく私も確認をしに行ったが、この時(24日)はベンチはすでにとりはずされ、スプレーの落書きは上からペンキを塗って消されていた。
緑公園緑地事務所は対応が早く、連絡するとすぐに動いてくれてありがたいのだが、このように破壊行動が続くと対応をするだけではすまなくなってきそうだ。

 特に問題なのは火遊びをした形跡が必ずあることで、秋の道公園ベンチの上が焦げていた
また、先日は春の道公園の周りで雑誌を燃やして遊んだあとがあったのをカモシカ姉さんが確認している。

 寒くなると公園に集まって破壊行為や落書きだけでなく、火を燃やす遊びがここ数年続いており、泉谷公園の池の展望台が燃やされたり、そばら公園に隣接した宅地の草が燃えたりしている。

 本当にこうしたバンパイアの乱暴狼藉を何時まで許していいのだろうか、対応策はないのだろうかと思い悩む季節がまたやってきた。

このような乱暴狼藉に対する対応案をお持ちの方がおられれば、コメント等で提案してください


今回の破壊行動の写真を掲載します。なお画面が小さな写真はF姉さんが提供してくれたものですhttp://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/1910241

今回のような破壊行為に対し、どのような感度をお持ちかおたずねします。

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(19.10.24)おみ野の森に人が来はじめた

 先日(19日)、久しぶりにおゆみ野の街山「おゆみ野の森」に行ってみた。8月末に笹の草刈りをして以来である。
平日だったが、年配のご夫婦やご婦人方の集団が散策していて、この森に人が来はじめていることを知った。
以前はほとんど人影を見なかったのだから、喜ばしいことだ。

 笹が生い茂っていた広場も、笹刈りをした結果入れるようになり、道を覆っていた雑草も刈り取られていたので、とても明るい森になった。明るい森になると人が集まって来るみたいだ。
一方、この森の入口付近や、ベンチの周りにはペットボトルや弁当の容器が散乱しており、人が来たら来たで、この森の管理の難しさを痛感させられた。

 昨日(22日)、この森の清掃に出かけたが、意外なことにゴミはきれいに片付けられており清掃の必要がないのにはびっくりした。
ああ、そうか。21日はこの森の定例の活動日だった

 「おゆみ野の森」は毎月第3日曜日をイベントの日としており、おゆみ野周辺の子供達や主婦が参加して、森の観察や「平茸」つくりを実施している。その時同時に清掃もしているらしい。
どうやら今日は清掃の必要はないみたいだ」空振りに終わってしまった。
次回からは、活動日の中間の日ぐらいに清掃に来ればよさそうだ。

 この「おゆみ野の森」は里山林だが、旧公団が購入する以前、定期的に下草狩りが行われ薪等で利用されていた場所と、手がまったく入っていない場所に分かれていたようだ。
そのためか後者ツルやツタで覆われて、50年程度の大木がが絞め殺しの状態になっていた。

 このままではそおした木が全滅しそうだったので、8月の笹刈りのときに、ツルやツタを切断しておいた。今回再確認したが、これでどうやら樹木も生きながらえそうだ。
しかし一方で、すでに手遅れの樹木もかなり存在し、人の手が加えられない里山がいかに荒廃するかの事例のようなところもある。

 今回ツルがいかに樹木に取り付いて絞め殺していくかの写真を掲載したので確認してほしい。

 何はともあれ里山は何度も訪れ、四季の動きを知ることによって初めて里山のよさが分かるようなところがある。
たまたま私は「おゆみ野の森を育てる会」のメンバーなのだから、定期的に清掃をしたり、下草狩りをしてこの森を見守っていくことにしよう。

街山の最新の写真と、ツルが木を絞め殺していく映像を添付します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/19102

おゆみ野近在にお住まいの方で、この「おゆみ野の森」についてどの程度ご存知か教えてください。

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(19.10.23)日本山岳耐久レースの事故

 先日実施された日本山岳耐久レース(長谷川恒夫CUP)で事故が起きたという。小河内峠付近で登山道から約200m滑落し、40歳の男性が死亡したのだそうだ。
このレースは奥多摩の山中を24時間かけて走破する非常な過酷なレースで、距離は約70kmだが、平地換算するとほぼその倍の140km走程度のイメージになる。

 私もこの大会に過去3回出場しており、今年も甲州夢街道215kmに出場していなかったら、このレースに出場する予定でいた。
スタート時間が午後1時であり、この時期(10月20日、21日)は日の暮れるのが5時ごろだから、実際は夜中中奥多摩の山中を走ったり歩いたりすることになる。
夜中のレースにしたのは一般の登山者に迷惑をかけないような時間設定をしたからだろう。

 標高は一番高い三頭山で1500mで、スタート・ゴールの五日市が400m程度だから、標高差1100mを上り下りすることになり、体力的には非常にきつい。

 このレースは夜中山中を走るので事故はつき物だ。
私の場合も最初出場した大会(12年10月)の時は、三頭山のくだりの岩の稜線から足を踏みはずした。幸い約5~6m程度落ちて、木の梢に引っかかって止まったが、頭が下で体が上だったので感覚としては宇宙遊泳の感じだった。
しばらく自分がどうなっているのか分からず、ただ木の梢の中でもがいていたのを思い出す。
今回死亡された方と立場は同じだ。

 2回目に出場(15年10月)した時は、梯子(はしご)状の橋を駆け抜けようとして、梯子と梯子の間に足を突っ込んだ。思いっきりすねを打ったので悲鳴をあげてしまった。タイツには血がにじんできたし、骨が折れたのではないかと思ったが、10分程度倒れていたら痛みが引いたのには心底ほっとしたものだ。

 3回目(17年10月)の時は、長雨で登山道が完全にぬかるみ、ちょうどこしあんの上を滑っているような感覚だった。この時は転ばない方が不思議なくらいで、私だけでなくほとんどの人が泥人形のようになっていた。まともに走れないので急な坂はお尻で滑って下りたものだ。

 今回の事故を受けて、おそらく日本山岳連盟では事故防止のための対応案を検討すると思われるが、私の経験からいくつかの提案をしたい。

 一つ目は出場者数の制限である。私が始めて出場した12年度の時は、1000名を少し越える程度の人数だったが、17年度の時は2000名を越えていた。今回も2000名を越えている。

 人数が多くなると出場者のレベルが相対的に低下し、本来とても出場が無理な人もこの過酷なレースにでてくることになる。
このレースでは今までは出場資格を問うてないが、こんな厳しいレースで事故はつき物なのだから、最低限 昼間のマラニックの経験があるとか、100Km以上の完走の経験がある人に限るべきではなかろうか

 さらに運営面でも2000名は過剰だ。17年度の大会の時、走ってしばらくした登り斜面で渋滞がおこり、雨の中を1時間あまり立ち止まっていなければならなかった。
これでは渋滞を避けるために無理して飛び出すか、渋滞後にスピードを上げて懸命に走ることになる。
いづれにしても体力的に非常な疲弊を強いられてしまう

 二つ目の提案は、靴はマラニック用の物を使用させるべきだと思う。通常のマラソンシューズで参加している人も多いが、山中では底に凹凸があって地面を良くつかむマラニック用の靴でないと危険だ。
特に地面がぬれている時は絶対で、登山道は谷に向かって傾斜しているから、マラソン用シューズでは横滑りして転げ落ちてしまう。

 三つ目の提案はスタート時間の変更である。このレースは一般の登山客に影響の出ないよう、主として夜半に行われているが、やはり無理があるのではなかろか。
通常この主のレースのスタート時間は朝の6時であり、そおすればほとんどの時間帯を明るいうちに走ることができる。
スタートを6時にする場合の問題点は宿泊施設が足らないことだが、スタート地点の中学校や小学校の校庭にテントを張ることを許可してもらえば、宿の問題はほとんど解決するはずだ。

 以上の3点については、今回の事故を教訓に事故防止策として有効だと思うのだがどうだろう。このレースに出場した経験者の意見を聞きたいものだ。

 なお、今回の事故が発生した小河内峠付近は、最大の難所三頭山をようやく越え、コースも半分以上経過した場所なので、体力的にはピークを迎えていたのではなかろうか。
また小河内峠付近は小河内ダムに向かって急斜面が続いている場所であり、危険な箇所ではあることを思い出した。

 

 

 

 

 

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(19.10.22)里山整備第13回合同作業報告

 21日の日曜日は、みやこ会の13回目の合同作業日だった。 この日は、都川源流の調節池近くに住んでおられるAさんご夫婦が新たに参加してくれ、11人のメンバーが参集した。

 Aさんご夫婦は「この森がどんどん美しくなっていくので、誰が整備しているのか、とても気になっていたのだという
たしかに地面を覆っていた笹は一部を残して刈り取られ、木に巻きついていた蔓草も除去され、間伐も進んで明るい森になっている。

 従来は道路から池方向を見ても、草木にさえぎられて何も見えなかったが、いまは池まで十分見渡せるようになった。遊歩道も整備され危ない箇所には柵も設置されている。

 今日(21日)は主としてキツネノカミソリなど保全が必要な野草が踏み荒らされないように柵で囲って、生育場所を守る作業を行った。
気候も良くなり作業をしていても気持ちよい秋風が吹いてくる。本当に気持ちのよい一日だった。

 今回は水質検査はおこなわなかったが、2日前の19日に千葉市の環境保全推進課の職員の方が来て、水質検査をおこなってくれた。われわれも従来からのパックテストを実施したが、千葉市が行った水質検査との比較ができそうだ。

 千葉市の水質検査結果はほぼ1週間ほどで判明するそうで、他の河川の水質検査結果等とも比較してくれることになっている。
この調節池の水質については、流入口の透明度が1m以上あるのに、流出口の透明度は30cm以下であり、水質の指数は河川の下流域の指数レベルになっている。

 その原因を知りたいとかねがね思っていたので、千葉市の検査結果が非常に待ちどおしい。


合同作業日の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/191021/photo#s5123713022328546722

千葉市環境保全推進課の水質検査の写真を掲載します

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/tchMLH

 

 

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(19.10.21)石窯パン工房 ルマタン

 京成電鉄おゆみ野駅の近くに、この8月オープンした「石窯パン工房 ルマタン」がとても繁盛している。私はたまたまこのパン工房の建設の責任者だったAさんと四季の道でよく会い、会話を交わす仲になっており、友達の一人だ。
通常は奥さんと二人で散歩しており、年齢はかなり高く病気がちだそうだ。

 「このパン工房が私の最後の仕事になるでしょう」と言われていたが、今もとても元気だ。先日東北方面に温泉旅行に行かれていたが、次は私と温泉旅行に行くことになっている。
約束を忘れちゃ、ダメですよ」いつものあいさつ言葉だ。

 この石釜パン工房に、おいしいパンを食べに数回行ったが常に人がいっぱいいるのには驚いた。60台収容の広い駐車場を完備し、屋内と屋外に自由に食事ができるテーブルが用意してある。コーヒーは無料なので、ちょっとした食事気分が味わえる。

 石釜は古代ローマ時代から使われた、伝統的なパンつくりの方法だそうで、熱の通りがことのほかよいのだという。残念ながら私には石釜で焼いたパンとそおでないパンの区別がつかないが、きっと味の違いが分かる人もいるのだろう。

 私は昔からパンが好きで、今までは主として千葉南警察の近くのリヨンを愛用していていた。リヨンのパンもとても好きなのだが唯一の欠点は駐車場が狭いことだ。仕方がないので道路に駐車したりしているが、どう見ても駐車禁止の場所みたいだ。
周りの店や住宅からクレームがでているらしい。

 どうやら郊外型のパン屋さんが繁盛する条件は、広々とした駐車場と広々とした食事スペースで、こおした条件が備えられれば、競争力が大幅にアップすることを知らされた。

 私は常々、郊外型のファーストフード店が提供する食事が、マクドナルドのような高脂肪食品しかないのに閉口していが、このパン工房のようなおいしく、ヘルシーな食事を提供してくれる店ができたことは大歓迎だ。

 もしかしたらこのパン工房のようなスタイルは、マクドナルドに対抗しうる郊外型ファーストフード店の日本版として根付くのではなかろうか。
一日もはやくそおした日が来ることを願ってやまない。

開店当初の無料優待日の写真を掲載します
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/1982602

この店に実際に行かれた方の印象を教えてください

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(19.10.20)自転車で転ぶ

 信じられないことに自転車からもんどりうって転んでしまった。別にスピードを出していたわけでもなく、坂道を走っていたわけでもない。

 先日みやこ会の会長の I さんが、里山で一人で作業しているのを見かけて声をかけた時のことである。
 I さんが「この調節池のガードレールに落書きがある」と言うのでみにいった。私は自転車、 I さんは徒歩である。徒歩のスピードにあわせて自転車を操作していたのだが、 I さんが途中で「この場所は私たちの倉庫を建設するのにいい場所ですね」と指差したので、その方向に自転車を向けようとしたら、自転車が右に大きく傾いた。

 こおした場合、右足をついて支えればいいだけだし当然そおしたのだが、右足にまったく力が入らず、そのまま大きく倒れこんでしまった。
右足がまったく機能しないのだ。ないと同じ状態で転んだので、傍から見たら大木が倒れるようなイメージで真横に転んだようだ。

  I さんがびっくりして「頭は打たなかった、大丈夫?」とずいぶん心配してくれたが、このときも右手で身体をカバーすることができたので大事にいたらなかった。
その代わり右手のひじをしこたま擦りむいたのはやむおえない。

 残念なことに甲州夢街道215Kmのあと、右足の調子が極度に悪い。マラソンのようなパターン化した運動ならともかく、今回のようにとっさの動きがまったくできなくなっている。

 会社にいた頃、同僚で足の大腿部を骨折して長く松葉杖をついていた人が数人いたが、「なぜ大腿部がおれるのだろう」と不思議におもってた。今回手のカバーがなければ、足を骨折しそうになって始めてその理由がわかった。
確かに直接倒れれば足も折れる

ゴン、大変なことになってしまった。右足のコントロールが効かない。身体を支えることもできないみたいだ
限界を越えて右足を酷使してしまったようですね。よくマラソンの一流選手が、年に1回程度のレースしかでないのも、そのレースでは限界ぎりぎりで走るからです

どうしたらいいだろうか
今月いっぱいはリハビリと割り切ってください。決してスピード走などせずに、気長にLSDをしてください

来月、つくばマラソンを予定しているし、3時間40分の目標も定めてしまったよ
今月末まで様子を見ましょう。場合によっては時間設定を変える必要があるかもしれません。いまはただ右足の回復を図ることに専念してください

 亀ゴンコーチの指示で、今月は完全なリハビリ期間に当てることになった。

 

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(19.10.19)四季の道の歌 その2

 今日(18日)、四季の道の歌の作詞に曲をつけてくれた「ともすけ」さんが我が家に見え、曲と作詞の調整作業を行った。
ともすけ」さんのことは最初男性だと思っていたが、小さなお子さんを育てている若いママさんである。

 子供のときからピアノをならい、ギターも弾いて「頭の中に絶対音感」ができたのだという。私などは絶対音感などと聞くと、ベートーベンやモーツアルトの生まれ変わりではないかと思ってしまうが、小さな頃から訓練するとそおした能力が身につくらしい。

 かみさんも大変興味を持って、三人で「ともすけ」さんがギターを弾きながら、歌詞を歌ってくれるのを「やはり言葉が長いので削ろう」とか「ここには新たな言葉がいるのではないか」とかワイワイやってしまった。

 こおした作業をしたのは始めての経験だが「ともすけ」さんが、曲と歌詞の調整をしていく手際のよさに目を見張ったものだ。
メロディーはやさしさのあふれたフォークソング調であり、かみさんが「まあ、すてき」と感嘆の声を上げていた。

 ちょっと芹洋子が歌うと似合いそうな曲で、これをちはら台走友会の歌姫Yさんに歌ってもらえないか依頼する予定である。
前回作詞した四季の道の歌を、今回3人で修正したのでその歌詞を以下に掲載しておく。

四季の道の歌

春の道を おぼえていますか
あなたのちちゃな瞳に さくらの花が 写ってた
両手(
)ひろげ 花びら集め ママの手のひらは さくらの花園(白い花園
あなたの初めて歩いた日の 思い出です

夏の道を おぼえていますか
あなたの澄んだ瞳に ケヤキのこずえが 写ってた
サッカーボールで ドリブルしながら ママの周りを 走ってたね
あなたの少年時代の 思い出です

秋の道を おぼえていますか
あなたのきらめく瞳に 愛する人が 写ってた
肩をよせあって(
よせて) 歩く二人に ママはちょっとだけ ヤキモチ顔
あなたの(
若き)旅立ちの 思い出です

冬の道を おぼえていますか
あなたの強い瞳に 愛のぼうやが 写ってた
北風ふいて ママもおばあちゃん 髪に枯葉が 似合うけど
あなたの家族の幸せが 生きがいです

なお、本件と関連のある記事はカテゴリーの「歌詞」にはいっています

  

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(19.10.18)自然のリズム

 最近の眠たさはどうしたことだろう。時間があれば寝ているみたいだ。
もともと私は良く寝る方で、暗くなると眠たくなり、明るくなると目が覚めていた。自然のリズムに非常に忠実なので、夏場は睡眠不足になって、冬場は冬眠している熊みたいに良く眠る。

 実際私の寝る時間は早いのだが、だいたい8時か9時ごろには寝てしまう。社会人であった頃はさすがにいつも8時に寝るわけにはいかなかったが、引退したら社会とのしがらみがなくなったので確実に8時か9時には寝ている。

 かみさんから「お父さんは幸せでいいわね」と半分皮肉混じりにいわれるが、一方朝起きるのは夏場は特に早い。
明るくなると目が覚めるので、3時から4時ごろまでには必ず起きていたが、日の出が遅くなるにしたがって起きる時間が遅くなった。

 この自然のリズムにあわせて寝たり起きたりする生活はとても快適なのだが、一方このリズムが壊れると体調だけでなく精神的にも不安定になってしまう。
先日の甲州夢街道215KMのように、夜を寝ないで走ったりするとその後のリカバリーにやたらと時間がかかるのもリズムが壊れたせいだ。

 社会人であった頃、夜の付き合いを最低限に抑えたのも自然のリズムを維持したいからだった。それでも若い頃は2次会や3次会につきあわされたが、年を重ねるにしたがって誘いがなくなった。
山崎は夜の付き合いが嫌いなようだ」周りが悟ってくれた。

 このリズムが維持できている時の私はハイテンションで非常に陽気だ。四季の道の清掃活動をしているときも、会う人ごとに「おはよう」なんて声をかけているので、今ではほとんどの人が友達みたいになった。
ランニングしているときも「こんにちわ」ランだ。

 作業効率もやたらと上がるので、何をしてもすぐに終わってしまう。最もかみさんに言わせると「お父さんは何でも早いけど、ミスが多いのよね」ということのようだが、作業もるんるん気分だ。

 こおして大げさに言うと61年間も自然のリズムに合わせて生きてきたので、いまさらこの生活パターンを変えることはできそうもない。
いっそのこと「自然リズム教」の教祖になって、教えを説いてしまおうか。

自然の声に耳をかたむけなさい。あなたの心も肉体も自然のリズムをもとめているのです。こころ安らかな生活は自然の声の中にあるのです」
 さっそく亀ゴンが信者になってくれて、毎日寝ている。

質問者「先生は自然リズム教をはじめたそうですが
教祖「先生ではない。教祖様といいなさい

質問者「では教祖様、信者はいるのですか
教祖「亀ゴンがいる

質問者「亀ゴン以外は誰がいるのですか
教祖「亀ゴンの妹がいる

質問者「人間の信者はいないのですか
教祖「くどい、亀だけだ

 

 

 

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(19.10.17)朗読会の再開

 朗読会がまたできそうだ。例の乙川優三郎著の「磯笛」の朗読会である。9月の末に、ちはら台のコミュニティーセンターで実施した朗読会は意外に好評で、実にほっとしたのだが、今度はおゆみ野で朗読会を実施する話が持ち上がった。

 私はブログ仲間としておゆみ野walkersSさんMさんと交流があるのだが、その席で「おゆみ野でも朗読会をしたいものですね」という話になった。
いいですよ、もう一度しましょう」女性の頼みごとには相変わらず二つ返事で了承する。

 実は「磯笛」の朗読会のために、鬼軍曹のトレーナーYさんから二ヶ月間徹底的にしごかれたので、その成果が1回だけの朗読会ではやや消化不良だと思っていた。
もう一度ぐらいやらないと、元がとれない

 さっそくSさんが骨をおってくれ、11月27日(火) 10時~12時、おゆみ野公民館の多目的室で実施することになった。
30名程度の人員を収容できる場所で、おゆみ野walkersの予想参集人員は10名前後なので、私のブログの読者にも来てもらいたいということになった。

 うれしことに、「おゆみ野で朗読会を実施するときは声をかけてください」と何人かに言われていたので、さっそく声をかけることにしよう。

 SさんMさんとは事前に公民館でリハーサルをすることになりそうだ。電源やマイクや椅子の手配や照明の手配が必要になり、ぶっつけ本番ですると「マイクの電源がはいらないし、照明が消えない」なんてことになってしまう。
ちはら台のコミュニティーセンターではこおした手配はトレーナーのYさんがすべてしてくれたが、今度は私とSさん達でしなければならない。
Sさん、Mさん、お手数ですがお願いいたします

 それにしても鬼軍曹のYさんのトレーニングのおかげで、ふたたび朗読会が実施できるなんて行幸以外のなに者でもない。

軍曹殿、軍曹殿の訓練により、私も実戦経験が豊富な古参兵になることができました。ありがとうございました

なお、本件と関連する記事はカテゴリーの「朗読」にはいっております。

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(19.10.16)写真の編集作業

 久しぶりに娘から写真の編集作業を頼まれた。娘は先日、約1週間の予定で、アフリカ旅行をして帰ってきたばかりである。観光場所はビクトリアの滝チョベ国立公園ケープタウンだそうだ。
たっぷり写真を撮ってきたので、編集してもらいたいと依頼された。

 ケープタウンがどこにあるかは知っていたが、ビクトリアの滝チョベ国立公園がどこにあるか知らなかった。地図で調べてみると南アフリカ共和国と北側で接してジンバブエ共和国があり、さらにジンバブエ共和国と北側で接してザンビア共和国がある。

 このザンビア共和国とジンバブエ共和国の間にザンベジ川が流れており、そこにビクトリアの滝があることをはじめて知った。
カナダとアメリカの国境にナイアガラの滝があるが、それとイメージが良く似ている。

 娘は写真が趣味で、今回もデジタル写真機で700枚もの写真を撮ってきた。
おとうさんは、編集のプロだから安心して任せられるわ」娘におだてられて嬉嬉として編集作業をしてしまった。
編集のプロ」は言いすぎだが、確かに「写真の編集」は私の趣味である。Googleが提供している無料ソフトPicasaで、編集作業を始めた。

 編集のポイントは実に簡単で、以下の手順で行えば誰にでもできる。

① 画面が斜めになっている場合は水平に修正する。
② 画面が暗い場合が多いので明度をあげて明るくする。特に人物が写っている写真でバックに露出があっている場合は、人物に露出があうまで明るくする。
③ 風景写真は必ずシャープネスを入れて画面を鮮明にする。
④ 風景写真は彩度をあげて、発色を鮮やかにする。
⑤ 不必要な映像をトリミングで除いてすっきりした写真にする

 実際やってみるとわかるが、一番難しいのは最後のトリミングで、これは経験と映像のセンスが必要な作業だ。それ以外はほとんど流れ作業の感覚でできる。

 娘が私の作業を後ろで見ていて「おとうさんの手際のよさは、みてて楽しくなっちゃう」とさらにおだてた。
おかげで「ブタもおだてりゃ、木に登る」のたとえどおり、700枚の写真の編集を1日でやってしまった。

 今日は私が編集作業を行った写真と、編集前の写真を掲載する。これを見ると編集作業がどのようなものか理解していただけると思う。
きっと「写真は必ず編集した方がいいのだな」と納得していただけるのではないだろうか。

 なお、Picasaによる編集作業は大変面白いので、興味をもたれる方はおられのではなかろうか。メールでその旨言ってくだされば趣味を同じくする者のよしみで、自転車でいける範囲であれば喜んで教えに行きたいと思っている。
私の場合は何でもボランティアで行いますが、娘と同じように若干のお世辞を言っていただけると、きっと舞い上がるとおもいます。


今回の修正写真の一部を例示として修正前と修正後を対比して表示します。修正作業を確認してください。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/11910


なお、修正写真を見られた方は、以下のアンケートに答えていただけると幸いです。

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(19.10.15)弱剪定の季節がやってきた

 四季の道の植栽については、この6月に業者が一斉に強剪定を行った結果、樹形が整えられていたが、秋が深まり弱剪定の季節がやってきたようだ。

 剪定には強剪定弱剪定があり、前者はばっさばっさと枝葉よ切り取るが、後者は伸びすぎた枝葉だけを切って、元の樹形に戻す剪定をいう。
髪の毛にたとえれば、強剪定は丸坊主にするようなものだが、弱剪定は伸びすぎた髪の毛の先を切リそろえる感覚だ。

 四季の道では業者は強剪定を行うこと以外はしなので、ここ数年私が秋口から春にかけて、ツツジやサツキ等の植栽の弱剪定を行ってきた。

 弱剪定をしながら分かったのだが、弱剪定はたしかに重要なのだが、実はそれよりもっと重要なことがある。植栽の上を覆っているつる性の植物を取り除いたり、台風で落ちた枝葉が植栽の上を覆っているのを取り除いたりする方が植栽にとっては重要なようだ。

植物は生存競争をしており、誰が太陽光線を浴びるか競っているので、植栽は太陽光線がいっぱいに浴びることさえできれば常に元気よく成長する。
夏の道橋の下のツゲは、毎年つる性の植物に覆われ、葉が病気にかかって見る影もなかったが、今年はつるの除去を熱心に行った結果、病気がでなくなった。

 弱剪定をしたり、同時につるを除去したり、覆っている枝葉を取り除いたりするのは、ほんの1~2時間あればできるので、この程度のことで植栽が生き返るのは驚きだ。

 先日植栽を代表して、ツツジの精からお礼の手紙をもらった。

山崎さま、いつもわたしたち植栽のことを気にかけて、太陽光線を目いっぱい注ぐ環境を作ってくださり、感謝申しあげております。
おかげでわたしたちは病気にもならず、にっくき蔓草に絡まれることなく、今年一年を過ごすことができました。

 また、樹形を整えるための弱剪定をしていただき、私も美しい姿をとどめることができ、私を妻にと求める方もあらわれました。

 本来ならば直接うかがってお礼申し上げたいのですが、植物のサガでこの場所を動くことができません。ただただ、山崎さまがおいでになったときに、私たちの感謝の印として、われらの芳香でお迎え申し上げたくお待ち申しております。                        かしこ

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(19.10.14)後遺症に悩んでいる

 後遺症に悩んでいる。例の夢街道215kmを完走したものの、最後の50kmは、足の激痛をマヒさせることによってだまして走った
その後遺症が現れたようだ。

 体重は58kgから回復しなくなった。レースの練習を開始する前は62~63kgであり、レース直前に60kgになっていたが、レースが終わっても体重が回復しない。
鏡を見ると筋肉がそぎ落ち、骨と皮に近くなっている。腹などは背中とくっつきそうだ。体脂肪率は13を切って、11近くになったりする。

 体重は単に落ちているだけだが、足には支障が出ている。右足のふくろはぎの外側に常に痛みがあり、JOGを再開したものの筋肉に力が入らない
特に坂道を下っているときに急に右足の力が抜ける。ちょうど足がなくなったような感覚だ。

 おそらく、右足の筋肉に細かな切断現象が発生していて、足を一体として機能する能力に支障が発生しているのだろう。ぼろぼろになって切れそうなロープみたいだ。

 このような時は静かに筋肉の回復を待つのが一番なのだが、まったく運動しないと体重が増え、腹に脂肪がたまりはじめてめまいがする。従来から私の身体には脂肪が少ないので、それが増えるときの重苦しさはたとえようがない。

 仕方がないので足の具合と相談しながら走ることになる。
走らないと体調が崩れ、走ると右足が悲鳴をあげる。とても難しい選択だ。

 かつてトランス蝦夷1100Kmに出場したときも同じような症状に悩まされた。このときは右の臀部が痛くなり、その後右足の外側が痛んだ。現在も悩んでいる坐骨神経痛の始まりである

 だから今回もこじらせると一生付き合わなければならない持病になってしまうので、なんとしても10月いっぱいで直してしまいたい。
それまでは絶対に無理をしないことがポイントで、間違ってもスピード走なんかしてはならない。

 人間レースになると、限界を越えてがんばってしまい、その結果信じられないようなパフォーマンスを示すのだが、その後必ず後遺症が発生する。
先日息子が「そんなことしてたら身体が壊れるよ」と言っていたが、もうすでに壊れてしまった。今はどうしたら回復するのか懸命に模索している段階だ。

 

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(19.10.13)小谷小学校のボランティア

 今日(11日)実に久しぶりに小谷小学校のボランティアに出かけていった。夏休みの間に一回四季の道に面した土手の草刈りをして以来だ。9月の間中、小学校に行かなかったのには理由がある。疲れていけなかったのだ。

 9月の間も非常に暑く、朝の清掃が終わると寝ていたし、夕方は甲州夢街道215KMのトレーニングをしていたので、小学校にいく気力がなかった。
しかしようやくレースも終わり、うれしい事にそこそこの成績で完走できたので、ここにきて余裕がでてきた。

 小学校の南側の道路に面したツツジの植栽は、私がかねて復活を約束してきた場所だ。運動場に向かって右側のツツジは瀕死の重態で、ほっておくと数年で死に絶えそうだったからである。
この春先から、雑草や蔓草がツツジを覆わないように除去を繰り返してきたが、その成果が徐々に現れてきた

 ツツジはかなり復活し、禿げ上がっていた場所には松葉菊が咲き誇るようになった。松葉菊の上を我が物顔に遊びまわっていた犬も、囲いを何重にもし、注意文書も張ったおかげで、この場所で遊ばなくなった。

 今日は本当に久しぶりに、植栽の間に生えている雑草の除去をしたが、雑草よりもツツジの方が成長しているのを見て実にうれしかった。もう1年で復活宣言ができそうだ。
ツツジちゃん、復活までにもう一歩だ。私が見守ってやるぞ」はしゃいでしまった。

 作業中に校長先生にお会いした。
山崎さんがお見えにならないので、外国にでも行っているのかしらと思っていました」といわれたが、疲れていただけなのだ。

 また小学校のボランティアを復活しよう。学校の外周の植栽を立派に育てるのは私の役割だ。
ただ従来は週に2回おこなっていたが、私も色々と声がかかるようになったので週1回に変更することにした。

本件と関連する記事は以下の通り
小谷小学校の松葉菊

 

 

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(19.10.12)パソコンのアドバイザー

 最近パソコンについて相談を受けることが多くなった。「なぜネットワーク環境が悪いのか」「どうして急にパソコンが動かなくなったのか」「どのような機種を購入すると一番自分にあっているのか」等の基本的な問題についての相談である。

 特に年配者でパソコンをメールとインターネット検索ぐらいしか使用していない人は、パソコンが実際に不具合になるとお手上になるらしい。そばにパソコンに強い知り合いがいる場合は問題ないが、そうでない場合はかなり深刻な状態に陥ってしまう。
こんな面倒なもの、もう二度とつかうものか」最後は居直ってしまう。

 幸い私の場合は、自分で何とか解決できるがその能力を開発したのは退職後である。それ以前は、ある金融機関で30年近くもシステム関連の仕事をし、情報処理の資格はたっぷり持っていたのに、実際のパソコンのトラブル対応は苦手だった。

 実は大企業のシステム部門の管理者は、システム操作もシステム開発も自分でするわけでない。
関連企業の若い担当者に「君、こんなトラブルの多いシステムを組んで、テストはちゃんとしたの。品質管理のエビデンスを見せてごらん」なんて口先だけで生きてきたので、実際に手を動かすことはほとんどできないのだ。
なら、あんた自分でやってみたら」なんて居直られたら、布団をかぶって泣かなければならない立場だ。

 それが、定年退職になったとたん、完全に個人企業になり、しかもブログの管理者をほぼ1年あまりしてきたために、パソコンの技能が飛躍的に向上した。
何度もパソコンの再セットアップはしたし、毎日パソコンに向かい合っているんで、ネットワークのちょっとした不具合もすぐ分かるようになった。ソフトもフォトショップのような画像処理ソフトまで使用できるようになり、どのブログ提供会社が利用者にとって適切かも分かってきた。

 おかげでパソコンについて相談を受けても、問題の所在と解決の方向についてはアドバイスができるようになった。実際修理するとなると専門家に依頼しなければならないが、何が悪いかについては教えてあげることができる。

 先日もディスクの不具合で動かなくなったパソコンを見せてもらったが、依頼者は診断プログラムを動かして問題の所在を確認することも、メーカーのサポート部門に電話して具体的に説明することもできなかった。
私が代わりにおこなったが、このようなことを行うアドバイザーが必要なことがよくわかった。

 きっと、年配者でそばに適切なアドバイザーがいない場合は苦労しているので、私のようなものでも役立ちそうだ。
またひとつ世の中のために役に立ちそうな技能を見つけてしまった。

お困りの場合はご相談ください」なんて看板を掲げられる日がそのうちに来るのかもしれない。

 

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(19.10.11)おいしいカレーパン

 最近信じられないことに友達が増えている。まだ現役だった頃は職場の同僚と、数少ない登山とマラソン仲間が友達のすべてだったのに、引退してからは加速度的に友達が増えている。

 おゆみ野クリーンクラブみやこ会ちはら台走友会に知り合いができ、最近はおゆみ野WALKERSおゆみ野自転車共生会議のメンバーとも知己が増えた。
さらに人間だけでなく、四季の道を歩けば散歩しているはみんな顔見知りだ。犬まで友達になってしまった。
我が家に帰ると、亀ゴンもいる。

 友達が増えるとよい事も増える。先日(9日)、クリーンクラブのメンバーで走りながら四季の道を清掃しているカモシカ姉さんから、「おいしいカレーパンを食べませんか」と招待を受けた。
私のカレーパンの腕は、パン屋さんのカレーパンに引けをとらないのよ
招待を受けるなんてあまりないことなので、勇んでかみさんと二人で出向いていった。

 カモシカ姉さんの住まいは、おゆみ野地区でも最近建設が始まった場所で、瀟洒なたたずまいの住宅地の中にある。住居は広々とした庭と、工夫を凝らしたこれまた広々としたな家が良く調和が取れ、かみさんが
こんな素敵な家は始めてだ」と感嘆の声を上げていた。

 カレーパンはうわさにたがわずおいしく、おもわず「もう少し食べたい」と言うところだった。
カモシカ姉さんによると「カレーパンは揚げたてを食べるのが一番おいしい」のだそうで、本当に揚げたばかりのカレーパンを食べさせてくれたのだ。
普段私はカモシカ姉さんの走っている姿と、ゴミ袋を持って清掃している姿しか知らなかったので、主婦としての姿はとても新鮮に見えたものだ。

 かみさんは、すっかりカモシカ姉さんのファンになってしまい、また私の友達の範囲の拡大に驚いていた。
パパさんは、昔はまったく友達がいなかったのに、最近は色々な人と知り合いになってるのね
まったくいなかったは言いすぎだが、確かに定年後の人間関係は自分でも驚いている。
定年後の人生がこんなに楽しいものだとは思いもしなかった。

カモシカ姉さんが揚げてくれたカレーパンの写真を掲載します。http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/HBVeOD/photo#5119524553041616738

本件と関連する記事は以下の通り
I 姉さん 奮闘記

 

 

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(19.10.10)鎌取駅駐輪場の植栽は守れるだろうか

 悩みがある。鎌取駅駐輪場のうち、ジャスコ周辺の四季の道に新たに設置された駐輪場の周りの植栽についてである。
植栽の一部が枯れてしまうのではなかろうか

 先月の台風9号のあと、多くの枯れ枝や落ち葉が駐輪場に散らかっていたため、この駐輪場を管理している自転車誘導員の方が清掃をおこなった。
集められた枯れ枝や落ち葉は膨大な量になったたが、捨てる場所がないため、これを植栽の間に埋め込んだ。しかし量が多いため、埋め込むことが十分にできず、実際は植栽の上に積み上げられた状態になっていた。

 とても気になったので先日、おゆみ野クリーンクラブのNさんと二人で、枯れ枝は別の場所に移動し、植栽を覆っていた枯葉はできる限り埋め込み、太陽の光が届くようにしておいたが、限界がありそうだ。

 そろそろ落ち葉の季節になる
ここはケヤキの木が茂っており、昨年までは落ち葉が落ちると周辺の住民がそれを集めて堆肥にしていた。
自然の好循環が存在し、ほっておいても落ち葉はきれいに片付けられていたといえる。

 しかし、今年はここは駐輪場になったので、誘導員の方が駐輪の邪魔になる枯葉の清掃をおこなっている。
ただし、それを処理する方法がないので、植栽の上に積み上げているのが実情だ。これでは植栽は息ができず、太陽光線も当たらないので枯れてしまいそうだ。

 植栽は何年もかけてようやく今の状態になった。緑土木事務所が年に1回の割合で剪定をおこなっているが、その間のちょっと伸びた枝葉の弱剪定は私がおこなってきた。そおして美しい外形を保つようにしてきたのだが、大量の落ち葉の処理ができないと植栽に危機が訪れる。

うぅーん、どおしたらいいのだろう

 仕方がないので落ち葉の季節だけ、特別運動をしよう。
植栽の上に積み上げられた落ち葉を除去する会」を作って、何とか対応してみよう。いつものように会員は一人だが、そのうちきっと賛同者が現れるかもしれない。

本件と関連する記事は以下の通り。なおこの記事の中の写真に植栽の上に積み上げられた枯葉の写真があります。
やっと終わった

 

 

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(19.10.9)鳩が増えている

 最近が増えているのではないかと思われる兆候がある。数を数えたのではない。鳩のフンの処理量が増えているのだ。
ここおゆみ野の四季の道で鳩が巣を作っている場所は、 ジャスコから有吉中学校に下る春の道の坂の途中にある道路下と、そこからさらに下って、 有吉中学校と有吉小学校の間にある道路下の2箇所である。

 この2箇所においてフンの量が増加している。私はの道路下の鳩のフンの清掃を定期的におこなっているのだが、フンがうず高く重なって、場所によっては5cmの厚さで、フンが道路にこびりついていた。
以前は2~3cm程度だったので、明らかに鳩が増えているのだと思う。

 一方 の場所は、ここで定期的に野菜を売っている八百屋さんが清掃しているのだが、「最近は鳩のフンが多くなって、とても道路下全部の清掃が行き届かなくなった」と言っていた。
山崎さん、ほらあれが生まれたばかりの鳩の子供ですよ。どんどん増えている」遠くからではっきりしなかったが、確かにそれらしき姿が見えた。

 鳩が増えた理由は分からない。鳩の天敵はカラスで、この道路下にも首とはらわたをえぐられた鳩の死骸が良く落ちている。そおした死骸は、子供達の目には触れさせたくないので、私がすぐに処理していたが、そお言えば鳩の死骸を最近は見なくなった。

 もしかしたら天敵のカラスが鳩を襲わなくなったのかもしれない。カラスにしてみればゴミアサリをすればいくらでも食料にありつけるので、すばやく逃げ惑う鳩を襲うよりはよほど効率的に食料を確保できるのだろう。

 一応そんな理由が考えられるが、私は鳩やカラスの専門家ではないので推測の域をでない。
もう一つ、常に不思議に思っているのは鳩の巣の下には、フン以外に細い枯れ枝小石が必ず落ちていることだ。枯れ枝は巣の一部と思われるが、小石が何のために使用されているのかが分からない。
小石も巣の一部なのだろうか。ご存知の方があれば教えていただきたいものである。

 あまりに鳩が増えすぎる場合は、卵を撤去したり、鳩に避妊薬を飲ませたりするようだが、それまでは定期的にフンの処理をするしか手はなさそうだ。

本件と関連する記事は以下の通り
平和は鳩のフンとともに

(追加) 先日台風9号の影響で六通神社の社殿が壊れたとの記事を掲載したら、ブログの読者のAさんが、倒壊直後の写真を送ってくれた。
信じられないような台風の破壊力であり、おそらく見た人は目を見張るのではなかろうか。
なお、私は松ノ木が倒れたのだと思っていたが、イチョウの木の間違いだった。また倒れたイチョウは市の公園のイチョウで、神社の神木ではないとのことだった。

以下のURLをクイックすると見ることができます。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/DBQhII

なお、本件と関連のある記事は以下の通りです。
六通神社が壊れていた

 

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(19.10.8)携帯電話 その2

 普通の人にとってはなにげないことだと思うが、私にとって携帯電話を購入するのは悪戦苦闘の連続だった。

 最初に分からなかったのは、どの携帯電話会社と契約したらよいかということで、かみさんや娘や息子に聞いて、どうやら最も費用がかかるのがNTTドコモで、最も安いのがソフトバンクだと言うことが分かった。

 前にも記したが、私は電話と言うものを基本的に使用しない。固定電話でさえFAX兼用の操作が複雑な電話は敬遠するくらいで、通常はパソコンのメールで十分間に合っている。
それが、携帯電話を購入しようと決心したのは、このブログを常時携帯電話で見られる環境を作りたかったからで、そのためのテスト環境が必要になったからだ。

安くて、インターネット環境がいいのが一番だから、ソフトバンクにしよう
いさんで、ソフトバンクモバイルのオンラインショップを覗いてみたが、頭を抱えてしまった。どうやら端末の機種とサービスの組み合わせで、購入機種を選ぶのだが、書かれているサービスの内容がさっぱり分からないのだ。

 約1日かけて、サービス内容と機種の機能を確認して、どうにか私が求めている購入機種が見つかった。
しかしそれからが大変だったのだ。携帯電話一つ買うのにこんなに苦労するとは思わなかった。他の方はまったく苦労しないのだろうか。

 まずオンラインショップでは「本人確認」が非常に厳しいことを知らされた。
必要事項を記載して、最後の画面で「本人確認」画面が出てきたが、私は免許証をファイルで送付することにしていたものの、まだこの作業をしていなかったことに気がついた。
まずい、ファイルがない」さっそく作ろうとしたら、今まで入力していた項目がすべて消えてしまった。
ありゃ、また最初から打ち込みかよ

 がっかりしたが仕方ない。再度打ちこむことにしたが、またファイルを作成するのは手間なので、今度は「本人確認」はFAXで送付することにした。
すべてが完了し、免許証をFAXで送ってすべて済んだと思ったら、翌日ソフトバンクから「画像が不鮮明なため「本人確認」ができず、販売できない」との通知が来た。
なんだい、我が家のFAXでは画像不鮮明なのかよ

 すっかりオンラインショップには嫌気がさした。それならと直接ジャスコに出向いてここで手続きすることにしたが、こんどは店員から慇懃に断られてしまった。
お客様、残念ですがお求めの機種は当店においておりません。新たにできた○○店まで起こしになれば端末があるかもしれません

うぅーん、販売店には機種がなく、オンラインショップは「本人確認」の手続きが面倒だ」ふてくされてしまった。

 一日置いて気を取り直してから、4回目のトライをおこなった。
最初に免許証のファイルを作成し、ようやくオンラインショップで購入ができたが、こんなに手間隙がかかるとは思わなかった。
他の方はどのようにして購入しているのだろうか、私のようにこんなに苦労を重ねて購入しているのだろうか、聞いてみたいものだ。

 今は目の前に送られてきた携帯電話があるが、分厚い説明書や、6つもある付属部品の取り扱いについて、悪戦苦闘している。
電話という文明の利器を避けてきたつけをいっぺんに払わされているような感じだ。
グラハム ベル様、あなたの偉大さは分かりましたので、私をこれ以上いじめないでください

本件と関連のある記事は以下の通り
携帯電話 

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(19.10.7)次の目標は、萩往還250km

 やはり舞い上がってしまった。先に甲州夢街道シルクロード215kmを完走できたので、次は過去3回挑戦し、3回とも失敗した「萩往還250km」に再挑戦することにした。
萩往還250kmは山口県の山口市をスタートして、ほぼ山口県を左回りに一周するマラソンで、最後が幕末の勤皇の志士が往来した萩往還路を通って、から山口市まで走ることになる。景色は日本海側が特に美しい。
ただし48時間で250km走らなくてはならない

 萩往還250kmは、私にとって実に悲しい失敗の歴史である。最も健闘したのは2回目で、このときは175KM地点にある休憩所まで到達したが、そこで寝込んでしまった。
あとの2回は100Kmを少し越したところでリタイアしている。

 この競技を主催している方は小野さんと言うのだが、100km程度でリタイアする人を見て激怒したらしい。
従来は100Km以上の完走経験があれば、250kmに参加させてくれていたが、その後140kmの完走記録がなければ、エントリーを認めないと条件を厳しくした。

 実際、この競技で100Km程度でリタイアするのは10名前後なのだけど、その一人に私が入っていたのは実に嘆かわしい。
あまりに情けないので、今後萩往還250kmには絶対出ないと考えていたが、甲州夢街道を完走できたことで、200km以上のレースの完走イメージがわいた。
今度こそ、完走できるようにトレーニングをすることができる

 萩往還250kmが開催されるのは来年の5月の連休である。それまで7ヶ月もの準備期間がある。十分すぎるほどだ。ただ長すぎて息切れがしてしまうので、実際は来年の1月から本格的なトレーニングをするのがよさそうだ。

 再び、亀ゴンにコーチを依頼した。
甲州夢街道は良くやりました。コーチとしては後半もう少しがんばれるだけのトレーニングをしてほしかったのですが、まづまづの成績と言えます
ありがとう亀ゴン。ところで萩往還250kmも走破できるだろうか。3回も失敗してるんだ

今回は、絶対に失敗しないトレーニング計画を組みましょう。ただし、今から気負っているととても息が続きません。本格的なトレーニングは来年の1月からとして、本年度はハーフやフルを中心にスピードを楽しみましょう
コーチの指示に従います

なかなかいい心がけです。本年度は11月末のつくばマラソンで3時間40分を切るトレーニングをしてください。うまくいけば61歳クラスで全国で100番以内に入れるかもしれません。具合的メニューはあとで作成します

 こおして、長期目標として、萩往還250km短期目標として、つくばフルマラソンを設定してトレーニングをすることになった。

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(19.10.6)亀ゴン 冒険記 その1

 亀ゴンのために「陸ガメ王 亀ゴン」という大作と、「吸血鬼 亀ゴン」というあのドラキュラ伯爵すら恐れおののいたと言う作品を作ったのに、亀ゴンはやはり不満らしい。

 亀ゴンは「陸ガメ王では車寅次郎とみたいだったし、さらに吸血鬼では吸血亀にまでされては親に合わす顔がない」というのだ。
じゃー、亀ゴン、どんな話だったらいいのかい
なにしろ、かわいらしい話じゃなきゃダメだ。あの『母をたずねて3000里』のマルコ少年のような話がいい

 仕方がない。亀ゴンのためにかわいらしい冒険記を作ることにした。

亀ゴン 冒険記  出発の巻

 亀ゴンはやさしい亀おじさんと暮らしていたが、亀おじさんが年甲斐もなく再婚することになり、亀ゴンの世話ができなくなってしまった。
どうしても結婚する相手の亀姉さんが、二人の亀ホームでないといやだと言うのだ。すまないが亀ゴンはアルゼンチンに出稼ぎに行っているお母さんの元に行っておくれ

 亀ゴンは仕方なく、色ボケした亀おじさんの下を離れ、アルゼンチンを目指すことにしたが、どうやって行ったらいいのかさっぱり分からなかった。しかし色ボケしたとはいえ亀おじさんだ。いいことを教えてくれた。

亀おじさんの友達に、航空会社に勤めているハンサムな男性のチーフパーサーがいる。この人は愛さんといって、亀の甲羅をおなかに巻くのが趣味だから、お前を腹にかくしてアルゼンチンまで運んでくれる。その間は、暴れるんじゃないぞ

 愛さんは、航空業界では有名人だった。なにしろ業務中も亀の甲羅を腹に巻いているのである。腹巻の変わりらしい。
上司がこのことをとがめたことがあったが、愛さんは女性のパーサーのアイドルだったから、女性達が猛反発した。
亀の腹巻ぐらいいいじゃない。あんたなんか腹の周りに脂肪をまいているじゃないの。脂肪より亀の方がかわいいわ

 かくして愛さんの亀腹巻は公然の秘密になっていたため、亀ゴンが変わりに腹巻になっても分からないと言うわけだった。
ただ一つ問題点があった。甲羅の亀はチッコもウンチもしないが、亀ゴンは子供なので24時間も我慢できない。
実際亀ゴンは亀おじさんと住んでいたときも、毎日決まって定刻にウンチをしていたし、チッコはのべつ幕なしにしてたものだ。

亀ゴン、アルゼンチンにつくまではどんなことがあっても、ウンチもチッコもしてはダメだぞ。約束できるか
ぼく約束する」亀ゴンはお母さんに会うためにけなげに約束したのだった。

 かくして亀ゴンは愛さんの亀腹巻として、世界でも屈指の警備体制を誇る成田空港のチェックを潜り抜け、はれて空の亀になることができた。
しかし時間が立つにしたがって亀ゴンの苦しみは始まった。乗ってすぐにチッコがしたくなったのに約束ですることもできない。そのうちウンチまでしたくなった。

 一方愛さんは有能なパーサーだったから、常時乗客の周りの世話をしていたし、飛行機の中で走ったりするものだから、亀ゴンがどんなに我慢しても限界があった。

 運悪く愛さんがエグゼクティブクラスの乗客の世話をしていたときに、乱気流に巻き込まれ、愛さんが飛び上がった拍子に、亀ゴンはついにお漏らしをしてしまった。
ごめんね、愛おじさん。ぼく、しちゃった
愛さんはもちろん腹の回りの異変にすぐに気付いたが、なにしろ有能なパーサーだから何食わぬ顔で業務を続行した。

 ついに乗客の一人が異臭に気付き騒ぎ始めた。
この部屋全体に異臭がしている。何か子供のお漏らしの臭いみたいだ
愛さんは気付かれてしまったと思ったが、そこはチーフパーサーだ。平然と説明した。

お客様、おめでとうございます。実は航空安全局よりの指示があり、異臭実験をするようにいわれております。
どの程度の異臭であればお客様が、それを認識できるかとのテストでございます。
お客様の臭気認識度は最も高く、後ほど当航空会社より亀の甲羅を差し上げることになっております


 亀の甲羅をもらえると知って、この乗客の喜びようはひとしおでなかったが、愛さんは愛用のかめの甲羅を一つ失うことになってしまった。

俺の鼻は航空安全局の折り紙つきだ」この乗客は鼻高々だった。

 一方他の乗客は「自分がなぜに最初に異臭を発見できなかった」と大いに残念がり、お漏らしの臭いを懸命に探し当てようてとした。
ついに愛さんの周りに集まり、そこが発生源だと分かると乗客全員安堵の気持ちになったのである。
俺の鼻も捨てたものではない

 こおして、亀ゴンはお漏らししたのにかかわらず、愛さんの機転で無事にブエノスアイレスの飛行場までたどり着けることができたのである。

(続きは1週間に1回程度の割合で掲載します)

なお、亀ゴンの物語シリーズは以下の通り
吸血鬼 亀ゴン
陸ガメ王 亀ゴン


 

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(19.10.5)菜の花里美発見展

 とても興味深い記事が「おゆみ野WALKERS」の「この人に会いたい 福谷章子さん」に掲載されている。

 記事は千葉市民ネットワーク所属の福谷議員の紹介記事ではあるが、その大半を福谷議員がおゆみ野地区の代表としてかかわりを持った、「菜の花里美発見展」の経緯についての記載となっている。

 「菜の花里美発見展」(以下「菜の花」)という言葉を聴いたことがあるだろうか。実は私はまったく知らなかった。
この「菜の花」は、22大学、38ゼミが参加した大イベントで、都合47回の「コミュニティ出前講座」と16回の「街なか劇場」を、おゆみ野、ちはら台、あすみが丘、季美の森で実施したという。
またここおゆみ野では、子供達を対象に秋の道で手作りの二人乗りカーのスピード競争がおこなわれ、夏の道には「蚊帳のウチ」が置かれ、ペットボトルで作られた「光のコンビニ」が設置されていたのだという。

 2002年、今から5年前のことである。費用は約3000万を旧公団がかけたそうだ。

 ところが私はこの町に14年ほど住んでいるが、そおした催し物がおこなわれたのを、聞いたことも見たこともないのである。
なぜだろうか。

 このWALKERSの紹介記事を読んでみると、その理由が推測できる。
実は自治会保護者会がこの「菜の花」に反対しており、結果として「菜の花」の十分な情報が住民には伝わらなくなった。
一般にこおした情報は自治会の回覧板で知るのだが、おゆみ野地区の自治会の組織率は約40%であり、残りの60%はこのルートからの情報はない。またたとえ回覧板でまわってきたとしても内容を詳細に熟読する人も少ない。

 結果として、「菜の花」について相応の情報を持っていた人は自治会や保護者会の役員レベルで、それも反対の立場の情報だから、一般の住民が知りうる機会は非常に少なかったのだと思う。

 自治会や保護者会の反対の中で、福谷さん(当時はまだ議員ではなかった)が「菜の花」のおゆみ野地区代表として孤軍奮闘し、どうにか開催はしたものの、住民に知れ渡ることなしにこの催し物は終了した。そおした意味では一回限りの、限られた人のイベントとして人々からの記憶から消えた。
今日の福谷議員は、そのときの負の経験をバネにしているのだと言う。

 このWALKERSの記事を読むと、おゆみ野地区の政治がどのような経緯をたどって決定され、福谷さんが孤軍奮闘し、そしてなぜ「菜の花」が忘れ去られたかが分かる。
そおした意味でこの記事はライターTさんおゆみ野の政治史に鋭いメスを入れた会心のルポになっている。

 おゆみ野の政治のプロセスについて若干でも感心のある人は、熟読に値する記事だ。是非一読することを薦める。

以下のURLをクリックするとWALKERSの記事を見ることができます

http://oyuminow.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_7974.html

恐縮ですが、私の紹介記事と、おゆみ野WALKERSの記事を読まれた方は、以下のアンケートに答えてください。

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(19.10.4)里山整備第12回合同作業報告

  今日(3日)はみやこ会の12回目の作業日だった。参集メンバーは6名である。
ようやく秋めいてきて大変涼しい一日だったが、信じられないことに蚊の大群に悩まされた。
蚊も、生存競争の最後の戦いをしている」のだとメンバーの一人が言ったが、蚊取り線香や蚊ネットで防御していないメンバーにとっては大変な日だった。

 この里山には実に不思議な現象がある。合同作業を開始してからはや半年になるのに、生き物の姿をほとんど見かけないのだ。「ヒバカリ」とおもわれるを見たのは今回がはじめてだしウサギのような哺乳類は見たことがない。さらに会長の I さんの話だと、他の池や調整池と比べると水鳥も少ないと言う。

 従来ここに古くから住んでいる人から「狸がいて餌付けをしたことがある」とか、「マムシがいるので注意するように」とか言われたのがうそのようだ。
そおいえばクワガタカブトムシのような昆虫についても非常に少ない。

 なぜなのだろうか。住宅地にかこまれて、爬虫類や哺乳類等はすでに住むことができない環境になってしまったのだろうか。今のところまったく原因がわからない。

 もう一つ不思議な現象を見つけた。ここは従来蔓(つる)が繁茂し、木の樹幹を覆っていたのだが、私が2月、3月の間に蔓をすべて切断しておいた。
これで今年はからまれていた木から芽吹きが始まり、蔓に変わって樹幹を形成すると思っていたいたのだが、いっこうにそうした気配がない。

 そのかわり、かつて蔓が閉めていた場所はポッカり空間が開いたままだ
あまりに蔓に痛めつけられたため、葉っぱも出せないのだろうか
予想に反してとても残念だが、来年は芽吹いてくれることを期待しよう。

 本日の作業は、恒例の水質調査と、藤のツルの除去通路の土留め工事をおこなった。また伸びてきた笹の刈り取りも同時におこなった。

 森の整備もかなり進み、手を入れていない部分も減ってきている。同じ様に刈ったり切ったりしていても、当初の頃に比べ周囲に与える影響が大きくなりつつあるとも言える。

 今回 ① 生物の隠れる場所を確保するためにはササやぶをどお残すべきか ② しつこいアズマネザサは一旦刈り取った方が里山の景観上や野草のためには良いだろうかについてメンバー間で意見交換した。
この問題も、この森をどのように利用するのかで整備の方向が決まって来るので、I さんが改めて整備目標の原案を提示することになった。

  I さんの構想としては、中央に残された原生林的な場所は一度にササを刈る事はしないゾーンとし、すでに笹をかったゾーンと交互に整備したり、野草の保護ゾーンや遊びゾーン等と分けて、それぞれの場所に合った整備をしていく事を想定しているようだ。

 すでにゴミの除去、蔓の除去、下草狩り、池の囲い、土留め等をおこなうことで里山整備はかなり進み、これからはこの里山をどのように育てていくかの段階に来たようだ。

本日の作業の写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/19103

なお、水質調査結果は、今後月に1回の掲載に変更します

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(19.10.3)甲州夢街道シルクロード215km 結果報告 その2

 昨日(1日)までは両足の大腿部の筋肉痛がひどく、一歩歩くたびに悲鳴をあげていたのだが、さすがに今日(2日)は痛みが和らいできた。まだ普段どおりの歩きには程遠いが、痛みが引いてくれただけでもうれしい。テンションも上がってきたので、気持ちが前向きになってきた。

 実を言うと何回もこのレースにでる事をブログで宣言してきたし、事前の練習についても詳細に記載していたので、「もし完走できなければどうしょう」と心ひそかに悩んでいたのだ。
しかし、その悩みも消えた。ふらふらだったがなにしろ約34時間で完走できたし、速報を見ると完走率は約50%で、二人に一人はリタイアしているのだからなかなかのものだ。
61歳でなかなかやるじゃないか」急に有頂天になってしまった。

(注)正式結果がでました。
      出走者 209名、うち完走者109名  完走率 52.1%
      私の正式時間  34時間12分41秒  58位

 このレースの主催者は海宝道義さんという。ウルトラマラソン界では最も著名な人の一人で、94年、95年とトランスアメリカマラソンで完走している。
トランスアメリカはアメリカの西海岸ロスアンジェルスから東海岸のニューヨークまでの4700kmを64日間で駆け抜けるレースで、その後海宝さんは競技者と言うよりも競技開催者として有名になった。

 海宝さんの主催する競技には多くのボランティアがスタッフとして参加しているが、海宝さんの人柄を慕って参加している人が多く、とてもフレンドリーなクルーになっている。
エイドの設定も競技者の立場に立ったメニューが十分に用意され、最近目立っている金儲けのための競技開催とは際立った一線を画している。参加していてとても気持ちがよい。

 この夢街道は甲州街道の終点、下諏訪の諏訪大社の前から出発して、日本橋までの215KMを走るものだが、諏訪大社の標高が約600mだから、基本的には下りになっている。
走っていても下りが多く、そおした意味では走りやすいのだが、途中に2箇所厳しい峠越えをしなければならない。笹子峠大垂水峠で、特に笹子峠が厳しい。甲州街道最大の難所と言われた笹子峠は標高が約1000mである。

 笹子峠を通過する時間帯は夜だったが、ほとんどの人が歩いていた。2~3時間あるいて、まだかと思う頃にようやく頂上に到着した。下りは駆け下りるだけだが、懐中電灯の明かりだけでは道路の状態がわからず、足先を上げて走らないと転ぶ
私は経験上このことを知ったが、それまではよく転んだものである。

 次の難所、大垂水峠を越えると約160km地点で、あと50kmになっているのだが、実際はここからが難しい。ほとんどの人が身体が動かなくなっており、精神力だけで動いている。

 私も両足の激痛に悩まされたが、しばらく我慢して走るとマヒして感覚がなくなるので、あとは精神力でカバーした。
実を言うと私自身は精神力が弱いほうだが、今回ばかりはブログで宣伝したためなんとしてでも完走しようと言うバネが効いたようだ。
まあ、山崎さんたらブログでは格好つけていただけなのね」なんてコメントされたら大変だ。

 この日は東京は土砂降りの雨で、合羽を着てはいるが体温の低下に悩まされた。走っているときはなんでもないのだが、歩くと寒さがひとしおだ。
私は途中のコンビニで傘を購入して歩いていたが、途中で完全に足に来ていた走者に会った。身体がふらついており振るえまできている。
私も実はこの走者と同じ状態だったのだが、私の場合は筋トレが効いていて、たとえふらふらになっていても身体を支えることができていただけマシだ。

 しかしまあ、なんとしても完走できたことはうれしい。200kmを越すレースの対処方法も分かった。また病みつきになりそうだ。

 最後に来年度、このレースで完走したい人のためのアドバイス

快適に走りきるためには、事前に100Km走を2本程度走っておく。

とりあえず完走を目指すなら、私のように50km走を3本程度走る事で可能だが、最後の50kmは死の苦しみになる。ここは精神力でしのぐより手はない

この記事は昨日の記事(その1)の続きです

恐縮ですが、今回のレースについて5段階で評価をお願いします。

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(19.10.2)甲州夢街道シルクロード215km 結果報告 その1

 いやはや大変なレースだった。この大会は参加人員は約200名、完走率は例年6割と言われている(追加  速報によると今年度の出走者は207名、完走者109名、完走率52.6%になっている)。私は36時間の制限時間のところ、約2時間余して約34時間で完走したのだから、おおいに誇っていいのだが内実は大変だった。

 実はこのブログを書いている今日(1日)、身体がまったく動かないのだ。階段は四足で上り下りしているし、部屋の中を歩くときも、オラウータン歩きで、1m歩くのにも決心がいる。

 足に少しでも力を入れると、目の玉が飛び出るほどの筋肉痛がでる。
仕方がないので寝ていることにしたのだが、ブログを書かねばならないし、メールの返事も書かなければならない。
意を決してパソコンの前に座ったのだが、何かエネルギーがすべてなくなっているみたいだ

 私はこの大会のために、50km走を都合3回おこなってきた。しかしこれでは十分でなかったようだ。
後半完全に失速した

 この種の競技に出る人は経験的に知っているが、練習で一度に走った距離の2倍までは競技で走れる。
 その意味で215KMを走るためには、本当は100Km走が必要でそれを2本程度は走っておきたかった。ただ自分の意志だけで100Km走るのは不可能だから、100Kmの競技に練習と位置づけて参加するのである。
この方法はとても有効なのだが欠点もあって、215KM走るために100Km走に二回程度でなくてはならない等、やたらと競技の参加が増えてしまう。
まあ、50km走を3本走ったので、これで大丈夫だろう」甘く考えた。

 今回は大垂水峠を越えた約160km地点で走力がゼロになってしまった。実際まともに走っていたのは100Kmくらいまでで、練習量の2倍地点である。その後はだましだまし走っていたが、速度はどんどん低下していき、歩きよりは早いと言う程度だった。

足がまったく動かん。まだ50kmあるのに走力ゼロだ
このような時は歩きで繋ぐのだが、いくらはやく歩いても時速5kmが限界で高尾から日本橋までの50kmを10時間あまり歩き続けなければなければならない。

 その時点で残り時間は11時間あったので時間的に余裕はあったのだが、実際やってみると時速5kmどころか4kmもでないことがわかった。
まずい、これだと制限時間をオーバーしてしまう

 しかし人間と言うものは、いざとなったら色々なことを思いつくものだ。足をだますことにした
このようなときに無理して走ると足に激痛が走るのだが、我慢して5分ぐらい過ぎると、足が麻痺して痛みがなくなる。その足を意志力では走らせるのだ。激痛の情報を遮断してしまえばいい。

 この方法で走ったり歩いたりしながらどうにか日本橋に着いた。高尾から9時間かかったことになる。最後の20kmはさすがに歩くことしかしなかったが、足は完全にパンクしており、ゴールに着いたとたんにだましが効かなくなった。
足からの激痛信号を無視して走らせたので、足が死んでしまったみたいだ

 日本橋から京葉線のコンコースまでは、まだ余熱があってどうにか歩けたが、そこで気力と体力が萎えた。
コンコースに約2期間程度倒れこんで寝てしまった。ここは家のない人の溜まり場なのだが、私は家があっても帰る体力がないのだ。外から見たら完全な浮浪者だ。
もう一歩も動けん。死んでも動けん
 前後不覚になって寝ていたので、こんなとき財布を抜き取られても分からなかっただろう。

 2時間寝て、傘をステッキがわりにしてかろうじて家まで帰ったが、このことをかみさんに話すと
馬鹿なことを、いい年になってする。考えた方がいいよ」と一笑に付された。


今回の写真を掲載します。ただし初日の80km付近までの写真しかありません。その後は夜になったのと、翌日は大雨で写真を撮れなかったせいです。

http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/19

 

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(19.10.1)疲れが抜けない

 この夏の疲れがなかなか抜けない。身体がいつもだるく時間があれば寝てしまう。
おとうさんは、気がつくと寝ているわね」かみさんからいつも言われている。
最大の原因は夏の猛暑で、しかもその中を甲州夢街道シルクロード215Kmのトレーニングのために走り回ったせいである。

いい年をして、無理していると身体が動かなくなるよ
かみさんから注意されたが、今回だけは無理を承知で動き回ってしまった。
なにしろ9月の走行距離はレースを含めると665kmにもなってしまい、かつてトランス蝦夷1100Kmのレースに出場したときの次に多くなってしまった。

 マラソンの練習をしたことのない人のために説明すると、一般のランナーで毎日熱心に走っている人の走行距離は月に約300Kmである。
毎日休まず,10km走っていると思えばよい。
私もマラソンに全情熱をかけていたころの目標がやはり300Kmだった。しかしこれも天候や仕事の都合や病気等の理由で、なかなか達成できない目標だったのだから、今回の665kmがいかに破格な数字か想像できると思う。

 しかし甲州夢街道シルクロード215Kmも終わった。この結果については明日からのブログで詳細に記述するつもりだが、今はただ疲れを取ることで精一杯だ。

 あまりにマラソンに集中したことと、朗読のトレーニングが重なったこともあって、それ以外のボランティアは手が回らなかった。
いつもの四季の道の清掃や、里山開発や、鎌取駅の清掃はおこなってきたが、小谷小学校のボランティアはできなかった。パソコン教室にも通っていない。

 10月以降について、どのような目標を設定して生活するのかまだ決めていない。今はとりあえず甲州夢街道シルクロード215Kmで疲れ果てた身体の疲れを取ることに集中しよう。

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