(19.9.20)六通神社が壊れていた
台風9号の大風で、六通(ろくつう)神社の社殿が倒れてきた松の木(訂正 イチョウの木)の下敷きになリ壊れていた。
このことを教えてくれたのは、いつも四季の道で朝会う、Aさんである。
「社殿が壊れてしまってね、緑土木事務所が対応しているみたいだが、その後はどうするのかね」
六通神社は秋の道に沿っていて、ちょうど南警察署とK'S電気の中間あたりに存在する神社で「六通むかい公園」と隣接している。
六通はおゆみ野の地に古くからある村落の一つで、泉谷公園の南側に隣接している一帯を言い、そこの守り神が六通神社にあたる。
おゆみ野風土記によると、「六通神社の由緒は非常に古く、江戸初期にまで遡り、この地に六通新田が開発された時期に同時に建立され、当初は日枝神社といっていた」のだそうだ。
もともとこのおゆみ野の地は千葉氏の秣場(まぐさば)であったり、近隣の村落の入会地であったようで、言ってみれば雑草と潅木が生い茂る荒地だったようだ。
そこを「江戸初期(1677年)に近隣の百姓が生実藩(おゆみはん)の許可を得て、新田開発をおこなった場所が六通で、当時の新田開発に参加した百姓は14軒だった」という。
現在六通の古い古道を通ると、両側に大木が生い茂った立派な家並みが続いているが、それは新田開発に努力した先人の子孫に当たる人々の屋敷である。
今回台風により、この六通神社の社殿は半壊してしまった。ちょうど正面から見ると左側の屋根が倒壊しており、そこに松(訂正 イチョウ)の大木が倒れかかったことが分かる。松(訂正 イチョウ)は樹齢3~4百年の大木で、直径は1.5mほどもあったのでひとたまりもなかったのだろう。
今後の六通神社の再建はどうするのだろうか。昔のように村落共同体の絆が強かったときはともかく、現在のように「六通神社って何」という住民がほとんどの場合、旧の六通の住民だけで再建するのだろうか。それともこのまま放置されるのだろうか。あるいは文化財として市の助成があるのだろうか。
とても気になるところだ。
(追加)おゆみ野風土記を読んでいたら「鎌取」の地名の由来が書いてあった。
「ここは千葉氏の奥方の所有する入会野で、近在の農民が草刈りをするとき、鎌一丁につき16銭徴収していたという。ところが盗み刈りをする者があとをたたず、見つけたらその者から鎌を取り上げていたので、鎌取と言う地名になった」のだという。笑ってしまった。
なお、おゆみ野風土記からの引用は理解しやすいように文章を変えております。
六通神社の半壊の現状写真を掲載します。
http://picasaweb.google.co.jp/yamazakijirou/19919
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コメント
さすがに山崎さんの情報は早いですね。足で歩かないとだめだと教えられました。私が行った時は六通神社の屋根はシートがかかってよくわからなかったのですが、山崎さんの写真だと結構ひしゃげていますね。トタン屋根だから簡単にへこんだのでしょう。問題は軸組みがどこまでやられているかですね。それでも補修は可能でしょうが、問題はお金ですね。岡山の実家の近くの神社で子供の火遊びが原因で神社が焼けた時は、文句も言わずみんなでお金を出し合って立て直しました。でもおゆみ野では難しいでしょうね。
(山崎)最近は四季の道を歩いていると、良く声をかけられその中で何気ない情報を得ることができます。まだ六通神社の再建方法は聞いていませんが、わかればブログに掲載します。
投稿: めいちゃん | 2007年9月27日 (木) 09時14分